映画館で観てきました、ちゃんと!
上映開始が去年の12月なので、さすがにそろそろ劇場上映自体終わるだろうし、
「来週は上映している保証ないな、今週行かねば」
と思い、土日にテレビシリーズを2周復習してから行きました!
『劇場版 呪術廻戦 0』公式サイト
上映開始が去年の12月なので、さすがにそろそろ劇場上映自体終わるだろうし、
「来週は上映している保証ないな、今週行かねば」
と思い、土日にテレビシリーズを2周復習してから行きました!
『劇場版 呪術廻戦 0』公式サイト
(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)
テレビシリーズの履修は、2021年中に済んでいて、映画も映画館で見たいとは思っていました。
ただ、上映開始時期となった2021年クリスマス頃は、コロナの方がまた波になってきて、(あれは第6波に相当するのかな)
県内・市内ともに、これまでより急激な右肩上がりの感染者数になっていたため
上映スタート直後に人混みに行くっていうのはちょっと怖くて保留にしていたんですね。
この間、オーズ10thを見に行った時に、同じ映画館でハシゴできたらするつもりだったのだけど、
どうにも上映時間のかみ合わせが悪かったんですよね。
そんな中――。
4/14にこれを見かけて、
漫画作品のミュージカルや舞台化って見に行ったことがないけど、
「三浦涼介さんの五条悟は、間違いなく&すさまじくピッタリだろうな……!」
と思いました。
このキービジュアル風写真だと目隠ししているけど、目隠し外すシーンだとしても「まんま」感がすごそうで、
想像しただけで「それはちょっと現物を間近で見たい」と思ってしまったほどに。
うん、三浦さんの領域展開は見たすぎる。夢がありすぎる。
ただ、舞台って、私はただでさえ視力が低すぎてよく見えないから、
dアニメとかで映像配信されたときに見る方が舞台上がよく見えそうというのがあって、
舞台そのものを現場に見に行くかはすご〜〜〜く迷うところなんだけど……。
こうやって箱物使ってやる興行は「現場に見に行く人があってこそ」継続できるものだと思うから、
自分にとって良く見えようが見えまいが、応援したいなら行くべきだと思うんですけどね!w
(もっというと、現場に見に行った上で円盤とかを買うべきw)
だって、三浦さんの領域展開だぞ!?!?(念押し)
見たら絶対「ふわぁ〜〜……五条悟やぁ〜〜……ある種の構築術式やぁ〜……」ってなると思いますw
そこに、畳み掛けるようにこれですよ。
コトダマンは、私が今までにやったスマホのゲーム(そんなに沢山のゲームをやったことないけど)の中でも
「ゲームシステム面をめちゃくちゃ評価できるゲーム」なので、コラボとか関係なく
そもそも「ゲームとして面白くて」初期からやってます。
私が始めたときは、アニメのコラボ第1弾前だったはずです。
――が、ひとたびコラボイベントが始まってからは、色々なアニメ・特撮とかのコラボが常に開催されているので
好きな作品とコラボした時に、満を持して溜めてた石を放出してガチャ回す……という感じで遊んでいますw
200連回して五条先生出なかったけどね!!?!?!?(´;ω;`)
コトダマンには「検定」っていうコラボクエストがあって、要は「カルトクイズ」なんですよぉ〜。
テレビシリーズ「呪術廻戦」のクイズと、「劇場版 呪術廻戦0」のクイズがそれぞれあって、
「劇場版まだ見てないから、カルトクイズ多分わかんねええええ」
ってなるじゃないですかー。なったんですよー。
……だから、この「検定」でどんな問題出ても「知ってる知ってる余裕余裕」ってなるために
映画見に行くしかないわーと思ったんですよーーw
何回も「検定」に挑戦して、問題と答えの組み合わせを暗記していけば、全問正解は出来るけど、
それってただ暗記しただけで「理解できてる」わけじゃないから……。
「問題」っていうものは、「理解」して回答したいじゃない?w したいのよ私は!!
それに、これはそもそも論だけど、「これから見ようと思っている映画のカルトクイズ」を先に見たら、
ある種「問題文と回答でネタバレ不可避」でしかなくないですか!?www
さっさと観に行ったほうがよくないですか!?!?!?ww
それに、最近またオーズを見ながらオーズ考察ブログ記事の続きを書いていたら、
「三浦さんが五条悟の役作りをする上で、何を感じたり、工夫したりするか」
ということを、想像の上で追体験したくなったんですよね。
ちょっとこれは、書いても上手く伝わらないことかもしれないんですけど……。
「この役者さん・声優さんが、このキャラを演るとして、どういうふうに演るだろうか」
っていうのを脳内でシミュレーションするのが好きなんですよ。
例えばですけど
「アニメ化されていない漫画を読みながら、好きな声優さんに“脳内でアフレコ”してもらう」
っていうのはやる人が結構いると思ってます。
私はそこをもう一歩踏み込んで、
「その声優さんがそのキャラクターを実際に演じるとして、どういう理屈で役作りを進めていくだろうか」
っていうところまでシミュレートしてみるんですよね。
インタビューで、役者さん・声優さんが
「こういう風に解釈したからこういう演技をした」
という話をしているのを読んだ時に、
「解釈の一致……私も自分がその役を演るとしたら、その表現を試みたと思う……(上手くいくかは別にして)」
ってなることがあるんですけど、そういうのを積み重ねていくと
「じゃあこの人がこの役を演じるときは、こういう理由でこうするかもしれない」
の想像も広がっていくようになって、そのシミュレーションをすると自分の引き出しも増えていく感じがします。
そしてまた次にその人が何か演じるってなった時に
「この役者さん・声優さんなら、こういう理由でこういう演技を試みるかもしれない」
っていうところまでを想像する。
更に「実際どう考えたんだろう」というのをインタビューとかで読んで答え合わせ体験を繰り返していくみたいな。
そうやって、「自分でない人(好きだな、すごいなと思う相手)が、どういう風に物事を解釈して表現しているか」を
想像し、知り、引き出しにしまっていくんですけど、私にとってはこれが「ファン行動」のひとつでもあり、
自分の勉強でもあるんですよ。
だから、三浦さんが五条悟を演るってわかった以上、まず私の中で
「三浦さんは果たして五条悟をどう解釈し、どう表現するか」
を想像・シミュレートしておいてからじゃないと「答え合わせ」ができないじゃないですか。
どうしようもなくすぐに自分の中で考察したくなって、テレビシリーズの復習をして、その足で急いで映画を見に行かなきゃ!
