新録とリミックス。




(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


『チカラ』で地声の高音域を張る訓練にひとつの区切りがついたので、今度は中低音のトレーニングに集中することにした。

『RED ZONE』は、発声障害出始めの頃にちょうど録ろうとしていて、
「おや? なんか今日は調子悪いのかな? 声が出にくいというか裏返るというか……」
っていう感じで徐々に症状が強くなり、日を追うごとに症状が強くなっていくのを体感する曲となったw
毎日のように歌っていたのだけど、1週間、2週間とやっていくうちに
「この間はもっと歌えたのに、なんか悪化してる!」
を重ねていく体験をしたというか。

「少しキーが高めの男声楽曲」というのは、私にとってはあまり負担感のない声域の曲となるから
この楽曲のように多少畳み掛けるようなところがあるにしても、女声ボーカルの高い曲よりは疲れないはずなのよね。
例えば、globeとかだったらもっとずっと疲れるわけでw
でも、発声障害で「声を出そうとしても声帯が閉じず、息が漏れる」ようになっちゃったもんだから、
従来ならなんの苦も感じなかったような高めの男声ボーカル楽曲も「息が続かない」となっていったのだった。


アトピー咳嗽の発作があった時期(4〜5月)、低音が特に出なくて裏返る、ファルセットも同様という状態で
発声障害がぶり返した感じになったのだけど、喘息やアトピー咳嗽で呼吸法そのものが乱れることで
発声の基礎が崩れるというのと、単純に声帯周りの粘膜が炎症しているというダブルパンチによって
声が出にくくなったのだと推測している。
発作を止めて呼吸法をまた一から正し、粘膜の炎症が収まるのを待って低い方のボイトレを再開した。
そうしたら、またちゃんと出るようになったのでよかった。
アトピー咳嗽や、そのための吸入薬の関係で一時的には出なくなったけど、本当に一時的で助かったw


『RED ZONE』はJanne Da Arcのメジャーデビューシングルなんだけど、これがデビュー曲だなんてすごいと思う。
インディーズのときから、Janne Da Arcはビジュアル系としては特に楽曲の魅力で一目置かれていた印象。
(全国のインディーズバンドを取り上げる深夜テレビ番組「Break Out」をリアタイで見ていた者としてw)
それに聞いてる側としてはやっぱりJanne Da Arcって、yasuの声質とか歌い方の特色がすごく耳に残ってわかりやすかった。
聞いたらすぐ「あ、ジャンヌだ」ってなる個性的な声とクセを持っているので。
そういうバンドは全国区になるポテンシャルがあるから、メジャーデビュー決まったときも納得感あった。
と言ってもその当時、私はMALICE MIZERからGacktが脱退した上kamiが亡くなったことでひどく傷心していて
他のバンドのこと頭に入ってこなかったけどw

インディーズの頃のジャンヌというとやはり『Dearly』に収録の『Judgement 死神のkiss』『Confusion』あたりが象徴的というか
バンドの方向性がよくわかる楽曲だなと感じる。
ハードロック調でダークな雰囲気があるんだけど、メロディがすごくキャッチーで覚えやすい。
ここ重要だなと思った。
というわけでメジャーデビューシングルとなった『RED ZONE』もそのバンドの色をしっかり前に出した曲になっていると思う。
華々しく鮮烈なデビュー曲だ。
yasuのボーカルの魅力もそのまま前に出てるしな!
メジャー行った後は『EDEN〜君がいない〜』『シルビア』『NEO VENUS』『Shining ray』みたいな
明るさと切なさの共存する曲も多く出てきてこれもまたジャンヌの良い側面だと思う。

ところで私が一番ジャンヌを聞いていた時期って2005年くらい(アルバム『ARCADIA』発売前後)で、
大学でバンドサークルに所属していた頃。
私自身がジャンヌのバンドをやっていたわけではなくて、サークルの中に2〜3個のジャンヌコピバンがあったw
サークル内で仲良くしてくれた人たちが繰り返し練習や発表をするので、自分の耳にも自然と入ってくる音楽
というポジションにあったのがジャンヌだった。
彼ら熱心に『ヴァンパイア』のコピーとかしてたな。
(一方私はアニソンコピーバンドをやっていたけどw)
バンドサークルにはジャスト1年くらいいたんだけど、夏合宿ではスキー場にあるオフシーズンのホテルに泊まって
4泊5日昼夜を問わないバンド練をした。
地下にスタジオが数部屋あるホテルだったのでうってつけw
4泊目の夜に対バン形式で、ホテルの宴会場使って一日中ライブやったのめっちゃ楽しかった。
そのとき私はアヴリル・ラヴィーンのコピバンでボーカルやったな…。
(今度アヴリルも録りたい)

夏は海にも行ったし、秋には那須の温泉に行った。
私は大学で合唱サークルに所属して、そこで”定年”を迎えてからバンドサークルに入ったので
会長の方が年下だったりして、向こうはやりにくさを感じたかもしれないけど、
合宿を楽しく過ごせるようにバンド編成についてうまく計らってくれたりといろいろ良くしてもらった思い出。
良い青春だった。
合唱団も合唱団で楽しかったけど、バンドサークルはバンドサークルの違う楽しさがあった。

夏になるとその頃をよく思い出す。
すごーーくたまにバンドサークルの仲良かった人とも連絡取るんだけど、
「最近何聞いてる〜?」
みたいな話をしたりする。
特にジャンヌが好きな人だったので、その人と話すだけでジャンヌを聞いたり唄ったりしたくなる。

