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6月初旬、ろげちが「NOVEL0」コンテストに応募することが決まったので、私はその校閲を手伝うことにした。
そして、校閲を手伝うので、私自身ももっと文学に親しんだり日本語表現を学んだり、語彙を増やしたりしよう
と思って図書館に行った。
折しも、『文豪ストレイドッグス』にハマっていたため、図書館の端末で夢野久作とラヴクラフトの蔵書を検索。
全集を借りてきたのだった。このあたりの記事にもそのことが書いてある。
ドグラ・マグラを読めば、文ストの「Q(夢野久作)」の異能がなぜあのようなタイプの能力なのかがわかるのでは、と思ったのだ。

(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


それで、本を図書館に返す期限までにドグラ・マグラの方は読破出来なかったので、
「紙の本」が好きではあるが、とりあえず続きは青空文庫版で読み進めることにした。
だって考えてみれば、(ラヴクラフトもだけど)夢野久作作品ってPDなんだもの……。
図書館で借りたって無料なのは一緒だけど、青空文庫のは返す必要すらない!! 便利!
パソコンにはテキスト版をDLしてきて、スマホにはKindle版をDLしてきて、
パソコンの前に座っている時でも、布団に入ってからでも、読める状態にした。

青空文庫 『ドグラ・マグラ』 (データDLも可)

Kindle版 スマホやタブレットで読める


表紙のイラストで有名な角川版



それで、ついに感想を書いてみるけど、まだ余韻が残ってる上に自分なりの解釈がまとまっていないので、
文章としてはかなりとりとめもない感じになるかもしれない。予め許して!

結論から言うと、私はこの本は終始面白く、苦もなく通読してしまったのだが、然るに考えてみると
この本を苦もなく通読するには、少なくとも高校あたりで古文と漢文の書き下し文に慣れている必要はあるのでは、と思った。
(漢文の白文で書かれてないだけマシだw)
さもなくば、全く理解が追いつかなくて面白い場面なのかどうかもわからなくなる部分が何箇所かはあるし、それぞれが長い。
まぁ全体がそもそも長くて45万文字もある上、その中に古文と漢文の書き下し文で話が進む部分が
それなりの文量あるということだ。
しかもただ長いだけではなくて、結構重要なことが書かれているのだ……。
高校時代にセンター試験対策として古文・漢文をちゃんと勉強した人は他の部分と同じような流れで読めるとは思うけど、
逆を言えばそうでない人は、「このあたり何言ってるのか全然わからん!」となるのではないかと……。

いや、本当に「読めない」かどうかは、わからんけど……。
なぜなら、わかる人には、わからない人がどのくらいわからないのかはわからないから……。
読める人には、読めない人がなぜ読めないのかは想像することしかできないから……。
だから上記のことは私の推測でしかない。
でももし私が高校時代に古文と漢文の授業をちゃんと受けていなかったら、面白く読めていた自信がないのだ。
だから、そういう点で通読が難しいとか、挫折する人が多いと言われてるのかな、という推測が立った。
でも、「こっちの方がとっつきやすいから」という理由で、漫画や映画などの二次創作に触れても、
『ドグラ・マグラ』の真の”狂気”を感じられないような気もする。

そのくらい、古文や漢文書き下し文で進むパートには大事なことが書かれているし、
そういう文体になっていることにも物語上の意味と演出上の意味が感じられるし、
これでもかというほどに、言葉や文体を変えて書きすぎるほどに書かれている描写やセリフが、
確実にこの本の”狂気”を表現する必須の技巧であるようにも思う。
「とっつきやすく」するとそこが損なわれてしまうのだ。
それに、作中でメタ的に言われているが、話の筋は終わってしまえば別に難解でもない。
「メタ的に」どう解釈するかは読者次第というだけで、「誰が何をしたのか」はわかるように書いてある。
ただ、それが判然とするまでが長く、上記のように現代日本人誰にでも馴染みがあるような文体でない部分も
結構な割合を占める、という感じだ。