ってなったんですよねw
そんなわけで!!
興行成績が良いのもあってロングラン上映となっているおかげで、多分「滑り込み」くらいのタイミングだけど見に行けました。
見た後だから言えるけど、本当に間に合って良かったです。これは間違いなく映画館で見るべき作品でした。
んじゃ、ここから感想本題ですw
■特盛!!
見てる最中も色々思いましたが、「見終わったときの総括としての感想」は、まず第一に
ボリュームすげええええええええ!!!
っていうことでした。
でも同時に「詰め込みすぎ」じゃない!! このバランス感覚!!
映画を1本見たというよりも、テレビシリーズの1クール分を一気見した時と同じくらいの情報量、密度、充実感、視聴後感というか。
「映画1本っていうか、今“12話”あったよねぇ……? え……?」
ってなりました。
12話って、一気見するならざっくり6時間要るわけじゃないですか。
6時間見たかのような濃厚な2時間だったな、っていう。
いや、厳密には「1時間45分」だそうですよ。……マジ?
今、上映時間調べて1時間45分って書いてあって、「あれで2時間なかったの!?」って改めてびっくりしてるんですけど。
2時間半は下らなかったと思いますけど!!w
じゃあやっぱり改めて特盛です。
それだけ、構成とかが巧く出来てるんですよ。
まず今作で中核となる乙骨憂太という人物のバックグラウンド(素性)の説明を1からしなきゃならん上に、
(それが「原作は読んでないけどTVシリーズは見た」という乙骨を知らない人にも違和感なく伝わるようにやって、ですよ)
その主人公がそれまでと違った境遇に身を投じて、そして一皮むけるまでの成長物語として完結させるという
「当たり前かもしれないけど、よく考えてみれば2時間弱の尺の中でやろうとしたら色々工夫は必要である」ことを
しっかりメリハリつけてやっているんですね。
仮に、映画というコンテンツに「芸術点」とか「技術点」とかの点数をつけるとして、この
「脚本の出来(主人公の身に起こる出来事と成長を過不足なく描く)」
っていうのは「技術点」の採点項目になるかと思うんですけど、それがまずものごく高いなという印象なんです。
乙骨憂太が、TVアニメシリーズのみ見た人間からすると「今初めて知った人」だけど、
この映画で「ちゃんと主人公してる」んです。
スピンオフとしてものすごく良く出来てるってことだと思うんですよ。
乙骨先輩ってTVシリーズ24話までの部分だと、見た側は
「名前だけは出てくる」「手放しで尊敬できるって言われてる」くらいの情報量でいるので
これがほぼまっさらで見る乙骨先輩という存在なわけじゃないですか。
映画の中で、「尊敬できると言われてる所以」が垣間見えるところまで持っていきつつ、
ちゃんと「あ、この人もちゃんとイカれてるんだな」ってわからせて、
最終的に「あ、この人好きかも」って思わせるのすごいんですよね。
その上でですよ!!!
私がこの作品が「特盛」だと思ったのは、乙骨の物語をここまで描ききった上で、
既出キャラクターたちそれぞれにも見どころを必ず用意してきてるからなんですよね。
どのキャラクターが好きな人が見ても、「自分の好きなキャラが活躍してる!」って思える場面があるんですよ、見どころてんこ盛りですよ。
もはやおかしくないですか? 何人いると思ってるんですか。時空歪んだでしょ。無量空処かよ。
それが一番「今12話分見たよね?」って思った理由ですね。
でも、「色々盛り込もうとしてるのはわかるけど、結果としてまとまりがなくなってる」とはならないバランスもすごいです。
既存の作品で喩えるならば、ハリーポッターとかも同じ手法の作品だと思います。
ジュブナイルの王道のプロットというのかな。
ざっくりした作りは、
主人公は問題を抱えている、または辛い境遇にある(現実に倦み疲れている)
↓
今まで全く知りようがなかった世界に放り込まれる
↓
この時点で、「主人公の知らないこと」=「視聴者の知らないこと」なので、
主人公が知らないことを知っていくことで視聴者も一緒にその世界を知ると同時に主人公に感情移入していく
↓
今までと異なる境遇で主人公は才能を開花させて自己実現へ至る(視聴者がカタルシスを得る)
という起承転結の構成なんですね。
その中で、「新たな登場人物との関わり」とか「様々な関係性の中での主人公の成長」とかも描いていくでしょう?
