ブログは自分語りをするところなので、自分語りします。
そうです、ここは「私専用のチラ裏」として始まったブログとも言えます。


(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


このブログが始まったのは2004/11/18で、その頃はインターネットを通じて配信出来るのは音声までだったし、
IcecastやShoutcastなどのプラグインをwinampに適用してP2Pで配信する方法が主流でした。
映像配信や動画公開をするには、インターネット回線速度やサーバー容量などが今より格段に
「遅かった・狭かった」のもあって「技術的にできたとしてもインフラ的に(個人には)困難」という時代でしたね。
やっている人も皆無ではなかったけど。peercastでのゲームプレイ配信とかね。

私は、元々自分の趣味として「カセットテープに自分の声と楽曲を吹き込んでラジオ番組を作る」というのがあったので、
それをインターネットを通じて、全国のどこにいるかもわからない人が、リアルタイムに聴いてくれるかもしれない
というのが面白すぎて、「個人でも環境を構築すればネットラジオでDJを出来る」とわかった瞬間に、もう始めていました。
初めてこの話を聞く人はびっくりするかもしれませんが、一番最初、私の放送はマイクもない状態で、
「PCのマイク端子にイヤホンを挿して、イヤホンに向かって喋る」という方法で声を届けていました……。
イヤホンはマイク端子に接続すればマイクの役割を果たすんですよ……。
当然、その音質は酷いものですがw
見かねた近所のリスナーさんがヘッドセットマイクくれましたもんw

そして、個人でレンタルサーバーを借りてホームページを作る、レンタルCGIで日記や掲示板を設置するという時代から
「ブログ」ブームへの転換期も来ていたので、私はそれまでに持っていたホームページや日記サイトを畳んで、
「定期ラジオ配信をした上で、放送内容・告知などを記録しておく場所」としてこのブログを開設しました。
私がこのブログを作った段階ではまだ「livedoorねとらじ」のサービスもなかったんです。

しかし、今はそのlivedoorねとらじもサービス終了から長い時間が経ちましたし、
私の方も主戦場……いや、戦ってるわけじゃないから「主公園(遊び場)」かな? が、
ねとらじではなく、動画公開と生放送を出来る場所になりました。
それに伴って、人から呼ばれる肩書の方も「歌い手」や「生主」になったりもしました。
これは単純に「インフラ的に不可能だったものが、この17年で可能になったから」、
出来ることが広がって、私もやりたいことをより沢山出来る方へ流れてきた結果ですね。
結局、17年経っても、このブログが私の「活動報告」をしたり、
「インプットしたものから得たこと(感想など)をアウトプットする」場所であるということは変わりませんでした。
何年後、何十年後の自分にとって、読み返す価値のある日記となるよう、
やったこととか感じたことをひたすら書き連ねてきました。


以前ブロマガに書いた「かにぱん。の自己紹介」という12万文字の記事がありますが、
ブロマガの閉鎖に伴い、今年、こちらのブログに記事を移行しました

そこには、私が「(V)・∀・(V)」になってからの歴史が体系的に書かれているわけですが、
今年は私も40歳になったことですし、更にパーソナルなルーツを辿って、所感を書いておきたいなと思いました。


(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


◇私と録音

私は6歳から「自分の意志で」カセット録音を始めました。
1歳すぎ、ことばを話すようになってからしばらく、親が記録のためにと録音して残したカセットがありますが、
5〜6歳になると
「テープレコーダーで自分の声を録音できるということは、普段聞いている朗読カセットみたいなものを
自分の声で作ることができる」
ということに気づき、自分で朗読カセットを作り始めました。
小学校の国語の教科書を読んだり、図書館から借りてきた本を弟に読み聞かせながら録ったり、
夏休みの読書感想文の「課題図書」を読み上げたり。

少ないカセットテープの中でやりくりしていたせいで、「上書き録音」とかで消えてしまった音声も沢山あるけれど、
残っていた分はデータ化して動画でアップしたものも。
おそらく朗読音源で現存する最古の音声はこのへんです。


あらゆる幼少期の環境が組み合わさった結果「自分で自分の声を録る」というライフワークが身についたのだと思っていますが
その環境は、上に書いた「親が乳幼児期の私の声を録って残していた」以外だと、以下のようなものです。

・親が毎晩のように読み聞かせをして寝かしつけしてた
ある日、父親の通信簿を見つけて通信欄を読んだら、小学校の担任の先生が
「国語の教科書の読み上げなどはとても好きなようで率先してやってくれます」
と書いているのを見たから、父親も朗読や国語自体が好きなんだろう。小説家を目指そうとしたとかも言ってましたしね。

