映画館で特撮ヒーロー物を見るとか、多分35億年ぶりとかだぞ!?
というわけで、仮面ライダーオーズの10周年記念映画作品、『復活のコアメダル』を劇場で見てきたんじゃ!!
なんと、Blu-rayも受付開始早々予約してあると云ふのに、じゃ!!
復活のコアメダル 公式サイト
以下、物語の核心や結末にも触れながら感想を書くので、未見の人は読まずに、とりあえず劇場へ走ってください。
※追記 Web各種配信サイトで特別配信が始まりました。
劇場に走らなくても家で見られるから見て!
あ、劇場に走る前にこれを見るとよいです。
というわけで、仮面ライダーオーズの10周年記念映画作品、『復活のコアメダル』を劇場で見てきたんじゃ!!
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劇場に走らなくても家で見られるから見て!
あ、劇場に走る前にこれを見るとよいです。
(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)
前提
オーズのTVシリーズ視聴後の感想文はこちら。
アンク、やっぱりお前は……他のグリードとは違う。「特別な怪人」だよ。
そう思いました。
あんなに泣きじゃくってさぁ……。もらい泣きしちゃうじゃんよ。
TVシリーズ本編で、明確にアンクが涙を見せたシーンってなかったと思うんですよ。
最後まで「ツン」なやつだった。
内心は色々あるだろうけど、少なくとも大っぴらに表(顔)には出さないで終わったと思います。
だから、今作、映司より先に泣き始めるアンクを見て、
「お前はなんて、人間臭いやつなんだよ……」
という気持ちでいっぱいになりましたね。
🔴アンクの「人間臭さ」について
今、書きかけのブログ記事で、オーズTVシリーズの各エピソードのお芝居とか演出とかについて
「ここすげえ!」
みたいな発見を延々メモっていくというのをやっていて、そこにもすでに書いたことなんですけど
(記事としてはまだ完成してないので公開には至っていません。もう少しお時間をください)
47話と2話の対比がすごいっていうのがあるんですね。
つまり「冒頭から2話目と、最後から2話目」が対になっていて、2話で行われている会話を踏まえて
47話の会話を追っていくと、アンクがこの45話分の間にどれだけ
「人間に近づいたか」がわかるんです。
2話の会話
映司「さっきから質問してるんだから答えろよ」
に対してのアンクの回答が「俺達は800年ほど前に作られた〜」という一方的なグリードの説明で、
更にこれに対しての映司のリアクションは
「全然わかんねぇし……。俺が聞きたいのは刑事さんのことだよ」
アンク「大丈夫だ! こうやって俺が時々食わせてやる」
この掛け合い、アンクが「相手の訊きたいこと」を察しようとしていないので噛み合っていないんです。
これと対照を取るのが47話の比奈とアンクの会話で、
比奈「これ(大量のセルメダル)……どうしたの?」
に対してのアンクの回答が
「別に……(何かに感づいた表情)
この身体はなんともないから……安心しろ」
対する比奈が
「アンクのこと、訊いたんだけど」
つまり、47話のアンクは、「自分のこと」を訊かれているのに、相手(比奈)の気持ちを彼なりに察して
「信吾のこと」を答えているわけですよ。
2話も47話も、「訊かれていることに的確に答えられていない」点は同じだけど、
そうなってしまう「理由」が真逆になっているんです。
2話ではアンクが「話し相手とちゃんと対話ができるほど成熟していないから」で、
47話ではアンクが「話し相手の立場や気持ちを彼なりに察しすぎた結果として」噛み合っていない。
「何かに感づいた表情」のところで、彼なりに
「ハッ、比奈が訊きたいのは、俺のことじゃないだろうな。前に映司に叱られたっけ……」
ってなってるわけですよ。
すごい成長じゃないですか!!!?!?!??!?!?
