4DXで映画を3本見てきた3/26。
〆は鬼滅!
良かった、まだ4DXでも上映されてて……。
だって封切りは去年だものね。コロナがなかったらもっと早く行っていたと思うけど。
でもおかげさまで、上映開始から時間も経ってる平日なせいかガラガラだったぜ!

鬼滅の刃 無限列車編公式サイト

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ずっと実況してる小学生(声量を抑えない)と、ずっと寝息立ててるお父さんがいたのでとても気が散ったww

ちなみに4DXだったので、電車に合わせてよく席が揺れるだけでなく、煉獄さんが炎の呼吸を使う度に
後頭部が熱くなった(物理)。
熱風が出る演出があるのでw
あと、猗窩座の打撃に合わせていちいち「プシュッ!」って風が耳元を掠めたし、善逸の霹靂一閃六連のときは
6回フラッシュがバチバチしたりと、ものすごいアトラクション感あった。これぞ4DX!
この日に見た、モンハン、エヴァ、鬼滅の3本では、鬼滅が一番アトラクション感あったかもしれないほどw
「ずっと一緒に汽車に乗っている感じ」がするしね。
もう一回4DXで見たいと思った(気が散ったし)w

隣の席の子連れのお父さん、場内の消灯から終演までずっと寝息かいびきを立てていたので、
「3000円も払って、ガタガタ揺れてて時に背中を叩かれる椅子で寝続けられるなんてすげえぜ!
完全に魘夢の血鬼術にかかってるな!!」
と色々感心してしまった!w

私は、朝から4DXの部屋に入って、出て15分するとまた入る時間になるので入って……を繰り返し、毎回同じ席に座ったんだけど、
さすがに3枠目になるとお腹が空いていたなw 俺は長男だから耐えられたわ。
食べたものといえば、モンハンとエヴァの間に、半ば無理やりフードコートに駆け込んで食べたクレープだけだったしw
途中でトイレに立つ必要がないよう、飲み物も控えていたのでちょっとした断食の修行だったわw
ブッダなら喜んでやりそう。

でも、そういうのが気にならないくらいどの映画にも没頭して楽しめたから良かった。
前日よく寝ておいたのが功を奏したw


鬼滅は、TVアニメ放映時毎週リアタイで見ていたし、アニメ化前の段階で
「アニメ化が決定したので最新話まで無料公開」
みたいなのをジャンプ+でやってたから、そこに掲載された分は原作も予め読んだのだよな。
でも、その時はまさかアニメがこんなに大ヒットして、煉獄さんが300億の男になるとは予想もしていなかったぜww
(そもそも私が読んだ原作の範囲には煉獄さんが出てきていなかったしな)



「キャラクターが死ぬフィクション作品」において、そのキャラクターにどれだけ感情移入させたり、
愛着を湧かせたりするかというのが大事だろうし、それには一定の時間や情報密度がどうしても必要だと思う。
ある程度の時間をかけてじっくりそのキャラクターのファンの愛着を熟成させた上で「殺す」から涙を誘うわけで。
それは一種の「カタルシス」だ。
その点すごいのは、煉獄さんがまともに出てくるのはこの映画が始まった後であって、
放映済みのテレビシリーズ終了時点では、“柱”は煉獄さん含め「名前しか出ていない」に等しい状態。
つまり煉獄さんの人となりも、死に様も、この映画の中で描写が始まって完結している。
映画という限られた尺の中で、それも3部作とかの長さに頼ることもせず、
視聴者がこの映画の中で煉獄さんを好きになって、煉獄さんの死を悼み悲しむようにするのは、
並大抵のことではないと思う。

「泣ける映画」というのが色々ある。(私はこの「泣ける」という言い方が好きではないがそれはさておき)
そしてその中に、シリーズものでなく単発の作品で泣ける、というのも沢山ある。
そこで「キャラクターの死」が涙を誘う場合には必ず、
「限られた時間の中で、そのキャラクターの魅力を全部伝えきった後に満を持して死なせる」
という展開にしているはずだし、難しいことをやり遂げていると思う。
時間の使い方や、情報の与え方、人物の描き方を工夫してカタルシスを引き起こさなければいけないので。
テレビ番組だったらもっと尺があるからじっくり時間をかけられるけど、映画はそうじゃない。
だからどんなに頑張って作り込んでも、狙った通りにならない場合だってある。
人間の情動とは難しく、映画の尺だと「狙いすましたようで却って冷める」というようなことすら起こるからだ。
まぁ死ぬことだけが「泣ける作品」の涙の源ではないと思うし、
実際「キャラクターが死ぬ」以外の理由で泣いてしまう映画だって沢山あるけど、
とにかく映画という、「限られた時間」の中、キャラクターの死を以て
見ている人の心を揺さぶるにはすごい工夫が要るのだ。


煉獄さんの強さと魅力の秘訣は、「ノブレス・オブリージュ」にあると思う。
ノブレス・オブリージュは、本来ヨーロッパ(フランス)が階級社会だった頃のことわざで
「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある」
という意味の言葉だが、煉獄さんの強さの根底にある思想はこれと同じである。
母の教え、「人より強く、秀でた者として生まれたのならば、他者を助けることにその力を用いなければならない」。
これは、そのままノブレス・オブリージュである。
つまり煉獄さんは歩くノブレス・オブリージュである。
ノブレス・オブリージュに生き、ノブレス・オブリージュに死す。
この映画はそういう映画だった。
「ノブレス」は「高貴さ・身分の高い者(Noble)」だから、ここを「強さ」に変えればそれが煉獄さんだな!

視聴者としては煉獄さんの「ちょっと変わった人だけど面倒見が良い」「ひたむきさ」みたいなところに惹かれるし、
「家族思い」だが「いまいち報われていない」ところなどにも同情する。
炭治郎もだが、煉獄さんも「兄として」ある意味ひとりで頑張ってきた人だから。
だから、彼に報われて、幸せになって欲しいと願うが、出会い頭その強さを心底認めてくれる相手が
よりにもよって鬼だったし、煉獄さんは煉獄さんの信念の元に、仕事をやり遂げて死んでしまう。
同じくらい強い人間でも、ノブレス・オブリージュの思想がなければ猗窩座のようになってしまうという対比。
見ている者としては
「煉獄さんに幸せになってほしい人生だった……」
とならざるを得ない。
それを、2時間の尺でまとめているのですごい。

もうね、Blu-ray予約しました。


今日は良い映画日和だったなあ(´;ω;`)