今回は「ごんぎつね」と「てぶくろを買いに」を読みました。
いずれも新美南吉作。


(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)



最近仕事でドキュメンタリー番組のナレーションのようなものをやることがあるのだけど、
明るく楽しいタイプのものではなくて、静かな雰囲気なのでウィスパーボイスのような声で読み続ける。
これが、全力の大声を出す時と同じくらい肺活量が要る……。
ぶっ通しでやってると、クラクラ・ふらふらしたりする。
静かな声だからって息を使わないということでもないんだな……むしろめっちゃ使うんだな、っていう。

明るく元気な声の案件も前と変わらずあるのだけど、静かなのも結構増えて、
「あーこの仕事クラクラしないで出来るようになりたいなー」
とw

それで、パワーブリーズでの訓練再開したり、体幹鍛えたりしてるのだけど、
そもそも「静かに、安定して読み続ける」っていう事自体もっと繰り返しやったほうがいいなと思って
以前読んだ「星の王子さま」みたいに、睡眠導入で使えるようなトーンで朗読を録ることに。

ちょうど、少し前に本屋さんで岩波少年文庫版の新美南吉作品集を買ったしな。朗読する前提で。



手元でアクセント辞典を開きっぱなしにしておいて、迷ったらいちいち調べたので
多分……アクセント辞典準拠の読み方になっていると思う……。
稀に思い込みで標準アクセントじゃない読みになってるところがあるかもしれないけど。
(星の王子さまのときも「すると」とか「あくび」とかが辞典で許容されてないアクセントのまま出しちゃったし、
指摘されるまで気付かなかった。訛りとは恐ろしい)
「魚籠(びく)」とか普段使わない言葉だからちゃんと調べたw

「ごんぎつね」も「てぶくろを買いに」も、教科書に載っていたような気がするし、
それが記憶違いだったとしても、確か最初に読んだのはいずれも小学生の頃のはずで、
それ以来読んでいなかったので、「ごんぎつね」は
「あぁこんな話だったっけか……」
と思った。
なんともいえない後味のするお話だなぁ……。
これを読んで、ごんは単なる「自業自得」で死んだとだけ解釈するのでは寂しい。
でもごんが撃たれたのはごん自身がいたずらをしでかした過去を持っているからで、
単純に「可哀想」というだけの話でもないように感じる。
こうして自分の中から色々な感情や葛藤を見出してもやもやを感じて、
どうしてもやもやするのかとか、自業自得とはなんなのかとか、
色々なテーマを自分で見つけて考えて欲しいっていうのが、
小学生の教科書にこれが掲載される理由なのかもしれないなと思ったりした。
それが、「読書による情操教育」なのかもしれないな、と。
それだけ「ごんぎつね」は、読後感に上手く言えないわだかまりがある。
大人が読んでも、当然それを感じる。
その「わだかまり」に、人生の早い内に出会うっていうのが情操教育なのかも。


「てぶくろを買いに」は、一転、なんだかほっこりするお話。
どちらも擬人化されたきつねが出てくるお話で、どちらのきつねにもなんだか親近感が湧くというか、
「動物たちもこんなふうに、”人間臭い”ことを考えながら生きているのかも」
と考えると微笑ましくなるようなファンタジーという部分では共通してるかも。
それが新美南吉の作風とも言えるのかなぁ。
新美南吉の作品で、他にもきつねが出てくるものがあって、
新美南吉にとって、きつねという動物は身近でいて同時に特別でもあるような存在だったのかなと思った。
(このへんのことについて既に研究や論文がありそうだけど)

朗読においては、仕事同様1文字1文字がはっきり聞き取れるように、そして標準アクセントで読むように心がけたし、
同時に耳障りでない発声とかも考えた。
星の王子さまに比べると、動画の再生時間は2本立ての割に30分ちょいと短めだけど、睡眠導入になれば幸い。


(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


さて日記。
というか近況。

実は2019年の抱負は「アクセサリーを自作する」なのである。
今年の最初のブログ記事でも、「手芸したい」と書いている。
この手芸の中に「オリジナルアクセサリー(自分用)の制作」が含まれている。

