Apocalypse

-かにぱん黙示log- かにぱんブログだから略して蟹風呂?

映画

ステルス デラックス・コレクターズ・エディション


捨てるス じゃないよ。

戦闘機映画。
「チャーリーとチョコ工場」だったかな、映画館に見に行ったときに、
予告を見て面白そうだなとは思っていたので見てみたのですよ。


物語を簡単に説明すると――

近未来…米軍はテロリストと闘う為に、人工知能を搭載した無人ステルス戦闘機「EDI」を開発した。
しかし、雷をうけたEDIは暴走。3人の有能な操縦士が、EDIの暴走を食い止める!



で、
この三人の関係とか、絆とか、上官の考え方とかを最初の20〜30分で説明しているんだろうけど、
場面転換についていけなくて( ゚Д゚)ポカーンだった。
置いていかれた感じ。
気が付くと三人とEDIは編隊を組んでアジアのほうに向かってるし。
その帰りに雷に打たれてどうやら人工知能がぶっ壊れたっぽいのだけど、
壊れ方もあまりよくわからない。
学習機能が過剰学習の状態になったのに近いのかな。
自ら情報収集し、ターゲットを選定して、指示とは関係なく勝手な行動をとり始める。
もしEDIがそのターゲットを攻撃すれば、戦争が勃発するという。
ここらへんは、空中戦と、かけひきの連続で結構迫力があったりする。


三人の操縦士は(もう名前すらも忘れてしまった。タレント1,2,3って呼ばれてるからな)
全力で阻止しようとするのだけど、一人はすぐに墜落して殉職。
残った二人が頑張っているのに、上司にあたる中尉は腹黒いので、一連の出来事を
抹消しようとする。

ここで、EDI人工知能の設計者が合流してコンプ部分を修復すると、EDIは従順になるw
もうなんか、ナイトライダーのKITTかと思うww
映画予告を見たときの予想としては、3人の操縦士がめちゃくちゃ四苦八苦して
EDIを撃墜して一件落着ってなるのかと思っていたから、ここらへんはちょっと意外な展開だった。



全体としては6点くらいかな。
ワールドワイドで、世界中の空を飛んでいる感じとか、映像処理とか、
腹黒い上官とか面白い要素はあるんだけど、描ききれていない感じだったかな。
結果どの要素も中途半端に終わったというか。


北朝鮮の軍と戦うところは、別の意味で関心したw

こんだけ興味はあるのに、こんだけ見たくない映画は初めてだぜ?

なんつーか、映画館で金払ってみるのがもったいないwwwwwwww

チケットが当たったので見に行きました。
私の実家ではしょっちゅう懸賞に当選しますが、その賞品は限られていて
大体映画券かクオカード・テレカ系か時計類ですね。
現金や車などはさすがにあたりません^^;

トゥームレイダーやロードオブザリングやスパイダーマン2なんかも
チケットが当たりましたねぇ。


この映画は、監督が「ロードオブザリング」を撮った「ピーター=ジャクソン」で、
ロードオブザリングに負けず劣らず上映時間の長い作品です。190分ちょいだっけかな。
出演俳優は私個人としては、知っている人がいないんですが…
ドリスコルが「戦場のピアニスト」ってくらいしか…
でも

アンディ・サーキス(男優) ・・・ キング・コング/のろまなコック

これにはちょっとわらたー。
キングコング役=のろまなコック てw
てか、のろまなコックってどれだっけ?ww

この映画にかかった多額の制作費のうち、ほとんどがCGに使われている、
なんて話も聞いたのですが、キングコングは着ぐるみとCGの複合で作り上げた映像なのかな?
それがハッキリとわからないくらいCGが巧妙であるという証拠なのかもしれないけど。



ストーリーは以下のようなもの。有名な作品だからわざわざ書かなくてもいいかな^^;


主人公は、女優という職業に憧れながらも、売れない小さな劇場でギャラももらえず
働かされる喜劇女優。
夢があるけどツキがなくて成功できていない。
彼女は脚本家ドリスコルに憧れるあまり、「ドリスコルの脚本の映画に出ないか」という誘いに乗って
髑髏島へ行く船に乗ってしまう。

