軽く感想を書いておきたいので、いくつかまとめて。
ネタバレに相当することも普通に書くので未視聴の人は気をつけて!!

(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


・アメイジング・スパイダーマン1&2



トビー・マグワイア版のスパイダーマン3部作は映画館で見た後で、家でも何回か見ているので
その後のスパイダーマンもいつかは見なければと思っていた。
制作順で見ることにしたので、まず「アメイジング」となった。
見終わってからちょっと調べて知ったことだが、このシリーズは三部作構想だったのに2までしか作られていないとのことだ。
2を見終わって3を探してみても道理で見つからないわけだ……。
理由には諸説あるようだが、ヒロイン死亡という展開から3でどうするつもりだったのかは気になるものの
「もう、どうにもならないのでは…」感もあり……。
もし作られていたらどんな話になっていたのだろう。

トビー・マグワイア版では、ピーターがクラスのいまいちイケていない人物として描かれていたのに対して、
アメイジングは
「クラスカーストの上位(人気者)ではないかもしれないが、陽キャの部類では…?」
という印象があった。
実際、いじめに遭っているというより学年に相性の悪い相手がいるという感じに留まっているとも思う。
根が暗いわけではないから、スパイダーマンとして活動を始めてからも、かなり「ヒャッハー!」という勢いがあって
トビー・マグワイア版とはここもかなり違うんだなぁと思った。

このあいだ、Twitterでバズっていたとあるツイートに
「主人公がベタ惚れしているからヒロインというポジションに収まっているが、視聴者からの人気が低いキャラっているよな…」みたいなのがあって
そのリプ欄には色々なヒロインの名前が挙がっていた。
そこでMJを挙げている人もいて、映画館で上映されていた当時から、否定的な意見はいくつか見かけたことがあるのを思い出した。
多分顔がどうこうとかではなくて、設定的なことが大きいのかな…と思う……。
(「スパイダーマン MJ」の検索のサジェストに「ムカつく」が出てくるくらいだ)
顔がどうこうについては、「男性目線で見た女の子の可愛い如何」が実感としてわからないので、私からはなんとも言えないのだが。
「アメイジング」のヒロインはそもそもMJではなくてグウェンであり、その設定もかなり異なったものになっている。
少なくとも、MJみたいな嫌われ方はしていないのではないかと思う。調べてはいないけどw
でもそういうヒロインに限って死んでしまうのだから、「この先どういう話にしていくつもりなんだろう」という疑問は強かったw
この疑問に回答が提示されることはこの先もないのだろう。


・スパイダーマン:ホームカミング


ということで、アメイジングの3を見ることは金輪際できないから、「ホーム」トリロジーの視聴に移った。
吹替版で見ると、ピーター=パーカーを榎木淳弥さんが演じていて、敵側には諏訪部順一氏がおり、
ときどきカメオ出演してくるキャプテン・アメリカが中村悠一氏であるため、耳が
「これは呪術廻戦なのでは?」
という錯覚を起こすw
榎木さんのお芝居は、虎杖を演じているときよりも「軽やか」な雰囲気があるが。

そして、ここでのスパイダーマンもトビー・マグワイア版と比べるとテンションが高い。
「アメイジング」の「ヒャッハー!」とは行かないまでも、ハイテンションだし早口の実況セリフが多いw
そしてヒロインのリズは、またトビー・マグワイア版とも「アメイジング」とも違うタイプでこれはこれで面白い。

それはともかく、「ホーム」トリロジーがトビー・マグワイア版、「アメイジング版」と大きく異なるのは、
「アベンジャーズ」との絡みだと思う。
「アメイジング」までは、スパイダーマンとしてのスパイダーマンの映画だった印象だが、
ホームカミングでは俄然「アベンジャーズからのスピンオフとしてのスパイダーマン映画」が強く感じられた。
何度もアイアンマンが出てくるし、キャプテン・アメリカも出る。ハルクやドクター・ストレンジにも触れる。
実は個人的に、アメイジングを見始める前にアイアンマン(1)を再履修してあったので連続性は多少感じられた。
とはいえ、連続性を感じたくてそうしたわけではない。
むしろ、それぞれが独立してくれた方が良かった。
アベンジャーズはかつてどれか1作品を映画館で見た記憶があるが、それっきりなので
「しまった、ホームカミングを見る前にこの前日譚に当たるアベンジャーズを履修するべきだったのか…?」
という感じがしてしまった。
この予備知識を後から埋めるのはもちろんそれはそれで悪いことではないが、連続したエピソードなら時系列順に見たいものだ。
時系列順に見なくても良いようにできているのは確かだけれど、私はアベンジャーズの一員としてのスパイダーマンではなくて
今はただスパイダーマンの映画が見たかったかもしれないと気付いた。
ひとつを見たら、他のマーベルシリーズ(ここではアイアンマンやアベンジャーズ)も見た方が良いような作りにするのは、
マーベル側からするとシリーズが相互に観客動員数を増やし合う結果をもたらすので良いかもしれないが、
これは完全に「商業的な都合」に依るように思う。
商業的な都合が、物語的な都合より前に出てきていると感じると、どうしても視聴者としては気持ちが冷めてしまうところがあるな、と思ったw
実際、アイアンマン(1)は、アイアンマンのためのアイアンマン映画になっていてアベンジャーズの「ア」の字も出てこない。
「ア」が出たら「アイアンマン」のアだ。
だが、それがいいのだ。