そして、テーマは、モンハンの好きなモンスター!
――を、イメージしたイヤリングやブレスレットなどにしようと思っている。
先日、出かけた際にパーツクラブに寄ってオオナズチアクセサリの素材になりそうなものを探してみた。
結果――


冠のパーツが金銀大小あったので、「最大金冠、最大銀冠、最小金冠が表現できるぞこりゃ」となって、
チェーンで冠ぶら下げたイヤリングだとかわいいかも! と思ったので早速作ってみた。

実は、今UVレジンもかなり挑戦したいところなのだけど、上記のような
「パーツ繋いだら完成」のものと違ってレジンの場合は、UV照射のライトやプラ板やレジン液や封入物や、
練習の手間と時間と材料などが多めにかかる。
まずちゃんとしたライトを導入しようとするとそれだけで6000円くらいして、
別途液やらパーツが要るわけで、とどのつまり他より初期投資がかかるのよね。
だから今年中に始められるかわからないけど、一応必要なものはチェック済みだから
準備が出来たら今度はレジンで「テオ・テスカトルのネックレス」とかを作りたいなとか考えてる。
もちろん自分用w

他に、うちには刺繍の準備だけはあって……というか刺繍は布と糸と針と枠があれば出来るので安上がりw
ずーーっと昔に買って、ある図面を作って刺繍にしようと思ってたクッション用の布があるんだけど、
結局これまで8年くらいやらなかったし、何か他のもっとモチベーション高まる図面を新たに作って刺繍しようということで、
タマミツネアイコンの図面を起こした。


こういうときに「エクセル方眼紙」が大活躍。
てかエクセル方眼紙を使って良いのはこういう「ドット絵」を座標上で作成したいときであって、
決して書類制作のときではないだろ!?とか思うよね!

それはともかく、この図面の作り方はとても簡単で、まずエクセル方眼紙を作った後に、
図面にしたい画像をエクセルシート上にD&Dで貼り付けて、その画像を「最背面」に配置してから、
画像の色を目安にエクセルのマス目を塗っていくだけなんだ。
「このあたりのマスは画像が黄色いから、ここからここまで黄色〜〜っと……」
って感じで塗り絵するだけ。

図面が出来たら、自分が塗った色を刺繍糸の何番で縫うか決めてあとは図面の通りにひたすら縫っていくだけw
図面を作るのが数時間だとしても、この図面は100*100サイズだから縫う方には数日はかかるけどねw

少し大きめの刺繍枠を注文して、手元に届いたところで早速黒い輪郭部分から縫っていくことに。

本当にクロスステッチは時間がかかる……。
時々マスを間違えて戻ったりする場合もあるからな……。
間違いに気づくのが遅くなると悲惨!!(時間の無駄的な意味で)

はじめは2本取り(6本撚ってある刺繍糸から2本ばらしてきて使う)していたけど、それだとやっぱりスカスカ感あるし、
布の方についていた図面を見てみると「6本取り」を指定していたので
(刺繍糸は6本で拠ってあるのでつまりバラさないで使う)このタマミツネも6本取りで縫って
コントラストを強めにしようということにした。
つまり、2本取りで縫うよりも3倍の量の糸を使うという意味になるw
2本取りは、糸を節約したいときとかあまり濃くしたくないとき、刺繍部分の厚みを抑えたい時用なんだよな。

で、100*100マスともなると刺繍糸2mくらいはすぐに使ってしまう。
もしかしたら途中で、必要な色の糸が不足して糸を買い足さないといけなくなるかもだけど、
別に急いで作らなきゃいけないものじゃないんだし、完成までまったり縫ってみる予定。
仮に毎日3〜5時間この刺繍に時間を割いたとして、完成には10日〜2週間かかりそうに見えるけどね……。
でもそれだけ、出来上がったときには達成感とかありそうだなーw

この100*100マスの図面を作ってクロスステッチで刺繍するの、モンハンのモンスターアイコンとかが正方形だから
すごく相性いいかもしれない。
今回はタマミツネだけど、オオナズチやジンオウガ、ブラキなんかもやってみたい気がするな。
100*100なら、MHWのハンターノートにあるような解像度高めのアイコンでも結構再現できるかもしれない!
そうだ、ドドガマルちゃんを縫いたいな!! つぎはガマルアイコンを100*100で刺繍しよう!!
ガマルちゃんは、アイスボーンになっても一緒にお散歩してくれるからいい子!

