大震災から今日で10年が経ちましたね。
忘れないようにしよう、風化させないようにしよう……なんてわざわざ言おうと思えないくらい
忘れたくても「忘れられない」ですよ。
今日は10年経ったからこその雑感をまとめようと思います。
忘れないようにしよう、風化させないようにしよう……なんてわざわざ言おうと思えないくらい
忘れたくても「忘れられない」ですよ。
今日は10年経ったからこその雑感をまとめようと思います。
(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)
毎年この時期になれば嫌でも「その日」のことを振り返るし、ツイッターとかでも
「今年は震災に触れないようにしよう」
とか意識しない限り、何かを言いたくなってしまう10年間でした。
去年などはこんなことを言ってますし。
また、この時期でなくても「震災時はこうだったよなー」と何かと他のこととも結びつけがちだし、
そこに「得られた教訓があるからこそ」のときもあれば、ただ闇雲に記憶を呼び覚まされたからのときもありますよね。
私はあれからずっと色々なことを考え続けていますが、津波や火事、原発からは遠かったけれど、
東京の方に比べると充分「被災地寄り」という、「中間の場所」で生きてきた者として、やはり一番の教訓は
「備えがない時に、大災害に直面する恐怖や不安は途轍もない」
ということで、”防災意識”というものを改めて考えさせられました。
日本は地域にあまり関係なく、元々自然災害は色々ありますから、地震に限定せず
「何かあった時にどれだけその非常事態に応じることができるか」
というのをいつも考え、行動に反映させておくというのが“防災意識”なのだと身を以て知りました。
“情報”の取り扱いについても(これは元々知っていたことで震災で学んだことではないにせよ)、
改めて「意図してデマの拡散をする者」とか「弱みに付け込む者」とかが炙り出されるのを見て怖いなぁと思いました。
また、世間一般の人々が、「共通の敵や脅威」に対して、一致団結できる時間はそう長くないこともあの時知りました。
だからコロナ騒動でも、最初こそ「みんなで乗り越えよう!」みたいな機運が高まったものの、
すぐに考え方、価値観の違い、温度差から分断していき「あの時と一緒だ」と思いました。
人間は元来そういうものなのだな、と。
10年前、地震当日はうちでは電気・ガス・水道が止まって、幸い翌日には電気は復旧したのでネットはできるようになりましたが
ガス・水道の正常化までは長かったですね。
当時の日記は以下のようなものがあります。
2011/3/13の記事 東北太平洋沖地震
2011/3/15の記事 今回の経験値で習得したい魔法一覧
2011/3/19の記事 おしらせいろいろ溜まった
また、2011/3/11〜3/12のツイートも以下のような感じ。
2011/3/11のツイート一覧
2011/3/12のツイート一覧
(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)
こうしてネットで少しでも「活動」をしてそれが人の目に触れるという自覚があると、
どうもこういう非常時には
「どこかの困っている誰かの助けになるようなことをした方が良いのではないだろうか」
みたいな気持ちになりがちだと思うんですよ。
こう言うと変かもしれませんが、誤解を恐れずに言うと、2010〜2011年頃の(V)・∀・(V)の方が
今の(V)・∀・(V)よりも、「人の期待を背負っている」ところもあったので。
私も「出来ることがあるならしたい」と実際思いましたし。
でも、「人には出来ることと出来ないこと、得意なことと不得手なことがある」が持論なので
まず「自分に出来ること」を知らなきゃ動けないし動くべきでないと思ったんです。
(軽率に動いた結果炎上した人も見たし)
だから、今でも「自分にできること・できないこと」についてよく考えるんです。
「身の丈に合わないこと」はしない方が良いんです。
それを本当に真剣に考えるようになったのは震災きっかけだったと思うので、
ある意味「パラダイム・シフト」が起きたと言ってもいいですね。
2011/3/13にはこういうブログ記事もあります。
できること を考えてた
本当にここから10年ずっと考えていたので、今日はその自分なりの答えも書こうと思うんです。
それで考えてきた結果なんですけど、普通そんなにないんですよ、「できること」が!
