毎年恒例(?)の、1年間に履修したアニメ・特撮等作品のまとめ記事。
突然ネタバレ的なことを書いたりもすると思うから、折りたたみ式にした。
2023年中にシーズンの最終話、もしくは作品の最終話に到達した作品のみ取り上げているので、
年を跨いで放映された・視聴した作品は2024年付けになる。来年の掲載をお楽しみにw
【アニメ/特撮】2022年に履修完了した作品まとめ(感想や軽い考察)
【アニメ/特撮】2021年に履修した作品まとめ
【アニメ】2020年に見たアニメ等
【アニメ】2019年に見たやーつー
突然ネタバレ的なことを書いたりもすると思うから、折りたたみ式にした。
2023年中にシーズンの最終話、もしくは作品の最終話に到達した作品のみ取り上げているので、
年を跨いで放映された・視聴した作品は2024年付けになる。来年の掲載をお楽しみにw
【アニメ/特撮】2022年に履修完了した作品まとめ(感想や軽い考察)
【アニメ/特撮】2021年に履修した作品まとめ
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(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)
リンク:チェンソーマン(全12話)
原作は未読。
未読だからこそ、「アニメから入るぜー」という楽しみがあった。
あえて原作を読まないでアニメで初めて見る時には、それ相応の楽しみがあるのだ。
とにかくゲロチューの威力がすごい。EDもゲロチューのテーマになっていたので余計にw
ゲロチューに、「僕は何を思えば良いんだろう?」ってイエモンの『JAM』みたいな気分になったw
藤本タツキ作品では、チェンソーマン以外は逆に読んだことがあるものもあって
それらから感じるのは、「間」が漫画でしか表現しようのない独特なものになっているということで、
この「漫画のコマ」だから表現できる間(そして、それは読者それぞれが違った尺で感じる)を
アニメにどのように落とし込むのかなというのは興味があった。
チェンソーマンの場合は、バトルではないごく日常的な所作をすごく丁寧にアニメーション化していて、
またその際の静けさや衣擦れとかも丁寧で、そこに間が感じられる場合もそうでない場合もあったけど、
「藤本タツキ作品の持つ空気感」っていうのは、そういう日常の所作のシーンから感じられる気がした。
リンク:異世界おじさん
何度か、コロナ由来の制作遅延により、間が空いた回なんかもあったから
足掛け半年くらい? かけて見たことになるけど、とりあえず自分はSEGAネタがわかる人間で良かった
みたいな気持ちになったw
それから、子安さんがしっくり来すぎるw
これも私は原作未読の「漫画原作ありきのアニメ化作品」だけど、多分原作読んでいる人も
「子安さん、読んでるときのイメージに合ってる」
と思ったんじゃなかろうかw
あと、OP楽曲が歌いたい感じの曲だったな。
リンク:仮面ライダーカブト
おばあちゃんの格言に時々ものすごい名言が紛れていると思った。
例えば、
「刃物で人を感動させられるのは料理人だけ」
みたいなのとかがあった。
あと、「井上敏樹脚本といえば、食事シーンが多い」という言説を一度読んでしまってから
そこを少しでも意識して見てしまうと、「マジで食事シーン多いな!!w」ってなってくるw
天道総司って、いつも「妹!妹」のシスコン系キャラとも言えるけど、まさか妹っていうのがふたりいるとは思わなかった。
ふたりいてふたりとも「大事な妹」っていう。
「一途」な方が良かったなあ。
リンク:Obey Me! The Anime Season 2(全4話)
全4話と書いてあるけど、1話が短い短編アニメなので全12回。
今回は、7兄弟だけじゃなくてディアボロやバルバトスたちも出演の機会が訪れたので、
サブキャラたちが好きな人は嬉しかったんじゃなかろうか。
私が驚いたのは、「ベルフェゴールの夢」っていう回がほぼ全編通してミュージカルになっていて
ベルフェ役の大西さんが歌がうめえってことと
(先日の特番でも「ぼくは歌がうまいので!」って言ってたw)
この回の「モブが合唱するところ」とかモブの役は全部ソロモン役の川田さんが演っているという話w
驚愕www
さすがにゲームのObey me!の方は、例の周年イベントに全力出してから少し遠ざかってはいるんだけど、
アニメでまたこのメンツに会えるっていうのは楽しかった。
あと上に書いた特番で、新規アプリが開発中っていうことも発表されていたので、
ゲームシステム次第では興味あるな。
特番はこちら。
余談だけど、このバージョンのMV、謎に中毒性ある。
1期アニメのED曲なんだけど、アニメのオチでバン! って入ってくるのが良くて、
なんか全体的に中毒性もある曲なんだけど、声優さん御本人登場のMVが出るとは思ってなくて
それはそれでまた中毒性高かったw
リンク:CLAYMORE(全26話)
2007年放映、小林靖子脚本、エンディングの作曲に前田尚紀。
これは実質電王か……!? などと思いながら見た。
ちなみに、原作は八木教広作の月刊連載マンガで、八木教広先生といえば『エンジェル伝説』!
『エンジェル伝説』はギャグ漫画だけど、『CLAYMORE』はシリアスなファンタジーときいていて
『エンジェル伝説』しか読んだことがなかった私としては、その作者がシリアスファンタジーを描くと
どういうものになるのだろうという興味はもとからあった。
ちなみに『エンジェル伝説』は全巻実家にある。何度か読み直した。
CLAYMOREは、原作の連載に並行してアニメ放映されていたから、アニメ最終話時点で
原作の方でまだ「結末」が迎えられていないことになるから、その中でどうやって終わらせるか
というのがあったと思う。
例えばワンピースとかBLEACHみたいに、連載も長くて、アニメ放映も長くて、
でも連載にアニメが追いつきそうになると適宜オリジナル展開を入れるものもあれば、
完全にアニオリ展開の方に舵を切ってそのままアニオリの完結を迎えた鋼の錬金術師の最初のアニメ化みたいなのもある。
CLAYMOREは、「まだ彼らの旅は終わらない、けれどとりあえずはここまで」という終わり方をしていたので
あとで続きをアニメ化する上でも辻褄が合わないことにはならない、でもひとまず完結とすることができる形をとっていると思った。
あと、基本的に「女戦士たちの戦い」を描いているので、「強キャラ女性声優」が沢山出てきて、
それがお芝居の勉強になった気がしたw
「強そうな女の人」を演ることのある有名な声優さんは軒並み出てきた! って感じがする。
リンク:僕のヒーローアカデミア(第6期)(全25話)
最終的には、デクがオール・フォー・ワンがやったのとは違うベクトルのやり方で死柄木を「救う」
という方向で決着をつけるのだろう、つけてほしいと思っている。
悪いやつは裁かれなければいけないけれど、その一方でなんらかの救済を必要としている者である可能性を無視できないと思う。
ヒーローにはそういうことも考えていてほしい。
悪いやつだ! ぶっ飛ばす! っていうのはシンプルでいいけど、結局それは対症療法のひとつにしか過ぎないだろうし
恨みの連鎖を断ち切る手段たりえないだろうから。
リンク:テレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編(全11話)
相変わらずすごいアニメだった。
鬼滅のすごさは、アニメに関しては「ufotableのすごさ」だよな、と思っている。
空間の描き方が好きということを前に書いたけど、今回気付いたのは
ufotableの「夜の表現」もすごいっていうことかな。
鬼滅もだけど、例えば刀剣乱舞のアニメ『活撃 刀剣乱舞』でも夜のシーンが結構あったし
そういう「暗い場所にいるキャラクターたちの存在感」っていうのが、
まるで月みたいで好きだなぁと、今回気付いた。
あと、ストーリー的に禰豆子が太陽を克服したことにより、いよいよお話も核心へ迫っていくんだろうという意味で
次のシーズンが楽しみ。
リンク:岸辺露伴は動かない
アマプラに配信されたので、満を持して。
というのも、脚本が小林靖子さん担当の実写ドラマなので期待値が高い。
ジョジョは全くの未履修なので、これを見てからアニメ本編に入る前提で見た。
(アニメ版の方も脚本は小林靖子さんのはず)
不気味なまでに執念深いキャラクターが沢山出てきて、岸辺露伴も濃いキャラのはずなのに薄く見えるほど。
常にその「妖怪」や「怪異」と呼べるまでに執念深い何者かと対峙する岸辺露伴を描いているのだけど、
対峙する相手を詳細に描くために、「岸辺露伴が出ていないカット」も多いところが印象的だった。
あと、これはあまり共感はされない感想だろうけど、『柊緋色の怪異譚』を思い出した。
いとこうさんが岸辺露伴履修済みかどうかは知らないけど、怪異を取材する作家が主人公という点では共通する部分があるし、
柊緋色の怪異譚を声劇上演した時、私が演じようとした柊緋色の口調の抑揚が
このドラマで岸辺露伴を演じる高橋一生さんの解釈に近いと感じるところがあったのが個人的に面白かった。
リンク:岸辺露伴は動かない(全4話)
実写版を履修し終えたので、アニメ版と脚本や演出を比較してみるべく、すぐに履修開始した。
と、そこでわかったのは、おそらくアニメ版は漫画版をほぼそのまま構成しているオムニバスだが
ドラマの方は、複数の話を横糸とし、実写ドラマ版の縦糸を紡ぐ構成に再編成してあるということだ。
そして、その上ですごく重要な「改変」ポイントとして、実写ドラマでは「スタンド」という言葉を使わない
ということだ。
概念自体が消失している。
でも、これは悪い改変じゃないと思った。
私のようにこのドラマからジョジョの世界に初めて触れる人がいたとして、
しかも私とは違って「スタンド」の概念も知らなかったとして、ドラマの中でそういう人に向けて
「スタンドとは」から話を始めるのや、そういった「固有名詞」を出すことは、
もしかしたら要らぬ”距離”を感じさせてしまうかもしれないから。
「普通の人が持っていない特殊能力を持っている漫画家にまつわる怪異譚」
ということが伝われば十分面白いわけだし。
リンク:ジョジョの奇妙な冒険(全26話)
ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース(全24話)
ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース エジプト編(全24話)
ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない(全39話)
ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風(全39話)
ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン
名前を略したり読み替えたりすると「ジョジョ」になる人たちの世代を超えた冒険譚を履修完了した。
といっても、シリーズ自体が完結はしていないので飽く迄最新の「スターオーシャン12話まで」という意味だが。
アニメ版ジョジョは、シリーズ構成と脚本を小林靖子さんが担当しているので、「岸辺露伴〜」を履修したのだが
岸辺露伴シリーズはスピンオフである。
本家は長いことがわかっているので、先に短い方から入ったのであった。
ちなみに、漫画のジョジョは完全未履修のまま生きてきた。
自分がジャンプ本誌を毎週読むようになったときには、もうジョジョは連載の途中だったので。
ジョジョに限らず、「すでに連載途中の作品」を、途中から読み始めることはなかったので
私がジャンプで熱中して読んだ漫画はすべて「1話からリアタイで追っていたもの」だけだった。
大元は「ジョースター家と石仮面の因縁」に始まって、DIOとの死闘を終えたあともジョースター家と
スタンド能力にまつわる事件が続く感じ。
アニメを一通り見ることで、改めて「スタンド・スタンド能力」などの概念を取り払って
ドラマに再編集したことのすごさが見えてきた気がする。
それから、シリーズごとに荒木先生の絵柄が変わっていくその変遷もアニメに反映されていて
そこはアニメ版キャラデザ・原画・作画監督などのスタッフさんのこだわりもすごいものだと思った。
画面内に漫画原作に出てくる擬音語がそのまま踊っているのもだし、 荒木先生の絵柄が時代と共に変わったとしても「顔が濃い」というところは一貫しているので その濃い顔、つまり線の多い顔を動かす作画カロリーを考えるとやはり同様だ。
もちろん、漫画は漫画のジョジョの空気っていうのがあって、音と色と動きがつくことで
漫画時点での独特な空気とは異なるものになった部分もあるだろうけど、
アニメはアニメで「ちゃんとジョジョが好きな人が作った」のだろうことは窺えるとでも言おうか。
「メメタァ」のような独特の擬態語なんかも、画面内にそのまま文字として出すのが
ジョジョらしさを醸しているので「正しい」気がする。
個人的に、
⇐To be continued...