あと刺繍といえばね、蟹風呂喫茶の5thか6thあたりで販売したドット(V)・∀・(V)ストラップも
クロスステッチ刺繍で作るんだけど、このストラップが結構手元に在庫あるので、
少し作り溜めてBOOTHで販売してみるかなと思ってるので、数には限りがあるけど欲しい人はぜひ続報を待っててください。






ちなみにこれは2本取りなんだー。



(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


園芸なんだけど、去年の冬に播種したリトープス、結構芽が出てからが難しくて、
発芽しても根も芽も溶けちゃったり、線虫に根っこ食われたり、夏に熱でやられたりして
20粒くらい蒔いたはずなのに、今3株ほどしか残ってない。
発芽させること自体はかなり簡単な部類で、湿った種まき用の土の上にパラパラ散らすだけで2〜3日後には芽が出る。
発芽率かなり高め。85%くらい。
つまり難しいのは発芽じゃないって植物なんだねぇ……。

でも、この経験を元にもうちょっとメセン属と付き合ってみたいと思ったので、
魔玉(まぎょく)とかいうめっちゃカッコイイ中2くせえ名前のリトープスの種を蒔いてみた。
まぁ名前だけじゃなくて、外見的にもやけに幾何学的でカッコイイんだけどもさ!
「玉」って言ってるけど、案外カクカクしてんだこれがw


それから去年の冬、やはりリトープスと同じころに蒔いたモニラリアなんだけども――

モニラリアも冬型多肉植物で、なんと「常緑」ではなかった。
つまり、夏になると地上部が完全に枯れて、死んだように見える。
このように特定の季節に根っこだけ残してなくなってしまうが、
根っこが生きてて仮眠してるだけのいわゆる「宿根草」みたいなやつもいるから(亀甲竜もそのタイプ)、
時折水を蒔いて様子を見ていたら、なんと新芽が出た。
しかも、去年の冬に播種して発芽した後はどんどん縦に伸びて、
うさ耳どころかスペチャンのモロ星人にしか見えねえよと思っていたのが、
今回の新芽はちゃんと屋外で日に当たれる状態だったおかげか、うさ耳しててかわいい!!
これが見たくて蒔いたんだよ、うんうんって感じ!w

↓以前のモニラリア

うさ耳を称するのにはちと無理があるw
どっからどう見たって緑のモロ星人である。しかも踊り暴れてる。
春になった時に外に出して、真夏には日陰に移したのに地上部がどんどん萎れて茶色く枯れていったから
日本の猛暑には耐えられなかったかーと思ってたけど、死んでなかったわけだ、良かったw

魔玉も大きくなるといいな。
冬型多肉とか、メセン属は総じて成長が緩やかなので、大きくなるのに時間がかかるし、
このように年一で地上部が枯れるタイプもいるから、その都度「死んだ?…死んだ??」と心配になるけど、
何年もかけて、丈夫で大きな株にしていくのを楽しむ種類なんだろうなあ。

ちなみに、今年買ったヒスイカズラは元気で、ただいま絶賛葉を増やし中!!



(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


手芸とか園芸やっているときにアニメを流してることが多いんだけど、
10年分くらいの「積みアニメ」を消化しつつ、現在放映中の気になるやつも追うみたいな見方をしている。
例えば今季だと鬼滅は毎週見てた。(鬼滅劇場版楽しみだな)
で、積みアニメのほうでは、今『宇宙兄弟』を見てる。

『バクマン。』みたいな良さのあるアニメだ。

この2つの作品、自分にとって共通すると感じるところが、
「見終わった後に、登場人物たちが心の中に生きている」っていうこと。

例えば、バクマン。見終わってしばらくした後に
「最近、最高と秋人元気に漫画描いてるかな……」
なんて気分になったりするのだ。
変と思うかもしれないけど、キャラクターが心の中に生き始めるってそういうことなのだ。