地図にもない未開の島、髑髏島には巨大な岩壁がそびえている。
撮影しようと上陸するが、原住民に襲われクルーは数人死亡。
島を離れようとするが、ヒロインが原住民によってさらわれ、いけにえにされる。

ヒロインはキングコングに連れ去られジャングルへ。
それを追って、撮影隊やドリスコル、船の乗組員達も島を探検するが――



さて、感想。

さすがに3時間の映画ともなると、見る前に構えてしまいますよね。
「あ〜長いんだろうな〜眠くなるかな〜トイレ行きたくなったらだるいな〜」とか。

でもロードオブ〜に比べれば、「長い割にダレない方だな〜」と思いました。
アクションの山場が定期的にやってくるので、眠くなることはなかったですし
やっぱ大画面であの迫力の映像ですから、手に汗握りましたよ。

まず船で海に乗り出してから、座礁の危機。
そして上陸してから原住民とバトル。
ヒロインがキングコングにさらわれる。
追跡隊がジャングルで数々の災難に見舞われる。(恐竜や巨大昆虫に襲われる)
キングコングが町で大暴れ。

てな感じで、場所を変え次々とアクションがあったので。



特に島の中では、まず撮影隊が遭遇する恐竜の群れ。
どすこいどすこいって感じで走ってきてかなりの迫力です。
ジュラシックパークとかダイナソーとかあんな感じかな〜。
どちらも映画館で見てないからなんだけど、CGの恐竜が出てくる映画を思い出しました。
かなりリアルに見えましたよ〜。

そして、昆虫の群れのキモイ事キモイ事…
あれだけキモければ、制作側も大満足だろう!ってくらい気持ち悪かったです。
水の中から出てきたトレマーズっぽい触手系の生き物はサイコーにきんもーっ☆でした。
あれに食べられるときの恐怖といったらないでしょうね…

ただし、キングコングが出てくるまでに1時間かかりますので、キングコングが
出てくる頃には自分が「キングコング」という作品を見ているということを
幾度となく忘れますw




「愛にことばは必要ない」というドリスコルの言葉は、言葉を話せないキングコングにも
愛や美しさがわかるということに繋がっていました。
だいぶスパンの長い伏線ですね。

最終的に、キングコングがアンを守って死ぬシーンには涙してしまったのですが、
それよりあの映画監督の「美女が野獣を死に追いやったんだ」という言葉と、
それまでのやり方には腹が立ちましたね。
お前が殺したようなもんだろが! っていう。

あと、アンはキングコングを愛していたというより、
「誘拐されたり、人質にとられた被害者が犯人に同情する姿」に見えて仕方がなかったのですが、
そんなのは私だけでしょうか。

だから、最後に泣いたのは泣いたのですが、アンとキングコングの愛に泣いた、とは
私は言えないんですよね〜…
キングコングは、哀れなだけだった。
島から連れ出されて、唯一心を開いた相手は人間(つまり自分とは相容れない種族)だし、
その人を守ろうとして死んでしまう。
そしておそらくその相手に愛されもしなかった、っていうように見えた。
同情されていただけ。
というわけで
「アンとキングコングの心のふれあいに感動して泣きました」
というのは、私の率直な感想ではないです。


CGに頼るフィクション長編映画らしい「ツッコミの余地」みたいな部分も多いのですが、
所詮はフィクションですし、ストーリーに関してはもうだいぶ昔から親しまれてきただけの
価値ある作品ですから、迫力のアクション映像とかCG技術とかを楽しんで
「あーおもしろかった」
これでいいと思います。「娯楽」ですからね。
入り込んだ者勝ちでしょう。
描かれている時代が「現代」ではないので、「うまく当時が再現されている」という意見と
「違和感がある」という意見等、もちろんありますけどね。
私も思いましたし。
しかし、私は1933の「オリジナル版」も見たのか見ていないのかはっきり覚えていないような
体たらくなので、「オリジナル版製作者へ捧げる」というピータージャクソン監督が
作中に盛り込んだオマージュのようなものには、もっぱら無頓着でして^^;
オリジナルも見てあったら、そういう点も楽しめる要素となったのかもしれません。