と表示されて『Roundabout』が流れ出す動画を、Twitter上で見かけたことがあり
どこ発祥のネットミームなのだろうと思っていた時期があるので、(その後調べてジョジョ由来というところまで把握したが)
エンディングでその現物を見て
「これはミームにもなるわw」
と思ったのが1部では印象深い。
本編の終わり間際に、もうED曲の一部が流れ始めていて、楽曲のアタックが強い部分に合わせて
カットが切り替わってエンディング映像に入っていくという演出、古くは『ふしぎ遊戯』で出会っていいものだと思っていたが
ジョジョの本編から⇐To be continued...で『Roundabout』へもつれ込む流れは同じ良さがある。
この演出や、「このあとどうなってしまうんだー!?」からパキっとしたエンディングが流れるのが好きな人は
『ふしぎ遊戯』も『スクライド』も『仮面ライダーアマゾンズ』も見ると良い。
あとは、承太郎:小野Dから始まる、仗助:おのゆー、そしてジョルノ・ジョバーナ:小野賢章……
という、「CV小野縛り」はなんだったんだろうw
キャラと声が合ってたけどw 合っていたけども!!ww
第1シーズンを見て、初めてジョジョそのものに触れてびっくりしたのは、
「あちこちで何度も聞いた覚えがあるネットミームともいえる台詞回し」
が1話でいくつも出てくることだ。
あれもこれも1話だったのか、という衝撃があった。
これはブレイドを見て、1話の割と序盤のほうで
「オンドゥルルラギッタンディスカー!!!」
が出てきてびっくりしたときと同じ感覚だった。「これ1話由来だったの!?」っていう。
それから、1〜3シーズンの「神風動画によるOPムービー」がすごく良かった。
OPは大事だ。
「話が気になるから飛ばしたくなる」のがOPだが、それでも「よりワクワク感が高まるから飛ばせないOP」というものもある。
それは良いOPだ!
「飛ばすこともできるけどあえてこのOPに焦らされたい」と思うのだからそれは良いものなのだ。
調べてみたところ、神風動画の社訓(社是?)は「妥協は死」らしい。
妥協は死
なんて強い社訓だ。ぜひとも見習いたい。
特に「スターダストクルセイダーズ」は、世界を股にかけた冒険だったので、
アドベンチャー感やRPG感があって、しかもその中心となる承太郎が
それまでのどの”ジョジョ”よりもクールなジョジョだったので面白かったかもしれない。
ジョースター家の男はみな心の中に熱を持っていて、ひとたび怒るとオラオラッシュしてしまうようなところがあるので
それはいかにクールな承太郎といえど同様ではあるが、本編中一度も「大笑い」なんかしたことがない徹底したクールさ。
ストーンオーシャンの最新話まで見たけど、いまだに花京院が死んだという実感がないので、
おそらく花京院は死んでいないと思う。
少なくとも「私の中で生きている」とでも言おうか。
リンク:仮面ライダーキバ
個人的に、モンハンサンブレイクを一番遊んでいた時期に見始めたために
「これ、王域三公?」
ってなった。
キバがメル・ゼナで、次狼がルナガロンで、力がガランゴルムじゃん? っていうw
キバが後半覚醒してドラゴン形態になったときにはなおさらメル・ゼナっぽくなった!w
登場人物が多い上多種多様なんだけど、個人的には仮面ライダーで「三角関係」とか求めていないから
紅音也周りのエピソードもだけど、太牙が出てきた後の深央との関係、そして深央の死とかが
うーん…うーん……この描写や、このムーブ要る???ってなりながら見てた感じになったのが自分で自分に残念だった。
例えば
「音也は、次狼からゆりを取っておいてそのゆり捨てるのかよ…一貫性ないな」
「次狼それでも音也との”約束”守るのなんでだよ、そんな義理あるか?」
「深央さん、太牙を騙してから殺そうとしたのに一転して身を挺して守るのかよ じゃあ最初から殺そうとするなよ」
などなど他にも沢山あるが、概して登場人物の「その場の衝動で行動してるだけで思想がない」感じがもったいなかった。
健吾とかも「とにかく頭使ってない」キャラに見えて、そこが憎めないやつっていう方向でもなく
「いや、何がしたいんだ」とか「もうちょっと考えて行動しなはれ」と思わされてしまったし。
どのキャラが死んでも感情移入していないのでこちらは泣かないし、なんなら
「死んだと思ってたけど生きてました!」
っていうのを嶋さんで2回もやったのだって、
「うーん…うーん……嶋さんが退場してちょっとでもショックを受けた人は
その気持ちを返せってならんか……? 私はショックは受けてないけど…」
ってなったり、なんかずっと入り込めなくてもやもやしてた。
フィクションって、誰かが死ぬ場合そこにある種のカタルシスがあるからこそ、
作劇する人はそのキャラを殺す選択をすると思うんだけど
そのための仕込みとしてキャラを作り込んで、つまり「そのキャラが死ぬことで視聴者が心を動かされる」ように、
視聴者がその感情移入するよう仕向けてからしっかり殺すものじゃないんだろうか。
好き、応援したい、幸せになって欲しい、と思うような人物がなにかドラマティックな死を遂げるから
見てる人の心が揺さぶられるんだと思う(し、作者はおそらくそれを狙って殺す)んだけど、
好きでもなく応援したくもなく、幸せを願っているでもない人の身に何かが起きても
それは「知らない作品の知らないキャラが死んだ」ようなのと変わらないよなぁ。
何を考えているのか、何がしたいのかっていうのが、全キャラの中でブレ続けている感じで
誰を軸に見たとしても
「この人何がしたかったんや…」
ってなっちゃって、ほんとに、ちゃんと全話見たし、なんなら途中の数話は戻って繰り返し見たりもしたのに
最後に虚無感みたいなのがあってほんとにもったいなかった。
「それだと設定とかキャラの思想的に辻褄が合わなくない?」
というところを挙げようとすると沢山思い浮かんでしまうのが、残念。
人間関係の描写で、耐えられるギスギス(のちにカタルシスが得られるので結果的に安心できるやつ)と、
耐えられないギスギス(本当にただギスギスしているだけ)があるとして、後者寄りのシーンが多い印象かな。
深央と渡の間に入ってきて邪魔しようとする静香は、コメディタッチで描かれてはいたけどあんま笑えないし。
静香って「お母さん的立場」を自認してはいるけど、飽く迄「お母さんそのもの」ではないわけで、
かといってヒロインとして存在しているのなら、深央の登場で「悪役令嬢ポジション」になるのはわからんし、
そのうえ深央は死ぬし、これらのどの要素をとっても「スッキリ」はしない。
私は多分、スッキリしたいのだ……。
三角関係の部分だけじゃなくて、健吾絡みのエピソードもそういうのが多かった。
(この人何がしたいんだ、何ポジションなんだ…っていう)
多分、「毎週1話ずつのペースで時間をかけて見ていると、見返さない限り序盤の設定の記憶が薄れていくから
視聴者的にもどうでもよくなること」の範疇なのかもしれないけど、これが連続で48話見ると、
「昨日見たあのシーンと辻褄合わない」
になるというのがあるんだと思う。それも多数あるのがつらい。
音也と真夜が結ばれないと主人公がこの世に誕生しないのはそうなんだけど、
だったらゆりを一度音也と両思いにさせる必要あったのか? とかなんかこう
「他に何かこう…できなかっただろうか」
って考えちゃう。
深央にしても、真夜にしても、「新たな登場人物が現れて物語に動きが生まれる」ための鍵なんだけど
カブトのときの「ひより」みたいな感じかな……。
「主人公が守るべき妹」っていうキャラクターはすでにいるのにあとから「もうひとりの妹」として出てきて、
主人公が「どちらも大事な妹だ」で納得させようとしてくるみたいな。
言い訳に聞こえちゃうんだよな。
私は井上敏樹脚本作品をもう見ないほうが良いかもしれない。
こういう感想になるのが2〜3度目だから、多分……。
(カブトと比較すると「井上脚本の割に食事シーンは少なかった」という発見はあったw)
作者が悪いのではなくて、「私の好みに合わない」のだろうから、誰にもどうしようもない。
作者が私に合わせる必要もないし、私が無理に好きになることも不可能。文字通りどうにもしようがない。
1986年の「親世代」の物語と、2008年の「現在」の物語をスワップさせながら見せていく手法は
試みとしては面白かったし(子供目線では混乱の元になって難しいかもしれないけど)
ライダー自身が怪人と紙一重であるという「仮面ライダーシリーズ」が踏襲しなければならないお約束
みたいなのも守られていたと思うから、多分素材とかキャラクターの立たせ方は悪くないはずなのに
ころころ考えが変わる人が多いのでぶっ通しで見るともやもやが強いな。
その「考えがコロコロ変わる」のも、一応「このようにしてこういう考えになった」という描写があるから
説明不足じゃないんだけど、「ご都合」感がある。
つまり登場人物の思想に従ってそういうことが起こって転換期を迎えたのではなくて、
制作側の都合で「こういうことが起こってもらわないとドラマにならないから」ってんで
話の展開に合わせて人物の方を捻じ曲げる感じに受け取れてしまうのが良くないのだろうと思う。
役者さんとして、ファイズに出ていた芳賀優里亜さんとか、響鬼で斬鬼さんをやっていた松田賢二さんが出ていて
「お、またあの人が頑張ってるな!」
って思ったりという楽しみ方はあった。
あと、挿入歌どれもかっこいいよね!
鳴瀬シュウヘイさんとか前田尚紀さんが携わっているので「さすがだぜ!」ってなった。
でも、挿入歌がかっこいいなら挿入歌を単独で聞けば良いので、ドラマに対しては「ドラマ」を求めているよ私は。
ドラマにおいての挿入歌は演出のひとつであってメインじゃないんだ。
リンク:仮面ライダーディケイド(TTFC)
平成ライダーの10作目(10周年)を記念しているだけあって、ここまでのあらゆるシリーズ(一部昭和ライダーまでも含む!)が
セルフオマージュされているところが面白かった。
似たような名前の別人が過去作ライダーになる人物として出てくるんだけど、
そこは全く同じ配役は難しい部分があるという事情も踏まえると、ここが落としどころだろうな
と思いながら見ていたけど、逆に一部で元の作品と同じ俳優がそのままの役を演じていたり
イマジンたちは「ガワ」を被っていて声優さんが声を当てればいいという部分で
俳優さんらとは事情が異なる分そのままで出てくるところがまた面白かったw
しかし、全31話という半端な数と、放映開始時点から、
「このテレビ版はテレビシリーズ内でストーリーが完結せず
”続きは劇場で!”という終わり方にすることが決まっていた(がそれは公には伏せられていた)」
というところがBPO案件になっているなど、終わり方は残念だった気もする。
もちろん、TVシリーズまで視聴後すぐに
仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイドMOVIE大戦2010 ディレクターズカット版
を見た。
それも、風呂敷が畳まれているような畳まれていないような、少し微妙なラインだった気がする。
作品序盤は會川昇さんが脚本担当していたが、途中降板されているので、
もしや降板の理由は
「クリエイターとして納得できない、したくないところがあって折り合いがつかなかった
とかだろうか……」
と考えてしまったりする。実際のところ理由はわからないが。
いずれにしても、會川昇さんが最後まで物語を書ききったら、おそらく違う展開になっていただろうから
その場合のディケイドはどのようになっていただろうか、絶対に見ることはできないが
それはそれで見てみたかった、という気持ちにもなった。
會川昇さん降板後を引き継いだ脚本家の方々も、それはそれでまた大変だったろうと思う。
人が書きかけにした物語を引き継いで終わらせるのは難しいだろう。
それに、番組全体としての意向(スポンサーやプロデューサーや、そういう意思決定権や発言力がある立場)から
あーしてくれこーしてくれと言われながら話を書くのは大変そうだ。
ただ10周年というお祭り作品としては、お祭りしていたと思うし、私はこれでまた一歩
平ジェネへ近づいたなよしよし、という気持ちで見終わった。
リンク:仮面ライダーフォーゼ
「高校を舞台にした学園モノの仮面ライダー」
というところが特徴的かつある意味シリーズにおいては異質でもあると言えるかもしれないが、
序盤の数話でノリにも慣れてくるので、別に
「このような仮面ライダーは仮面ライダーとして認めたくない!」
というような拒否感や忌避感は感じなかった。
むしろ、こういうライダーがいてもいいよな、いろんなやつがいるイコール強さなんだ!