こういう気分を味わえるアニメや漫画ってなかなかなくて、それだけその架空の登場人物たちが
「リアルに」描けてるドラマだってことだと思う。
そのために、バクマン。では「漫画を描くということ」を、宇宙兄弟では「宇宙飛行士になるということ」をも
リアルに描けてるとも言える。
その人達が何をしたいか、何を考えているか、どういう人に囲まれてどう感じて生きているか
この人達がやっていること、目標にしていることは、一体どういう仕事なのかをしっかり描く。
それらがリアリティを生み出すっていうことだ。
漫画・アニメ以外だと、ルーマニア#203くらいでしか感じたことがない。あとFF10とか?
(だからルーマニアは私のベストゲーム)
『ルーマニア#203』も、プレイ後に「ネジ、最近元気にしてるかな」っていう気持ちになることがあって、
架空の人物に対してそんな気持ちになったのはこれが初めての体験だったから、自分でびっくりしたものだ。
それを再び味わえたのがバクマン。そして宇宙兄弟ってこと。

バクマン。も宇宙兄弟も、ふたりの男性が(その関係性に「同級生」と「兄弟」という違いがあれど)
同じ夢に向かってそれぞれ苦しんだり、努力して何かを達成したりするドラマなんだけど、
宇宙兄弟の方は、主人公南波六太が、31歳から宇宙飛行士を真剣に目指すっていう設定があるから、
バクマン。よりもターゲットが上、つまり30代40代の人たちに刺さって夢を与えてくれる感じがした。
ただ、どちらも見ているこっちの胃が痛くなるくらい、降りかかる試練とか課題がリアル且つ困難に感じて
ずっと見てると疲れてくるときもあるw
上に書いたようにリアリティがあるから、登場人物たちに感情移入しやすくて、
一緒に辛くなったり嬉しくなったりしちゃうのだw

ムッタは、心の声がすごく素直でシンプルで「普通」なんだけど、
切れ味の良いツッコミになっていたりする。
そこで笑わされたり、よく見てるなぁwって思わされたり、
この「すごいんだかすごくないんだかよくわからない人」感が魅力だったりするw
ストーリー序盤の方は、宇宙飛行士、真面目に目指したいのかどうなのか、
一体いつになったら真剣に頑張りだすのかな? って思ったりもした。
弟が死んでから本気出し始める『タッチ』のパターンだったりするのか!?って思ったり。

この人はがむしゃらに頑張るでも、運だけで乗り切るでもなくて、
初めはそれが作品をふわふわさせちゃってるように感じたんだけど、
それでもずっと見てるとこの作品の場合は、
「こいつと一緒に仕事がしたいって思わせるやつ」
っていうのは、どういうところからその魅力が滲み出るかっていうのが描かれてるんだなと思うに至った。
人との縁や付き合い方はどうなってるかっていうことを着目するとすごく面白い。
要はムッタはがむしゃら努力系主人公でもないし、超天才型でもラッキーマンってわけでもないんだけど、(つまり地味人間ではある)
とにかく
「こいつは面白いやつだ、こいつと一緒に何かプロジェクトを走らせたい」
っていう魅力を持ってるんだ。
そして、それはちょっと簡単には説明出来ないことだから、すごく時間をかけて丁寧にそれを描いている。
時間をかけて、ムッタがどのように周囲の人と関わって来たか、周りの人にとってムッタがどういう人間かを説明しないと、
いざ周囲の人がムッタを評価するシーンが来ても厚みや説得力が出ない。
「周りの人が後押ししてくれることは大事」つまり縁は大事っていうのも大きな要素だから、
ムッタ自身が頑張る、そして最後のひと押しを周りの誰かがしてくれてちゃんと成功するっていう展開になってる。
それなのに、
「なんとなく周りの人が後押ししてくれるから成功しました」
だと、お話として、主人公として説得力がない。
その説得力のために、ずっと、じっくりと、周りの人間もリアルに描き続けてる。
「なぜ」周りの人は後押ししてくれるか、ここが明確でないと主人公として弱い。

だから、新田とか割とずっと「嫌味なやつだなあ…なんかすましてて何考えてるかもよくわからないし…」
っていう印象なんだけど、ある場面でちょっと印象が変わってきて
(そのときムッタの中でも視聴者の中でも新田への印象に変化が起こる)
そこから新田が急に私にとって
「あの人最近元気かなぁ」
って思えるくらいリアルな存在感を放ち始めたりする。
デニールの引退式も、ムッタを通してデニールを知った後だとすごく感動的なセレモニーに感じて
ここまで見てきて初めて泣いてしまったw
デニールも第一印象はすっごく変なおっさんなのだよw