ちょっとネットで活動を人に知られている程度じゃ……。
テレビに出てるとかYoutubeのチャンネル登録者数がン百万とかのすごく有名な人だったら、
自分の知名度を人助けに活かすことが出来ると思うんですけど、私はよーくよく考えた結果、
「自分にはそこまでの力はない」
としか思えなかったですね。
実際私が「少しだけでもどこかの誰かの助けになれたかもしれない」ようなことって、
ニコ生で24時間配信して、そこで募金を15万円くらい集めたのが関の山で。
これだって「やらなかったよりは15万円募金を多く集められた」けれども、そう大した金額ではないわけで。
(参考記事 2011/4/4の記事 24時間ニコ生した)
そういう「力」があまり強くないのに、漠然と「どこかのよく知らない困っている誰か」のために何かをやろうとしても、
「烏滸がましい」だけだと思うようになったんです。
『ムーたち』用語で言う「セカンド自分」が「ファースト自分」のことを「烏滸がましい」と思うんです。
つまり「最初の自我」である私を客観視する別視点の自我が、
「自分は烏滸がましい」と。
というのは、24時間ニコ生は実際に「お金を動かせた」からなんの手助けの効果もないことではなかったと思うけど、
(そもそもそう思うからこそ現に配信した)
お金の動かない活動にいちいち
「遠くの困ってる誰かを勇気づけるため」
みたいな大義名分をくっつける必要がないと思うわけですよ。
ただ歌を歌った、とか、ただニコ生をする、とか。
人のためにお金を動かせないのに、自分がやりたいことに後ろめたさがあるから、
それを誤魔化すため(だけどそのことには無自覚か鈍感で)
「困ってる人のためになりたくて」っていう大義名分をつけるのって、
「知名度を人助けに利活用する」のとは真逆の、「人助けを知名度UPに利用すること」という側面があるよなと、
「セカンド自分」が考えてしまうので自分の居心地が悪くて私は出来ないから
「これは私に“できること”じゃないんだ」
と思うようになりました。
大体、その顔も名前も知らない困っている誰かが欲しいのは
「勇気づけ」じゃなくてお金とか物資のはずなんですよ。
「力」のある人なら、お金も物資も送れるし、活動で「勇気づけ」ることも出来ると思うんですけど、
私はそこまでじゃないし、元から持っている知名度を少しでも人助けに使うのなら自分を許せるけど、
「人助けを知名度を上げることに利用する」のは自分が自分を許さないだろうなって。
これを考えないで実行に移したら、それを「烏滸がましい」と言うと思うんです。
「力」のない人(私)がそんなことをしても、その勇気とやらが、
狙った「誰か」に届くことなんかほぼないと思うし、そういうことを思って何かをした自分が
「良いことをしたような気持ち」になれる程度の効果しかないわけですよ。
救援物資として被災地に千羽鶴送るような”自己満足感”というか。求めてないでしょ千羽鶴。
そういう「どこかの困っている誰か」のことで、幸いにも日常を送れている自分が心を痛めて、何か少しでも手助けしたいと思うなら、
稼いで募金するなり、被災地の物を買って支援するなりする方が建設的だから。
それに、もっと身近な、手が届く人たちのことを大切に思ったり、真剣に考えたり、
真摯に向き合うほうが大事で、意味あることじゃないのかって考えました。
実際に知り合いに助けてもらうことが何度もあったので。
それは私と顔も名前も知っている同士だからなわけで。
どこかの顔も名前も知らない誰かが、確かに今困っているのかもしれないし、
それをどうにかしてあげることの優先度が高いように感じてしまうかもしれないけど、
「それを今自分にどうにかできるか」ということと「社会的な優先度の高さ」は
実は別レイヤーの話だから、混同しても自分がおかしなことになるだけだと思います。
そもそもそこを混同すること自体、認知バイアスがかかってるんじゃないでしょうか。
その結果出来ることが「自己満足」しかないなら、顔も名前も知っている身近な人を大事にしたり、
困っている誰かのところに「本当に届くお金や物資」のことを考えるべきじゃないかと。
要は、自分が何かを楽しむことの後ろめたさをごまかすために