と思ってるので基本的にはなんでも受け入れているかもしれない。
見る前は「ノリについていけるだろうか、登場人物多そうだけどちゃんと把握できるだろうか
把握できるように描かれているんだろうか」
という心配がなかったわけじゃないが、登場人物については、電王やオーズ、Wあたりがやっていたように
「2話前後編の作りで1事件を解決する」
という構成で、新キャラが1〜2人追加されてもそれぞれについて2話かけて描写されるから、
登場人物は全体数としては多いもののちゃんと把握しながら見ることができて安心した。
これが、一度に10人出して全員を同時に説明していくとかだと混乱してしまうのでw
また、2話前後編の横糸も、全体としての縦糸も、ちゃんと風呂敷が畳まれていたので
風呂敷厨の私としてはそこが一番見終わったときに安心できたw
「あ、よかった綺麗に終わった」とw
ラスボスが最後に改心してくれるのとか、「支配からの卒業END」とかも趣深いポイントだと思う。
シリーズを追っている者としてしか懐かない感想について。
「橘さん、ほんとに裏切ったんですか!」→裏切っていない
だと思うんだけど、そのブレイドで橘さんを演じていた天野浩成さんが天ノ川学園校長として出演している。
もちろん、名前は橘さんではないw
橘さんではないが、裏切りの裏切りをしてくるw
更に、橘さんというブレイドの橘さんとは全く関係がない人物が登場する。
これはラスボスの野望を食い止めようとするラスボスの古い知人の、世を忍ぶ仮の姿というか、
ラスボスを欺くための別名義みたいなものなので、この橘さんも(ラスボスの部下でありながらラスボスを)裏切るw
ブレイドの橘さんは結局裏切らなかったけど、こっちの橘さんと橘さんはどちらも裏切りを働いくんだなぁ、と思ったw
リンク:文豪ストレイドッグス
無限にすごいアニメ。
各シーズン、大きな事件という縦糸と、小さな出来事の横糸を紡いでいくんだけど、
大きな事件が解決する時はいつも「熱い!!力強い!!」って感じだったのに、5期のラストは泣かされた。
「熱い!力強い!」というより「切ない」っていうのが強かったかな。
「そうでもしないと世界から戦争はなくならないかもしれないというのもわかる」
っていうのと
「そうしたところでまだ戦争はなくならないかもしれない」
というのもあり、それでも「自分の決めた道、生き様を見せた」福地桜痴と、
最後までその福地桜痴と友であった福沢社長を思うと(´;ω;`)
特に、社長があんなに声をあげて泣くなんてもらい泣きを堪えようがない。
もちろん、事件解決までの展開には様々な熱い展開もあって、ずっと目が離せなかった。
特に鳥肌が立ったのは、ブラムが「騎士になる」宣言したシーンかな!!
リンク:呪術廻戦 懐玉・玉折/渋谷事変(第2期)(全23話)
1期が終わった後に単行本派になったので、続きのストーリーは知っていたけど、
だからこそ、漫画と違うところというか、
「アニメになるに当たって、どのような映像化・動きの表現にするのか」
というようなところをすごく楽しめた。
漫画では1〜2ページでやっているアクションも、映像だとカット数にしたときにかなりの数のカットになっていて
「空間」も感じやすくなっていたしすごかった。
漫画の1コマをコンテの1カットとして見なしたとして、アニメ化されるときに
そこにもっとカットが追加されてアクションのすごみとか迫力がより伝わるような
動きやカメラワーク、エフェクトがふんだんに盛り込まれていて、毎話
「すごいなぁ、でも”あの漫画原作が、動くとこうなるんだなあ”って意味で一番感嘆してるのは
作者なのかもしれない」
とか思いながら見ていた。
リンク:シャングリラ・フロンティア
この世界のVRハードは、『レディ・プレイヤー1』より数段進んでいるな、と思ってみていた。
HMDをつけてベッドに横たわるだけで、ゲーム内の自分が「思い通りに動く」のだから
このHMDは、ただの「ディスプレイ」ではなくて脳波を読み取っていることになる。
あと、サンラクの声を担当しているのが内田雄馬さんだったので、
「今期はかなり色々演ってて忙しそうだなぁ〜」
と思いながら見ていたw
話の筋そのものは「人がゲームで遊んでいるのを見ている」状態なので、そこまで入り込んでは見てなかったかな。
自分が自分をやるのが一番ゲームには入り込めるわけだし。
リンク:葬送のフリーレン
終わりから始まる物語ってことで、OPの『勇者』(YOASOBI)の曲調を
「終わるようでありながら、始まりも感じさせる感じに作った」
とayaseさんがDAMチャンネルで話していたんだけど、まさにそんな曲になっていると思った。
人間とは寿命の尺度が異なる生き物っていうのは色々存在はするけど、
「言葉を交わせる」という条件も合わさると、それはほぼいないと言って良いかもしれない。
例えば高い知能を持つ猿やゴリラのような哺乳類、そしてイルカやシャチなんかも
ある程度「心を通わせる」ことはできるし、鳥の中には人間の言葉を真似て発することもでき
その意味をある程度解するものもいる。
でも人間と完全に同等に人間の言語を解しながら、異なるスケールの寿命を持っている生物は見つかっていない。
こういったフィクションの中には、エルフであったり、シンギュラリティを得たAIなどの形で出てくるが架空の存在だ。
そういうフィクションを見る時に、寿命の尺度で考えると例えば「人間から見たエルフ」っていうのは、
「犬猫から見た人間」のようでもあるのかな、と思ったりする。
エルフから見た人間は、人間から見た犬猫、とも言える。
ある程度意志の疎通が出来たりするし、何を思っているか感じ取れるところがあるけど、
全く同じ長さの時間を一緒に生き続けることはできない。
子供の素朴な考え方のひとつとして
「犬は人間よりも早く死んでしまうから、その分愛を深く知っているのかもしれない」
というのを読んだことがあった気がする。
長く生き続ける生き物にはその生き物なりの尺度や感性や価値観があるように
それに比べて生きる時間が短いからこその価値観というのもあるはずで、
フリーレンでは、エルフ目線から人間を読み解いていくことで、人間の尺度、エルフの尺度
両方が見えるよな、と思った。
これは、「時間の尺度の違いからくる価値観の差」なんだけど、それは実は「時間の尺度」のところを
ほかのものに置き換えれば、人間同士にも言えることで、例えば
「生まれ育った環境の違いからくる価値観の差」の中で我々常に暮らしているのであって
寿命の長短だけが特別なわけではないということに気付く方が、我々にとっては
「今、ここにいる自分たち」にとって大切なものを見つけるのに役立つかもしれないと思った。
アニメーションとしては、15話の社交ダンスのシーンが本当にすごかった。
派手なアクションシーンが「迫力があってすごい!」と思うことは当然よくあるし、
そういうものの方が派手だから多くの人が直感ですごいと感じるだろう。
けど、アニメーション製作上、動画師さんがよく言うのは派手なアクションシーンよりも
地味な日常の所作を丁寧に動かす方が、粗が目立ちやすいというのもあって難しいということだ。
この社交ダンスのシーンはまさに、バトルアクションほどのスピード感はないのだけど
その分丁寧さがすごくて、もっと手を抜こうと思えば抜く手段はあるシーンだろうに
エンディングを削るほどの尺と熱意で作られているのが伝わってきて
今年見たアニメの中では一番「アニメーション技法」がすごいなぁと思った。
バックで演奏している管弦楽団の演奏の動きすら、本当にそのBGMを演奏する奏者の動きを参考に
(トレースしながら?)描いて動かしたらしくて、それ毎週放送するアニメでやる
動画コストじゃねえでしょ、と思ったw
「そこまでやるくらいなら、実写で撮った方が早いじゃん」
と思うかもしれない。
そこで実写にしないで描くということに意義があり、それがアートだと思う。
だからこの部分は特に芸術点がたけえ! と舌を巻いた。
あと、私はフリーレンが始まってすぐに見始めたわけじゃなく6〜7話まで放映終わってから
追いかけ始めたんだけど、筋トレしながら1話から最新話までを一気見したら
何箇所も繰り返し泣かされて涙と鼻水ずるずるにしながら筋トレする羽目になった。
その日はそのあとずっと頭痛だったw
リンク:るろうに剣心 −明治剣客浪漫譚−(全24話)
るろ剣は原作マンガが連載開始から終了までリアタイ勢だったし、最初のアニメ版の方も見ていたので
今回の新アニメシリーズも試しに見てみたが、結構いい感じだ。
最初のアニメ版の剣心は涼風真世さんだったけど、確か一番最初にボイスドラマCDが出た段階では
緒方恵美さんだった気もするし、それが今度斉藤壮馬さんになったからといって
「えぇー元と同じ人が良かったー!!」
というほどの強いこだわりはないので、そこに拒絶反応もなかった。
強いて言えば、斉藤壮馬さんの声を聞いていると条件反射で『憂国のモリアーティ』を見たくなるという疾患に罹っているため
その衝動を抑える方に苦労したかもしれない。
むしろ、他のキャストも一新されているので、全体的に新鮮味があっていい。
ナレーションが関俊彦さんなので、「なんか度々モモタロスが実況するのなんだろう?」とか思ってしまった。
やっぱ実写版剣心が野上良太郎だからか?
それにしても、私は佐藤健さん主演の実写剣心をまだ見ていないので、そっちも見たほうが良いと思う。
佐藤健さんだけでなく、三浦涼介さんも出ているし。
そういう意味では、今回のアニメ版のOP曲は菅田将暉さんが担当していて
「え、それはじゃあフィリップじゃん」
と思った。
リンク:Dr.STONE 第3期(全22話)
もう完結まで原作を読み終えているのだから、何がどうなるのか話の筋は先の先まで知っているが
やはり見てしまうし、知った上で面白い。
特に、今回のシーズンでは司が復活するところまで来たので、私はあのあとの
「千空だけひび割れが残ってる」→「じゃあひび割れが消えたみんなも戦化粧しよう!」
っていう流れが大好きなので、とてもとても胸熱だった。
呪術廻戦では五条先生が獄門疆に封印されたのに、Dr.STONEは司が復活して、
この時期が重なったのめっちゃ面白いなと思った。(中の人関係の話)
リンク:TVアニメ『MFゴースト』(全12話)
『頭文字D』の正統続編的な形で描かれているしげの秀一作の漫画のアニメ化だけど、
「あ、これは求めていたものが返ってきた」
という感じがした。
ナレーションは三木眞一郎氏ということで「最初のアニメ化のときの拓海だ!」と思ったし。
何より、2回目のイニDのアニメ化では、バトルBGMがユーロビートでなくなったことが
自分で思っていた以上にショックというか、「ユーロビートが流れていたことがこんなに大事だったとは」
と改めて思い知らされたというかで、『MFゴースト』だと「走るぞ!」ってところでユーロビートが流れたのが一番
「そう、それそれ!」
感があった。
大半の曲が流れる尺短いのがもったいないけど。
それから、主人公が運転中以外はただの礼儀正しいおとなしい青年っていうのも良いんだよね。
イニDでも、普段ちょっとぼーっとしてる感じの拓海が、ハンドル握って走り出すと
良い意味でギャップ出してくれるところが好きだし。
(ここで主人公夏向(かなた)がCV内田雄馬さんだったために、「内田さん忙しいな」と思ったw)
話としては、絶対ここからが面白いところじゃん! と思うので、次期に期待。
リンク:SPY×FAMILY Season 2(全12話)
久しぶりにヨルさんが「しっかり殺し屋業をしている」場面が出てきたなw
スパイファミリーは、アーニャたち3人が「家族」になるまでの経緯は、ちょっと特殊だけど
「そういう家族像や家族のカタチ、家族の暮らしがあってもいいよな。なんか幸せそうだもん」
と思えるところが好き。
でも夜帷が出てくる回だけ、私はソワソワする。
夜帷がどんなにロイドを好きでも、正ヒロインはヨルさんに変わりないだろうから、
あの恋が報われることはないんだろうな、と思うと、本人が
「自分、報われないんだろうな」
とは全然思ってなくて
「絶対自分が妻になってやる」
って思ってる空回り感が見ててソワソワする……。なんだろ、笑い事に思えないというかw
この人いつ「失恋」するんだろう、そしてそれを自覚したときどうなっちゃうんだろう、みたいな。
作品完結までにそういうシーンが描かれなかったとしても、いつかそういう日は来るんだろうな
っていう想像だけでソワソワする。
『ストップ!!ひばりくん!』原作マンガの高円寺さゆりを見ているときの気持ちなんだよ。
だからこそ、『ストップ!!ひばりくん!』はアニメ版で高円寺さゆりと梶みつををくっつけたのかな……。
リンク:薬屋のひとりごと
これも1話からすぐではなく、何話か溜まってきてから追いかけ始めた。
悠木碧さんの「冴えない女子」風のお芝居が面白い。
悠木碧さんといえば、まず最初はまどマギのまどかで知った感じだけど、
最近だとヒロアカの梅雨ちゃんやってて、それがまどかと全然違うのでギャップ面白いよね。
薬屋の猫猫は、どちらかというと梅雨ちゃん寄りかもしれないけど、
「主人公女子にしては、あえて華やかさをオミットした感じ」の発声とか芝居をしていて
それが猫猫の個性を際立たせていて良いと思う。
あと、私も、
「見た目が美しくてそれに自覚を持っていて、あまつさえそれを利用しさえする美形の男」
って憧れより警戒を強く感じてしまうので、猫猫が壬氏さまを冷めた目で見てるのがわかるところあるし
壬氏さまは壬氏さまで見た目以外のところに個性と魅力があるのに、そっちを本人が活かせてないわけだから
その不器用さもそれはそれで「完璧超人じゃないからこそ良いね」ってなるのもあるかな。
【番外編】
「番組」以外の作品も紹介したい。
今年は、コンシューマー機だとモンハンサンブレイクとあつ森がメインで、
PSだとBeatSaberがメインだったから、新作に触れたのは大体Steam上だった。
コンシューマー機に配信されないようなPC向けだから出せる尖ったインディーに色々出会えて良かった。
私のアンテナは鈍っていない。




おかしい。
今年Steamで遊んだゲームのプレイ時間比率の中で52%を占めているゲームのプレイ時間が6000時間を超えている。
一年は6360時間で構成されているはずだ。
52%のゲームが6000時間だと、他のゲームと合算したときに1年を超えてしまう。
まぁ、これは、同時起動しているものが色々あったから、で全部説明がつくけどね!!