そういう「ムッタの周りの人」を鏡にして、またムッタという人物が存在感を増すので、
ムッタがチャンスを掴めそうなときは、とても応援したい気持ちになるし
作中の人たちがムッタの後押しをするときにも説得力が出てくるという、すごい作品だなぁと思った。
私達が、社会で必要なことは
「一緒に仕事したいと思えるような人物になること」
なんじゃないかなと思う。
それを「コミュ力」と表現する人もいるだろうし、学歴を一定の判断材料に使う会社もあったりするだろう。
けど、結局「きっと一緒に何かしよう!」って約束したくなるような人間が成功したり、
充実した人生を送れるんじゃないかな。
若く、まだ社会に出ていない人たちは、もしこれから『宇宙兄弟』を見ることがあったら、
そういうところに着目しながら見てほしいかもしれない。
そしてムッタから、「どういう人間が他者から一緒に仕事したいと思われるのか」の要素を
盗み取って自分の糧に出来るんじゃないかなって思った。

ただ、「あの両親」にしてあの兄弟ありみたいなところも大きそうだけどねw
家庭環境の影響は計り知れんw
でも盗めるところは盗みたくなる人物像だ、ムッタ。


最近は、他に「xxxHOLiC」も「xxxHOLiC◆継」まで全話見た。
最終的にツバサ・クロニクルを見たいから、その予習っていう感じなのだけどね……。
ツバサ・クロニクルは、CLAMPの世界が全部うっすら繋がっているっていうのが前提になってるような作品だから、
これまでのあらゆるCLAMP作品に深く触れておけばおくだけ面白い。
と、ツバサ・クロニクルの漫画単行本を途中まで買って読んだ私は思ったのだ。
「これをこのまま読みすすめる前に、既刊のCLAMP作品に全部目を通すべきなんじゃ?」と!w
まぁその単行本も今は実家に全部あってどこまで買ったかも忘れた状態だから、
アニメのツバサ・クロニクルを見る前に、アニメ化されてるCLAMP作品見ておこっていう話なんだけどね。
(でも、先日dアニメでカードキャプターさくらの昔のTVアニメシリーズが配信終了になったから
 それが再配信されるまでCCさくら見られないから、ツバサ・クロニクルも当面見られない)

「xxxHOLiC」、中古の漫画単行本集めたかったんだけど結局買ってないんだよな。
結構な冊数あるし……。
でもアニメ化されていない、続きのお話とかもあるからいつか漫画喫茶なんかで一気に読もうかなあ。


で、アヤカシ繋がりで夏目友人帳をもう一度見たくなったのと、
「CLAMPの絵で主人公の声優が福山潤」という意味においてコードギアスをもう一度見たくなったりしたけど、
なぜか私はそこで「ダンガンロンパ」をもう一度見たw

ダンガンロンパ、1と3だけアニメになっているのよね。
お話を地続きにしたかったら絶対にゲームで2だけでもやらないといけないな……。
それはともかく、ダンガンロンパは、左下の親知らずを抜いて毎日ロキソニンが切れると痛みで死にそうな思いしてた時に、
気を紛らわせるため布団に入った状態でタブレットからアニメをだらだら視聴してたことがあって
そのときは朦朧としてたから今回見直した。

それで「ああ、緒方恵美さんってやっぱ良いな……」と思ったw


それから積みアニメの消化としては「輪るピングドラム」も、結構ぶっ通しで見た。
あれは結構難解なアニメの部類だと思った。
メタファーとか多いからなぁ、なにせ監督がウテナの幾原さんだし。
例えばタイトルにもなっている「ピングドラム」とは一体なんなのかっていうのが
最後まで作中で明確には説明されない(映像としては「リンゴ」を指して「これがピングドラム」というが説明にはなってない)から、
「観念的に」何を指しているか視聴者側で解釈する必要があるというかね。
それ以外にも、最後まで説明されないことは多々あるし、
「考えればつながる、わかる」
かというと、そこが結構「難解」な部分なので、ここが評価の分かれるところだろうなあ。