だからハリーポッターはあれだけ長編で、「今回はこの人物とハリーを掘り下げます」って感じで1年ずつ分けて描いて、
映画でも8本構成になってるじゃないですか。
――という風に、1本の中に込められるものってやっぱり限られていて、
欲張りすぎると何を描きたいかわかりにくくなるからフォーカスを絞る必要があるわけです。
その時にこそバランス感覚が問われるんだな〜と思います。
「引き算のセンス」というか。
今作『呪術廻戦0』は、誰に何をさせたいかとか、乙骨との関わりはこの人とこの人にだけフォーカスを当てるとか
やりたいこと・見せたいことが明確かつ良いバランス配分になってるので、
「みんな見どころがあった、わかりにくいところはなかった。密度が濃かった」
って感想になって、すごいな……と思いました。
映画って「尺は長いけど内容が散漫」とかだとダレることもあるし、
「尺が短いけど内容盛り込みすぎ」だと主題が印象に残らないこともあるだろうし、
そういう意味で上でも書いた「映画における“技術点”」っていうのは、
この2時間くらいの尺の中での脚本のバランス感覚そのものだろうな、と思ってます。
すごく勉強になる1本ですね、これ……。
RPGでも漫画でもたまにありますけど、「1対1×n」「少人数のグループ行動×n」みたいな構図好きなんですよね。
「交流戦」もまさにそれでしたし、ゲームだとFF6とか。
今作も、その構図をうまく活かしてるなと感じました。
色々なキャラクターに見どころを作る時に良い手法ってことなんでしょうね。
百鬼夜行の対応に向かってる人たちと、乙骨側と。
同じ時間に、異なる場所で、共通の目的のために。
「スタンドプレーから生じるチームワーク」というやつですよ。(by攻殻機動隊)
それで、更に「本編」の方で「百鬼夜行」の噂はされているので、
「そんなことがあったんだー」
と頭の片隅に置いておいた情報の「実際」を見て理解できるようになってるのですごいですねぇ。
例えば「七海が黒閃を4回出す」とか。
■速い と すごく速い と ありえないほど速い
そんな、色々なキャラクターの見どころ、やはりアクションシーンがすごいです。
これはやはりわかりやすい視覚的な刺激を沢山受けるので、「1回見たきり」だからこそ
今、強く印象に残ってるというのがあると思います。
何度も見ていくと、また新たな発見があって「違う味してきた!」ってなっていくと思うんですけど、
見てる最中や直後に一番「うわ、すごい」ってなったのはやはりアクションシーンの
疾走感、迫力、重量感等々でしたね。
もう、描いたスタッフさんらの熱量がそのままスクリーンから燃え出てくるような感じで
「よく考えてもみろよ、この映像の1フレーム1フレームが絵なんだぜ!?」
っていうことの重みをひしひしと感じました……。
「こういうアニメーションが日々作られている日本っていう国は本当に素晴らしい娯楽大国だな」って。
「絵を動かすことで」あの映像を作り上げているのよく考えてみりゃ本当におかしいんですよ。
みんな小学生の頃に、教科書のページの隅でパラパラ漫画作ったことあるでしょう????
(というか、パラパラ漫画のためにわざわざ分厚いノート買ったし!)
で、「アニメーションって大変なんだなぁ」って思う体験をしてるでしょう??????
してない?????? じゃあ今からして??????????
棒人間を走らせるだけでも大変ですよね!!!!!!!!!!!!!
だから、アニメ見てると、背景のパースに合わせて人物を配置して、しかもカメラを回転させながら
人物にバラバラの動きをさせるっていうアクションシーンを見ている時に、
「なんかもう凄すぎて笑うしかない」っていう意味で顔がニヤけて来ちゃう時とか、
もう涙すら出てくるときがあるんですけど、この映画にもそれがあって、
「はぁ〜もう笑っちゃうなこれw」ってなりましたね。
当然褒めてるんですよ?w
「今、よくカメラ回り込みながらそのキャラにその動きさせたな!?!?」みたいなことの連続なんですよね。
そういう感嘆の意味のため息とか笑いが思わず漏れちゃうシーンが何度もありましたね。
カメラが固定ならまだわかるんだけど、カメラもドローンみたいに動かしちゃうから。
それで、中でも速さの表現が特にすごくて、見ている人に「速いんだ」って思わせるだけじゃなくて、
「速さの段階」まで伝えるための工夫を一番感じたんですよね。
ここは本当に力説したい。
夏油が「更に速い!!」って言うシーンは、夏油がそう言うが早いか、こっちはもう
「さっきより速くなってる」って“目で”感じてて、そこに夏油の台詞が重なってきて「そうそう」ってなるんですよ。
つまり、夏油が「更に速い!!」って言ったから「更に速くなったと感じた」という順序じゃないんです。
「台詞でそう説明したから、そうであったように脳内で補完した」んじゃないですよ。
漫画だったらそうなる部分は少なからずあるんですけど。
なぜなら漫画は動かないから、線の描き方やエフェクトの加工などを使って、絵の上でもなるべく
「更に速くなった」ことを表現した上で、「更に速い」という文字情報を付記するんですね。
それで文字情報も同時に取り込んだ結果、読み手の脳内で
「さっきよりも更に速いんだな」という想像の補完がかかるというのも間違いなくあるわけですよ。
それが出来るのが漫画の手法なわけで。
じゃあ、これを「本当に絵を動かしながら、速度が違うことを表現する」としたら?