というわけで今年遊んだゲームをざっと紹介していくよ。
個別の記事が立っている場合もあるよ。
リンク:Legend of IdleOn
今年一番起動時間が長かったゲーム。
放置ゲーだから、操作しないでただ起動してAUTOをONにしておくだけで、
勝手に経験値が溜まってレベルが上がり、勝手にアイテムや素材が集まり、強さがインフレしていき
というゲームなんだけど、今までにやった放置ゲーの中で一番楽しい。
3月から遊んでいるのに、ずっと楽しいまま年を越そうとしている。
このままプレイ期間1年を迎えても、まだずっとハマってそう。
何より、「頑張らなくていい」ところがいい。
そして、何もかもが「コレクタブル要素・図鑑を埋める作業」のように、地味な収集で
一方たまに操作を要求する部分ではちゃんと「ゲーム」をさせてくれる。
特にW4のRiftとかは工夫やプレイスキルを要求される側面があり、
「ゲームしている!」
って感じがしていい。
それ以外は、放っておいても勝手に育ったり物が集まったりするし、それを時々使って
「さて、放置中に集まったもので何をしようかな〜」
と考えるのが楽しい。
物が集まったうえで尚、何もしなくてもかまわんしw
とにかく、やりたいようにやればいいし、やらなくてもいいのがいい。
他の作業と完全に両立できるし、やるときはやるときで楽しくやれる。すgほい。
リンク:Rock Simulator 2
これも放置ゲーなんだけど、本当にやることがほとんどない。
IdleOnはやることが多い放置ゲーなんだけど、こっちはあまりにもやることが少なすぎるかもしれない。
ただ眺めるだけのゲームで、「風景シミュレーター」に近いからアヒルを浮かべるやつに近いかも。
それに、結構グラボのスペックを要求する。
(そして、4080とかのグラボを嬉々として稼働率100%だのOCするなどして、このシミュレーターを楽しんでいる人がいる)
リンク:Fidget Spinner RPG
これも放置で素材を集めて装備を強化して、転生して、更に強化して……とやっていくRPGなんだけど
基本的に画面ではずっとハンドスピナーが回っている。
クッキークリッカーでクッキーを増やすと、更にクッキーを増やす機構が解放されるように、
ハンドスピナーを回すと、更にハンドスピナーが高速で回る機構が解放され……という感じだから
「クリッカー」ジャンルの放置ゲーだよね。
これも、無駄に凝ったエフェクトがハンドスピナーの回転映像を演出するため、
ハンドスピナーではなくグラボが高速回転する。
うちにはハンドスピナーはない。
生まれて初めて買ったハンドスピナーがこのゲーム。
リンク:デイヴ・ザ・ダイバー
ローグライクのような「入るたびに地形や生態系が変化する海」と、夜だけ営業する寿司屋を交互に行き来して進めるRPG。
発売前から楽しみにしていて、「放送で遊ぶかどうか考えるためにちょっとだけ起動してみようかな」
と思ったら面白すぎて、大半を放送外でやってそのまま終わらせてしまったw
放送で2周目やるかな。
くらげぱーてぃ🥳
リンク:Capybro
カピバラが、道中にいる友達の悩み事を手助けしてあげながら温泉に行くゲーム。
インゲームタイムが測れるので、RTAを意識して作られていると思うw
一番タイムロスが発生しそうなのは、「平均台渡り」みたいなことをする必要があるミニゲームの中で
途中落下して最初からやり直しになるケースだと思う。
ゲームとしてのボリュームはそこまででもないので、タイムアタックのためにフルゲームプレイするとして
1周は長くないからTAしやすさという意味では「かなりしやすい」部類かもしれない。
リンク:GARAGE ガラージュ
一体全体どんな「奇ゲー」なんだ? と思って実際にプレイしてみたら、
道代にボロボロに泣かされ、2周目は放送でジュースルートをやった。
道代ルートは「”世界に自分たちしかいなくていい”みたいな共依存からの脱出」という感じがした。
ジュースルートも一種の「共依存からの脱出」の性質があるように思うが、
ジュースルートの場合は、外のジュースが他界しているという点が道代ルートと違ったかな。
道代の方は、外の道代は死んでいない可能性が残されているし。
なんにせよ、奇ゲーどころか純愛シミュレーションだったので、良い意味でびっくりしたし
世間の「奇ゲー」という評価が覆って欲しい。
リンク:Pineapple on pizza
謎のゲーム。
ゲームなのか? これは。
丸い孤島に降り立って、何をしたらいいのか特に指示もないのでウロウロしているうちに
島の中央の火山が大噴火する。
実績が16個あって、全部獲得した。
なんだったんだ、これ……。
リンク:Wattam
謎の感動があるエンディングだった、『塊魂』の人が作ったゲーム。
プレイ最中は、「このゲーム、既存のあらゆるジャンルに当てはまらない謎のゲームだな」と思い続けていたんだけど
終わってみたら「えー感動!!」ってなってしまった。
多分、プレイした本人しかそうならないんだけどw
傍で見ているだけの人は、感動して泣くほどではないと思うw
自分でプレイしたっていうプレイ体験があってこその謎の感動だったんだろうなぁ。
そう思うと、みんなに自分自身の手であの世界を歩き回って欲しいなと思った。
リンク:メグとばけもの
これはめちゃくちゃ泣かされたなぁ。
「なんか泣かされそうだな。放送で号泣するハメになったらセリフアテレコどころじゃなくなるなあ」
という少しの不安を抱えて買って始めたけど、まさにその通りになってしまったw
動画化してブログ記事も書いてあるので、詳しくはそちらを参照してほしい。
リンク:Call Hating
体験版で、ひたすら「バールのようなもの」を使ってゴキブリ退治をする羽目になり
その上、それが結構難しくて何度も失敗したし、「一体なんのゲームなんだ……」という感想になったが
結局製品版を50%OFFで買ってしまった。
そして、すごく面白かったので、あの体験版をやって
「これは買わないわ」
と思った人にはちょっと待って欲しいw
実は買って損はないかもしれない!w
生放送で1周目をクリアするまでの終盤を、開発者が見守ってくれて面白かったw
日本語化もするべきだと思う? と尋ねられたので、Yes!! と答えておいた。
リンク:Choo Choo Survivor
いわゆる、「ヴァンサバライク」つまり、今では「サバイバー系」と呼ばれるジャンルのゲームだが
これの場合は、線路の上を走る列車でサバイバルするので横一直線にしか移動できない。
強いて言えば、前進するか後退するかがあるだけだ。
でも実績を解除すると、より強い列車や武器が解除されるあたりはヴァンサバライクとして
そのまま面白い要素だし、30分生き残るのではなく所定の位置まで走ることがクリア条件になっていたり
完全にヴァンサバと同じルールというわけでもない。
リンク:Hexcells
これは、MFTさんからギフトで頂いたものなんだけど、簡単に言うと「6角マインスイーパ」であり、
Switchでも出ている『六方 論理』というゲームとほぼ同じ脳みそを使うので
『六方 論理』クリア済みの私には、ルール理解が早くでき、その上で新しいパズルを遊べて、
2や3になると、『六方 論理』にはなかった要素(2周外側の分まで数えないといけなくなる麺)が出てくるので
結構手応えもあってよかった。
論理パズル好きにオススメできる。
リンク:スイーツプッシャーフレンズ
お菓子をショベルで掬ってプッシャー台に乗せ、押し出してもらうタイプの
ゲーセンにあるゲームのシミュレーターにあたるもので、古銭プッシャーフレンズの開発元の
古銭プッシャーの次の作品。
ただ、古銭と比べると、お菓子の箱が掬いにくくて(まぁそこがゲーム性なんだけど)
マルチプレイをしてもなかなかフィーバーが発生しないので、古銭の方が長時間没頭できる感じはする。
リンク:たこパ サバイバル
腱鞘炎になりかけるゲーム。
サバイバルするには、栄養素を満遍なく摂取する必要があるが、序盤、アップグレードが不十分且つ
食材の種類も限られている間は、どう均等に食べようとしても、カロリー過多になって
タンパク質などは不足になる。
カロリー過多だと、そもそも焼いたたこ焼きを食べられなくなるので、そのまま他の栄養素が足りずに死ぬ。
それを回避するには、フィーバー飴を集めてフィーバーを発生させ
「どれだけ食べてもカロリーゼロ!」
というシチュエーションを引き起こす必要がある。
最大4人で卓を囲むことができるので、フィーバー飴が食材皿に出てくるまで全員が食材リセマラをしていくと
結構頻繁にフィーバーが起こせるかも(ソロプ比で)。
リンク:古銭プッシャーフレンズ2
古銭プッシャーの続編で、1作目では台が円形でそのまわりをぐるぐる回るように移動しながら古銭を発射していたが今回は横移動のみ。
台が円形だった1作目では、正面に向かい合ったプレイヤーと直接「投げ銭」をし合えるというところも
ある意味面白かったが、今回はそれはできないものの古銭ジャラジャラの楽しみは相変わらず味わえるし安い。
これ以外にも、色々な(日本語化すらされていない)体験版を色々遊んで、
色々な発見と楽しみのある1年だった。
<漫画>
リンク:東京卍リベンジャーズ
アニメの1期(2クール分)を2022年にに履修済みで、その最終話である24話の終わり方が
「このあとどうなるんだよおおおおおおお!!!」
という発狂レベルの引きだったから、そろそろ続きもアニメ化されんかな……とぼんやり思いつつ
また1期を一気見してしまった。(12月13日)
そして、10月から天竺編の放映が始まっていたことをその時になって知るが、
TV放映の直後にネットでも配信するスタイルを取っていないため、
結局今すぐ続きを見られないことには変わりなかった!!!