・一日中ラジオが流れている家
一階がレストランなんですが、営業時間中はずっとFM群馬が流れていました。
トークで楽曲紹介してその曲を実際に流すという「曲紹介」の番組構成が
「自分の好きな曲を布教するのにも適している」と思いましたし、
「電話リクエスト」を募っている生放送番組では番組作りに参加できるので
何度もリクエストの電話をしては、番組にも出てパーソナリティの人と話したりもしました。

・歌って点太くんというおもちゃ
マイクとスピーカーが一体化しているおもちゃで、子供用の童謡などのカラオケが流れて
それに合わせてマイクを持って唄うと、最後に採点結果が表示されるものです。
壊れるまで遊びましたし、歌を歌って採点してもらうという遊び方以外に、
「扉を隔てて、マイクとスピーカーそれぞれを隣り合う別の部屋に置く」ことで、
マイク側は“放送”、スピーカー側は“リスナー”みたいなラジオごっこもして遊びました。



これらの環境の影響を受けまくった結果、小学校時代は朗読をカセットに録っていましたが、中学くらいからは
「トーク→曲→トーク→曲」という構成で台本を書き、60分カセットテープに自作ラジオ番組を吹き込む
というのをやるようになり、さらに小学6年くらいから「カラオケボックス」が今のような
“若者向けの娯楽施設”化してきたので、歌もカセットに録るようになりました。
JOYSOUNDの功績は大きいと思います。DAMも勿論。
家ではCDのカラオケトラックを流しながら歌ったのを空間録音したり、
カラオケボックスに行く時も、ポータブル型のテープレコーダーを持ち込んでスピーカーから出る音を空間録音していました。
なので、歌のカセットだと最古のものは15歳くらいのもの(1996年)がありますね。
PCでの宅録を始めた2005年までの10年間で、何本のカセットテープを「カラオケボックス録音」に費やしたかわかりませんな。
MDポータブルレコーダーが世に普及してからもカセットテープ派だったしw
特に大学時代は、週2〜3でヒトカラに行って各4時間録音して、帰ってきて「反省会」をしていたので。
90年代といえば、J-POPは小室ファミリー全盛期、アニメは林原めぐみさんが声優ながらオリコン上位に、という時代でしたので
「カラオケで唄いたい曲」に困ることは一切ありませんでしたね。練習して歌う甲斐がある曲ばかり!


朗読カセットを録り始めたとき、それは「誰に聞かせるためでもない」ものでした。
ただ、「朗読を録る」というのが目的で、楽しくて、読み上げを間違えずに録り終えたらもう満足でした。
歌は、「デモテープオーディション」みたいなタイプのものに何度か送付したこともありますが、
本来の目的は「録って聴き直す」ことで、反省点が浮かび上がってきて、次のカラオケのときに
そこを課題にして唄うことで、「カラオケボックスでの“無編集・一回性の”歌を上達させるための手段」でした。
だから、カセットに録音した歌そのものは、基本的にはやはり「誰に聞かせるためでもない」ものでした……。

「カラオケボックスでカセットテープに空間録音したものをPCに吸い出した」ら、
こんなデータになります。(2006/3/19録音)

酷い音質だけど、こういうカセットを聞いて毎度「反省会」していました。
むしろ反省会するために、カラオケに行って録音をしてた説までありますね。
こういう音源を2chのカラオケ板にアップする度に
「ライン録音か宅録で聴きたい」
と言われまくっていました……。文字通りのお耳汚しスマン……。

けれど、歌の録音、ミックスの環境が整えば、「必ずそうする」であろうことも、ここまでの流れを考えれば当然でしたね。
必然にして当然の、今の宅録環境と録音頻度です。
また、「誰かに聞かせる以前に自分が録音を楽しむためにやっている」という原点からもズレていませんw

例えば、ニコニコで活動するようになって以後、2ch時代以上に「○○歌ってください」のリクエストを貰うようになったけれど、
「リクエストを貰ったから」というだけでそれを唄うことはしたことがなく、それは
趣味の範囲では、「唄いたいかどうか」という自分の気持ちを絶対に偽りたくないからで、
仮に「リクエストを貰ったけど、唄いたいと思わなかった」ら、録りませんし……。
「リクエストされたから唄うことにしたけど、あんまり唄いたくなかった」なんて曲を
録るのが楽しいわけないし、聴く人にもそれが伝わって楽しめないかもしれないですし。
だったらリクエストに応えない方が、いっそ誠実だという価値観で生きていますね。
元々が、上記の通り、「誰に聞かせるものでもないカセットテープを量産し続ける人生」を送ってきたので。