台詞で「更に速い」と言葉が乗ることにに甘えない、みたいなことですよ。
台詞の「更に速い!!」っていう音声が仮になかったとしても、目で見て「速度の違いがわかるようにしろ」ってなったときに
どうやってそれを描いて表現したら、見てる人が映像から「時速の違い」を感じられると思います?
時速20kmで走る車と時速200kmで走る車を実写で撮ったら、実際に速度が違うのだから
目で見てそれがわかるけど、「絵で描いて、時速20kmと200kmの差が感じられるようにしろ」
っていう課題をどうクリアするかってことなんですよ。
まぁ20kmと200kmは、明確に差が大きいから書き分けもしやすい方だけれど、
この作品がやってるのは180kmと200kmと220kmをそれぞれ書き分けるようなことなんですよね……。
それに気付いた時に、ビリビリ〜っと来ましたね。
そこまで何段階もの速いシーンがすでにあって、これ以上はないんじゃないかって思ってるところに
更に上乗せしてくるから「極限を超えたスピード」っていうのが感じられて、
「あぁ〜今、私は、夏油が『更に速い』って発言するよりも先に『更に速い』と感じ終わっていた。
つまり、映像だけですでに『更に速』かった。その意味ぃ……。(絶句)」
っていう顔になりました。
私はエヴァンゲリオンの直撃世代なんですけど、エヴァの映像的な表現で特に秀でていたなって今でも思うのは
「重量感」「質量感」だったんですよね。
「本当にそこに、重たいものがある」とアニメーションで感じさせる表現です。
絵にそれまでと異なる質量表現が加わった作品だったんだな〜と思うんですよ。
だから逆にスピーディというより、「重すぎて遅い」とか「加減速」の速さ表現のほうが
それに合っていたし、活きていたと感じています。
重いもの同士がぶつかったとか、重いものがのしかかってきたとか、重いものを投げ飛ばすとか。
でも、今は比較的「素早さでアクションを魅せていく」のがトレンディともいえる時代にあると感じていて、
速く見えるっていうのはアクションシーンを派手にしてくれるから、
喩えるなら味のわかりやすい調味料みたいなものだとも思うんです。
でも、ちゃんと動かしながら「速さの差異」を感じられるように表現するなら
それはそれでやっぱりすごく工夫要るんじゃないか!? と気付きましたし、それに加えて
「遅いと速い」の書き分けじゃなくて、「速い と すごく速い と ありえないほど速い」の書き分けがされている
というのが、もはやおぞましいな、呪いか何かかよ……と思いました。(呪)
いや、これは多分比喩になってなくて、「乙骨のバトルシーンの速度表現」には、執念を感じましたから
あの映像、ちゃんと呪われてると思います。
ただ「速いから派手〜!!」っていうところで満足しない、みたいな執念がありましたね……。
特急過速怨霊……。
■その他
これ、作中で明言はされていないからこそ逆に「ニクい……!!」って思ったんですけど。
まず最序盤、私が思ったことは、
「五条先生の目隠しが白いな?」
ですよ。
まぁこれは誰でも気付くし「あれ?」って思うじゃないですか。
そして、「なぜこの1年後、黒くなってるんだろう」という疑問が湧きますよね。
その答えはちゃんとあるんですね。
「喪に服してる」からなんだな……うわぁー……ってなって。
でも、「喪に服してるからだよ」みたいなことは一切言わなくて、
ただそのことが話の流れから察することが出来るようにだけ作られていて、
それはズルすぎるんよ……っていう余韻で映画館を出たっていうことですかねー……。λ.....トボトボ
やはり、本編の方で我々が知っている、2年の先輩とか五条先生とかの「1年前を知る」っていう要素もこの映画にはあるわけで、
その中でもこの部分の演出は、クソデカため息モノでしたよね。
あとは、緒方恵美さんというキャスティングも素晴らしかったですよねぇ……。
エンドロール見ながら、
「緒方さん、『歌:乙骨憂太(CV:緒方恵美)』としてエンディングテーマ曲カバーしたら合う、ヤバイ……」
と妄想するくらい良かったですね。(それは比喩なのか?)
なんか全てが調和してました。
あぁーハンカチ持ってくるの忘れたあああ! って思って、映画までの余った時間で
すみっコぐらしのハンドタオルを急遽購入しておいて良かったです。
この芝居を何度も聴けるっていうだけで、Blu-ray買う価値があると私は判断したので
Blu-rayを予約しようと思ったんですけど、まだ円盤の商品情報って出てないんですね!?!?