47話のこの部分の比奈とアンクの掛け合いとお芝居が本当に好きで
「アンク、お前はもう立派な人間だよ……」
ってなったんですね。
TVシリーズ本編は、そこからの最終話という流れでした。
今作は作中の時間も最終話から10年経過しているという設定ですので
映司は10年、アンクという存在をこの世に蘇らせる方法がないか、模索し続けていたことになります。
そしてついにアンクが蘇るところからこの映画が始まるんですけど、
これは喩えるならば、
「サビから始まる歌」
みたいなものですねw
曲の冒頭にサビがあってから、間奏→Aメロ……っていう構成の楽曲w
冒頭にまずバーンと、見所というか……私達が見たかったものがある、と。
比奈と視聴者の気持ちは
「また、こんな日が来るなんて。あの頃のままのアンクが目の前にいる」
という感じでシンクロします。
「うんうん、そうだそうだ。会いたかったぞ、アンク」という気持ちw
でも、ある意味「あの頃のまま」じゃないんですよね。
上に書いたように、映司と過ごして「人間くさくなった」アンクだから。
もしかしたらあの頃我慢していた分も含めて、堰を切ったように流れてきた涙がこれなのかな、と思ったりしました。
怪人は、そんなガチ泣きとかしないよアンク。
アンクもう人間だよ……。
映司だって最終話
「それがお前の本当にやりたいことなんだな」
って言った時泣かなかったのに、アンク、お前は泣くなんて反則だぞ!?
最終回で腕アンクが映司に言った台詞(お前を選んで得だった)を、今作でもう一度言うところ、
「腕アンク」じゃなくて、人間態として、ちゃんと目を見て伝えてたし
彼なりの「ありがとう」を、もう一度改めて言いたかったのかもな、と思いました。
🟡お前火野じゃねぇな? さては……日野だろ!!
今回、渡部さんがすごく大変というか、「ただ従来どおりに映司を演じる」のとは違ったことをする必要のある
設定の物語だったので、そのへんも見所になっているなぁと思いました。
以前の電王×オーズの劇場版で、「『アンクが憑依している泉信吾』にモモタロスが憑依する」っていう状態になって
三浦さんが大変そうwwって思ったのだけど、今回は渡部さんがそれに似たような境遇にあるというかw
どうも最初に出てきたときから、うっすら映司の様子がおかしいわけですよ。
「この先に身を隠してるから、いつでも訪ねてきてよ」
のところから、「ちょっと雰囲気が違うな?」と感じるし。
それが視聴者として確信に変わるのは、
「助けようとした女の子なら死んだよ。そういう運命だったんだろ」
と、サラっと流すところですよね。
そんなの、飛影並に「映司はそんなこと言わない」状態になるじゃないですか。
このときに、「体こそ映司だけど、人格は別者だから渡部さんはイチからゴーダの役作りをしたんやな」
とわかったんですよね。
で、ただゴーダっていう役を作るのと違って何が難しいかというと、
「映司のフリをするゴーダ」という芝居をするところですよ。
「映司じゃない者」が映司のフリをしているのが、「それとなく」伝わる程度に
「映司じゃない」状態でいなきゃいけないことになるから……。
映司じゃない存在が、外見から中身までそっくり映司になりきろうとしている、という芝居を
映司の体のまま演らないといけないんだ〜うわ〜〜〜!! 大変!! と思いましたw
声は、それこそ日野さんがアテレコしているので文字通り「別者」だけれど、
「姿かたちは映司だけど、中身がすげ変わっている」ということを、表情とか動きとかで表さなきゃいけないから
どういう工夫をしてるかな? というのをよく観察しながら見てしまいましたw
大変大変書いたけど、役者としてはめちゃくちゃ「演じ甲斐のある」設定だなぁ! と思いましたけどねw
自分以外の何者かが、自分が元々演じていたキャラになりきろうとしてるという
「本物じゃなさ」をどうやって出すか……だなんて、課題としてはいっそ取り組みたくなっちゃうような
「役者への挑戦状」だと思いますよ。
カテゴリ「演ってみろ」ですねw
それに加えて「アンクが憑依した映司」まで演る場面もあるから、本当にそのお芝居が見所ですね。
🟢心に棲むキャラたち
そして、火野映司の物語は、ビターハッピーエンドというか、彼の願ったことも、悔やんできたことも
叶ってはいる、雪辱が果たされてはいるし、最後まで映司は「ヒーローしていた」のですが
本当に本当の「報われた」状態とはいえない形で幕を引くことになりました。
何もかもが「丸く」はない。OOOなのに!!