私としては、「地下鉄サリン事件」を、これに関してはメタファーどころか「明確な引用」のレベルで
要素に用いているとわかったところで
「あぁ……
そういえば地下鉄サリン事件って、まるでこういうアニメや映画などの虚構の世界での秘密結社が起こしそうな事件なのに、
あれ、信じがたいが現実だったんだよな……」
っていう感じで現実に引き戻されたりした。

この作品では「生きることは罰なんだね」というセリフが何度か出てくるのだけど、
原罪を背負うとわかっていながら生きることを自分で決めたなら、それは罰を受ける覚悟があるという意味だ。
テーマは「家族」だそうだ。
家族は「一緒に生きる」。それは「一緒に罰を受ける」ということになる。
まぁ、かといって「家族が事件の加害者になったとき、身内の者としてどういう身の振り方をするか」っていうのが
作品のテーマではないと思うけど、そこで生まれる「呪い」はテーマなんだろうと思った。
眞悧は自分を「呪い」だと言っていたし、多分そういうテロ事件を起こさせるような動機になる何か……
例えば思想の根源、または事件に関わった人間の周囲の人間を事件後に長く縛り付ける観念とかなんじゃないかな。
それはどちらも原罪的で、人生を縛り付けるし、生きることを罰にしてしまう素だったりもする。
ウテナで言うところの「世界の果て」、その人生を型にはまったり、凝り固まったりしたものにする元凶みたいな。
多分幾原さんの作品に共通のテーマなのかもしれない。
純粋な人々に、他者に消費等されず、呪縛から解き放たれて自由に生きて欲しい、っていう。
家族は大事だけど、それが「呪い」であるなら、その呪縛からも解放される権利があるんじゃないかなという
ひとつの提案っていうかね……。


余談だけども――

「(子どもたちが)透明な存在」という表現も何度も出てくるけど、こっちでは神戸連続殺傷事件の方を思い出したね。
これはそこまで直接的にこの作品のモチーフにはなっていないと思う。
あの事件も別の意味で「呪い」じみているというのは確かにあるけど。
ただ
「自分を透明な存在と感じている子供」
といえば、我々世代は少年Aを思い出さずにはいられない……と思う。
供述とか、ネットにも掲載されている本人の手記の一部とかを読むと、本人は
「自分は透明だった」と言っているから。
ただ、輪るピングドラムにおける「透明」と、少年Aのいう「透明」は、表現したいニュアンスが異なる可能性もあるから
やはり作品モチーフではないとは思う。

しかし、地下鉄サリン事件という「現実とは思えない」事件の2年後に、神戸連続殺傷事件は起きており
この事件の「現実とは思えない」レベルも相当なものだ。
どちらの事件も、長い間、テレビや新聞・雑誌上を席巻し続けた……。
そして、自分とは関係がない遠い場所で起こった事件であるにも関わらず、
加害対象が「無差別な相手」であるため、関係がない者でも震え上がったという点で共通している。

今、35歳以上の人間ならば、この2つの事件はとにかく「忘れられない事件」のはず。
そして、この2つの事件をリアルタイムに見ていた世代と、それより下とでは
ある意味「世界の見え方」すら違うのではないかと思うくらいには衝撃的で、
「事実は小説より奇なり」という言葉を思わせる。
こんな事件、小説以外でありうる!?!?っていうことがたった2年の間に起こったのだから
実に、世界そのものすら恐ろしくなった。
そんなことをふと思い出して、もうだいぶ昔の事件なのにそのときの「ぞわっ…」感が一瞬蘇った。


それから、この前「モブサイコ100」を1期2期続けてまた見返したんだけど、
1期1話の櫻井孝宏さんの演技、もうなんというか、
「櫻井さん、霊幻大好きでしょうがないんじゃ!? これハマり役だし、本人もめっちゃ楽しんでるのが演技から滲み出てるやん!?」
ってなったw
改めて見返すと1期1話だけ、とにかく櫻井さん本人の「喜び」みたいなのがだだ漏れているみたいだったw
徐々に「霊幻」が板についてくると、もうそれは霊幻なんだけど、1期1話だけ
「喜びの櫻井孝宏」を見ている気分になったw
1周見てから、1期1話に戻るとそういう感じを強く受けたので、これは面白い現象だなと思ったw