てっきりもう予約開始してるかと。
予約始まったら絶対しよう、そうしよう……。
とても良い刺激をもらったので、私も頑張ろうと思いました。
テレビシリーズの履修は、2021年中に済んでいて、映画も映画館で見たいとは思っていました。
ただ、上映開始時期となった2021年クリスマス頃は、コロナの方がまた波になってきて、(あれは第6波に相当するのかな)
県内・市内ともに、これまでより急激な右肩上がりの感染者数になっていたため
上映スタート直後に人混みに行くっていうのはちょっと怖くて保留にしていたんですね。
この間、オーズ10thを見に行った時に、同じ映画館でハシゴできたらするつもりだったのだけど、
どうにも上映時間のかみ合わせが悪かったんですよね。
そんな中――。
4/14にこれを見かけて、
舞台 呪術廻戦
— 三浦涼介 (@ryosukemiura216) April 14, 2022
五条悟役を演じさせて頂きます。
原作ファンの皆様と同じ気持ちでこの作品をさらに愛し、五条悟という人物をいかに実在させられるか追求して参ります。
精一杯に役を演じ心を込めてお届けします。
何卒宜しくお願い致します。#五条悟 #呪術廻戦 pic.twitter.com/C2gQPaVWF8
漫画作品のミュージカルや舞台化って見に行ったことがないけど、
「三浦涼介さんの五条悟は、間違いなく&すさまじくピッタリだろうな……!」
と思いました。
このキービジュアル風写真だと目隠ししているけど、目隠し外すシーンだとしても「まんま」感がすごそうで、
想像しただけで「それはちょっと現物を間近で見たい」と思ってしまったほどに。
うん、三浦さんの領域展開は見たすぎる。夢がありすぎる。
ただ、舞台って、私はただでさえ視力が低すぎてよく見えないから、
dアニメとかで映像配信されたときに見る方が舞台上がよく見えそうというのがあって、
舞台そのものを現場に見に行くかはすご〜〜〜く迷うところなんだけど……。
こうやって箱物使ってやる興行は「現場に見に行く人があってこそ」継続できるものだと思うから、
自分にとって良く見えようが見えまいが、応援したいなら行くべきだと思うんですけどね!w
(もっというと、現場に見に行った上で円盤とかを買うべきw)
だって、三浦さんの領域展開だぞ!?!?(念押し)
見たら絶対「ふわぁ〜〜……五条悟やぁ〜〜……ある種の構築術式やぁ〜……」ってなると思いますw
そこに、畳み掛けるようにこれですよ。
🎊✨『コトダマン』×『呪術廻戦』コラボ ✨🎊
— 【公式】コトダマン運営会議 (@kotodaman_pr) April 18, 2022
4/21(木)より開催じゃ〜〜!!
しかも!『#呪術廻戦』と『#劇場版呪術廻戦0』がどちらも #コトダマン に登場じゃぞぃ🎉
大注目の大型コラボじゃ!😆
お得なキャンペーンもたくさんあるのじゃ👍チェックしてくれぃ✨https://t.co/qMfexLsWkU pic.twitter.com/IEmAwoyO7U
コトダマンは、私が今までにやったスマホのゲーム(そんなに沢山のゲームをやったことないけど)の中でも
「ゲームシステム面をめちゃくちゃ評価できるゲーム」なので、コラボとか関係なく
そもそも「ゲームとして面白くて」初期からやってます。
私が始めたときは、アニメのコラボ第1弾前だったはずです。
――が、ひとたびコラボイベントが始まってからは、色々なアニメ・特撮とかのコラボが常に開催されているので
好きな作品とコラボした時に、満を持して溜めてた石を放出してガチャ回す……という感じで遊んでいますw
200連回して五条先生出なかったけどね!!?!?!?(´;ω;`)
コトダマンには「検定」っていうコラボクエストがあって、要は「カルトクイズ」なんですよぉ〜。
テレビシリーズ「呪術廻戦」のクイズと、「劇場版 呪術廻戦0」のクイズがそれぞれあって、
「劇場版まだ見てないから、カルトクイズ多分わかんねええええ」
ってなるじゃないですかー。なったんですよー。
……だから、この「検定」でどんな問題出ても「知ってる知ってる余裕余裕」ってなるために
映画見に行くしかないわーと思ったんですよーーw
何回も「検定」に挑戦して、問題と答えの組み合わせを暗記していけば、全問正解は出来るけど、
それってただ暗記しただけで「理解できてる」わけじゃないから……。
「問題」っていうものは、「理解」して回答したいじゃない?w したいのよ私は!!
