アマプラで3日間限定見放題だということで話題になっていたので、見てみることにした。
ストップモーションに異様なまでの手間をかけているということで、
個人的にはその表現の技法とかが特に気になったところがある。
オオカミの家
ライナー・クラウゼ



『オオカミの家』公式サイト


(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)



Twitterでは、過去すでに見たことのある人たちが
「これはすごいよ」「一回見ておいたほうが良い」「グロとかのホラーというより映像のエグみがすごい」
などと評していたので、スプラッタホラーとかのようなのとは異なる“表現から来るエグさ”があるのだろうとは思っていた。

実際、見てみると以下の2点がこれまでに見てきたストップモーションのアニメとまったく異なっていると感じた。
・1時間13分尺の映画の映像すべてが1カット1シーンで成立
・「予め作られた人形」を配置したりするのではなく、オブジェクトや壁画が描かれ、作られていく工程すらも映像に含まれている

しかも、公式サイトのメイキングショットを見てみると、たとえば机の上くらいのジオラマサイズで制作されたのではなく、
普通に人が住むサイズの部屋としての空間や家具を使っていて、とどのつまり物が等身大なのだ。
机の上で人形を動かすのとは制作のスケールも違ったということだ。
1/20とかじゃなくて1/1。

公式サイトに書かれている「制作の上でのルール10箇条」もすごい。
  1. これはカメラによる絵画である

  2. 人形はいない

  3. 全てのものは「彫刻」として変化し得る

  4. フェードアウトはしない

  5. この映画はひとつの長回しで撮られる

  6. この映画は普通のものであろうと努める

  7. 色は象徴的に使う

  8. カメラはコマとコマの間で決して止まることはない

  9. マリアは美しい

  10. それはワークショップであって、

  11. 映画セットではない


映画の話の筋としては、多分にメタファーが含まれており、喩えるなら
「日本人だから『輪るピングドラム』を作れたし、日本人だからそのメタファーを読み解ける」
みたいなところがある作品に感じる。
チリ人だから『オオカミの家』を作れたし、チリ人だからそのメタファーを(他国の人に比べれば結構すんなり)読み解けるんじゃないだろうか。
私はこれを見たことをキッカケにしてコロニア=ディグニダというカルト集落の存在を知ったくらいだ。
それを、先に知っているか知らないかで、何が何のメタファーかを作者の意図に近い形で読み解けるかは変わってきそう。
もちろん、何も知らないで見た結果として別の解釈をしても、それが「間違い」ということではないと思う。
そこを見た人に委ねているところはむしろ良い点だと思う。
強いて言えば、事前に情報を入れずに見ると、「訳がわからなかった」だけが感想になる人を一定数輩出しそうとは思うw
自分はそれを輩出する側でもなければ、輩出された「訳がわからなかっただけが感想の人」のどちらでもないので
特にそれに対してできることはないけどw
見終わってからアマゾンの☆2〜5で書かれた色々なレビューを読むのは面白かったw
わからないからつまらなかった人もいれば、わかった上でつまらないという人もいたし、
わからないけど面白いという人ももちろんいる。三者三様だ。

そういうのも含めて、終わってから色々調べたり考えたりして、ある程度時間をかけて咀嚼していくのが面白いタイプの作品であり
Twitterで何人かが言っていたように
「一度は見ておくといい」
というのが納得の作品でもあった。
ちなみに私の感想第一声は
「絵コンテが見たい」
制作工程が一番狂気じみていたしw
物を作っている人間であれば、何かしら感じるところがあるはずだし、何も感じないなら……
物を作るのに向いていないかもしれないんじゃないかと思うくらい。
人がここまでの時間や手間をかけて何かを表現したのを見たら、何か感じるはずだw
それは尊敬とか畏怖だけでなく、恐怖や嫌悪感であるかもしれない。
とにかくその「感じたこと」を自分の中で反芻することが、その人のその後のクリエイティビティに
大きく影響しそうな1本だ。
人の想像力・創造力はその自分の中にある何らかの強い情念だ。
トラウマさえもクリエイティビティの種になると思う。
クリエイターならそうするべきだ。