「被災地のことを思って」
とかくっつけると、逆に嘘っぽくなるじゃないですか。
いや、私はそう思うんです。思うようになったんです。
だったらまだ「楽しいことを普通に楽しむためにやる」方がマシじゃないのかと。
何かした時に「結果的に」そういうことが、副次的に発生するなら「それはそれ」として良いことだと思うんですよ。
つまり誰かが私の「お金の動かないような、私が楽しむための活動」で、結果的に偶発的に
元気づけられ、勇気づけられるとしたら、それは良いことなのは確かなんですよ。
でも、それって先に綺麗事を言っても言わなくても、「起こるときは起こる」事象だし、ただの「結果」じゃないですか。
例えばある困った人が、たまたま私の歌とか生放送とかを聞いて元気付けられたとして、
それは私がその顔も名前も知らない誰かのことを思って狙ってやったからじゃなくて、偶然でしかないと思うんですよね。
だから先手で「どこかの顔も名前も知らない困っている誰かのためです」って宣言する必要は特にないよな
という結論に至りました。
元々ただ「自分が歌いたい曲を唄っている」人だしね、私……。
要は「できること」を考えた結果、「自分にはできないこと」も明確になってきた10年でした。
でも「できないこと」がわかってくると自然と「できること」はその反対だ、ってなるので
当然「自分のやり方」が定まってくるということでもありました。
こうして、この考えを文章にまとめるのに10年かかったと思うと長かったですね。
そして、私はどこまでもリアリストなのかもしれないと思いました。
夢を見せるとか見せられるとか、偶像崇拝するとかされるとかにあんまり興味ないし、
いっそそういうのが「自分を偽ること」になるような気がして“据わりが悪い”まであるというかね…w
もう40年くらい生きてるので、その中で色々な経験をして、
「あのときから感じ方や考え方が変わってきたな」と思うところは自分でもありますけど、
私という人間の根幹の部分は、いつの自分を切り取っても見ても変わっていないんだな、と思いました。
毎年この時期になれば嫌でも「その日」のことを振り返るし、ツイッターとかでも
「今年は震災に触れないようにしよう」
とか意識しない限り、何かを言いたくなってしまう10年間でした。
去年などはこんなことを言ってますし。
震災のあった日だけど、思い出したくないこととか思い出さなくて良いことも思い出しかねないから、あまり考えないことにした
— (V)・∀・(V)かにぱん。🦀🍞@つくば (@kanipan666) March 11, 2020
備蓄はいつもしてる
また、この時期でなくても「震災時はこうだったよなー」と何かと他のこととも結びつけがちだし、
そこに「得られた教訓があるからこそ」のときもあれば、ただ闇雲に記憶を呼び覚まされたからのときもありますよね。
私はあれからずっと色々なことを考え続けていますが、津波や火事、原発からは遠かったけれど、
東京の方に比べると充分「被災地寄り」という、「中間の場所」で生きてきた者として、やはり一番の教訓は
「備えがない時に、大災害に直面する恐怖や不安は途轍もない」
ということで、”防災意識”というものを改めて考えさせられました。
日本は地域にあまり関係なく、元々自然災害は色々ありますから、地震に限定せず
「何かあった時にどれだけその非常事態に応じることができるか」
というのをいつも考え、行動に反映させておくというのが“防災意識”なのだと身を以て知りました。
“情報”の取り扱いについても(これは元々知っていたことで震災で学んだことではないにせよ)、
改めて「意図してデマの拡散をする者」とか「弱みに付け込む者」とかが炙り出されるのを見て怖いなぁと思いました。
また、世間一般の人々が、「共通の敵や脅威」に対して、一致団結できる時間はそう長くないこともあの時知りました。
だからコロナ騒動でも、最初こそ「みんなで乗り越えよう!」みたいな機運が高まったものの、
すぐに考え方、価値観の違い、温度差から分断していき「あの時と一緒だ」と思いました。
人間は元来そういうものなのだな、と。
10年前、地震当日はうちでは電気・ガス・水道が止まって、幸い翌日には電気は復旧したのでネットはできるようになりましたが