それに、これはそもそも論だけど、「これから見ようと思っている映画のカルトクイズ」を先に見たら、
ある種「問題文と回答でネタバレ不可避」でしかなくないですか!?www
さっさと観に行ったほうがよくないですか!?!?!?ww
それに、最近またオーズを見ながらオーズ考察ブログ記事の続きを書いていたら、
「三浦さんが五条悟の役作りをする上で、何を感じたり、工夫したりするか」
ということを、想像の上で追体験したくなったんですよね。
ちょっとこれは、書いても上手く伝わらないことかもしれないんですけど……。
「この役者さん・声優さんが、このキャラを演るとして、どういうふうに演るだろうか」
っていうのを脳内でシミュレーションするのが好きなんですよ。
例えばですけど
「アニメ化されていない漫画を読みながら、好きな声優さんに“脳内でアフレコ”してもらう」
っていうのはやる人が結構いると思ってます。
私はそこをもう一歩踏み込んで、
「その声優さんがそのキャラクターを実際に演じるとして、どういう理屈で役作りを進めていくだろうか」
っていうところまでシミュレートしてみるんですよね。
インタビューで、役者さん・声優さんが
「こういう風に解釈したからこういう演技をした」
という話をしているのを読んだ時に、
「解釈の一致……私も自分がその役を演るとしたら、その表現を試みたと思う……(上手くいくかは別にして)」
ってなることがあるんですけど、そういうのを積み重ねていくと
「じゃあこの人がこの役を演じるときは、こういう理由でこうするかもしれない」
の想像も広がっていくようになって、そのシミュレーションをすると自分の引き出しも増えていく感じがします。
そしてまた次にその人が何か演じるってなった時に
「この役者さん・声優さんなら、こういう理由でこういう演技を試みるかもしれない」
っていうところまでを想像する。
更に「実際どう考えたんだろう」というのをインタビューとかで読んで答え合わせ体験を繰り返していくみたいな。
そうやって、「自分でない人(好きだな、すごいなと思う相手)が、どういう風に物事を解釈して表現しているか」を
想像し、知り、引き出しにしまっていくんですけど、私にとってはこれが「ファン行動」のひとつでもあり、
自分の勉強でもあるんですよ。
だから、三浦さんが五条悟を演るってわかった以上、まず私の中で
「三浦さんは果たして五条悟をどう解釈し、どう表現するか」
を想像・シミュレートしておいてからじゃないと「答え合わせ」ができないじゃないですか。
どうしようもなくすぐに自分の中で考察したくなって、テレビシリーズの復習をして、その足で急いで映画を見に行かなきゃ!
ってなったんですよねw
そんなわけで!!
興行成績が良いのもあってロングラン上映となっているおかげで、多分「滑り込み」くらいのタイミングだけど見に行けました。
見た後だから言えるけど、本当に間に合って良かったです。これは間違いなく映画館で見るべき作品でした。
んじゃ、ここから感想本題ですw
■特盛!!
見てる最中も色々思いましたが、「見終わったときの総括としての感想」は、まず第一に
ボリュームすげええええええええ!!!
っていうことでした。
でも同時に「詰め込みすぎ」じゃない!! このバランス感覚!!
映画を1本見たというよりも、テレビシリーズの1クール分を一気見した時と同じくらいの情報量、密度、充実感、視聴後感というか。
「映画1本っていうか、今“12話”あったよねぇ……? え……?」
ってなりました。
12話って、一気見するならざっくり6時間要るわけじゃないですか。
6時間見たかのような濃厚な2時間だったな、っていう。
いや、厳密には「1時間45分」だそうですよ。……マジ?
今、上映時間調べて1時間45分って書いてあって、「あれで2時間なかったの!?」って改めてびっくりしてるんですけど。
2時間半は下らなかったと思いますけど!!w
じゃあやっぱり改めて特盛です。
それだけ、構成とかが巧く出来てるんですよ。
まず今作で中核となる乙骨憂太という人物のバックグラウンド(素性)の説明を1からしなきゃならん上に、
(それが「原作は読んでないけどTVシリーズは見た」という乙骨を知らない人にも違和感なく伝わるようにやって、ですよ)
その主人公がそれまでと違った境遇に身を投じて、そして一皮むけるまでの成長物語として完結させるという
「当たり前かもしれないけど、よく考えてみれば2時間弱の尺の中でやろうとしたら色々工夫は必要である」ことを
しっかりメリハリつけてやっているんですね。
仮に、映画というコンテンツに「芸術点」とか「技術点」とかの点数をつけるとして、この
「脚本の出来(主人公の身に起こる出来事と成長を過不足なく描く)」
っていうのは「技術点」の採点項目になるかと思うんですけど、それがまずものごく高いなという印象なんです。
乙骨憂太が、TVアニメシリーズのみ見た人間からすると「今初めて知った人」だけど、
この映画で「ちゃんと主人公してる」んです。
スピンオフとしてものすごく良く出来てるってことだと思うんですよ。
乙骨先輩ってTVシリーズ24話までの部分だと、見た側は
「名前だけは出てくる」「手放しで尊敬できるって言われてる」くらいの情報量でいるので
これがほぼまっさらで見る乙骨先輩という存在なわけじゃないですか。
映画の中で、「尊敬できると言われてる所以」が垣間見えるところまで持っていきつつ、
ちゃんと「あ、この人もちゃんとイカれてるんだな」ってわからせて、
最終的に「あ、この人好きかも」って思わせるのすごいんですよね。
その上でですよ!!!
私がこの作品が「特盛」だと思ったのは、乙骨の物語をここまで描ききった上で、
既出キャラクターたちそれぞれにも見どころを必ず用意してきてるからなんですよね。
どのキャラクターが好きな人が見ても、「自分の好きなキャラが活躍してる!」って思える場面があるんですよ、見どころてんこ盛りですよ。
もはやおかしくないですか? 何人いると思ってるんですか。時空歪んだでしょ。無量空処かよ。
それが一番「今12話分見たよね?」って思った理由ですね。
でも、「色々盛り込もうとしてるのはわかるけど、結果としてまとまりがなくなってる」とはならないバランスもすごいです。
既存の作品で喩えるならば、ハリーポッターとかも同じ手法の作品だと思います。
ジュブナイルの王道のプロットというのかな。
ざっくりした作りは、
主人公は問題を抱えている、または辛い境遇にある(現実に倦み疲れている)
↓
今まで全く知りようがなかった世界に放り込まれる
↓
この時点で、「主人公の知らないこと」=「視聴者の知らないこと」なので、
主人公が知らないことを知っていくことで視聴者も一緒にその世界を知ると同時に主人公に感情移入していく
↓
今までと異なる境遇で主人公は才能を開花させて自己実現へ至る(視聴者がカタルシスを得る)
という起承転結の構成なんですね。
その中で、「新たな登場人物との関わり」とか「様々な関係性の中での主人公の成長」とかも描いていくでしょう?