だから、この映画は事前に出演者のみなさんが
「衝撃の作品です」
と評していたのだな……とわかるのですが、
こうして私はまた心に大きな傷を負ったのであったーー! <完>
って感じになっちゃいました。
みんなが揃った、ただの平穏な日常が訪れてくれても良かったのだけど、
私がこの終わり方で考えたのはやはり「アンクのこと」です。
空を仰ぎながらうっすらと笑みを浮かべるアンクの表情を映して映画が終わっていきますが、
「アンクは、映司の“本当にやりたかったこと”という想いを、自分の存在という形で託されて、
どんな気持ちがしているだろう」
と思いを馳せました。
それこそが、この映画の「読後感」というか「後味」そのものという感じもしますね。
映司はすごく「納得して」ると思うんです。
そして、映司がずっと「自分が納得できるように」生きてきたのをアンクもよくわかっていると思います。
TVシリーズの時点でも、その生き様を一番間近で見せられたことで、アンクは
「命っていうのは形あるものじゃない、生き方そのものなんだ」
っていうことにも気付けたと思うので。
だから最終的に、
「ただのメダルが、生きて、死ぬところまで来た。こんなに面白いことはない」
という感想になったのだと思っています。
アンクも、最終話で自分の「生き様」を見せられる機会が来た。
「生き様」こそが「命」だ、だから自分には「命」がすでにあったと言える、と。
納得したいポイントが一致したから、最終回、お互い納得ずくであーいう展開になったわけで。
今回、立場が逆転したので、私は心底
「立場が逆になった今、アンクは何を思うんだろう」
と思いました。
そして、
「なんだかこうやって、誰かの気持ちを真剣に慮る時間が、“オーズだなぁ”って感じがするわ」
という結論に至りました。
テレビシリーズを見ていた時も、アンクは、映司は、鴻上は、カザリは……
本当は何を考えているんだろう、何を感じているんだろう
ということを必死に汲み取ろうとしながら見ていました。
そこは今作もやっぱり変わっていなくて、こうやって見終わったあとも
「アンク、今頃どんな気持ちでいるだろう……」
っていうことが心に残り続けたりして。
それで、誰かが生きて、人の心に「棲む」ってこういうことだよなと思うなどしている時間こそが
すごく「オーズ」ですね。
オーズ全体に流れている死生観みたいなのがあって、そこはちゃんと共通だなぁ……と。
だってやっぱり、アンクってもう「存在している」ものね。
見た人が心の中で「あの人、今頃どうしてるだろう?」って思うのは、
その人の心の中にキャラクターが「生きて、棲んでいる」からだもの。
多分、アンクの中には、元々誰も棲んでいなかったと思います。
ただ自分の欲望に忠実なだけの怪人だったわけだから。
でも、これからは少なくとも映司が明確にアンクの心に棲むんだろうな……と思いました。
TVシリーズ最終回で、映司が
「すぐ傍にあったけど、ずっと気付かないでいた、自分に向けて差し伸べられていた手」
に気付いたことで、一層の社会性を獲得したみたいに、これからのアンクも
心に映司や比奈が棲むようになって、彼なりに社会性を獲得していくのかな、という。
この余韻を胸に、夏に届くBlu-rayを楽しみに待ちます。
細かい良かった点をメモっていく場所
・オーズの数々のコンボが次々見られたのが「劇場版らしさ」あって良かった
ガタキリバもラトラーターもプトティラまでもあったし、その上でタジャドルエタニティ!
