アザンさんが、リトルナイトメア2のやりこみ要素であり、トゥルーエンドを見る条件ともなる
「ファントム集め」
を完了してくれたので、生放送で見ました。
そういったわけで2のトゥルーエンドも見たところで、色々
「何故」
と思っていたポイントを自分なりに考えてまとめてみようと思いました。
考察記事みたいなものです。
ちゃんとまとめられるかはわからないw



(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


■主人公たちと、七つの大罪

リトルナイトメアは、1と2に共通というか、統一され一貫した世界観があると考えます。
その「素地(モチーフ)」には「聖書」と「七つの大罪」の概念が使われていると考えられます。

主人公たちの呼び名(正確な「姓名」ではないと思う あだ名のようなもの)として、
数字が充てられていますが、1の主人公がシックスつまり「6」で、
2の主人公は「モノ」つまり1です。

これらの数字の表す所は、七つの大罪に充てられたものと一致するということを前提に、
この先の考察を進めていきます。

さて、七つの大罪(罪の根源となる心の性質、罪源)とその数字の組み合わせは以下のとおりです。(七つの大罪Wikiより)

13世紀のトマス・アクィナスの著作内において
<1>虚栄(inanis gloria)
<2>嫉妬(invidia)
<3>怠惰(acedia)
<4>怒り(ira)
<5>強欲(avaritia)
<6>貪食(gula)
<7>淫蕩(luxuria)

現代のカトリック教会において
<1>傲慢(pride)
<2>強欲(greed)
<3>嫉妬(envy)
<4>憤怒(wrath)
<5>色欲(lust)
<6>暴食(gluttony)
<7>怠惰(sloth)


いずれにしても、リトルナイトメア1作目の主人公シックスは、キャラクター説明にも
「お腹を空かせた女の子」
とありますし、ゲーム作中でも「それ食べちゃう?」という描写があり、
空腹から「<6>暴食」の罪を犯すキャラクターと見ることができます。

また、2作目の主人公モノは、シックスを助け、自分も一緒に生還することを目指すのがゲームプレイの主目的となっていますが、
彼が弱いながらに「シックスを助けよう」とすることそれ自体が、「傲慢不遜」であるという解釈が出来ます。


■七つの大罪と紐つけられる悪魔

更に1589年、ドイツ人ペーター・ビンスフェルトは七つの大罪と悪魔や動物を紐付けた、とWikiにあります。
(ただしこの部分については出典や文献の情報が不十分なため、すべては転記しないでおきます)

<1>傲慢 ルシファー
<2>憤怒 サタン
<3>嫉妬 レヴィアタン
<4>怠惰 ベルフェゴール
<5>強欲 マモン
<6>暴食 ベルゼブブ
<7>色欲 アスモデウス


ここも少し掘り下げていきますと、まず「<6>暴食」の象徴たる悪魔「ベルゼブブ(蝿の王)」は、
もともとはウガリット神話におけるほぼ最高神ともいえるポジションの「バアル・ゼブル」が、
「聖書」の文化に取り込まれた際に「一神教の宗教から見た他の宗教の”崇高なる神”を貶める」文脈で、
「バアル・ゼブル(崇高なる主)」の語感に似た「バアル・ゼブブ(蝿の王)」のあだ名をつけられたことで生まれた概念であるとされています。

キリスト教やユダヤ教においては、「神は唯一絶対で単一の存在」なのですが、
その思想が、『旧約聖書』内で他の宗教の「多神教」の性質や自宗教以外の神そのものを
「神として否定する、または貶めるための」口伝や著述へ至らしめたと考えられます。
『旧約聖書』の著者や、そこに記された古代人たちにとって、
比較的近隣地域の神話や神の概念は一神教として都合が悪いので、経典内で価値を下げる必要があったんでしょうね。
そういった経緯で、ウガリット神話のバアル・ゼブルと、旧約聖書のベルゼブブは
「元は同一」であったと考えられるのです。


また、「<1>傲慢」の象徴ルシファーは最も代表的な「堕天使」であり、悪魔サタンとも同一視されています。
しかも、ベルゼブブのページには以下のような記述があります。
彼は大悪魔で魔神の君主、あるいは魔界の君主とされるようになった。
地獄においてサタンに次いで罪深く、強大なもの、権力と邪悪さでサタンに次ぐと言われ、
実力ではサタンを凌ぐとも言われる魔王である。
(中略)
かつて、天界では最高位の熾天使で、天界の戦争においては、ルシファーの側近として戦ったという説話が創られた。