ガス・水道の正常化までは長かったですね。
当時の日記は以下のようなものがあります。
2011/3/13の記事 東北太平洋沖地震
2011/3/15の記事 今回の経験値で習得したい魔法一覧
2011/3/19の記事 おしらせいろいろ溜まった
また、2011/3/11〜3/12のツイートも以下のような感じ。
2011/3/11のツイート一覧
2011/3/12のツイート一覧
(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)
こうしてネットで少しでも「活動」をしてそれが人の目に触れるという自覚があると、
どうもこういう非常時には
「どこかの困っている誰かの助けになるようなことをした方が良いのではないだろうか」
みたいな気持ちになりがちだと思うんですよ。
こう言うと変かもしれませんが、誤解を恐れずに言うと、2010〜2011年頃の(V)・∀・(V)の方が
今の(V)・∀・(V)よりも、「人の期待を背負っている」ところもあったので。
私も「出来ることがあるならしたい」と実際思いましたし。
でも、「人には出来ることと出来ないこと、得意なことと不得手なことがある」が持論なので
まず「自分に出来ること」を知らなきゃ動けないし動くべきでないと思ったんです。
(軽率に動いた結果炎上した人も見たし)
だから、今でも「自分にできること・できないこと」についてよく考えるんです。
「身の丈に合わないこと」はしない方が良いんです。
それを本当に真剣に考えるようになったのは震災きっかけだったと思うので、
ある意味「パラダイム・シフト」が起きたと言ってもいいですね。
2011/3/13にはこういうブログ記事もあります。
できること を考えてた
本当にここから10年ずっと考えていたので、今日はその自分なりの答えも書こうと思うんです。
それで考えてきた結果なんですけど、普通そんなにないんですよ、「できること」が!
ちょっとネットで活動を人に知られている程度じゃ……。
テレビに出てるとかYoutubeのチャンネル登録者数がン百万とかのすごく有名な人だったら、
自分の知名度を人助けに活かすことが出来ると思うんですけど、私はよーくよく考えた結果、
「自分にはそこまでの力はない」
としか思えなかったですね。
実際私が「少しだけでもどこかの誰かの助けになれたかもしれない」ようなことって、
ニコ生で24時間配信して、そこで募金を15万円くらい集めたのが関の山で。
これだって「やらなかったよりは15万円募金を多く集められた」けれども、そう大した金額ではないわけで。
(参考記事 2011/4/4の記事 24時間ニコ生した)
そういう「力」があまり強くないのに、漠然と「どこかのよく知らない困っている誰か」のために何かをやろうとしても、
「烏滸がましい」だけだと思うようになったんです。
『ムーたち』用語で言う「セカンド自分」が「ファースト自分」のことを「烏滸がましい」と思うんです。
つまり「最初の自我」である私を客観視する別視点の自我が、
「自分は烏滸がましい」と。
というのは、24時間ニコ生は実際に「お金を動かせた」からなんの手助けの効果もないことではなかったと思うけど、
(そもそもそう思うからこそ現に配信した)
お金の動かない活動にいちいち
「遠くの困ってる誰かを勇気づけるため」
みたいな大義名分をくっつける必要がないと思うわけですよ。
ただ歌を歌った、とか、ただニコ生をする、とか。
人のためにお金を動かせないのに、自分がやりたいことに後ろめたさがあるから、
それを誤魔化すため(だけどそのことには無自覚か鈍感で)
「困ってる人のためになりたくて」っていう大義名分をつけるのって、
「知名度を人助けに利活用する」のとは真逆の、「人助けを知名度UPに利用すること」という側面があるよなと、
「セカンド自分」が考えてしまうので自分の居心地が悪くて私は出来ないから
「これは私に“できること”じゃないんだ」
と思うようになりました。
大体、その顔も名前も知らない困っている誰かが欲しいのは
「勇気づけ」じゃなくてお金とか物資のはずなんですよ。