◇私と仕事

ブログを始めた頃は大学在学中だったので、昔の記事は卒論の話題が続いたりしますが、
今は、「やりたいこと」にすごく近い仕事を出来ているので、仕事に関する所感も書いておこうと思います。

上記のように、物心ついたときには「自分の声が録音されたカセットテープ」が存在していて、
小学校に上がる頃には、「自分の意志で自分の声を録るようになった」わけですが、
ただ「録音がしたい」のであれば、自分の声じゃなくても良いような気がしますね。
例えば知人に「撮り鉄」ならぬ「録り鉄」の人がいて、その人は全国のあらゆる駅の、あらゆるホームの「発車ベル」や
「車内放送」などをMDに録って回る旅をしていました。

【雑記】なぜ私は声にこだわっているのか
という雑談カテの記事にも書いたことを、繰り返しにはなるものの、更に細かく書いている感じですが、
この記事の3にあるように、母親が自身のコンプレックスを
1,子供に投影して貶す
2,学校で好成績をあげるべき理由として使う
という育て方をする人だったので、成人を過ぎて「ずっと詐欺に遭っていた」気持ちになって
「いつか絶対母親を論破してやる……」という精神が育ってしまったのが大きいですね。
(ただ、相手は「論理」を解さない強敵なので、論破したところで「論破されたことに気付かない」し、
ただ拗ねて機嫌悪くなるだけなので、実際には議論する気はありません)

例えば、私が中学〜高校時代、「漫画家になりたい」だの「イラストレーターになりたい」だのと言っても、
「歌劇団で歌や踊りがやりたい」だのと、「そのための専門の勉強がしてみたい」ということを言っても、
「漫画家は頭が良くないとなれない」「勉強して大学に入れば後で出来る」などという答えでした。
つまり「学校の成績順を上げろ」と。
まぁそれも一理あるのかもしれません。
でも大学に入ったら入ったで
「卒業して、高給か社会的地位のある職に就いて、いい人を見つけて結婚しろ」
しか言わなくなったので、
「ずっと私がやりたいとか、なりたいとか、思ったり言ったりしてきたことが
大学に入ったら出来るという話は、どういうことだったのか」
と訊いたら
「それはそもそも仕事にはできない、仕事にしようとしても不幸になるだけだから、趣味に留めるべきもの。
いい会社に入って結婚して趣味として続ければいい」
と言われたので
「そういうオチだったのか。ずっと騙されていた気分だ」
と。

私はずっと「将来の自分の仕事の話」をしていたのに、相手はずっと「いかにそれを仕事にさせないために詭弁を通すか」
という話し方をしていたと知って、一度人生観がめちゃくちゃになったんですよね。
「親が違ったら、もっと早くに、なりたいものになる可能性を別の場所で探っていたかもしれないのに
全然自分が行きたいのと違うところに連れて行かれるレールの上を走らされてて戻ることもできない」ことに今更気付いたけど、
じゃあここまでもう「やってきてしまったこと」とかそれに掛けた時間とか得たものを一番無駄にしないで、
且つ、これからの時間で「自分がやりたいこと」になるべく近づくには何をすればいいんだ……と
悩むことになりました。
話し合いも出来ない相手だということはもうわかりきっていたし。
「早くに気付いていたら結果は違ったか」を考えても、「変わらなかっただろう」という結論にしかならなかったし、
過ぎた時間は取り戻せない以上、これからどうするかが問題だ、と。
休学時、「大学の何が嫌なんだ」と父親に言われたけど、その時点ではこの感情を上手く説明もできませんでした。
大学だって一応は自分の興味関心の強い分野へ進学したんだから大学そのものは嫌じゃなくて、
「大学に行くことしか、許してもらえなかった」ことの
裏側というか真意がこうだったと知ったのが辛かったというべきなんですが。
ものすごく早い話が、母親は「私がなりたいもの」になることを「許さない」ということなので。
そして、母親は「それはお前のためなんだ」と言って絶対に譲らないけれど、
私からすれば「私の自己実現には興味がなくて、子供を自分のルサンチマン解消の道具にしたいだけ」
にしか見えないし、話は平行線ですからね。
今でも、月に1回くらいは「大学の単位が足りなくなりそうだから焦って学校行く」みたいな夢を見ます。
そして起きて「もうずっと前に卒業してた……」と胸を撫で下ろしています。
「子供が本人のなりたいものになるために努力するのは、本来親が“許す許さない”じゃないよな……」
ということが長年、頭の中でぐるぐるし続けました。
あとは良く親が使ってきた論拠に
「大学に入っておけば潰しが効く」
がありましたが、
「なんでまず潰す前提なんだろうな」
というのも思っていました。
自分自身に自信がないから、子供のことも「自分の子供だからダメなヤツ」と思ってて、
基本的に信用や期待が出来ないんでしょうね。(でも「してしまった期待」に対してはそえてやらないとキレる)
私にもっと“主体性がなければ”、母親の言う
「子供は死ぬまで親の言うことを聞くもの」
という言いつけが守れたので、こんなに揉めないで済んだでしょうね。残念。