■シックスとバアル、モノとルシファー

さて、リトルナイトメア1作目の主人公シックスは、前の項で書いた通り
<6>暴食
の象徴であるという前提に立ち、更に、対応するキリスト教における悪魔が「ベルゼブブ」であり、
遡ってベルゼブブの起源は「バアル・ゼブル」であるということを併せて考えます。

「ベルゼブブ」の元ネタとなる「バアル・ゼブル」はどのような神かというと「慈雨の神・嵐の象徴」です。
雨季と乾季が明確な土地であるため、特に「冬の雨」はその後の作物の収穫に大きな影響を与えます。
そういった「恵みの雨」の象徴が「バアル・ゼブル」です。
バアルの歴史は長く、紀元前3000年頃の文献にはもう記述があるそうで、
古代ギリシアでも「Βάαλ(バアル)」の名で信仰されていました。
そして代表的な「バアル・ゼブル」の像でも、ギリシアにおける「Βάαλ(バアル)」としても、右手を掲げたポーズをしています。
バアルの像(ギリシャ)バアルの像
(ギリシャのバアルの像と、ルーブル美術館の”バアルの像”)

これを背後から見ると、リトルナイトメアのパッケージ画像のシックスと大変良く似たポーズであると思いますし、
シックス
バアルが「恵みの雨」の神であることから、シックスの服装(アイデンティティ)が「レインコート」であることにも説明がつくような気がします。

そう考えていくと、シックスが作中で暴食の罪を犯して邪悪な能力を獲得していく展開は、
バアルが旧約聖書で貶められてベルゼブブとなった歴史や、ひいてはベルゼブブが暴食の罪と結び付けられていることとも
重なって見えてきます。
更にバアル信仰者たちは、その「雨乞いの儀式」に「人身御供」を立てたそうです。
シックスの獲得する能力に通じるものを感じました。

バアルはウガリット神話において、「死神モト(モート)」と戦います。
この「モト(モート)」はそのまま「死」を意味する単語で
モートの肉体は冥界そのものであり、その喉は冥府の門であり、全ての生き物はその口を逃れられない

とされています。
また、死神モトは「地下の世界を治める神」「好物は人間の肉」「モトはバアルを飲み込んで殺す」などの設定を持つので
リトルナイトメア(1)の舞台「船舶モウ(胃袋)」やその船内の風景、レディ含むボスのモチーフに
死神モトの設定が深く絡んでいるように見えてきます。


そして、2作目の主人公「モノ」が<1>傲慢を体現し、「傲慢の罪」と結び付けられている悪魔がルシファーであることを考えますと、
「ベルゼブブがかつて天界でルシファーの側近として戦った」という前日譚は、
リトルナイトメア2の物語そのものであるように見えます。
(2は1の前日譚なので)

またルシファーをルシファーたらしめている要素は、「(神の上の存在になろうとして)堕天した」という点ではないでしょうか。
これこそが、“ルシファーが「<1>傲慢」の罪と結び付けられる理由”であるなら、
リトルナイトメア2のラストでモノが「奈落へ落ちていく」展開は当然のように思えてきます。

最初、ゲームとして見たときは、
「どうしてこんなに今まで一緒に頑張ってきたのに、最後の最後にシックスは手を離すのか」
というショックが大きくて、
「シックスが引き上げてくれるENDもあるんじゃないか」
と思いましたが、モノ=傲慢・ルシファーの象徴であるなら、最終的に「堕ち」なければオチがつかないというか
そういう”演出”の方の意味ですごく納得してしまって、シックスが引き上げてくれる「エモいEND」では、
むしろ設定が根底から崩れてしまうんだなぁと思いました。

だから今は、仮にファントムを全て集めてトゥルーエンドを迎えたとしても、
シックスが手を離す点は変わらないということに、すごく納得しています。
モノがシックスに引き上げてもらえない理由は、
「彼ごときが他者を救おうと考えること自体、傲慢だったから」
でも説明がつきますし、メタ的には
「ルシファーをモチーフにしているので、罪を犯して堕天するオチは変えようがない」
とも言えますね。

また、ルシファーの設定には「12の翼を持つ」というものがあります。
リトルナイトメア2のコレクタブル要素に「帽子」というのがあり、これを集めてもエンディング等、物語の展開には影響を与えませんが、
総数が12種というところにもルシファー要素を感じました。