・伊達さんと後藤ちゃんが変わらず良いコンビ感だった
・タジャドルエタニティに変身するシーンのカメラワークとスローモーションの編集がたまらなかった
・俳優さんたちが誰も彼も10年を感じさせない「あの頃のまま」感あってすごい
・エタニティメダルは、1枚でタトバカラーなのがズルい、エモい、ニクい
・なんと「カニ」メダルが出てきた
・いつもアイスを「齧っていた」アンクだが、今回は舌で舐めてるシーンもある
前提
オーズのTVシリーズ視聴後の感想文はこちら。
アンク、やっぱりお前は……他のグリードとは違う。「特別な怪人」だよ。
そう思いました。
あんなに泣きじゃくってさぁ……。もらい泣きしちゃうじゃんよ。
TVシリーズ本編で、明確にアンクが涙を見せたシーンってなかったと思うんですよ。
最後まで「ツン」なやつだった。
内心は色々あるだろうけど、少なくとも大っぴらに表(顔)には出さないで終わったと思います。
だから、今作、映司より先に泣き始めるアンクを見て、
「お前はなんて、人間臭いやつなんだよ……」
という気持ちでいっぱいになりましたね。
🔴アンクの「人間臭さ」について
今、書きかけのブログ記事で、オーズTVシリーズの各エピソードのお芝居とか演出とかについて
「ここすげえ!」
みたいな発見を延々メモっていくというのをやっていて、そこにもすでに書いたことなんですけど
(記事としてはまだ完成してないので公開には至っていません。もう少しお時間をください)
47話と2話の対比がすごいっていうのがあるんですね。
つまり「冒頭から2話目と、最後から2話目」が対になっていて、2話で行われている会話を踏まえて
47話の会話を追っていくと、アンクがこの45話分の間にどれだけ
「人間に近づいたか」がわかるんです。
2話の会話
映司「さっきから質問してるんだから答えろよ」
に対してのアンクの回答が「俺達は800年ほど前に作られた〜」という一方的なグリードの説明で、
更にこれに対しての映司のリアクションは
「全然わかんねぇし……。俺が聞きたいのは刑事さんのことだよ」
アンク「大丈夫だ! こうやって俺が時々食わせてやる」
この掛け合い、アンクが「相手の訊きたいこと」を察しようとしていないので噛み合っていないんです。
これと対照を取るのが47話の比奈とアンクの会話で、
比奈「これ(大量のセルメダル)……どうしたの?」
に対してのアンクの回答が
「別に……(何かに感づいた表情)
この身体はなんともないから……安心しろ」
対する比奈が
「アンクのこと、訊いたんだけど」
つまり、47話のアンクは、「自分のこと」を訊かれているのに、相手(比奈)の気持ちを彼なりに察して
「信吾のこと」を答えているわけですよ。
2話も47話も、「訊かれていることに的確に答えられていない」点は同じだけど、
そうなってしまう「理由」が真逆になっているんです。
2話ではアンクが「話し相手とちゃんと対話ができるほど成熟していないから」で、
47話ではアンクが「話し相手の立場や気持ちを彼なりに察しすぎた結果として」噛み合っていない。
「何かに感づいた表情」のところで、彼なりに
「ハッ、比奈が訊きたいのは、俺のことじゃないだろうな。前に映司に叱られたっけ……」
ってなってるわけですよ。
すごい成長じゃないですか!!!?!?!??!?!?