そこで、Reader Storeでもらったポイントを使って、漫画の9巻から読み始めた。
ここがアニメの1期24話の部分から始まるので。
「これで続きがどうなるのか知ることができるぜぇ〜〜〜〜へっへっへ
しかも漫画原作、完結済じゃん! その気があれば結末まで読めるってことじゃん!!」
と思って読み始めたら、全く止まらなくて最終巻の31巻まで一晩で読み切ってしまった……。
あぁ、朝日が眩しくて、そして爽やかだぁ……。
映画は『インセプション』や『RRR』『バーフバリ』などを見た。
『RRR』はウォッチパーティもしたし、『バーフバリ』も面白かったのでブログ記事を個別で立てようと思っていたのに
後回しになっちゃってる。
リンク:チェンソーマン(全12話)
原作は未読。
未読だからこそ、「アニメから入るぜー」という楽しみがあった。
あえて原作を読まないでアニメで初めて見る時には、それ相応の楽しみがあるのだ。
とにかくゲロチューの威力がすごい。EDもゲロチューのテーマになっていたので余計にw
ゲロチューに、「僕は何を思えば良いんだろう?」ってイエモンの『JAM』みたいな気分になったw
藤本タツキ作品では、チェンソーマン以外は逆に読んだことがあるものもあって
それらから感じるのは、「間」が漫画でしか表現しようのない独特なものになっているということで、
この「漫画のコマ」だから表現できる間(そして、それは読者それぞれが違った尺で感じる)を
アニメにどのように落とし込むのかなというのは興味があった。
チェンソーマンの場合は、バトルではないごく日常的な所作をすごく丁寧にアニメーション化していて、
またその際の静けさや衣擦れとかも丁寧で、そこに間が感じられる場合もそうでない場合もあったけど、
「藤本タツキ作品の持つ空気感」っていうのは、そういう日常の所作のシーンから感じられる気がした。
リンク:異世界おじさん
何度か、コロナ由来の制作遅延により、間が空いた回なんかもあったから
足掛け半年くらい? かけて見たことになるけど、とりあえず自分はSEGAネタがわかる人間で良かった
みたいな気持ちになったw
それから、子安さんがしっくり来すぎるw
これも私は原作未読の「漫画原作ありきのアニメ化作品」だけど、多分原作読んでいる人も
「子安さん、読んでるときのイメージに合ってる」
と思ったんじゃなかろうかw
あと、OP楽曲が歌いたい感じの曲だったな。
リンク:仮面ライダーカブト
おばあちゃんの格言に時々ものすごい名言が紛れていると思った。
例えば、
「刃物で人を感動させられるのは料理人だけ」
みたいなのとかがあった。
あと、「井上敏樹脚本といえば、食事シーンが多い」という言説を一度読んでしまってから
そこを少しでも意識して見てしまうと、「マジで食事シーン多いな!!w」ってなってくるw
天道総司って、いつも「妹!妹」のシスコン系キャラとも言えるけど、まさか妹っていうのがふたりいるとは思わなかった。
ふたりいてふたりとも「大事な妹」っていう。
「一途」な方が良かったなあ。
リンク:Obey Me! The Anime Season 2(全4話)
全4話と書いてあるけど、1話が短い短編アニメなので全12回。
今回は、7兄弟だけじゃなくてディアボロやバルバトスたちも出演の機会が訪れたので、
サブキャラたちが好きな人は嬉しかったんじゃなかろうか。
私が驚いたのは、「ベルフェゴールの夢」っていう回がほぼ全編通してミュージカルになっていて
ベルフェ役の大西さんが歌がうめえってことと
(先日の特番でも「ぼくは歌がうまいので!」って言ってたw)
この回の「モブが合唱するところ」とかモブの役は全部ソロモン役の川田さんが演っているという話w
驚愕www
さすがにゲームのObey me!の方は、例の周年イベントに全力出してから少し遠ざかってはいるんだけど、
アニメでまたこのメンツに会えるっていうのは楽しかった。
あと上に書いた特番で、新規アプリが開発中っていうことも発表されていたので、
ゲームシステム次第では興味あるな。
特番はこちら。
余談だけど、このバージョンのMV、謎に中毒性ある。
1期アニメのED曲なんだけど、アニメのオチでバン! って入ってくるのが良くて、
なんか全体的に中毒性もある曲なんだけど、声優さん御本人登場のMVが出るとは思ってなくて
それはそれでまた中毒性高かったw
リンク:CLAYMORE(全26話)
2007年放映、小林靖子脚本、エンディングの作曲に前田尚紀。
これは実質電王か……!? などと思いながら見た。
ちなみに、原作は八木教広作の月刊連載マンガで、八木教広先生といえば『エンジェル伝説』!
『エンジェル伝説』はギャグ漫画だけど、『CLAYMORE』はシリアスなファンタジーときいていて
『エンジェル伝説』しか読んだことがなかった私としては、その作者がシリアスファンタジーを描くと
どういうものになるのだろうという興味はもとからあった。
ちなみに『エンジェル伝説』は全巻実家にある。何度か読み直した。
CLAYMOREは、原作の連載に並行してアニメ放映されていたから、アニメ最終話時点で
原作の方でまだ「結末」が迎えられていないことになるから、その中でどうやって終わらせるか
というのがあったと思う。
例えばワンピースとかBLEACHみたいに、連載も長くて、アニメ放映も長くて、
でも連載にアニメが追いつきそうになると適宜オリジナル展開を入れるものもあれば、
完全にアニオリ展開の方に舵を切ってそのままアニオリの完結を迎えた鋼の錬金術師の最初のアニメ化みたいなのもある。
CLAYMOREは、「まだ彼らの旅は終わらない、けれどとりあえずはここまで」という終わり方をしていたので
あとで続きをアニメ化する上でも辻褄が合わないことにはならない、でもひとまず完結とすることができる形をとっていると思った。
あと、基本的に「女戦士たちの戦い」を描いているので、「強キャラ女性声優」が沢山出てきて、
それがお芝居の勉強になった気がしたw
「強そうな女の人」を演ることのある有名な声優さんは軒並み出てきた! って感じがする。
リンク:僕のヒーローアカデミア(第6期)(全25話)
最終的には、デクがオール・フォー・ワンがやったのとは違うベクトルのやり方で死柄木を「救う」
という方向で決着をつけるのだろう、つけてほしいと思っている。
悪いやつは裁かれなければいけないけれど、その一方でなんらかの救済を必要としている者である可能性を無視できないと思う。
ヒーローにはそういうことも考えていてほしい。
悪いやつだ! ぶっ飛ばす! っていうのはシンプルでいいけど、結局それは対症療法のひとつにしか過ぎないだろうし
恨みの連鎖を断ち切る手段たりえないだろうから。
リンク:テレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編(全11話)
相変わらずすごいアニメだった。
鬼滅のすごさは、アニメに関しては「ufotableのすごさ」だよな、と思っている。
空間の描き方が好きということを前に書いたけど、今回気付いたのは
ufotableの「夜の表現」もすごいっていうことかな。
鬼滅もだけど、例えば刀剣乱舞のアニメ『活撃 刀剣乱舞』でも夜のシーンが結構あったし
そういう「暗い場所にいるキャラクターたちの存在感」っていうのが、
まるで月みたいで好きだなぁと、今回気付いた。
あと、ストーリー的に禰豆子が太陽を克服したことにより、いよいよお話も核心へ迫っていくんだろうという意味で
次のシーズンが楽しみ。
リンク:岸辺露伴は動かない
アマプラに配信されたので、満を持して。
というのも、脚本が小林靖子さん担当の実写ドラマなので期待値が高い。
ジョジョは全くの未履修なので、これを見てからアニメ本編に入る前提で見た。
(アニメ版の方も脚本は小林靖子さんのはず)
不気味なまでに執念深いキャラクターが沢山出てきて、岸辺露伴も濃いキャラのはずなのに薄く見えるほど。
常にその「妖怪」や「怪異」と呼べるまでに執念深い何者かと対峙する岸辺露伴を描いているのだけど、
対峙する相手を詳細に描くために、「岸辺露伴が出ていないカット」も多いところが印象的だった。
あと、これはあまり共感はされない感想だろうけど、『柊緋色の怪異譚』を思い出した。
いとこうさんが岸辺露伴履修済みかどうかは知らないけど、怪異を取材する作家が主人公という点では共通する部分があるし、
柊緋色の怪異譚を声劇上演した時、私が演じようとした柊緋色の口調の抑揚が
このドラマで岸辺露伴を演じる高橋一生さんの解釈に近いと感じるところがあったのが個人的に面白かった。
リンク:岸辺露伴は動かない(全4話)
実写版を履修し終えたので、アニメ版と脚本や演出を比較してみるべく、すぐに履修開始した。
と、そこでわかったのは、おそらくアニメ版は漫画版をほぼそのまま構成しているオムニバスだが
ドラマの方は、複数の話を横糸とし、実写ドラマ版の縦糸を紡ぐ構成に再編成してあるということだ。
そして、その上ですごく重要な「改変」ポイントとして、実写ドラマでは「スタンド」という言葉を使わない
ということだ。
概念自体が消失している。
でも、これは悪い改変じゃないと思った。
私のようにこのドラマからジョジョの世界に初めて触れる人がいたとして、
しかも私とは違って「スタンド」の概念も知らなかったとして、ドラマの中でそういう人に向けて
「スタンドとは」から話を始めるのや、そういった「固有名詞」を出すことは、
もしかしたら要らぬ”距離”を感じさせてしまうかもしれないから。
「普通の人が持っていない特殊能力を持っている漫画家にまつわる怪異譚」
ということが伝われば十分面白いわけだし。
リンク:ジョジョの奇妙な冒険(全26話)
ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース(全24話)
ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース エジプト編(全24話)
ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない(全39話)
ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風(全39話)
ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン
名前を略したり読み替えたりすると「ジョジョ」になる人たちの世代を超えた冒険譚を履修完了した。
といっても、シリーズ自体が完結はしていないので飽く迄最新の「スターオーシャン12話まで」という意味だが。
アニメ版ジョジョは、シリーズ構成と脚本を小林靖子さんが担当しているので、「岸辺露伴〜」を履修したのだが
岸辺露伴シリーズはスピンオフである。
本家は長いことがわかっているので、先に短い方から入ったのであった。
ちなみに、漫画のジョジョは完全未履修のまま生きてきた。
自分がジャンプ本誌を毎週読むようになったときには、もうジョジョは連載の途中だったので。
ジョジョに限らず、「すでに連載途中の作品」を、途中から読み始めることはなかったので
私がジャンプで熱中して読んだ漫画はすべて「1話からリアタイで追っていたもの」だけだった。
大元は「ジョースター家と石仮面の因縁」に始まって、DIOとの死闘を終えたあともジョースター家と
スタンド能力にまつわる事件が続く感じ。
アニメを一通り見ることで、改めて「スタンド・スタンド能力」などの概念を取り払って
ドラマに再編集したことのすごさが見えてきた気がする。
それから、シリーズごとに荒木先生の絵柄が変わっていくその変遷もアニメに反映されていて
そこはアニメ版キャラデザ・原画・作画監督などのスタッフさんのこだわりもすごいものだと思った。
画面内に漫画原作に出てくる擬音語がそのまま踊っているのもだし、 荒木先生の絵柄が時代と共に変わったとしても「顔が濃い」というところは一貫しているので その濃い顔、つまり線の多い顔を動かす作画カロリーを考えるとやはり同様だ。
もちろん、漫画は漫画のジョジョの空気っていうのがあって、音と色と動きがつくことで
漫画時点での独特な空気とは異なるものになった部分もあるだろうけど、
アニメはアニメで「ちゃんとジョジョが好きな人が作った」のだろうことは窺えるとでも言おうか。
「メメタァ」のような独特の擬態語なんかも、画面内にそのまま文字として出すのが
ジョジョらしさを醸しているので「正しい」気がする。
個人的に、
⇐To be continued...
