最近クリアしたゲームの話をします。

私が最近クリアしたというだけで、リリースは2023年9月にされています。
読みは「チャンツ・オブ・セナール」がオーソドックスらしいです。

この記事では、ゲームのシステムのみならず物語の根幹に触れる考察や解釈まで記載するため、
未プレイの方はこれを読まず、先に自分自身の手でクリアされることをオススメします。


また、ネタバレを含まないレビューはSteam上に掲載しているので、そちらは読んでも問題ないかと思います。
ウィッシュリストに追加がてら覗いてくださいw

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私が本作を知ったのは2023年リリース作品を対象としたなんらかのゲームアワードの結果発表を見ている時だった。
本作は、数々のゲームアワードでノミネートや受賞をしているので、どのアワードの何賞を獲ったときに出会ったかは忘れてしまったが、ともかく。

ポイント&クリックの謎解きや脱出ゲーのような印象で、見下ろし型だから酔わなくて済むし要チェックや! と思いウィッシュリストに入れておいた。

その後、長らくリスト内で放置、さらに入手後にも数ヶ月寝かせてしまったが、Steamレビューの総合評価がずっと
「圧倒的に好評」である本作は、なるべく早く遊んでみたいと思っていた。
そして先日ついに起動!!

◆架空言語読解型の推理要素

本作では、現実に存在しない架空の言語を読み解きながら、マップを進んでいくこととなる。
扉の近くにあった張り紙と、レバーの挙動を照合して
「この記号は扉、この記号は開放、この記号は閉鎖を意味するのかも」
という推測を重ね、最終的に手帳に表示される図柄と正確に一致させることで、NPCのセリフなどが適切に翻訳される。

脱出ゲームや謎解きで暗号を読み解くのが面白い、楽しいと思える人ととして、こういった架空の言語を理解していく工程は胸が躍る。

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以前に『7days to end with you』という架空言語読解アドベンチャーもクリア済だが、『7days〜』の方は、文字がアルファベットに対応する。
すると、会話の文脈の中で単語を推理するというより、
「3文字で◯□□という構造の英単語だから、たとえばEGGかな」
のようなメタ推理が可能だ。
私の感覚では、可能に「なってしまう」と言ってもいい。
実在の言語を元にしているからこその難易度緩和とも取れるし、「あぁなんだ英語が元か…」というちょっとしたがっかり感に繋がる部分もあるしで、
一概に良いとも悪いとも言えないのだが、ここが2作品の言語解読上最大の違いだと思う。

『Chants〜』では、我々が接する既存の言語を原型とした言語体系の架空言語・文字を作っていないので、
「英単語だとするとあれかな」という推理のしかたはできない。
これは好みが分かれるところで、『7days〜』のように既存言語に直せる方がまだわかりやすいし好きという人もいれば、
『Chants〜』のようにそれが不可能な方が好きという人もいるだろう。
私は後者なので、『Chants〜』では既知の言語に存在する単語から類推することのできない言語読解にずっとワクワクできた。
『7days〜』では「アルファベットに置き換えられそうだな」と気付いた瞬間から、ずっと英語として読み解こうとしてしまって、
自分のその思考自体がプレイの上でノイズとなってしまったもので。
(それでも『7days〜』には、この作品だけが持つ物語性があるのでこれはこれで体験してほしいがw)

また『Chants〜』の言語において、文字の作りは象形文字や漢字に近い、つまり表意文字だ。
文字そのものが意味を持っている。
1文字ずつが、主語となり得る名詞か、述語となり得る動詞か……そんな感じ。
そして、文字の中に共通するパーツがある際にもそれがヒントとなる。
「このパーツは、漢字でいうところの人偏みたいなもので、なんらかの人、役職、人種などを意味するパーツか…
ということは、このパーツがついている文字はおしなべて人を表す名詞で……」
という推理のしかたも可能になる。
可能になるだけで、しなければいけないということもない。

しかも、登場する言語は複数あり、当然それぞれの言語で使われる文字も異なり、さらには文法までもまったく別のものだ。
ある言語の語順ではSVOCのような型をとるが、別の言語では同じ文意を持つ文章を作るのに際し、
別の文字を用いてCOSVの語順で書かれる……というような。
ちょうど日本語と英語の語順がまるで逆になるのと似ている。
文字も文法も異なる複数の言語を、跨いで解読していくことがクリアに必須なのだ。
また、このことが物語にも大きく関係してくる。