私の大好きな漫画『寄生獣』(当ブログにおける記事はこちら)が実写映画化されるというニュースが
今年の7月にはすでに公表されていたことにやっと気付いた。

アマゾンレビューやろうと思ってアマゾンを彷徨っていたら、そう書いているレビューを発見し
早速検索。
どうやらこんな感じらしいです。


監督は「呪怨」撮った人か…
なんかただのキモコワ映画にならないか心配だがどうなん?
あと、なんで「Lefty」やねんと思ったら、日本の漫画はセリフが縦書きであるため
英語等に翻訳する際に鏡面コピーしてめくりかたを逆にする必要があり、
そのため左右の手が逆になっていることからLeftをもじってつけられることになった模様。
ミギー…Lefty…ミギー…Lefty…


10巻ある漫画って映画という2〜3時間の枠に収めるには長いの短いの?
きっと長いんだろうな。
結構端折られるだろうから、どう端折られるかはファンが最も気にするところかもしれんね。
そしてミギーのあの性格がうまく描かれるだろうか。
寄生獣そのものとかのクリーチャーはもうCGで十分いじり倒せる時代だから
内容にますます厳しい目が向けられそう。

最終兵器彼女も実写化されるし…二本とも「あの漫画がか…」って感じで
心配だったり楽しみだったり複雑な心境。

二週続けて授業で見ました。映画鑑賞する授業って結構多いんですね、大学。


で、映画の冒頭部分は見逃したのでタイトルもわからないまま最後まで見たんですが
映画好きな先輩の竹美さんに話したところ「それは『薔薇の名前』ね」と教えていただきまして
さっそく検索。
おーーーこれだこれだ
やっぱあれショーン=コネリーだったのか。目が悪いのにめがね忘れたもんだから
よく見えなかったんだよねww
監督はジャン=ジャック=アノーすか。
この監督の作品て

スターリングラード
セブン・イヤーズ・イン・チベット
愛と勇気の翼
愛人/ラマン
子熊物語
薔薇の名前
人類創世

こんな感じだけどどれも見てない…残念('A`)


え、「薔薇の名前」の解説はここらへんに結構詳しく書いてありました。
で、みんシネのレビューもこんな感じでした。



「結構多くの人が感じていること」+「実際に原作者と監督が狙ったところ」
ではあると思うのだけど、主演の二人以外の修道士達はみんな不気味すぎ。
しかも連続殺人事件が本筋だから、死体出まくりだし、画面には色が少なく暗〜〜い雰囲気。
マジ暗い。逃げ出したくなるほど暗い。
でもそしたら授業早退になっちゃうという葛藤。


それから、見習い修道士がほぼ逆レイプされるシーンは唐突過ぎて( ゚Д゚)ポカーン
もちろん、意味のないシーンではないと思うっちゃ思うけど、いらないっちゃいらない…?
でもタイトルの「薔薇」ってあの女性(Poverty・貧困者)のことなのかなと思うし。
そうだとすると省けないけど…えええええ?


キリスト教史には正直疎いので、正統と異端などは詳しくはわかりませんし
私のイメージで解説するのも誤解を招くのでしませんが、そうなるとやはり
映画から私が感じたことに焦点が。
つまり、そのような題材を用いて私のようなキリスト教史に疎い人に対して訴えたいことは
結局それ以外のことになるのではないかなと思いました。
この映画における「異端審問」に関わることは「題材・キッカケ・ツール」でしかなく
語りたいことは別のところにあると考えるしか…
二時間の映画で、正統と異端について詳細を描くといってもムリがあるし、
あれだけ悪魔的な雰囲気をかもし出す映画にしておいてそんなことをするとも思えないし。

だからやはり、そういう知識に疎い人にも受け取れるメッセージとしては、
まず正統とか異端って「なんなんだよ、どういう意味があるんだよ」てなことかな。
そういう疑問を抱かせることが第一。
同じ宗教を信仰しているのに、派閥に分かれて争ったり
司教とかが権威の名のもとに審問や公開処刑を行う宗教って、それで正統といえるのか?という。

それに、この映画では、知識の宝庫である図書館を閉鎖して、上層部にしか見られないように
本を隠匿している。
このように、下のものには知識を取捨選択できないようにするという「組織」の悪い面というのも
結構大きな問題点として描かれているのではないかな。
「本当に大事なこと」を選ばせる権利を下のものに与えないことは(大事なのは選ぶこと)
現代でもどこぞの国で見受けられることだけど、結局それも長くは続かないことなんだろうね。
その後には、革命やルネッサンスが、やってくるんじゃないか?
闇が大きければ、その分反動も大きいかも。
この映画はその闇からルネッサンスへの過渡期を描いている気がする。