ともかく、「ホーム」トリロジーとしてあとの2作も見るつもりではあるし、追々アベンジャーズも過去に見たのを改めて見るのを含めて
履修したいとは思うが、アベンジャーズの話をなるべくアベンジャーズ中でだけしてほしい気はしているw


・シックス・センス
シックス・センス (字幕版)
トレヴァー・モーガン


何年も前にネット上でいわゆる「ネタバレ」に相当することを読んだので、オチ(主人公が死んでるがその自覚がない)は知っていたが
それでもいつかは見ようと思っていた。
大学の同期で映画の好きな友人が、かつて「面白かった映画」として挙げていたからだ。
この友人が今までに面白かったと語っていた映画で、私にとって面白くなかったものはないので
『シックス・センス』にもその点で信頼がおけるという確信のようなものがあったのだ。
しかし、この映画がホラー映画であることもわかっていたので、どのタイミングで見るのが自分にとってベターなのかを考えていた。
そうこうしているうちに、ネットでネタバレを踏む結果となったわけでもあるのだがw
オチを知っていても、そこへ至るまでの過程が楽しめれば作品そのものは楽しめるはずだ。
これは映画に限った話ではないが…。
あと、だからといってネタバレを許容するかというとそうでもなく、私はあくまで望まないネタバレをされることを
許容しない考えであることも変わらないw
でももう、オチは知ってしまったのだから、もう「その上でどれだけ楽しめるかな」という視点で楽しむしかない。

結論から言うと、とても面白かった。
もちろん、オチを知っていることは視聴のあらゆるポイントでノイズとなったし、バイアスもかかったけど
それでも面白かったのだからこれはすごいことだ。
オチを知っていてもその上でオチも、それ以外の色々なポイントも深く楽しめた。
つまりこの映画の面白いところはオチだけではないということであり、
「オチを知っていたのにそれでもすごく楽しめた」
という事実はこの映画がそれだけ全体的に素晴らしい出来だということを証明することにも繋がるだろう。
何度も言うが、今回偶々「オチを知っていても楽しめた」のであって、これを以て
「だからネタバレをされても構わない」
とは一切思わないのだがw

この作品の面白いところは、子供専門のカウンセラーをしていた主人公が、むしろ患者であるはずの子供によって
心を救われるところにもあると思う。
この子供というのが、名子役のハーレイ・ジョエル・オスメントなわけだが、ハーレイ・ジョエル・オスメントといえば
この作品の後に出演した、『ペイ・フォワード』と『A.I』も見た。
その上で、『シックス・センス』は今の私の目線では、『A.I』よりも怖くなかったと言える。

ホラーだから、友人が「面白かった」と言っていても
「どういう怖さのシーンがどのくらいあるかによっては、自宅で一人で見るの憂鬱だな」
と思って避けて通ってきたところがあった。
そして、今は変にホラー耐性も上がって来ているので見ても大丈夫だろうという判断で今回視聴した。
そういう経緯もあって、
「良かった、今の自分にとって、面白さを不快さが上回るような映画ではなかった。
もっと早い段階で見ていたら、そう思わなかったかもしれないから、今になってから見たことは間違いではなかった」
と思ったが、その一方でハーレイ・ジョエル・オスメント繋がりで『A.I』のことを思い出すと、『シックス・センス』よりもずっと胃に重たさを感じるのだ。
『A.I』は終わり方も憂鬱だし、そこへ至る過程も辛いものがある。
『A.I』は映画館で見たあと、家でもレンタルで1回見た。
そして「3回目は見なくてもいいかな」と思っているw
『シックス・センス』は、死んだ人が死んだときの姿のまま出てくるからグロく感じるシーンはあれど、
成仏エンドだからその点では『A.I』より視聴後感が爽快だw
『A.I』でもラストで泣いたけれど、全然涙の質が異なるw
ちなみに『ペイ・フォワード』でも泣いた。