「力」のある人なら、お金も物資も送れるし、活動で「勇気づけ」ることも出来ると思うんですけど、
私はそこまでじゃないし、元から持っている知名度を少しでも人助けに使うのなら自分を許せるけど、
「人助けを知名度を上げることに利用する」のは自分が自分を許さないだろうなって。
これを考えないで実行に移したら、それを「烏滸がましい」と言うと思うんです。
「力」のない人(私)がそんなことをしても、その勇気とやらが、
狙った「誰か」に届くことなんかほぼないと思うし、そういうことを思って何かをした自分が
「良いことをしたような気持ち」になれる程度の効果しかないわけですよ。
救援物資として被災地に千羽鶴送るような”自己満足感”というか。求めてないでしょ千羽鶴。
そういう「どこかの困っている誰か」のことで、幸いにも日常を送れている自分が心を痛めて、何か少しでも手助けしたいと思うなら、
稼いで募金するなり、被災地の物を買って支援するなりする方が建設的だから。
それに、もっと身近な、手が届く人たちのことを大切に思ったり、真剣に考えたり、
真摯に向き合うほうが大事で、意味あることじゃないのかって考えました。
実際に知り合いに助けてもらうことが何度もあったので。
それは私と顔も名前も知っている同士だからなわけで。
どこかの顔も名前も知らない誰かが、確かに今困っているのかもしれないし、
それをどうにかしてあげることの優先度が高いように感じてしまうかもしれないけど、
「それを今自分にどうにかできるか」ということと「社会的な優先度の高さ」は
実は別レイヤーの話だから、混同しても自分がおかしなことになるだけだと思います。
そもそもそこを混同すること自体、認知バイアスがかかってるんじゃないでしょうか。
その結果出来ることが「自己満足」しかないなら、顔も名前も知っている身近な人を大事にしたり、
困っている誰かのところに「本当に届くお金や物資」のことを考えるべきじゃないかと。
要は、自分が何かを楽しむことの後ろめたさをごまかすために
「被災地のことを思って」
とかくっつけると、逆に嘘っぽくなるじゃないですか。
いや、私はそう思うんです。思うようになったんです。
だったらまだ「楽しいことを普通に楽しむためにやる」方がマシじゃないのかと。
何かした時に「結果的に」そういうことが、副次的に発生するなら「それはそれ」として良いことだと思うんですよ。
つまり誰かが私の「お金の動かないような、私が楽しむための活動」で、結果的に偶発的に
元気づけられ、勇気づけられるとしたら、それは良いことなのは確かなんですよ。
でも、それって先に綺麗事を言っても言わなくても、「起こるときは起こる」事象だし、ただの「結果」じゃないですか。
例えばある困った人が、たまたま私の歌とか生放送とかを聞いて元気付けられたとして、
それは私がその顔も名前も知らない誰かのことを思って狙ってやったからじゃなくて、偶然でしかないと思うんですよね。
だから先手で「どこかの顔も名前も知らない困っている誰かのためです」って宣言する必要は特にないよな
という結論に至りました。
元々ただ「自分が歌いたい曲を唄っている」人だしね、私……。
要は「できること」を考えた結果、「自分にはできないこと」も明確になってきた10年でした。
でも「できないこと」がわかってくると自然と「できること」はその反対だ、ってなるので
当然「自分のやり方」が定まってくるということでもありました。
こうして、この考えを文章にまとめるのに10年かかったと思うと長かったですね。
そして、私はどこまでもリアリストなのかもしれないと思いました。
夢を見せるとか見せられるとか、偶像崇拝するとかされるとかにあんまり興味ないし、
いっそそういうのが「自分を偽ること」になるような気がして“据わりが悪い”まであるというかね…w
もう40年くらい生きてるので、その中で色々な経験をして、
「あのときから感じ方や考え方が変わってきたな」と思うところは自分でもありますけど、
私という人間の根幹の部分は、いつの自分を切り取っても見ても変わっていないんだな、と思いました。
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