■電波塔とテレビとプロビデンスの目

リトルナイトメア2は、1作目よりも一層「カトリック教会的七つの大罪」というモチーフを
強く押し出す構造になっているように感じます。

1作目でも「目」の意匠は扉やあちこちに描かれていましたし、DLCも含めると、
「三角形の中に目」のマーク、すなわち「プロビデンスの目」がそのまま出てくるシーンも複数あります。
そもそもゲームのロゴマークの「目」も、「プロビデンスの目」ではないでしょうか。
リトルナイトメアロゴ

DLCのプレイ中に出てくる印象的な「プロビデンスの目」や「まぶたを開くと監視カメラ映像が見えるボタン」
リトルナイトメア_プロビデンスの目リトルナイトメア_監視カメラ映像


「プロビデンスの目」とは、「神の全能の目」といい、キリスト教における「摂理(Providence)」を象徴します。
「摂理」のWiki記事の「キリスト教における「摂理」」の項目にこうあります。
神が創った世界と人間は、神の意思や摂理(Providence)によって導かれている。
神が人間に自由意志を与え、人間は個別に判断することが可能になったものの、
我々人間の認識能力の不足や、(悪魔が作り出す)様々な幻覚によって惑わされ、
神がもともと我々のために定めておいた計画を、人間は放棄してしまっているのだ、とされる。

この目は全能ですから、「罪を見通す」ことも出来るわけで、リトルナイトメアの世界にこの目の意匠が多いことから
あの世界の住民たちの間に「土着の信仰」のような形で、この摂理や「神は全てをお見通しだ」という思想が
根付いていると考えられます。
飽く迄も1作目ではそのように「信仰側の目線」を考えることが出来るに留まりましたが、
2作目ではもっと、作中世界における「神の目」はどのようなものかを説明している気がします。

リトルナイトメア2において、「テレビに齧りついている人、テレビを見るためなら死んでしまうNPC」は、上記引用の
「(悪魔が作り出す)様々な幻覚によって惑わされ、神がもともと我々のために定めておいた計画を、
人間は放棄してしまっている」ことの表現にも見えますね。
悪魔(サタン=ルシファー)が作り出す様々な幻覚で、人間が役目を放棄すると考えると、
ノッポ男(最低でも1度は「クリア」したモノ=堕天したルシファー)が
幻覚で人間を惑わせていることになってそれはそれで筋が通ります。

しかしそうなると、罪の観測者であり「摂理」たる「神」はどこにいるのでしょう。
それはゲーム制作者と考えることも出来ますし、ゲームをプレイし、それを観測している
プレイヤーと視聴者が「罪を目撃する目」を持っている者と言えるでしょう。
入れ子構造のようになっていて、「見る主体は誰か」をひとつに絞れないというか、
いくつものパターンが考えられ、誰もが観測者であり誰もが観測される側でもあるというのがぞわっとしますね。

テレビを見ている人たちの顔面は削れていて、捏ねた粘土のようになっています。
私はその人達の「目」は、テレビの中に潜ったときやラストに出てくる「肉塊と目の集合体」と化していると思いました。
その目は、モノの罪をずっと見ているのです。
ですから、顔面が削れた人間たちは、「電波に惑わされている人間」であると同時に、
モノの罪を目撃している観測者、すなわち神・摂理の象徴そのものでもあるのです。

モノは「罪を犯し、タイムループに囚えられ、電波で人を惑わす悪魔」となったことになりますが、
同時に「その罪を目撃している我々」は「電波によって惑わされている人間」でもあり、
その人間こそが「モノの罪を見通す目」を持っている神であるという、この構造自体がループしているのです。
ゲーム内では「モノの時間がループしている」ことにはすぐに気付きますが、
「プレイヤーも構造のループの一部に取り込まれている」し、そのための装置として
テレビを活用したのかと考えると色々納得も行きますが、そのセンスに脱帽です。


■さいごに

これまで書いてきたことで
「シックスがレインコートを着ている」
のはバアルとの繋がりで勝手に納得したのですが、
「モノが被り物をする」
のにはどういうメタファーがあるのかなぁ? というのが謎です。
<1>傲慢と紐付けられている動物に「梟」がいるけど、「袋」とかけた駄洒落ではあるまいしw
ゲーム制作スタジオが日本の会社じゃないから、日本語の駄洒落をやるとは思えないのでw
ブラウン管的なシルエットということで紙袋を被せたんでしょうかね。