私は、労働は「嫌だと思う時間を過ごすとお金が貰える」のよりも、
「ずっとし続けていても苦じゃないことをやるとお金が貰える」方が「苦」の総量は明らかに軽減されると思うし、
そのために必要な技術や知識を身に着けて、「より苦が少ない生活を手に入れる」のが
「職業選択の自由」の実像だと思うんですよ。
「やりたいこと」というよりも「やり続けても大丈夫なこと」というか……。
もっというと、「努力を努力と感じないでできてしまうようなこと」をそのまま仕事にすれば、
強いられることがなくても本人が勝手に「一生勉強」するでしょうし。
選択の自由っていうのは、「努力しなくても好きなものを選べるよ」ということじゃなくて、
「選ぶためには必要なスキルがあるからそのための努力や責任を果たせば選ぶ自由があるよ」ということかと。
これは単なる「自己責任論」じゃなく、勿論、本人の努力“だけ”では、選びたくても選べない仕事もあるでしょうけど、
そもそも論として、努力をしなくても選べるよという意味でもないですよね。
(例えばだけど、本人に能力や意志があっても親が大学進学のお金を出してくれなかったら出来ない
というケースは存在するし、それによって就きたい職業が遠ざかったとして、
そういうことまで「本人の努力不足、自己責任」とはならないと思うし)

そして私にとっては、声を出すとか、声を録るとかが「ずっとし続けていても(既にライフワークだから)苦じゃないこと」で、
それを仕事にすると私にとって「労働の苦」が最大限軽減されると考えていますし、実際にそうなっています。
(あと、「通勤」が嫌いなので、家で仕事出来るのも合ってる)
そのために「指定された声色をいつでも出せる」とか「指定された速度で喋れる」とかのスキルが必要だったので
元々やってきたことの上に更に「技術職」としてのそういうスキルを積み重ねた感じです。

それに加えて、母親の言う(のみならず信じ込んでいる)
「私(母親)から遺伝で受け継いだ要素はすべて人に劣っているので、勉強などで中身を磨くしか無い」
に対しても、
「声(喉笛)」という遺伝で受け継いだものを活かすことで「反証はある」と反論できますし、
まがりなりに大学の文学部を出て、自分の興味関心に従って独学を積み重ねて声検1級も取ったのだから
「声の仕事」であり「ことばの仕事」である、今の職は
「今までの人生のあらゆる要素を最大限無駄にしない仕事」
だと思っています……。
未だに母親には理解されていませんが。
(でも、会社に勤めていた頃に、「会社に勤めている」ということを信じてくれなかったので、
どこの会社のどのビルにいるという具体的なことを伝えておいたら、勤務中に「会社に」電話してきて、
私がその電話を偶々とって
「アンタ、ほんとにそこで働いてたんだ……じゃあね(ガチャン、ツーツーツー)」
ということをされたので、もう二度と詳しく仕事の話を具体的にしたくないんですよね。
私が呆然としながら受話器を置いたら、隣の社員さんに「? 誰?w」て言われて
「母親でした……」って言ったんですけど、当然怪訝な顔されましたね。
そのあとその会社を辞めたことを伝えないでおいたら、しばらくしてまたその会社に電話したらしくて、
「もう辞めましたよ? って言われた!!」
ってブチギレメールしてきたし、今も例えば取引先を教えたら同じことをされると思うんですよね。
本当に信用がないんだと思うし、向こうからすれば「信用がないのは“許してないこと”をするお前のせい」って言うだろうし、
会社や取引先に迷惑かけるくらいなら、「もうそういうことでいいです」って思います)


私は、「求められていなくても、自分以外誰も聞かなくても録音をする」生活を送ってきたし、
これからもそうするだろうから、どうせなら「求められる」状態を目指して
「苦」が少ない状態で生計が成り立てばそれでいいと思うし、「母親が許してない」とかもう関係ないと思うんですよね。
基本的には「台本を読み上げて録音していれば」もうそれだけで一定量楽しい人間というのは、
本人が一番得ですねw