また、『シックス・センス』は「作者が意図的に描写を省く」ことでオチに意外性をもたらすタイプの作品である。
この場合はたとえば「主人公の葬式の描写」などが省かれているわけだ。
何か作品に触れるときに、この「作者が意図的に描写を省いた可能性」を色々考えてしまうため
実際に訪れる結末よりももっと悲惨なルートを想定してしまうケースすらあるw
だからオチを知らなかったとしても、「いくつかの考えうる結末」として想定しながら見た可能性もある。
違和感は伏線であり、その伏線がすべて回収され辻褄が合う結末がこれとこれと……
とか思いながら作品に触れていることが多いので、最終的に「あ、そのルートだったか」みたいな感想になったり。
ラストでびっくりする仕掛けがあればそれはそれで楽しいけれど、びっくりすることだけがすべてではないと思っているから
過程で何か感じ入るものがあればそれも楽しい。
『シックス・センス』はオチは知っていたけど、逆を言えばオチ以外は何も知らなかったので過程を楽しめて良かった。
お芝居も脚本も良かった。


・インターステラー
インターステラー(字幕版)
マイケル・ケイン


やっと見た。
ずっとアマプラ見放題になるのを待っていたけど、なかなかそうならないので400円でレンタルして見た。

少し前に、Twitterでこれをチラと見かけた。


さらに同時期、これ↓も見かけたことで、「ずっと保留にしてるけどいよいよインターステラー見たいなあ」と思って見た。


上のツイートを見たときに私は、
「私の中では、クリストファー・ノーランは『メメント』の人なんだけど、世間では『ダークナイト』の人だったのか…
そしてそれが『インターステラー』の人に変わったところなのか…
もしかして、世間でクリストファー・ノーランが『メメント』の人だった時期(ないしは『インセプション』の人だった時期)というのは存在しないのか……」
と思った。

クリストファー・ノーランは2023年の『オッペンハイマー』も話題作になったし、今年は『オデュッセイア』の公開も控えている。
あ、『オッペンハイマー』は今は未履修の状態で、これまた近々見たいと思っている段階なんだけど。
ともかく、クリストファー・ノーランの映画って見た後に、人に感想を言いたくなるところがすごくあって面白いので
楽しみに『インターステラー』を見た。
これは、『メメント』比なんかすると、尺がすごく長かったけれど面白かった。
今月はもう『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の劇場公開が控えているため、宇宙な映画を見て待ち遠しさを紛らわしたかったのもあって
そこの感覚にバチっとハマったのも良かった。
(なお、『オデッセイ(火星の人)』は数カ月前に見た)

ブラックホールについては、
「へぇーインターステラー前とインターステラー後では、人々の想像するブラックホール像って違うんだ」
と思って、自分の中ではそこにパラダイムシフト(?)は起こっていないから、いざ『インターステラー』を見たら
私のブラックホール観はどうなるんだろうという興味もあった。
見てみると、「Grokのロゴに似てるな」と思ったw
正確には、Grokのロゴ「が」、『インターステラー』のブラックホール「に」似ているんだろうけどねw

『インターステラー』は長い映画だけれど、良いペースで何かが起きてくれるのでダレないで見ることができた。
むしろ、序盤はちょっと作業をしつつ「ながら視聴」に近い状態でスタートしたけれど、途中で没入してしまって
「ながら」は無理になったくらい、のめり込んで見たw
やはりこういうSFは「問題解決」が面白い。
さまざまな問題が起こる。そしてそこにいくつかの解決策が提示される。失敗もする。最後は乗り越えていく。
問題が存在しなかったり、解決しなかったりでは、SF映画って面白く作れないんじゃないかと思うくらい、
「現実にそんなことが起こったら、一体どうすれば!?」
という問題が起こって、そこに立ち向かっていく過程が面白い。

それに、『メメント』や『インセプション』にはないカタルシスの得られる結末にもなっていて、そこもまた良かった。
めちゃくちゃ泣いた。(大体何見てもめちゃくちゃ泣いてる人)

ブラックホールの外観も確かに印象的ではあるが、私としては内部構造の方が
「これ、どう描写するか悩んだだろうなあ」
と思った。
構造がまるで鬼滅の無限城でw
これも、無限城「が」インターステラーのブラックホール内部「に」似ている の順序だと思うけどもw

設定の上ではそこは「過去や未来のあらゆる時間と繋がっている異次元」みたいなものであり、この映画の中で最も「虚構」になる部分だ。
こういう虚構の部分をどうするかがリアリティラインに直結するわけなので、最終的な作品への印象すら左右することにもなる。
そういった意味で難しさがあるなと思いながら見ていた。
でも、「過去の自分を救うのが実は自分自身」みたいなのは結構好きなので、シーンそのものには没頭した。
(私自身も、高3のときに「過去の自分を救うのが実は自分自身」というプロットの短編を書いているし)
結局ここで、主人公たちを応援したい気持ちになっているということは、それだけ人物に「入れ込んで」見ていたということだ。

それから、今までにあまり見たことのない板型のドロイドも面白かったな。TARSとかKIPPとかのあれ。
最初に降り立った星で巨大な波から逃げるとき、
「TARSってそういう変形して高速移動できんの!?」
ってなったしw
それに、搭載のAIがなんだかんだ個性というか愛嬌あるのも良かった。

この映画はまたそのうち、見返すと思う。