とにかくずーっと「どよ〜〜ん」としている映画だから見ていて疲れるってのもあるけど、
演出、美術、衣装、舞台装置とかにはこだわったらしくそれは充分生かされていると思います。
見習い修道士役のクリスチャン=スレーター氏は「インタビューウィズヴァンパイヤ」にも
出演している模様。
どの役か思い出せないけどw


今回は先生の個人的な思い入れってことで、この作品見たけど
次は学生が見たいって言った作品から先生が選ぶらしい。

なんか先生曰く、他の時間の同じ授業で三学の生徒にアンケート取ったら
作品が二つしか挙がらなくて、それも片方が「少林サッカー」
先生は「これまでにみんなが見たことある映画の中で、来週から見たいものをあげなさーい」
って言ったんだけど「少林サッカー」ともう一つしか挙がらなかったんだって。
そんで、多数決で少林サッカーになったんだって…
先生「なんだこいつら('A`)」って思ったらしい。

うちの授業では、大体みんな1作品ずつ挙げてた。
でも見たことない映画が多かったな〜。私映画そんなに知らないしなぁ。
邦画が多かったみたい。
知ってる作品は「グリーンマイル」「時計じかけのオレンジ」くらいしかなかった。

さて、何を見るんだろう??

一度スターウォーズを映画館で見たいと思っていた。
その念願かなって最初で最後と思われる「映画館でスターウォーズ」をしてきた。

エピソード4〜6は家でビデオで見た。
ディズニーランドでスターツアーズに乗った方が映画を見るより先だったかもしれない。
スターウォーズという物語は政治学のようなものも絡むので、小学生には話が難しい。
映像やキャラクターを見て楽しむだけだ。

大学に入ってから、エピソード1〜3が製作されるというので
あらためて4〜6を見なおしてやっと話がわかってきた。

ジョージ・ルーカスがテレビでインタビューにこたえてこう言っていた。
「スターウォーズはダースベイダーの悲劇を描いた作品なんだ。
 エピソード3でダースベイダーのすべてが語られる」
つまり、ダースベイダーがいかにして、フォースの暗黒面に落ち、どのようにして
あの格好をするに到ったかがこのEP3で明らかになる、というわけ。

4〜6を先に三部作にしてから、1〜3を作るのはそれを最後に描きたかったから、ということなのか。


悲劇とは運命に翻弄されることである。
自分の望んだ未来へ辿り付けない。
そのための努力を惜しまなかったとしても、「運命的に」悲しい結末へと追いやられる。

そのダースベイダーの悲劇。

しかし、私がEP1とEP2を一度ずつしか見ていないせいもあって、情報が欠落し
話が繋がりにくい部分もあった。
えーと、そこはなんでそうなるんだっけ?というような。
もしかしたらそこは描き足りないだけかもしれないけど、一応私がEP1−2をよく覚えてないから
ということにしておく。

そういう意味では、運命に翻弄されるアナキン・スカイウォーカーははっきり描かれていたと思う。
翻弄されすぎ。
アナキン(´・ω・)カワイソス


そしてEP3というからには、そのあとにEP4〜6があるわけで。
EP3の最後のシーンは当然そこへつながっていくわけだ。
それで、重要なことを思い出したんだよ。ずっと忘れてた。
ルークとレイアは双子の兄妹だったんだよおおおおおおおおおおおおおおお
あああああああああああああああああああああああああ

そりゃ結ばれねぇわ…
この前久し振りにEP4を見てね、
「確かルークとレイアっていい感じになるんだけど結ばれないんだよな。
 なんでだっけ。ハン・ソロのせいだっけ?」
とか思ってたんだけど、それ以前の問題だったのね^^;
まぁEP4〜6見たら、ルークとレイア似てなくてビックリするけどね。
同い年の役でこれか!?ってのもあるし。レイアすごく老けて見える。
アナキンとパドメは良かったのに…
ていうかナタリー・ポートマンが素敵。
ずっとレオンのこと思い出してた。しかもハーバード大学卒かよ…すげー
ていうか、私と年3ヶ月しか違わないのかよ…

