ツイッターで榎本俊二先生をフォローしたら、時々、既刊の漫画を数ページツイートしてくださるので、
『ムーたち』が自分のツボそう、と思って速攻Amazonで買ってきた。
読んだ。

ムーたち (全2巻)まとめ買い -Kindle版




(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


小4くらいから連載終了まで、週刊モーニング誌上で『ゴールデンラッキー』を読み続け、
単行本も元の装丁と、完全版の両方で持っている私だが、当時なぜ自分に『ゴールデンラッキー』が刺さったのか、
なぜ今も面白いと感じるのかなどの疑問を、「作品要因」と「自分の内面的要因」との両方の側面から考察してみたりするんだけど、
『ムーたち』を読んでひとつの仮説にたどり着いた。
記事タイトルの【漫画】に「?」をつけたのもそれと関係がある。
自分のツイートにも答えのピースがあった。






結論から言おう、『ゴールデンラッキー』にも『ムーたち』にも共通する要素として、
「思考実験」
というのがあると私は考える。
特に『ムーたち』は、全編通して思考実験がテーマと言ってもいいくらいで、
「絵で描かれている」から漫画の体裁をとっていると言えるが、読後感には哲学書のような趣がある。




例えば、人文学の棚へ行くとこういう本があるのが、私は好きだ。

でも、「私がこういう本を好きになったのはゴールデンラッキー、ひいては榎本俊二の影響」だと考えると、
順序も辻褄も合ってくる。

哲学的思考実験には「正解」がない。
「思考」の「実験」をすることそれ自体が目的であり、正解にたどり着くことは重要ではないし、
「唯一絶対の正解」は存在すらしないから、「重要ではない」どころか、そもそも実験を重ねてもたどり着くことは不可能だ。
有名なものでは「トロッコ問題」があるし、「トロッコ問題」にも「唯一絶対の正解」はなく、
「あらゆる考え方のパターン・ケースを出して並べてみるための、ブレインストーミングの題材」みたいなものだ。
トロッコ問題では、まず
「一人の作業員と、三人の作業員なら、より多い方を助ける方が”正解に近い”」
と考える人もいるし、一方で
「その人達がそれぞれどういう背景を持つ人かを知らなければ、数だけで”命の重さ”を決められない」
という考え方もある。
例えば、「一人の方はとても善良な人間だが、三人の方は数こそ多けれ、極悪人である」などの条件が
新たに追加されることで、
「数で言えば三人を助けたいけれど、人道的には善良な人を生き残らせたい」と思ったりするだろう。
こういう風に色々なパターンやケースや考え方を並べていくと、自分含む、議題に参加している人たちの
「人道」「正義」「倫理」「命の重さ」などの定義づけが明らかになってくるのだ。
どれが「正解」ということではなく。
やっていることの本質は、ソクラテスのディアレクティケー(問答法)と同じで、
「質疑を繰り返すことで回答者の物の捉え方・考え方が表出する」、それが「思考実験」の目的であり結果だ。



「正解」と「解説」がなく、「題材」だけが与えられる漫画、それが『ゴールデンラッキー』だった。
そして、それを研ぎ澄ませたのちに、柔和にしたのが『ムーたち』だと思う。
『ゴールデンラッキー』は4コマという制限があるため、どうしても「無駄を最大限省く」か、
「無駄のみで構成する」かのようになるところがあると思う。
『ムーたち』は、4ページで1本なので、4コマと比べた時の制限が緩やかで、
「父と子の対話」という形式で描かれていることも、「読み手に対して親切さが増している」ポイントだと思う。

これらを読むと、思考実験の「題材を与えられる」、もしくは作中人物が行う思考実験の「過程を観察する」ことになるので、
読者もいつの間にかその思考実験に参加することになる。
絵で描かれてはいるが、実に論理学的、哲学的な書物だと思う。

はっきり言って「思考実験」は面白い。
「どういう意味だろう」「どういう意図だろう」「それからどうなったんだろう」と
アニメを見て考察するのが好きな人も少なくないと思う。
「思考実験」もそれに似ていて、考えても「自分なりの解釈」にたどり着くだけなのだけど、
その過程を楽しむものなのだ。
アニメやゲームの考察も、思考実験も、「自分の中で筋は通る」ということが大事で気持ちいい事なのだ。
『ムーたち』では、父であるみのるや担任の教師が、ムー夫に「思考実験」の題材をふっかけたり
またはムー夫の質問に対して、実が「ひとつの考え方を示しながら、別の回答も出させるよう誘導したり」
ということを繰り返す。
そして登場人物にとっても読者にとっても「正解はどうでもいい」し、
読者はいつの間にか「自分でも登場人物の回答を吟味したり、自分なりに考えてみること」へと誘導されていく。

絵で描かれていて入りやすい分、上に掲載した「思考実験」の名を冠した文字がメイン媒体の書物よりも
多くの人の脳みその「思考実験欲に関係する部位」をフランクに掻き立ててくれるはずだ。
1巻掲載の、moo.16(つまり第16話)などは特に「わかりやすい」部類に入るので、
「榎本漫画で思考実験欲を掻き立てられる快楽」の初体験にオススメだと私は思う。
そんなわけで騙されたと思って第16話まで読んで欲しい。

今だから思うが、『ムーたち』に比べると『ゴールデンラッキー』の方が「上級者向け」なわけで、
私は先に上級者向けから入っていた上、それも小学生時代だった。
だから私目線では『ムーたち』は
「なんてわかりやすい漫画なんだ!!!」
という感じだけど、それはいきなり谷底に突き落とされて這い上がって来た後に、
公園の滑り台を滑るくらい”わけない”ことなのと一緒で、すなわち、私の感覚がズレているだけだと思う。
だから、もし『ムーたち』を読んで、
「わかる、面白い」
となったら、その後で『ゴールデンラッキー完全版』も読んでみるといいと思う。
今までの人生で、
「初手『ゴールデンラッキー』を読ませて、受け入れられた人間」
にはほとんど出会えなかった。
それもそのはず。
これからはまず『ムーたち』を布教して、それが刺さるようだったらゴッキーに誘導しようと思った。





私がセリフを暗記してしまったほど好きなゴールデンラッキーのエピソード



私は次は「子とばの世界」を読みます。(もう買ってある)