と表示されて『Roundabout』が流れ出す動画を、Twitter上で見かけたことがあり
どこ発祥のネットミームなのだろうと思っていた時期があるので、(その後調べてジョジョ由来というところまで把握したが)
エンディングでその現物を見て
「これはミームにもなるわw」
と思ったのが1部では印象深い。
本編の終わり間際に、もうED曲の一部が流れ始めていて、楽曲のアタックが強い部分に合わせて
カットが切り替わってエンディング映像に入っていくという演出、古くは『ふしぎ遊戯』で出会っていいものだと思っていたが
ジョジョの本編から⇐To be continued...で『Roundabout』へもつれ込む流れは同じ良さがある。
この演出や、「このあとどうなってしまうんだー!?」からパキっとしたエンディングが流れるのが好きな人は
『ふしぎ遊戯』も『スクライド』も『仮面ライダーアマゾンズ』も見ると良い。
あとは、承太郎:小野Dから始まる、仗助:おのゆー、そしてジョルノ・ジョバーナ:小野賢章……
という、「CV小野縛り」はなんだったんだろうw
キャラと声が合ってたけどw 合っていたけども!!ww
第1シーズンを見て、初めてジョジョそのものに触れてびっくりしたのは、
「あちこちで何度も聞いた覚えがあるネットミームともいえる台詞回し」
が1話でいくつも出てくることだ。
あれもこれも1話だったのか、という衝撃があった。
これはブレイドを見て、1話の割と序盤のほうで
「オンドゥルルラギッタンディスカー!!!」
が出てきてびっくりしたときと同じ感覚だった。「これ1話由来だったの!?」っていう。
それから、1〜3シーズンの「神風動画によるOPムービー」がすごく良かった。
OPは大事だ。
「話が気になるから飛ばしたくなる」のがOPだが、それでも「よりワクワク感が高まるから飛ばせないOP」というものもある。
それは良いOPだ!
「飛ばすこともできるけどあえてこのOPに焦らされたい」と思うのだからそれは良いものなのだ。
調べてみたところ、神風動画の社訓(社是?)は「妥協は死」らしい。
妥協は死
なんて強い社訓だ。ぜひとも見習いたい。
特に「スターダストクルセイダーズ」は、世界を股にかけた冒険だったので、
アドベンチャー感やRPG感があって、しかもその中心となる承太郎が
それまでのどの”ジョジョ”よりもクールなジョジョだったので面白かったかもしれない。
ジョースター家の男はみな心の中に熱を持っていて、ひとたび怒るとオラオラッシュしてしまうようなところがあるので
それはいかにクールな承太郎といえど同様ではあるが、本編中一度も「大笑い」なんかしたことがない徹底したクールさ。
ストーンオーシャンの最新話まで見たけど、いまだに花京院が死んだという実感がないので、
おそらく花京院は死んでいないと思う。
少なくとも「私の中で生きている」とでも言おうか。
リンク:仮面ライダーキバ
個人的に、モンハンサンブレイクを一番遊んでいた時期に見始めたために
「これ、王域三公?」
ってなった。
キバがメル・ゼナで、次狼がルナガロンで、力がガランゴルムじゃん? っていうw
キバが後半覚醒してドラゴン形態になったときにはなおさらメル・ゼナっぽくなった!w
登場人物が多い上多種多様なんだけど、個人的には仮面ライダーで「三角関係」とか求めていないから
紅音也周りのエピソードもだけど、太牙が出てきた後の深央との関係、そして深央の死とかが
うーん…うーん……この描写や、このムーブ要る???ってなりながら見てた感じになったのが自分で自分に残念だった。
例えば
「音也は、次狼からゆりを取っておいてそのゆり捨てるのかよ…一貫性ないな」
「次狼それでも音也との”約束”守るのなんでだよ、そんな義理あるか?」
「深央さん、太牙を騙してから殺そうとしたのに一転して身を挺して守るのかよ じゃあ最初から殺そうとするなよ」
などなど他にも沢山あるが、概して登場人物の「その場の衝動で行動してるだけで思想がない」感じがもったいなかった。
健吾とかも「とにかく頭使ってない」キャラに見えて、そこが憎めないやつっていう方向でもなく
「いや、何がしたいんだ」とか「もうちょっと考えて行動しなはれ」と思わされてしまったし。
どのキャラが死んでも感情移入していないのでこちらは泣かないし、なんなら
「死んだと思ってたけど生きてました!」
っていうのを嶋さんで2回もやったのだって、
「うーん…うーん……嶋さんが退場してちょっとでもショックを受けた人は
その気持ちを返せってならんか……? 私はショックは受けてないけど…」
ってなったり、なんかずっと入り込めなくてもやもやしてた。
フィクションって、誰かが死ぬ場合そこにある種のカタルシスがあるからこそ、
作劇する人はそのキャラを殺す選択をすると思うんだけど
そのための仕込みとしてキャラを作り込んで、つまり「そのキャラが死ぬことで視聴者が心を動かされる」ように、
視聴者がその感情移入するよう仕向けてからしっかり殺すものじゃないんだろうか。
好き、応援したい、幸せになって欲しい、と思うような人物がなにかドラマティックな死を遂げるから
見てる人の心が揺さぶられるんだと思う(し、作者はおそらくそれを狙って殺す)んだけど、
好きでもなく応援したくもなく、幸せを願っているでもない人の身に何かが起きても
それは「知らない作品の知らないキャラが死んだ」ようなのと変わらないよなぁ。
何を考えているのか、何がしたいのかっていうのが、全キャラの中でブレ続けている感じで
誰を軸に見たとしても
「この人何がしたかったんや…」
ってなっちゃって、ほんとに、ちゃんと全話見たし、なんなら途中の数話は戻って繰り返し見たりもしたのに
最後に虚無感みたいなのがあってほんとにもったいなかった。
「それだと設定とかキャラの思想的に辻褄が合わなくない?」
というところを挙げようとすると沢山思い浮かんでしまうのが、残念。
人間関係の描写で、耐えられるギスギス(のちにカタルシスが得られるので結果的に安心できるやつ)と、
耐えられないギスギス(本当にただギスギスしているだけ)があるとして、後者寄りのシーンが多い印象かな。
深央と渡の間に入ってきて邪魔しようとする静香は、コメディタッチで描かれてはいたけどあんま笑えないし。
静香って「お母さん的立場」を自認してはいるけど、飽く迄「お母さんそのもの」ではないわけで、
かといってヒロインとして存在しているのなら、深央の登場で「悪役令嬢ポジション」になるのはわからんし、
そのうえ深央は死ぬし、これらのどの要素をとっても「スッキリ」はしない。
私は多分、スッキリしたいのだ……。
三角関係の部分だけじゃなくて、健吾絡みのエピソードもそういうのが多かった。
(この人何がしたいんだ、何ポジションなんだ…っていう)
多分、「毎週1話ずつのペースで時間をかけて見ていると、見返さない限り序盤の設定の記憶が薄れていくから
視聴者的にもどうでもよくなること」の範疇なのかもしれないけど、これが連続で48話見ると、
「昨日見たあのシーンと辻褄合わない」
になるというのがあるんだと思う。それも多数あるのがつらい。
音也と真夜が結ばれないと主人公がこの世に誕生しないのはそうなんだけど、
だったらゆりを一度音也と両思いにさせる必要あったのか? とかなんかこう
「他に何かこう…できなかっただろうか」
って考えちゃう。
深央にしても、真夜にしても、「新たな登場人物が現れて物語に動きが生まれる」ための鍵なんだけど
カブトのときの「ひより」みたいな感じかな……。
「主人公が守るべき妹」っていうキャラクターはすでにいるのにあとから「もうひとりの妹」として出てきて、
主人公が「どちらも大事な妹だ」で納得させようとしてくるみたいな。
言い訳に聞こえちゃうんだよな。
私は井上敏樹脚本作品をもう見ないほうが良いかもしれない。
こういう感想になるのが2〜3度目だから、多分……。
(カブトと比較すると「井上脚本の割に食事シーンは少なかった」という発見はあったw)
作者が悪いのではなくて、「私の好みに合わない」のだろうから、誰にもどうしようもない。
作者が私に合わせる必要もないし、私が無理に好きになることも不可能。文字通りどうにもしようがない。
1986年の「親世代」の物語と、2008年の「現在」の物語をスワップさせながら見せていく手法は
試みとしては面白かったし(子供目線では混乱の元になって難しいかもしれないけど)
ライダー自身が怪人と紙一重であるという「仮面ライダーシリーズ」が踏襲しなければならないお約束
みたいなのも守られていたと思うから、多分素材とかキャラクターの立たせ方は悪くないはずなのに
ころころ考えが変わる人が多いのでぶっ通しで見るともやもやが強いな。
その「考えがコロコロ変わる」のも、一応「このようにしてこういう考えになった」という描写があるから
説明不足じゃないんだけど、「ご都合」感がある。
つまり登場人物の思想に従ってそういうことが起こって転換期を迎えたのではなくて、
制作側の都合で「こういうことが起こってもらわないとドラマにならないから」ってんで
話の展開に合わせて人物の方を捻じ曲げる感じに受け取れてしまうのが良くないのだろうと思う。
役者さんとして、ファイズに出ていた芳賀優里亜さんとか、響鬼で斬鬼さんをやっていた松田賢二さんが出ていて
「お、またあの人が頑張ってるな!」
って思ったりという楽しみ方はあった。
あと、挿入歌どれもかっこいいよね!
鳴瀬シュウヘイさんとか前田尚紀さんが携わっているので「さすがだぜ!」ってなった。
でも、挿入歌がかっこいいなら挿入歌を単独で聞けば良いので、ドラマに対しては「ドラマ」を求めているよ私は。
ドラマにおいての挿入歌は演出のひとつであってメインじゃないんだ。
リンク:仮面ライダーディケイド(TTFC)
平成ライダーの10作目(10周年)を記念しているだけあって、ここまでのあらゆるシリーズ(一部昭和ライダーまでも含む!)が
セルフオマージュされているところが面白かった。
似たような名前の別人が過去作ライダーになる人物として出てくるんだけど、
そこは全く同じ配役は難しい部分があるという事情も踏まえると、ここが落としどころだろうな
と思いながら見ていたけど、逆に一部で元の作品と同じ俳優がそのままの役を演じていたり
イマジンたちは「ガワ」を被っていて声優さんが声を当てればいいという部分で
俳優さんらとは事情が異なる分そのままで出てくるところがまた面白かったw
しかし、全31話という半端な数と、放映開始時点から、
「このテレビ版はテレビシリーズ内でストーリーが完結せず
”続きは劇場で!”という終わり方にすることが決まっていた(がそれは公には伏せられていた)」
というところがBPO案件になっているなど、終わり方は残念だった気もする。
もちろん、TVシリーズまで視聴後すぐに
仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイドMOVIE大戦2010 ディレクターズカット版
を見た。
それも、風呂敷が畳まれているような畳まれていないような、少し微妙なラインだった気がする。
作品序盤は會川昇さんが脚本担当していたが、途中降板されているので、
もしや降板の理由は
「クリエイターとして納得できない、したくないところがあって折り合いがつかなかった
とかだろうか……」
と考えてしまったりする。実際のところ理由はわからないが。
いずれにしても、會川昇さんが最後まで物語を書ききったら、おそらく違う展開になっていただろうから
その場合のディケイドはどのようになっていただろうか、絶対に見ることはできないが
それはそれで見てみたかった、という気持ちにもなった。
會川昇さん降板後を引き継いだ脚本家の方々も、それはそれでまた大変だったろうと思う。
人が書きかけにした物語を引き継いで終わらせるのは難しいだろう。
それに、番組全体としての意向(スポンサーやプロデューサーや、そういう意思決定権や発言力がある立場)から
あーしてくれこーしてくれと言われながら話を書くのは大変そうだ。
ただ10周年というお祭り作品としては、お祭りしていたと思うし、私はこれでまた一歩
平ジェネへ近づいたなよしよし、という気持ちで見終わった。
リンク:仮面ライダーフォーゼ
「高校を舞台にした学園モノの仮面ライダー」
というところが特徴的かつある意味シリーズにおいては異質でもあると言えるかもしれないが、
序盤の数話でノリにも慣れてくるので、別に
「このような仮面ライダーは仮面ライダーとして認めたくない!」
というような拒否感や忌避感は感じなかった。
むしろ、こういうライダーがいてもいいよな、いろんなやつがいるイコール強さなんだ!