ただ、私は本質的には、自分の仕事は声優じゃなくてナレーターであるし、
これは「声の仕事」より「ことばの仕事」だと思っていますね。
「求められた声を録る」のが業務内容ではあるけれども、「日本語として誤解なく伝わる言葉選びや文法になっているか」という
校閲記者のような視点でも台本を確認・指摘・複数テイク収録しなければいけないケースも多々あるし、
大抵お芝居がどうこうよりも、「アクセントが辞典に準拠しているか」が真っ先に来るので。
「録り直し」が発生するときは大抵、アクセントの修正ですしね。
どんな単語でも、自分の言い慣れたアクセントを疑って、辞典を見てからじゃないと怖くて録れなくなりましたねw
怖いと言うか……後で修正が来ると二度手間になるので、自分と先方両者のためには
最初からすべて辞典準拠で読むことが最もスムーズだから最優先事項となる、というか。

なんにせよ、20年以上ずっと戦ってきた「母親との価値観や意見の食い違い」というテーマに、
少なくとも自分の中で蹴りがつけられるかもしれないのは、私の人生においてかなり大きいです。
それも仕事のおかげで、という。



◇私とブログ

このブログも、一番読んでいるのは自分自身だと思うし、基本的に自分のために書き残しているんですけど、
「あのときどうだったかな」と振り返るのに便利なだけでなく、考え方のアップデートに繋がることもあるので、
書くことも、読み返すことも大事だなと思います。
人としての根幹ってそうそう変わるものではないと思うけれど、ちょっとした価値観とか考え方、意識って
少しずつ変化するものだし、それを促すのは社会の情勢とか周囲の人間や世論の影響も大きいでしょうけど、
日記を読み返すだけで、自分で「この考え方って、今思い返すと稚拙だな」と思うことも多々あるし、
そうやって客観視を出来る媒体があるのは大事なのかもしれません。
それも、「自分以外絶対見ない日記」ではなく、「自分以外も読むことが出来るよう公開した記事」なので
書いている時点で、「誰かが読むかもしれない、誰が読むかわからない」という客観的視点を踏まえているわけですけど、
それでもまだまだ未熟なところが見つかるわけなので、セカンド自分やサード自分が生まれていくのを感じますね。
客観視の客観視の客観視。
巫山戯た記事も沢山あるけど、真面目に自分の考えをなんとかまとめようと試行錯誤した記事も同じくらいあるし、
全体の変遷を追うと、そこでも「徐々に自分が変わってきていること」を感じられます。
この記事に書いていることも、10年後の自分は「今はちょっと感じ方違ってる」と思いながら読むかもしれませんし。

動画の公開後に書くブログでも、とにかく毎回「今の全力を出して作った」は確かなのだけど、
ここ10年くらいを比較しただけでも、その「全力」のラインが徐々に上がってきていることがわかるので、
何度も限界を超えて、今の自分があるんだなという気持ちになるし、それは更なる継続の上で力になりますね。
私は極論「継続しか力じゃない」くらいに思っているので、継続してきた自分が、ここからの継続を支えるというのは、
変な言い方だけど助かりますw
なかなか「まとまった金と時間」がないと進まない「書籍化」の作業ですが、
これからもじわじわ進めていこうと思います……。マジで進まない……。
この記事が書籍化されるの何年後になるだろう……w
そして、「書籍化がなかなか進まない」ということを、毎回書籍化したブログの前書きや後書きでも書いている気がしますw
100冊くらい刷るなら単価は下がるけど、1部刷りでは単価4000円くらいするから、バカスカ作れないんですよねー。
宝くじが当たればペースアップするのにw

新年みたいに、新しい始まりの節目には抱負とかを掲げるものですが、変に具体的な数字とかを掲げるのも嫌だし
かといって「飛躍の年にする」みたいな漠然とした抱負も達成の定義がわからなくて好きじゃないと感じるので
ここから1年のブログの抱負は
「やめないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと」
にしようかなぁ。
別に今「ダメになりそうな時」でもないけど、(しかも歌詞は「負けないこと〜」だし)
もしこの先1年の間に「ダメになりそうな時」があって
何かを、もしくは何もかもをやめたり、投げ出したりしたくなったら
「でもブログ17周年の抱負はやめないこと(ryだから、やめないでおこう」
って思いとどまるかもしれないし!

これを読んでくださった皆さんは、私が「やめない」でいるかどうか、物陰から生暖かく見守っていてください。