47話のこの部分の比奈とアンクの掛け合いとお芝居が本当に好きで
「アンク、お前はもう立派な人間だよ……」
ってなったんですね。
TVシリーズ本編は、そこからの最終話という流れでした。
今作は作中の時間も最終話から10年経過しているという設定ですので
映司は10年、アンクという存在をこの世に蘇らせる方法がないか、模索し続けていたことになります。
そしてついにアンクが蘇るところからこの映画が始まるんですけど、
これは喩えるならば、
「サビから始まる歌」
みたいなものですねw
曲の冒頭にサビがあってから、間奏→Aメロ……っていう構成の楽曲w
冒頭にまずバーンと、見所というか……私達が見たかったものがある、と。
比奈と視聴者の気持ちは
「また、こんな日が来るなんて。あの頃のままのアンクが目の前にいる」
という感じでシンクロします。
「うんうん、そうだそうだ。会いたかったぞ、アンク」という気持ちw
でも、ある意味「あの頃のまま」じゃないんですよね。
上に書いたように、映司と過ごして「人間くさくなった」アンクだから。
もしかしたらあの頃我慢していた分も含めて、堰を切ったように流れてきた涙がこれなのかな、と思ったりしました。
怪人は、そんなガチ泣きとかしないよアンク。
アンクもう人間だよ……。
映司だって最終話
「それがお前の本当にやりたいことなんだな」
って言った時泣かなかったのに、アンク、お前は泣くなんて反則だぞ!?
最終回で腕アンクが映司に言った台詞(お前を選んで得だった)を、今作でもう一度言うところ、
「腕アンク」じゃなくて、人間態として、ちゃんと目を見て伝えてたし
彼なりの「ありがとう」を、もう一度改めて言いたかったのかもな、と思いました。
🟡お前火野じゃねぇな? さては……日野だろ!!
今回、渡部さんがすごく大変というか、「ただ従来どおりに映司を演じる」のとは違ったことをする必要のある
設定の物語だったので、そのへんも見所になっているなぁと思いました。
以前の電王×オーズの劇場版で、「『アンクが憑依している泉信吾』にモモタロスが憑依する」っていう状態になって
三浦さんが大変そうwwって思ったのだけど、今回は渡部さんがそれに似たような境遇にあるというかw
どうも最初に出てきたときから、うっすら映司の様子がおかしいわけですよ。
「この先に身を隠してるから、いつでも訪ねてきてよ」
のところから、「ちょっと雰囲気が違うな?」と感じるし。
それが視聴者として確信に変わるのは、
「助けようとした女の子なら死んだよ。そういう運命だったんだろ」
と、サラっと流すところですよね。
そんなの、飛影並に「映司はそんなこと言わない」状態になるじゃないですか。
このときに、「体こそ映司だけど、人格は別者だから渡部さんはイチからゴーダの役作りをしたんやな」
とわかったんですよね。
で、ただゴーダっていう役を作るのと違って何が難しいかというと、
「映司のフリをするゴーダ」という芝居をするところですよ。
「映司じゃない者」が映司のフリをしているのが、「それとなく」伝わる程度に
「映司じゃない」状態でいなきゃいけないことになるから……。
映司じゃない存在が、外見から中身までそっくり映司になりきろうとしている、という芝居を
映司の体のまま演らないといけないんだ〜うわ〜〜〜!! 大変!! と思いましたw
声は、それこそ日野さんがアテレコしているので文字通り「別者」だけれど、
「姿かたちは映司だけど、中身がすげ変わっている」ということを、表情とか動きとかで表さなきゃいけないから
どういう工夫をしてるかな? というのをよく観察しながら見てしまいましたw
大変大変書いたけど、役者としてはめちゃくちゃ「演じ甲斐のある」設定だなぁ! と思いましたけどねw
自分以外の何者かが、自分が元々演じていたキャラになりきろうとしてるという
「本物じゃなさ」をどうやって出すか……だなんて、課題としてはいっそ取り組みたくなっちゃうような
「役者への挑戦状」だと思いますよ。
カテゴリ「演ってみろ」ですねw
それに加えて「アンクが憑依した映司」まで演る場面もあるから、本当にそのお芝居が見所ですね。
🟢心に棲むキャラたち
そして、火野映司の物語は、ビターハッピーエンドというか、彼の願ったことも、悔やんできたことも
叶ってはいる、雪辱が果たされてはいるし、最後まで映司は「ヒーローしていた」のですが
本当に本当の「報われた」状態とはいえない形で幕を引くことになりました。
何もかもが「丸く」はない。OOOなのに!!