◆プレイヤーが介入する意味

私は、ゲームというコンテンツが他の媒体と異なる点は、プレイする主体であるプレイヤーが介入していくという部分に集約されると思う。
映画やアニメや小説のように、そこにある世界や物語を視聴者や読者として観測するタイプのコンテンツでは、主体は観測者の位置に留まる。
ゲームでは遊ぶ人が操作をして初めて物語が進んだり、変化したりする。ここが最大の魅力とも言える。
だからこそ、ゲームにおいてはゲーム以外のコンテンツとは異なる没入感が得られるものと思っている。
自分がそこに入り込んで、暮らして、体験してきたような気持ちになれるのは、ゲームが“介入”の側面を持っているからにほかならない。
「ゲームブック」も読み手が介入する本だからこそ、この名で呼ばれると思う。

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本作のプレイヤーは、何の属性も持たない旅人として、高い塔を上に向かって進んでいくこととなる。
この「無所属」感と、訳もわからず見知らぬ土地に放り出されて、聞いたこともない言語を浴びせられる感覚は
主人公とプレイヤー間で完全に共有できるものだ。
プレイヤーは“自分自身”として主人公を動かして、言語の読解をしていくことになるので、自己投影がとてもしやすい。
そして、主人公=プレイヤーがこの世界のどこにも予め属していないということもかなり重要で、
だからこそ塔を上に向かって進んでいけるのだ。

本作はバベルの塔がモチーフになっているとタイトルにも記したが、バベルの塔とだけ聞いてもピンと来ない人へ
ざっくりバベルの塔とはなんぞやということを説明すると――
この塔自体はキリスト教の旧約聖書「創世記」に登場する。
バベルの塔という名前ではなく、単なる「とある塔」として描かれるのだが、そこでは以下のような逸話が語られる。

かつて人々は、共通する単一の言語を用いてコミュニケーションを取ることができていた。
そして、天にまで続く高い塔を作り始めた。
神は、人々がこのように驕り高ぶった行動に出たのは、共通の言葉を用いていることにも原因があると考えて
人々の言葉を「バラバラに」し、塔の建造が立ち行かなくなるようにした。
人々は言葉が通じなくなって世界のあちこちへ散り散りになった。
その塔が建てられていた街の名は「バベル(ヘブライ語でごちゃまぜ、混乱)」とされた。


そんなバベルの塔がモチーフになっているので、このゲームに出てくる塔では階層によって使われている言語が異なり、
主人公たるプレイヤーはそのすべてを順に読解しながら塔を上に上がっていくことになるのだ。
主人公が元々どの階層に属しているわけでもなく、単に相手の使う言葉を理解しようとするというその一点があるからこそ、
異なる階層を行き来できると言ってもいい。


その先で、言葉の断絶が対話の拒否、文化の断絶を生み、相互理解を阻んでいることがわかる。
塔の住民は、職業(役割)や好みが異なるくらいで、みな等しくヒトである。
ただ言葉が違い対話を拒んでいることから、偏見が生まれているのだ。
ある階の人からモンスターだの悪魔だのと呼ばれている存在も、会ってみればただの人であり、
何が違うかといえば言葉と文化くらいなものなのだ。
最終的に、この世界でそれをわかっているのが、プレイヤーである自分だけという状況に陥る。

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そこで、何にも属さない、偏見も持たない唯一の存在であるプレイヤーが、すべての階同士の橋渡し役となって通訳をする格好となる。
この段階で、プレイヤーの内面に
「誤解や思い込みや偏見から、本来はわかり合えるはずの者同士が拒絶し合っている。
なんとか取り持つことはできないだろうか」
という動機が自然と芽生えているので、ゲーム内でやるべきこととプレイヤーのしたいことが噛み合うのがとても気持ちよかった。

異なる言語それぞれの通訳を終えると、これまで絶たれていた交流が再びおこなわれるようになりトゥルーエンドを迎える。


◆“ことば”に強い興味を持つなら、遊んだ後語りたくなる

このように、ゲーム世界にとっての異物であるプレイヤーという存在が、その世界に介入していくことに意義を持たせつつ、
プレイヤー自身の中から「このように介入したい」という動機を引き出し、それをシステム的に可能にした上でクリアさせる作りがあまりにも秀逸で
ウィニングランと言っても良い最後のシーンには鳥肌、震え、涙が出てきたw