だからハリーポッターはあれだけ長編で、「今回はこの人物とハリーを掘り下げます」って感じで1年ずつ分けて描いて、
映画でも8本構成になってるじゃないですか。
――という風に、1本の中に込められるものってやっぱり限られていて、
欲張りすぎると何を描きたいかわかりにくくなるからフォーカスを絞る必要があるわけです。
その時にこそバランス感覚が問われるんだな〜と思います。
「引き算のセンス」というか。
今作『呪術廻戦0』は、誰に何をさせたいかとか、乙骨との関わりはこの人とこの人にだけフォーカスを当てるとか
やりたいこと・見せたいことが明確かつ良いバランス配分になってるので、
「みんな見どころがあった、わかりにくいところはなかった。密度が濃かった」
って感想になって、すごいな……と思いました。
映画って「尺は長いけど内容が散漫」とかだとダレることもあるし、
「尺が短いけど内容盛り込みすぎ」だと主題が印象に残らないこともあるだろうし、
そういう意味で上でも書いた「映画における“技術点”」っていうのは、
この2時間くらいの尺の中での脚本のバランス感覚そのものだろうな、と思ってます。
すごく勉強になる1本ですね、これ……。
RPGでも漫画でもたまにありますけど、「1対1×n」「少人数のグループ行動×n」みたいな構図好きなんですよね。
「交流戦」もまさにそれでしたし、ゲームだとFF6とか。
今作も、その構図をうまく活かしてるなと感じました。
色々なキャラクターに見どころを作る時に良い手法ってことなんでしょうね。
百鬼夜行の対応に向かってる人たちと、乙骨側と。
同じ時間に、異なる場所で、共通の目的のために。
「スタンドプレーから生じるチームワーク」というやつですよ。(by攻殻機動隊)
それで、更に「本編」の方で「百鬼夜行」の噂はされているので、
「そんなことがあったんだー」
と頭の片隅に置いておいた情報の「実際」を見て理解できるようになってるのですごいですねぇ。
例えば「七海が黒閃を4回出す」とか。
■速い と すごく速い と ありえないほど速い
そんな、色々なキャラクターの見どころ、やはりアクションシーンがすごいです。
これはやはりわかりやすい視覚的な刺激を沢山受けるので、「1回見たきり」だからこそ
今、強く印象に残ってるというのがあると思います。
何度も見ていくと、また新たな発見があって「違う味してきた!」ってなっていくと思うんですけど、
見てる最中や直後に一番「うわ、すごい」ってなったのはやはりアクションシーンの
疾走感、迫力、重量感等々でしたね。
もう、描いたスタッフさんらの熱量がそのままスクリーンから燃え出てくるような感じで
「よく考えてもみろよ、この映像の1フレーム1フレームが絵なんだぜ!?」
っていうことの重みをひしひしと感じました……。
「こういうアニメーションが日々作られている日本っていう国は本当に素晴らしい娯楽大国だな」って。
「絵を動かすことで」あの映像を作り上げているのよく考えてみりゃ本当におかしいんですよ。
みんな小学生の頃に、教科書のページの隅でパラパラ漫画作ったことあるでしょう????
(というか、パラパラ漫画のためにわざわざ分厚いノート買ったし!)
で、「アニメーションって大変なんだなぁ」って思う体験をしてるでしょう??????
してない?????? じゃあ今からして??????????
棒人間を走らせるだけでも大変ですよね!!!!!!!!!!!!!
だから、アニメ見てると、背景のパースに合わせて人物を配置して、しかもカメラを回転させながら
人物にバラバラの動きをさせるっていうアクションシーンを見ている時に、
「なんかもう凄すぎて笑うしかない」っていう意味で顔がニヤけて来ちゃう時とか、
もう涙すら出てくるときがあるんですけど、この映画にもそれがあって、
「はぁ〜もう笑っちゃうなこれw」ってなりましたね。
当然褒めてるんですよ?w
「今、よくカメラ回り込みながらそのキャラにその動きさせたな!?!?」みたいなことの連続なんですよね。
そういう感嘆の意味のため息とか笑いが思わず漏れちゃうシーンが何度もありましたね。
カメラが固定ならまだわかるんだけど、カメラもドローンみたいに動かしちゃうから。
それで、中でも速さの表現が特にすごくて、見ている人に「速いんだ」って思わせるだけじゃなくて、
「速さの段階」まで伝えるための工夫を一番感じたんですよね。
ここは本当に力説したい。
夏油が「更に速い!!」って言うシーンは、夏油がそう言うが早いか、こっちはもう
「さっきより速くなってる」って“目で”感じてて、そこに夏油の台詞が重なってきて「そうそう」ってなるんですよ。
つまり、夏油が「更に速い!!」って言ったから「更に速くなったと感じた」という順序じゃないんです。
「台詞でそう説明したから、そうであったように脳内で補完した」んじゃないですよ。
漫画だったらそうなる部分は少なからずあるんですけど。
なぜなら漫画は動かないから、線の描き方やエフェクトの加工などを使って、絵の上でもなるべく
「更に速くなった」ことを表現した上で、「更に速い」という文字情報を付記するんですね。
それで文字情報も同時に取り込んだ結果、読み手の脳内で
「さっきよりも更に速いんだな」という想像の補完がかかるというのも間違いなくあるわけですよ。
それが出来るのが漫画の手法なわけで。
じゃあ、これを「本当に絵を動かしながら、速度が違うことを表現する」としたら?