と思ってるので基本的にはなんでも受け入れているかもしれない。
見る前は「ノリについていけるだろうか、登場人物多そうだけどちゃんと把握できるだろうか
把握できるように描かれているんだろうか」
という心配がなかったわけじゃないが、登場人物については、電王やオーズ、Wあたりがやっていたように
「2話前後編の作りで1事件を解決する」
という構成で、新キャラが1〜2人追加されてもそれぞれについて2話かけて描写されるから、
登場人物は全体数としては多いもののちゃんと把握しながら見ることができて安心した。
これが、一度に10人出して全員を同時に説明していくとかだと混乱してしまうのでw
また、2話前後編の横糸も、全体としての縦糸も、ちゃんと風呂敷が畳まれていたので
風呂敷厨の私としてはそこが一番見終わったときに安心できたw
「あ、よかった綺麗に終わった」とw
ラスボスが最後に改心してくれるのとか、「支配からの卒業END」とかも趣深いポイントだと思う。
シリーズを追っている者としてしか懐かない感想について。
ブレイドといえば更に、ブレイドの橘さん出てるし、橘さんっていう登場人物もいるけど、こっちも橘さんは橘さんを演じていないw
— (V)・∀・(V)かにぱん。🦀🍞@つくば (@kanipan666) October 15, 2023
「橘さん、ほんとに裏切ったんですか!」→裏切っていない
だと思うんだけど、そのブレイドで橘さんを演じていた天野浩成さんが天ノ川学園校長として出演している。
もちろん、名前は橘さんではないw
橘さんではないが、裏切りの裏切りをしてくるw
更に、橘さんというブレイドの橘さんとは全く関係がない人物が登場する。
これはラスボスの野望を食い止めようとするラスボスの古い知人の、世を忍ぶ仮の姿というか、
ラスボスを欺くための別名義みたいなものなので、この橘さんも(ラスボスの部下でありながらラスボスを)裏切るw
ブレイドの橘さんは結局裏切らなかったけど、こっちの橘さんと橘さんはどちらも裏切りを働いくんだなぁ、と思ったw
リンク:文豪ストレイドッグス
無限にすごいアニメ。
各シーズン、大きな事件という縦糸と、小さな出来事の横糸を紡いでいくんだけど、
大きな事件が解決する時はいつも「熱い!!力強い!!」って感じだったのに、5期のラストは泣かされた。
「熱い!力強い!」というより「切ない」っていうのが強かったかな。
「そうでもしないと世界から戦争はなくならないかもしれないというのもわかる」
っていうのと
「そうしたところでまだ戦争はなくならないかもしれない」
というのもあり、それでも「自分の決めた道、生き様を見せた」福地桜痴と、
最後までその福地桜痴と友であった福沢社長を思うと(´;ω;`)
特に、社長があんなに声をあげて泣くなんてもらい泣きを堪えようがない。
もちろん、事件解決までの展開には様々な熱い展開もあって、ずっと目が離せなかった。
特に鳥肌が立ったのは、ブラムが「騎士になる」宣言したシーンかな!!
リンク:呪術廻戦 懐玉・玉折/渋谷事変(第2期)(全23話)
1期が終わった後に単行本派になったので、続きのストーリーは知っていたけど、
だからこそ、漫画と違うところというか、
「アニメになるに当たって、どのような映像化・動きの表現にするのか」
というようなところをすごく楽しめた。
漫画では1〜2ページでやっているアクションも、映像だとカット数にしたときにかなりの数のカットになっていて
「空間」も感じやすくなっていたしすごかった。
漫画の1コマをコンテの1カットとして見なしたとして、アニメ化されるときに
そこにもっとカットが追加されてアクションのすごみとか迫力がより伝わるような
動きやカメラワーク、エフェクトがふんだんに盛り込まれていて、毎話
「すごいなぁ、でも”あの漫画原作が、動くとこうなるんだなあ”って意味で一番感嘆してるのは
作者なのかもしれない」
とか思いながら見ていた。
リンク:シャングリラ・フロンティア
この世界のVRハードは、『レディ・プレイヤー1』より数段進んでいるな、と思ってみていた。
HMDをつけてベッドに横たわるだけで、ゲーム内の自分が「思い通りに動く」のだから
このHMDは、ただの「ディスプレイ」ではなくて脳波を読み取っていることになる。
あと、サンラクの声を担当しているのが内田雄馬さんだったので、
「今期はかなり色々演ってて忙しそうだなぁ〜」
と思いながら見ていたw
話の筋そのものは「人がゲームで遊んでいるのを見ている」状態なので、そこまで入り込んでは見てなかったかな。
自分が自分をやるのが一番ゲームには入り込めるわけだし。
リンク:葬送のフリーレン
終わりから始まる物語ってことで、OPの『勇者』(YOASOBI)の曲調を
「終わるようでありながら、始まりも感じさせる感じに作った」
とayaseさんがDAMチャンネルで話していたんだけど、まさにそんな曲になっていると思った。
人間とは寿命の尺度が異なる生き物っていうのは色々存在はするけど、
「言葉を交わせる」という条件も合わさると、それはほぼいないと言って良いかもしれない。
例えば高い知能を持つ猿やゴリラのような哺乳類、そしてイルカやシャチなんかも
ある程度「心を通わせる」ことはできるし、鳥の中には人間の言葉を真似て発することもでき
その意味をある程度解するものもいる。
でも人間と完全に同等に人間の言語を解しながら、異なるスケールの寿命を持っている生物は見つかっていない。
こういったフィクションの中には、エルフであったり、シンギュラリティを得たAIなどの形で出てくるが架空の存在だ。
そういうフィクションを見る時に、寿命の尺度で考えると例えば「人間から見たエルフ」っていうのは、
「犬猫から見た人間」のようでもあるのかな、と思ったりする。
エルフから見た人間は、人間から見た犬猫、とも言える。
ある程度意志の疎通が出来たりするし、何を思っているか感じ取れるところがあるけど、
全く同じ長さの時間を一緒に生き続けることはできない。
子供の素朴な考え方のひとつとして
「犬は人間よりも早く死んでしまうから、その分愛を深く知っているのかもしれない」
というのを読んだことがあった気がする。
長く生き続ける生き物にはその生き物なりの尺度や感性や価値観があるように
それに比べて生きる時間が短いからこその価値観というのもあるはずで、
フリーレンでは、エルフ目線から人間を読み解いていくことで、人間の尺度、エルフの尺度
両方が見えるよな、と思った。
これは、「時間の尺度の違いからくる価値観の差」なんだけど、それは実は「時間の尺度」のところを
ほかのものに置き換えれば、人間同士にも言えることで、例えば
「生まれ育った環境の違いからくる価値観の差」の中で我々常に暮らしているのであって
寿命の長短だけが特別なわけではないということに気付く方が、我々にとっては
「今、ここにいる自分たち」にとって大切なものを見つけるのに役立つかもしれないと思った。
アニメーションとしては、15話の社交ダンスのシーンが本当にすごかった。
派手なアクションシーンが「迫力があってすごい!」と思うことは当然よくあるし、
そういうものの方が派手だから多くの人が直感ですごいと感じるだろう。
けど、アニメーション製作上、動画師さんがよく言うのは派手なアクションシーンよりも
地味な日常の所作を丁寧に動かす方が、粗が目立ちやすいというのもあって難しいということだ。
この社交ダンスのシーンはまさに、バトルアクションほどのスピード感はないのだけど
その分丁寧さがすごくて、もっと手を抜こうと思えば抜く手段はあるシーンだろうに
エンディングを削るほどの尺と熱意で作られているのが伝わってきて
今年見たアニメの中では一番「アニメーション技法」がすごいなぁと思った。
バックで演奏している管弦楽団の演奏の動きすら、本当にそのBGMを演奏する奏者の動きを参考に
(トレースしながら?)描いて動かしたらしくて、それ毎週放送するアニメでやる
動画コストじゃねえでしょ、と思ったw
「そこまでやるくらいなら、実写で撮った方が早いじゃん」
と思うかもしれない。
そこで実写にしないで描くということに意義があり、それがアートだと思う。
だからこの部分は特に芸術点がたけえ! と舌を巻いた。
あと、私はフリーレンが始まってすぐに見始めたわけじゃなく6〜7話まで放映終わってから
追いかけ始めたんだけど、筋トレしながら1話から最新話までを一気見したら
何箇所も繰り返し泣かされて涙と鼻水ずるずるにしながら筋トレする羽目になった。
その日はそのあとずっと頭痛だったw
リンク:るろうに剣心 −明治剣客浪漫譚−(全24話)
るろ剣は原作マンガが連載開始から終了までリアタイ勢だったし、最初のアニメ版の方も見ていたので
今回の新アニメシリーズも試しに見てみたが、結構いい感じだ。
最初のアニメ版の剣心は涼風真世さんだったけど、確か一番最初にボイスドラマCDが出た段階では
緒方恵美さんだった気もするし、それが今度斉藤壮馬さんになったからといって
「えぇー元と同じ人が良かったー!!」
というほどの強いこだわりはないので、そこに拒絶反応もなかった。
強いて言えば、斉藤壮馬さんの声を聞いていると条件反射で『憂国のモリアーティ』を見たくなるという疾患に罹っているため
その衝動を抑える方に苦労したかもしれない。
むしろ、他のキャストも一新されているので、全体的に新鮮味があっていい。
ナレーションが関俊彦さんなので、「なんか度々モモタロスが実況するのなんだろう?」とか思ってしまった。
やっぱ実写版剣心が野上良太郎だからか?
それにしても、私は佐藤健さん主演の実写剣心をまだ見ていないので、そっちも見たほうが良いと思う。
佐藤健さんだけでなく、三浦涼介さんも出ているし。
そういう意味では、今回のアニメ版のOP曲は菅田将暉さんが担当していて
「え、それはじゃあフィリップじゃん」
と思った。
リンク:Dr.STONE 第3期(全22話)
もう完結まで原作を読み終えているのだから、何がどうなるのか話の筋は先の先まで知っているが
やはり見てしまうし、知った上で面白い。
特に、今回のシーズンでは司が復活するところまで来たので、私はあのあとの
「千空だけひび割れが残ってる」→「じゃあひび割れが消えたみんなも戦化粧しよう!」
っていう流れが大好きなので、とてもとても胸熱だった。
呪術廻戦では五条先生が獄門疆に封印されたのに、Dr.STONEは司が復活して、
この時期が重なったのめっちゃ面白いなと思った。(中の人関係の話)
リンク:TVアニメ『MFゴースト』(全12話)
『頭文字D』の正統続編的な形で描かれているしげの秀一作の漫画のアニメ化だけど、
「あ、これは求めていたものが返ってきた」
という感じがした。
ナレーションは三木眞一郎氏ということで「最初のアニメ化のときの拓海だ!」と思ったし。
何より、2回目のイニDのアニメ化では、バトルBGMがユーロビートでなくなったことが
自分で思っていた以上にショックというか、「ユーロビートが流れていたことがこんなに大事だったとは」
と改めて思い知らされたというかで、『MFゴースト』だと「走るぞ!」ってところでユーロビートが流れたのが一番
「そう、それそれ!」
感があった。
大半の曲が流れる尺短いのがもったいないけど。
それから、主人公が運転中以外はただの礼儀正しいおとなしい青年っていうのも良いんだよね。
イニDでも、普段ちょっとぼーっとしてる感じの拓海が、ハンドル握って走り出すと
良い意味でギャップ出してくれるところが好きだし。
(ここで主人公夏向(かなた)がCV内田雄馬さんだったために、「内田さん忙しいな」と思ったw)
話としては、絶対ここからが面白いところじゃん! と思うので、次期に期待。
リンク:SPY×FAMILY Season 2(全12話)
久しぶりにヨルさんが「しっかり殺し屋業をしている」場面が出てきたなw
スパイファミリーは、アーニャたち3人が「家族」になるまでの経緯は、ちょっと特殊だけど
「そういう家族像や家族のカタチ、家族の暮らしがあってもいいよな。なんか幸せそうだもん」
と思えるところが好き。
でも夜帷が出てくる回だけ、私はソワソワする。
夜帷がどんなにロイドを好きでも、正ヒロインはヨルさんに変わりないだろうから、
あの恋が報われることはないんだろうな、と思うと、本人が
「自分、報われないんだろうな」
とは全然思ってなくて
「絶対自分が妻になってやる」
って思ってる空回り感が見ててソワソワする……。なんだろ、笑い事に思えないというかw
この人いつ「失恋」するんだろう、そしてそれを自覚したときどうなっちゃうんだろう、みたいな。
作品完結までにそういうシーンが描かれなかったとしても、いつかそういう日は来るんだろうな
っていう想像だけでソワソワする。
『ストップ!!ひばりくん!』原作マンガの高円寺さゆりを見ているときの気持ちなんだよ。
だからこそ、『ストップ!!ひばりくん!』はアニメ版で高円寺さゆりと梶みつををくっつけたのかな……。
リンク:薬屋のひとりごと
これも1話からすぐではなく、何話か溜まってきてから追いかけ始めた。
悠木碧さんの「冴えない女子」風のお芝居が面白い。
悠木碧さんといえば、まず最初はまどマギのまどかで知った感じだけど、
最近だとヒロアカの梅雨ちゃんやってて、それがまどかと全然違うのでギャップ面白いよね。
薬屋の猫猫は、どちらかというと梅雨ちゃん寄りかもしれないけど、
「主人公女子にしては、あえて華やかさをオミットした感じ」の発声とか芝居をしていて
それが猫猫の個性を際立たせていて良いと思う。
あと、私も、
「見た目が美しくてそれに自覚を持っていて、あまつさえそれを利用しさえする美形の男」
って憧れより警戒を強く感じてしまうので、猫猫が壬氏さまを冷めた目で見てるのがわかるところあるし
壬氏さまは壬氏さまで見た目以外のところに個性と魅力があるのに、そっちを本人が活かせてないわけだから
その不器用さもそれはそれで「完璧超人じゃないからこそ良いね」ってなるのもあるかな。
【番外編】
「番組」以外の作品も紹介したい。
今年は、コンシューマー機だとモンハンサンブレイクとあつ森がメインで、
PSだとBeatSaberがメインだったから、新作に触れたのは大体Steam上だった。
コンシューマー機に配信されないようなPC向けだから出せる尖ったインディーに色々出会えて良かった。
私のアンテナは鈍っていない。




おかしい。
今年Steamで遊んだゲームのプレイ時間比率の中で52%を占めているゲームのプレイ時間が6000時間を超えている。
一年は6360時間で構成されているはずだ。
52%のゲームが6000時間だと、他のゲームと合算したときに1年を超えてしまう。
まぁ、これは、同時起動しているものが色々あったから、で全部説明がつくけどね!!