特に、言葉というものに強い興味を持つ私としては、普段から母語である日本語だけでなく、
他の言語との間にある違いや通訳・翻訳(ローカライズ)などについてもよく思いを巡らせることがある。
そういうことに常日頃から意識を向けていると、本作のように「言語の壁」がパズルのコンセプトになっていて、
それを取り払うことで最高のエンディングが訪れる構成では、強いカタルシスが得られることがわかった。

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なぜならば、暗号を解読するのが好きな人には、このゲームの仕組みはそれだけで面白いものだが、
ことばに強い興味を持つ人間からすると、ただそれだけでは済まないメッセージ性がある。
言語学や翻訳学といった分野が持つチカラや可能性が示唆されているからだ。

よく学校教育のカリキュラム(指導内容)について、
「この科目のこの部分は、社会人になってから使わない」とか「人生で役に立つ場面がない」という理由から
「だから要らない」という結論に結びつける言説を見かける。
私は、こういった主張には大抵手放しで首肯しない立場をとっているが、それは基本的に知らないものと遭遇するのはそれだけで価値あることだと思うからだ。
そもそもすべてを「社会に出てから使う知識かどうか」だけで篩いにかけたら、歴史の授業も要らないことになってしまう。
暗記するだけでは意味がないというのには同意だが、それはまた別レイヤーの問題である。

「漢文を読めるようになったところで、社会人は漢文の読み書きをしない」
それはそうかもしれない。
だからといって習う意味がないとは思わない。
漢文も古文も英語も、どれも読み書きできなかったとして、多分今の日本でそれだけが理由で死ぬほど困窮することにはならない。
でも、それを知ることに一定の時間を割く価値がないということにもならないと思う。
「電卓があるんだから筆算ができなくてもいい」
……いいかもしれないが、筆算もできたほうが良い。

そして、そもそも広く「文系科目」というだけで「就職で不利だし潰しが効かないから理系科目より劣る」かのような主張をする人も見る。
というか、親族がそれだったから身近にその主張のせいで人生の選択を狭められた人がいる分、これは藁人形論法ではない。
ことばに興味を持つことは、数学に興味を持つことより「意味が薄い」と考える人がマジでいる。

でも私は、そんな単純なことではないと思う。
そもそも数学を深く理解するには、言葉の読解力も要るし……。
論理的な思考は言葉の土台がしっかりしていないと、組み上がらないと思う。

なので、本作のように言語の壁を取り払おうと頑張った先にハッピーエンドがあるゲームには、
言語学に興味ある人間として大変胸が熱くなる側面があったのだと思う。
私自身は言葉にも科学にも興味がある分、「文系科目は理系科目より不要」論には心を痛めてきたので。
どちらも…素晴らしいものだろ…。

作中で序盤「神」のようなものとして扱われる記号が、最終的に「結びつき」になって完成するところは本当によくできている。
「ちょっとー!!! ことば好きな人このゲームやってー!!!!」
と叫びたくなる作品だった。

また、こういった構成や構造がよく出来ているゲームにありがちなこととして、
「小説や映画、アニメにして同じ物語を描いても意味がないことに意味がある」
というのがある。
2段落目に書いたとおり、ゲームにおいてはプレイヤーが介入できるというところに最大の特色があり、
またプレイヤーが介入するから物語が自分のことのように刺さってくる側面も強い。
これを、「出来上がった誰かの体験」として映画やアニメなどで“観測”しても、同じ感動は得られないのだ。
つまり、本作はその構造からして、須らくゲームであるべきものなのだ。
ただ、話が面白いだけなら映画か小説でいいじゃんということになってしまう。
本作は、そうではない。
これは、ゲームとして作られるべくして作られた、ゲームであるべきゲームだ……!
そしてこのことはすなわち、「誰かのプレイを見るのではなく、自分でクリアまで遊ぶと感動がある」ということも同時に説明できる。


奇しくも、クリアから数日後の今日スマホのTwitterアプリが、
「翻訳ボタンを押さなくても、外国語ツイートが自国語に翻訳されて表示される」ようになった……。
言語の壁は、かなり薄く? 低く? なったと言える。
しかし今後、だからこその摩擦も起こり得るだろう。
今がその分水嶺なのではないだろうか。

このタイミングで、『Chants of Sennaar』をプレイするのは、より一層何かが“刺さって”来て面白いと思うので
こうして記事にしたためておいた。
今Twitter民が最も遊ぶべきゲーム、『Chants of Sennaar』をぜひ遊んでくれ!