と、ちょうど前日からの話の流れで思った。


ここでもっとそれを掘り下げるために、『オオカミの家』を見る前夜のことも書いておく。
9月12日(金)、こちらの日程では『バーフバリ完結編』と『岸辺露伴は動かない−懺悔室−』の2本を同時視聴した。
終わった後のトークで、話は『フェイス/オフ』へ飛び紆余曲折を経て『スペースインベーダー(1986年の映画)』にたどり着いた。
実は1986年製『スペースインベーダー』って、テレビで1988年に放映されたときVHSに録画したものが実家にあるんだけど、
当時120分テープに3倍速で映画を録るというのをやっていたため、「3本目」に収録される作品で
尻切れトンボになる事案が多数発生した。
ここまで書けば想像できていると思うが、これもそのうちの1本なのだw
物語の佳境! というところでちょうどテープが終わって、自動巻き戻しが始まってしまう。
一体このあと話はどうなったんだ!? というモヤモヤ感の大きさと、この映画そのものの設定の怖さがずっと心にこびりついていて
今になっても
「周囲の人間が徐々に様子がおかしくなっていく」タイプの、宇宙人襲来系悪夢を見るのだ。
ひとつの「私にとってのトラウマ映画」と言っていい作品だ。

そんなことを話しながらWikiを辿っていくと、本作よりも先に作られた全く同じプロットの1953年の映画『Invaders from Mars』へ。
(邦題『惑星アドベンチャー スペース・モンスター襲来!』に昭和時代を感じる)
1986年の『スペースインベーダー』自体がその時点ですでにリメイク作だったことを知る。
しかも、そのWikiには以下の記述があった。
『火星からの侵略者』は、後に映画製作者となった子供たちに強い感銘を与えた。
本作の修復版に同梱された冊子の中で、スティーブン・スピルバーグは子供の頃に劇場で5回観たことを回想している。
「この映画は私の人生観を大きく変えました。私のように幼い頃にこの映画を観たすべての子供たちの心に深く響いたのです」と彼は語った。

私にとって『スペースインベーダー(1986)』がトラウマのように心に残っているのと同じように、
あの巨匠スピルバーグにとっては、『Invaders from Mars(1953)』が人生を変えたと言えるほど大きな作品だったとは。
なんだろうこの親近感は。
私は7歳のとき『スペースインベーダー(1986)』を見たが、
スピルバーグも7歳のとき『Invaders from Mars(1953)』を見たそうだ……。

スピルバーグはその後、みなさんご存知の通り世界的な名作映画を多数世に送り出した上、
その中には「侵略的でない宇宙人」が登場する作品も複数あるところは実に興味深いではないか。
『スペースインベーダー』はかなり侵略的な宇宙人の出てくる映画だし、後味も悪い。
私の場合は、尻切れトンボだったから後味が悪いというのが強いけど、映画の終わり方は
「一難去ってまた一難…かもよ…」
みたいな終わり方のようなので、最後まで見てももやもやするはずだ。
そんなもやもやと7歳で出会ったから強く感化されて映画に打ち込むことになった側面があるってことかもしれないわけで
やっぱり物を作ったり、表現したりする人はこうなるよねと思った。


自分が何に嫌悪感を抱くのか、それはなぜかというようなことを可能な限り自分の中で言語化するなどして
咀嚼しておくと、いざ
「人が嫌悪感を抱きそうなもの」
を作る必要が出てきたとき、
「少なくとも自分はこういうのがイヤだから、自分と同じ感覚を持っている人もこれに嫌悪感を抱くかも」
ということをとっかかりにして創作ができる。
だから、ポジティブだろうがネガティブだろうが、「強く感じたこと」はなんでも咀嚼しておくべきなんだなと考えている。
いつか絶対クリエイトの役に立つ!
きっと、『オオカミの家』を作ったふたりの制作者にも、彼ら固有の怖いものや嫌なものの“原体験”があって
その引き出しを何度も引っ掻き回しながら本作を作ったと思う。

そういう意味では、『オオカミの家』も確かに、何かを作っている人ならば人生経験として一度通過しておくのは良いと思った作品だった。
決して万人にオススメはしない、「みんな一度見ろ」とは思わない作品だが、
クリエイターには「履修、シテオクト、イイヨ」くらいの感じで薦めたいw
「こういう表現の方法もあるんだ」とか、「こういうメタファーもあるんだ」とか、
とにかく何かしらは吸収できるところがあると思う。
それも、結構沢山あると思った。
どのような作品も、世に出された以上は何かしら吸収できる部分があるに違いないというリスペクトを持って接しているのだが
この手の作品は、割と濃度とか密度があって繰り返し見ずとも心の中でおりとなって重なっていくところがある。
時間をかけて沈殿物と化していくタイプの作品だ。
こうして、「とにかくブログ記事に感想を書き残しておきたい!」と思うくらいにはw