というわけで今年遊んだゲームをざっと紹介していくよ。
個別の記事が立っている場合もあるよ。
リンク:Legend of IdleOn
今年一番起動時間が長かったゲーム。
放置ゲーだから、操作しないでただ起動してAUTOをONにしておくだけで、
勝手に経験値が溜まってレベルが上がり、勝手にアイテムや素材が集まり、強さがインフレしていき
というゲームなんだけど、今までにやった放置ゲーの中で一番楽しい。
3月から遊んでいるのに、ずっと楽しいまま年を越そうとしている。
このままプレイ期間1年を迎えても、まだずっとハマってそう。
何より、「頑張らなくていい」ところがいい。
そして、何もかもが「コレクタブル要素・図鑑を埋める作業」のように、地味な収集で
一方たまに操作を要求する部分ではちゃんと「ゲーム」をさせてくれる。
特にW4のRiftとかは工夫やプレイスキルを要求される側面があり、
「ゲームしている!」
って感じがしていい。
それ以外は、放っておいても勝手に育ったり物が集まったりするし、それを時々使って
「さて、放置中に集まったもので何をしようかな〜」
と考えるのが楽しい。
物が集まったうえで尚、何もしなくてもかまわんしw
とにかく、やりたいようにやればいいし、やらなくてもいいのがいい。
他の作業と完全に両立できるし、やるときはやるときで楽しくやれる。すgほい。
リンク:Rock Simulator 2
これも放置ゲーなんだけど、本当にやることがほとんどない。
IdleOnはやることが多い放置ゲーなんだけど、こっちはあまりにもやることが少なすぎるかもしれない。
ただ眺めるだけのゲームで、「風景シミュレーター」に近いからアヒルを浮かべるやつに近いかも。
それに、結構グラボのスペックを要求する。
(そして、4080とかのグラボを嬉々として稼働率100%だのOCするなどして、このシミュレーターを楽しんでいる人がいる)
リンク:Fidget Spinner RPG
これも放置で素材を集めて装備を強化して、転生して、更に強化して……とやっていくRPGなんだけど
基本的に画面ではずっとハンドスピナーが回っている。
クッキークリッカーでクッキーを増やすと、更にクッキーを増やす機構が解放されるように、
ハンドスピナーを回すと、更にハンドスピナーが高速で回る機構が解放され……という感じだから
「クリッカー」ジャンルの放置ゲーだよね。
これも、無駄に凝ったエフェクトがハンドスピナーの回転映像を演出するため、
ハンドスピナーではなくグラボが高速回転する。
うちにはハンドスピナーはない。
生まれて初めて買ったハンドスピナーがこのゲーム。
リンク:デイヴ・ザ・ダイバー
ローグライクのような「入るたびに地形や生態系が変化する海」と、夜だけ営業する寿司屋を交互に行き来して進めるRPG。
発売前から楽しみにしていて、「放送で遊ぶかどうか考えるためにちょっとだけ起動してみようかな」
と思ったら面白すぎて、大半を放送外でやってそのまま終わらせてしまったw
放送で2周目やるかな。
くらげぱーてぃ🥳
リンク:Capybro
カピバラが、道中にいる友達の悩み事を手助けしてあげながら温泉に行くゲーム。
インゲームタイムが測れるので、RTAを意識して作られていると思うw
一番タイムロスが発生しそうなのは、「平均台渡り」みたいなことをする必要があるミニゲームの中で
途中落下して最初からやり直しになるケースだと思う。
ゲームとしてのボリュームはそこまででもないので、タイムアタックのためにフルゲームプレイするとして
1周は長くないからTAしやすさという意味では「かなりしやすい」部類かもしれない。
リンク:GARAGE ガラージュ
一体全体どんな「奇ゲー」なんだ? と思って実際にプレイしてみたら、
道代にボロボロに泣かされ、2周目は放送でジュースルートをやった。
道代ルートは「”世界に自分たちしかいなくていい”みたいな共依存からの脱出」という感じがした。
ジュースルートも一種の「共依存からの脱出」の性質があるように思うが、
ジュースルートの場合は、外のジュースが他界しているという点が道代ルートと違ったかな。
道代の方は、外の道代は死んでいない可能性が残されているし。
なんにせよ、奇ゲーどころか純愛シミュレーションだったので、良い意味でびっくりしたし
世間の「奇ゲー」という評価が覆って欲しい。
リンク:Pineapple on pizza
謎のゲーム。
ゲームなのか? これは。
丸い孤島に降り立って、何をしたらいいのか特に指示もないのでウロウロしているうちに
島の中央の火山が大噴火する。
実績が16個あって、全部獲得した。
なんだったんだ、これ……。
リンク:Wattam
謎の感動があるエンディングだった、『塊魂』の人が作ったゲーム。
プレイ最中は、「このゲーム、既存のあらゆるジャンルに当てはまらない謎のゲームだな」と思い続けていたんだけど
終わってみたら「えー感動!!」ってなってしまった。
多分、プレイした本人しかそうならないんだけどw
傍で見ているだけの人は、感動して泣くほどではないと思うw
自分でプレイしたっていうプレイ体験があってこその謎の感動だったんだろうなぁ。
そう思うと、みんなに自分自身の手であの世界を歩き回って欲しいなと思った。
リンク:メグとばけもの
これはめちゃくちゃ泣かされたなぁ。
「なんか泣かされそうだな。放送で号泣するハメになったらセリフアテレコどころじゃなくなるなあ」
という少しの不安を抱えて買って始めたけど、まさにその通りになってしまったw
動画化してブログ記事も書いてあるので、詳しくはそちらを参照してほしい。
リンク:Call Hating
体験版で、ひたすら「バールのようなもの」を使ってゴキブリ退治をする羽目になり
その上、それが結構難しくて何度も失敗したし、「一体なんのゲームなんだ……」という感想になったが
結局製品版を50%OFFで買ってしまった。
そして、すごく面白かったので、あの体験版をやって
「これは買わないわ」
と思った人にはちょっと待って欲しいw
実は買って損はないかもしれない!w
生放送で1周目をクリアするまでの終盤を、開発者が見守ってくれて面白かったw
日本語化もするべきだと思う? と尋ねられたので、Yes!! と答えておいた。
リンク:Choo Choo Survivor
いわゆる、「ヴァンサバライク」つまり、今では「サバイバー系」と呼ばれるジャンルのゲームだが
これの場合は、線路の上を走る列車でサバイバルするので横一直線にしか移動できない。
強いて言えば、前進するか後退するかがあるだけだ。
でも実績を解除すると、より強い列車や武器が解除されるあたりはヴァンサバライクとして
そのまま面白い要素だし、30分生き残るのではなく所定の位置まで走ることがクリア条件になっていたり
完全にヴァンサバと同じルールというわけでもない。
リンク:Hexcells
これは、MFTさんからギフトで頂いたものなんだけど、簡単に言うと「6角マインスイーパ」であり、
Switchでも出ている『六方 論理』というゲームとほぼ同じ脳みそを使うので
『六方 論理』クリア済みの私には、ルール理解が早くでき、その上で新しいパズルを遊べて、
2や3になると、『六方 論理』にはなかった要素(2周外側の分まで数えないといけなくなる麺)が出てくるので
結構手応えもあってよかった。
論理パズル好きにオススメできる。
リンク:スイーツプッシャーフレンズ
お菓子をショベルで掬ってプッシャー台に乗せ、押し出してもらうタイプの
ゲーセンにあるゲームのシミュレーターにあたるもので、古銭プッシャーフレンズの開発元の
古銭プッシャーの次の作品。
ただ、古銭と比べると、お菓子の箱が掬いにくくて(まぁそこがゲーム性なんだけど)
マルチプレイをしてもなかなかフィーバーが発生しないので、古銭の方が長時間没頭できる感じはする。
リンク:たこパ サバイバル
腱鞘炎になりかけるゲーム。
サバイバルするには、栄養素を満遍なく摂取する必要があるが、序盤、アップグレードが不十分且つ
食材の種類も限られている間は、どう均等に食べようとしても、カロリー過多になって
タンパク質などは不足になる。
カロリー過多だと、そもそも焼いたたこ焼きを食べられなくなるので、そのまま他の栄養素が足りずに死ぬ。
それを回避するには、フィーバー飴を集めてフィーバーを発生させ
「どれだけ食べてもカロリーゼロ!」
というシチュエーションを引き起こす必要がある。
最大4人で卓を囲むことができるので、フィーバー飴が食材皿に出てくるまで全員が食材リセマラをしていくと
結構頻繁にフィーバーが起こせるかも(ソロプ比で)。
リンク:古銭プッシャーフレンズ2
古銭プッシャーの続編で、1作目では台が円形でそのまわりをぐるぐる回るように移動しながら古銭を発射していたが今回は横移動のみ。
台が円形だった1作目では、正面に向かい合ったプレイヤーと直接「投げ銭」をし合えるというところも
ある意味面白かったが、今回はそれはできないものの古銭ジャラジャラの楽しみは相変わらず味わえるし安い。
これ以外にも、色々な(日本語化すらされていない)体験版を色々遊んで、
色々な発見と楽しみのある1年だった。
<漫画>
リンク:東京卍リベンジャーズ
アニメの1期(2クール分)を2022年にに履修済みで、その最終話である24話の終わり方が
「このあとどうなるんだよおおおおおおお!!!」
という発狂レベルの引きだったから、そろそろ続きもアニメ化されんかな……とぼんやり思いつつ
また1期を一気見してしまった。(12月13日)
そして、10月から天竺編の放映が始まっていたことをその時になって知るが、
TV放映の直後にネットでも配信するスタイルを取っていないため、
結局今すぐ続きを見られないことには変わりなかった!!!
そこで、Reader Storeでもらったポイントを使って、漫画の9巻から読み始めた。
ここがアニメの1期24話の部分から始まるので。
「これで続きがどうなるのか知ることができるぜぇ〜〜〜〜へっへっへ
しかも漫画原作、完結済じゃん! その気があれば結末まで読めるってことじゃん!!」
と思って読み始めたら、全く止まらなくて最終巻の31巻まで一晩で読み切ってしまった……。
あぁ、朝日が眩しくて、そして爽やかだぁ……。
映画は『インセプション』や『RRR』『バーフバリ』などを見た。
『RRR』はウォッチパーティもしたし、『バーフバリ』も面白かったのでブログ記事を個別で立てようと思っていたのに
後回しになっちゃってる。
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