レオンといえばゲイリー・オールドマンも出てたな。
ポートマンとオールドマンか…

あ、すげー話ズレたわ



とりあえず完結したという達成感があったのと、初めて映画館でスターウォーズ見た感動があった。
スターウォーズといえば、空中戦とライトソードでしょー。
それを大画面で見られたのが嬉しかったっす。
できればEP4〜6も大画面で見なおしたいよ…

前の晩原作の方を読んだので、この勢いに乗って映画を見に行こうと決心。
片道40分の道のりを自転車で、一路映画館へ。

原作を読んだという事は、話の筋がわかっていて見る、ということだ。

ハリーポッターも原作を先に読んでから見に行ったが、話の筋がわかっていると
映画は楽しめないというものではないとわかった。
知っていたら知っていたで映画は映画として楽しめるのだから。

ただ、ハリーポッターの場合と今回の場合ではちょっと状況が違っていた。
ハリーポッターのほうは、話の筋こそが大事な作品であり、
「この先どうなるんだろう」という気持ちで見る楽しさが、原作を読むことで失われる。
映画を見ながら謎解きする必要がない。
チョコレート工場の方は、話の筋はそれほど重要ではない。
ハッピーエンドになることは、始めからわかっている作品だし謎解きのような要素がないから。
いずれにしても話の筋を楽しむべきハリポタのような作品は原作を映画の後にでも先にでも
読むといいと思うが、どうしても映画でのストーリーの進め方やカットのし方が気になってしまう。

その点チョコレート工場は、原作においてはそのアイデア・発想が面白いのであり、
映画ではその発想の映像化を楽しむものだ、と思った。
ストーリーは到って簡単だから、映画では映像や演技や音楽や世界観を楽しめばいいのだ。

しかし、いざ見てみると、映画には原作には描かれていないシーンが含まれていた。
よって最後のオチも微妙に違う。
原作は「起・承・転・結。はいオシマイ!」って感じだけど、
そこに少し映画らしいスパイスを加えたのだと思われる。
ティム・バートンのアイデアなのかな…

工場内は「よく作ったなぁ〜」と思ったし、ウンパッパルンパッパの人たちが面白かった。
原作にある歌の部分(海外の児童書にはよく詩が含まれている)を忠実にミュ−ジカルにしていた。

それから役者さん。
ほんとジョニー・デップって人は、映画やるたびに人が変わってしまう。別人のようだ。
前回見たのはネバー・ランドだった。
ネバー・ランドはマジメでありながら子どもの心を忘れない劇作家の役だった。
その前はパイレーツオブカリビアンで海賊船長。

ずーーっと遡って、シザーハンズ。
毎回別人のようだ。
他の役者を思い出してみる。
ブルース・ウィリスとかトム・クルーズとかニコラス・ケイジとか…
みんなその人が出てるってすぐわかるけど、ジョニーデップは違う。
ポスターとか見ても、「え?どの役!?」と思う。

シザーハンズでは、チョコレート工場と同様ティム・バートンと組んだので似たような雰囲気が
映画全体からにじみ出ていたけど(やはり作品には作った人のイメージが投影されている)
ジョニー・デップという役者そのものは、いつも違う雰囲気をまとっている気がする。
沢山の仮面を持っているようだ。いや、仮面だけじゃないな。鎧と脳味噌もかな。

今回のジョニデはほんとに電波出すのがうまかった。
微電波。
ジョニー・電波。

チョコレート工場の主「ウィリー・ウォンカ」は電波だ。

確かに原作を読んで私が感じた電波と、ジョニデが発していた電波は違ったけど、彼は
確かに電波を発していた。

さらにジョニデのすごいところは、無表情なときに最も語る、というところだ。
彼の表情の演技はすごい。
すべての表情を見逃せない。
動きもだけど、やはり顔の表情、それも無表情なときに多くを語る。

多分この才能に気付いたティム・バートンが、シザー・ハンズのエドワードに彼を起用したのではないだろうか?
エドワードも無表情で多くを語るキャラクターだった。


残念なのは、劇場用パンフレットが売り切れていたこと。
再入荷したら買いに行こう…
それからサントラも売りきれ中…欲しい…

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