というわけで、暑い中バンドサークルのことに思いを馳せながら
『RED ZONE』を夢中で収録すること足掛け3日。
ようやく仕上がって
「ジャンヌの曲って初めて宅録したわー」
って思ってたんだけど、全然初めてではないことに気付いたw

2009年に『Shining ray』をアップした後で映像由来の権利者削除になっていたわw

というわけで、思い立ったが吉日、16年前のデータが入ったROMを出してきて、リミックスしてまた動画にした。


もう一つ、書いておきたいことがある。
Janne Da Arcは2007年に活動停止、2019年解散した。
するとyasuの音楽性に惹かれていた者としては、その音楽を追うことのできる砦が
yasuのソロプロジェクトAcid Black Cherryとなった。
しかしABCの方も、yasuの頚椎損傷がきっかけで2017年に無期限の活動休止に入ってしまったのだった。

それから長らく続報もなかったが、今年1月以降色々と動きがあった。
まずABCの全楽曲がレーベル移行ならびにサブスク全解禁となり、
2月にはyasuがABCの活動再開に前向きであるという旨のブログ記事が公開されるなどした。

頚椎損傷の後は、特に「リハビリをしているが思い通りに声が出ない」という話を聞き齧ったりしていたので
私は、あの特徴的な声と歌い方で新しい音楽を世に送り出せないのは、音楽界にとっての損失だよおお!!
と思って嘆いていた。

自分が、発声障害で思い通りに声が出ない状態を経験したことで、ますますその思いが強まった。
「通る声」を出そうとする際、yasuの発声をイメージするとうまくいくということは今までに幾度となくあった。
それこそ、バンドサークルで色々な曲をコピーしたりする中でバンドに声が埋もれないようにしたいといろいろ工夫した。
カラオケで自分でもジャンヌを歌ってみたときに、
「yasuのイメージで声を出すと埋もれにくくなるんだな、
あの声の出し方や母音のクセは、バックの音に埋もれないための工夫の結晶なのかも」
と思った。
そして発声障害のリハビリ中にも、『RED ZONE』を何度も歌って
あんなに気持ちよく歌えた曲なのに、今はどうして歌えないんだろうと自己分析を繰り返した。
原曲に合わせて唄うことで少しずつ自分の声を取り戻して、
ボーカリストとしてのyasuという人は、実は私にとって「間接的な師匠」のひとりだったということに気付いた。

その師匠が、私よりも長い間「思い通りに声が出ないこと」で苦しんでいるというのは胸が痛い。
何か……何かしなければいられない。
本人のためにとか、本人に直接届けたいとは思わないけど、とにかくyasuというボーカリストが
音楽界に復帰することを祈る気持ちを形にしないではいられない。
その結果『RED ZONE』を形にすることにした。

正直、他の人にとって私の代わりはいくらでもいると思う。
私にとって、私の代わりはいないけど。
でも、yasuは違うと思うんだな。
たくさんの人にとって、yasuの代わりはいないと思う。
なんせ彼は、作詞作曲をして歌ってもいるわけだしね。
(あぁ、私ももっと自分のオリジナル楽曲を作曲して唄うべきなんだろうし、そうしたい)
私は元の場所に復帰しつつあるけど、yasuにもいつかきっと彼の立つべき場所に戻ってきてほしい。
私が1年ちょっとで復帰できたのは、yasuのケースに比べればだいぶ早いということになるし。
そういう、応援とか祈願とか色々な気持ちで『RED ZONE』を録り進めたのだった。


自分の回復度合いを確かめるためと、より一層の回復のためもあるから、
ハモりにも結構力入れて、特に最後のサビでは原曲がそうであるように、
1・2サビよりも厚いコーラスを入れて最後の盛り上がりを演出したつもり。
サビは音程が目まぐるしく動くのでついていくのが大変だったけど、今の私にはすごく良いリハビリになったw

それにこういった音域の楽曲をカバーしていると、特に狙っているわけではないのに
あれ? この人は、田中真弓さんの声真似をしているのかな? っていう感じになってしまうところも含めて
自分の声が戻ってきているという実感が湧いた。
真似をしていないときに限って「田中真弓さんの声真似ですか?」っていう感じになってしまうところが
私の声の特色のひとつなのだろうしw
それに、『RED ZONE』を歌っていてそう思ったのは、過去に『Shining ray』替え歌をやったからこそというのもあるよねw
『RED ZONE』を録っている間、『Shining ray』の替え歌のことをすっかり忘れていたけど
無意識下にはあったんだろうなww
ちなみに『EDEN〜君がいない〜』も一応録ったことあるよ!w
本当に全然初めてのジャンヌ曲宅録じゃなかったよ!!w


前回『チカラ』の収録をしているときは、8ヶ月の間に何度も何度も録り直しをして数百テイクのボツを生んだものだから
今回は「ハモりとして重ねる採用テイクを複数録るという理由でテイクがかさむ」という
健全な理由でテイクが増えていく安心感がすごかった。
「病気じゃなければ、この曲を何百テイクも録らないよ!!ウワーン」
の状態から
「これハモりの左ch用、こっちハモりの右ch用……」
ってやって採用テイクを重ねて行くことに集中できる状態にまで回復したということだから!

喉を使ったあとのケアを大事にしつつ、毎日トレーニングを積んで病気になる前より
もっともっとその先へ行きたいとまた改めて思った。
どんどん録りたいもの録っていくぞ。