だから、この映画は事前に出演者のみなさんが
「衝撃の作品です」
と評していたのだな……とわかるのですが、
こうして私はまた心に大きな傷を負ったのであったーー! <完>
って感じになっちゃいました。
みんなが揃った、ただの平穏な日常が訪れてくれても良かったのだけど、
私がこの終わり方で考えたのはやはり「アンクのこと」です。
空を仰ぎながらうっすらと笑みを浮かべるアンクの表情を映して映画が終わっていきますが、
「アンクは、映司の“本当にやりたかったこと”という想いを、自分の存在という形で託されて、
どんな気持ちがしているだろう」
と思いを馳せました。
それこそが、この映画の「読後感」というか「後味」そのものという感じもしますね。
映司はすごく「納得して」ると思うんです。
そして、映司がずっと「自分が納得できるように」生きてきたのをアンクもよくわかっていると思います。
TVシリーズの時点でも、その生き様を一番間近で見せられたことで、アンクは
「命っていうのは形あるものじゃない、生き方そのものなんだ」
っていうことにも気付けたと思うので。
だから最終的に、
「ただのメダルが、生きて、死ぬところまで来た。こんなに面白いことはない」
という感想になったのだと思っています。
アンクも、最終話で自分の「生き様」を見せられる機会が来た。
「生き様」こそが「命」だ、だから自分には「命」がすでにあったと言える、と。
納得したいポイントが一致したから、最終回、お互い納得ずくであーいう展開になったわけで。
今回、立場が逆転したので、私は心底
「立場が逆になった今、アンクは何を思うんだろう」
と思いました。
そして、
「なんだかこうやって、誰かの気持ちを真剣に慮る時間が、“オーズだなぁ”って感じがするわ」
という結論に至りました。
テレビシリーズを見ていた時も、アンクは、映司は、鴻上は、カザリは……
本当は何を考えているんだろう、何を感じているんだろう
ということを必死に汲み取ろうとしながら見ていました。
そこは今作もやっぱり変わっていなくて、こうやって見終わったあとも
「アンク、今頃どんな気持ちでいるだろう……」
っていうことが心に残り続けたりして。
それで、誰かが生きて、人の心に「棲む」ってこういうことだよなと思うなどしている時間こそが
すごく「オーズ」ですね。
オーズ全体に流れている死生観みたいなのがあって、そこはちゃんと共通だなぁ……と。
だってやっぱり、アンクってもう「存在している」ものね。
見た人が心の中で「あの人、今頃どうしてるだろう?」って思うのは、
その人の心の中にキャラクターが「生きて、棲んでいる」からだもの。
多分、アンクの中には、元々誰も棲んでいなかったと思います。
ただ自分の欲望に忠実なだけの怪人だったわけだから。
でも、これからは少なくとも映司が明確にアンクの心に棲むんだろうな……と思いました。
TVシリーズ最終回で、映司が
「すぐ傍にあったけど、ずっと気付かないでいた、自分に向けて差し伸べられていた手」
に気付いたことで、一層の社会性を獲得したみたいに、これからのアンクも
心に映司や比奈が棲むようになって、彼なりに社会性を獲得していくのかな、という。
この余韻を胸に、夏に届くBlu-rayを楽しみに待ちます。
細かい良かった点をメモっていく場所
・オーズの数々のコンボが次々見られたのが「劇場版らしさ」あって良かった
ガタキリバもラトラーターもプトティラまでもあったし、その上でタジャドルエタニティ!
・伊達さんと後藤ちゃんが変わらず良いコンビ感だった
・タジャドルエタニティに変身するシーンのカメラワークとスローモーションの編集がたまらなかった
・俳優さんたちが誰も彼も10年を感じさせない「あの頃のまま」感あってすごい
・エタニティメダルは、1枚でタトバカラーなのがズルい、エモい、ニクい
・なんと「カニ」メダルが出てきた
・いつもアイスを「齧っていた」アンクだが、今回は舌で舐めてるシーンもある
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