台詞で「更に速い」と言葉が乗ることにに甘えない、みたいなことですよ。
台詞の「更に速い!!」っていう音声が仮になかったとしても、目で見て「速度の違いがわかるようにしろ」ってなったときに
どうやってそれを描いて表現したら、見てる人が映像から「時速の違い」を感じられると思います?
時速20kmで走る車と時速200kmで走る車を実写で撮ったら、実際に速度が違うのだから
目で見てそれがわかるけど、「絵で描いて、時速20kmと200kmの差が感じられるようにしろ」
っていう課題をどうクリアするかってことなんですよ。
まぁ20kmと200kmは、明確に差が大きいから書き分けもしやすい方だけれど、
この作品がやってるのは180kmと200kmと220kmをそれぞれ書き分けるようなことなんですよね……。
それに気付いた時に、ビリビリ〜っと来ましたね。
そこまで何段階もの速いシーンがすでにあって、これ以上はないんじゃないかって思ってるところに
更に上乗せしてくるから「極限を超えたスピード」っていうのが感じられて、
「あぁ〜今、私は、夏油が『更に速い』って発言するよりも先に『更に速い』と感じ終わっていた。
つまり、映像だけですでに『更に速』かった。その意味ぃ……。(絶句)」
っていう顔になりました。
私はエヴァンゲリオンの直撃世代なんですけど、エヴァの映像的な表現で特に秀でていたなって今でも思うのは
「重量感」「質量感」だったんですよね。
「本当にそこに、重たいものがある」とアニメーションで感じさせる表現です。
絵にそれまでと異なる質量表現が加わった作品だったんだな〜と思うんですよ。
だから逆にスピーディというより、「重すぎて遅い」とか「加減速」の速さ表現のほうが
それに合っていたし、活きていたと感じています。
重いもの同士がぶつかったとか、重いものがのしかかってきたとか、重いものを投げ飛ばすとか。
でも、今は比較的「素早さでアクションを魅せていく」のがトレンディともいえる時代にあると感じていて、
速く見えるっていうのはアクションシーンを派手にしてくれるから、
喩えるなら味のわかりやすい調味料みたいなものだとも思うんです。
でも、ちゃんと動かしながら「速さの差異」を感じられるように表現するなら
それはそれでやっぱりすごく工夫要るんじゃないか!? と気付きましたし、それに加えて
「遅いと速い」の書き分けじゃなくて、「速い と すごく速い と ありえないほど速い」の書き分けがされている
というのが、もはやおぞましいな、呪いか何かかよ……と思いました。(呪)
いや、これは多分比喩になってなくて、「乙骨のバトルシーンの速度表現」には、執念を感じましたから
あの映像、ちゃんと呪われてると思います。
ただ「速いから派手〜!!」っていうところで満足しない、みたいな執念がありましたね……。
特急過速怨霊……。
■その他
これ、作中で明言はされていないからこそ逆に「ニクい……!!」って思ったんですけど。
まず最序盤、私が思ったことは、
「五条先生の目隠しが白いな?」
ですよ。
まぁこれは誰でも気付くし「あれ?」って思うじゃないですか。
そして、「なぜこの1年後、黒くなってるんだろう」という疑問が湧きますよね。
その答えはちゃんとあるんですね。
「喪に服してる」からなんだな……うわぁー……ってなって。
でも、「喪に服してるからだよ」みたいなことは一切言わなくて、
ただそのことが話の流れから察することが出来るようにだけ作られていて、
それはズルすぎるんよ……っていう余韻で映画館を出たっていうことですかねー……。λ.....トボトボ
やはり、本編の方で我々が知っている、2年の先輩とか五条先生とかの「1年前を知る」っていう要素もこの映画にはあるわけで、
その中でもこの部分の演出は、クソデカため息モノでしたよね。
あとは、緒方恵美さんというキャスティングも素晴らしかったですよねぇ……。
エンドロール見ながら、
「緒方さん、『歌:乙骨憂太(CV:緒方恵美)』としてエンディングテーマ曲カバーしたら合う、ヤバイ……」
と妄想するくらい良かったですね。(それは比喩なのか?)
なんか全てが調和してました。
あぁーハンカチ持ってくるの忘れたあああ! って思って、映画までの余った時間で
すみっコぐらしのハンドタオルを急遽購入しておいて良かったです。
この芝居を何度も聴けるっていうだけで、Blu-ray買う価値があると私は判断したので
Blu-rayを予約しようと思ったんですけど、まだ円盤の商品情報って出てないんですね!?!?
てっきりもう予約開始してるかと。
予約始まったら絶対しよう、そうしよう……。
とても良い刺激をもらったので、私も頑張ろうと思いました。
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