話の筋はこうだ。

主人公「私」(この小説は地の文が一人称体で書かれている)が時計の鐘の音で目を覚ますと、
精神病院の病室にいて、すべての記憶を失っている。
ここで早速一つの大きな謎が提示される。
主人公「私」は一体何者なのかということだ。
小説全体がこの謎を解き明かすミステリーのようになっている。
そして、「私」が目を覚ましたことを知った法医学教授の若林が駆けつけて、
「私」が記憶を失っているのはなぜか、そして「私」が何者なのかを知るための手助けをしてくれる。
しかし、「私」が何者なのかを知ろうと書類を読み進めていくと、そこに「私」と密接な関わりがあるという
「事件」に関する詳細な記述があり、この「事件」に関する謎も第二の大きな謎として提示される。
「私」という存在の真実と、「事件」の真相は物語の最後に同時に解き明かされることになる。
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最後の20%、つまりKindle版の8000ページ目(なんだこの数字…)から終わりまでは、
脈拍数が上がり、読み進める手を止められなくなり、布団に入っていたのに眠気は完全に醒め、
「なんだこれは、ヤバい…なんだ……ヤバい…」
ということしか考えられなくなったw
そして終わりまで読まずにはいられなかったので、そのまま読了した次第である。
1ヶ月間、何度にも分けて地道に読んできたが、結末が近づくに連れてこんなに動悸がした小説というのは、
ザ・ギバー」以来かもしれない。
とにかく、結末や真相が早く知りたいが、知ってはいけないような気がしてドキドキした。
そして、これが真相かと思った瞬間に、もう一度すべてをひっくり返されたようで、あっけに取られて終わった。


「私」が誰なのかというと、そこには2通りの答えがあると思う。
が、その2つのどちらも間違いではないであろう。むしろその両方であると解釈する方が面白い。
また、誰が、呉一郎少年が凶行に及ぶよう仕向けたのかの謎解きは、「正木教授による叙述トリック」を仕掛けるという
作者による叙述トリックのせいで、二転三転する。
だがこれは最終的な答えが明確だし、「正木教授が自殺を決意しなければならなかった理由」という謎も自ずと解決するのですごい……。
とても奇妙な出来事だが、確かにすべての辻褄は合っているのだ。
こんなストーリー、なかなか書けるものではない……。

と思ったけれど、ドイツ映画「カリガリ博士(Das Kabinett des Doktor Caligari)」がどうやら着想のキッカケのようだ。
夢野久作は、この映画を見ることでドグラ・マグラのプロットを思いつき、そこから10年かけて
構想と執筆を行ったようなのである。
つまり、「カリガリ博士」を見ることが、ひいてはドグラ・マグラの理解を深めるということにもなると思うので、
機会を探して観てみようと思う。


それにしても、読み終わってから「ドグラ・マグラ」について調べてみると、
「読むと精神に異常をきたす」
と評されていることを知り、(それはあくまで作者の意向とは無関係のキャッチコピーだが)
まぁ確かに前半は「脳髄」という単語を普通の人間の一生分×5倍くらいは聞かされるしチャカポコチャカポコ、
頭がおかしい男と、美しい女ばかり出てくるし、中盤からは「変態性欲」という単語が頻出するしチャカポコチャカポコ、
書類の中の引用部の中の引用部の中の……みたいな多重構造になっていてチャカポコチャカポコ、
その書類を読んでいる人間がなかなか「今」に戻って来ないからいつまでも回想シーンが続く感じで「今」がどこだか忘れかけるしチャカポコチャカポコ、
そういうところから「精神に異常をきたしそう!」と思う人はいるかもな、とは思った。
でも、私はもともと精神が健常ではないおかげで、今更これを読んだからといって異常をきたすことはなかったようで安心。
精神が健常な人は壊れてしまうかもね!チャカポコチャカポコ


そして私は、冒頭に書いた「文スト」における夢野久作の異能「ドグラ・マグラ」がなぜあのようなタイプの異能なのかをも理解した。
(ラヴクラフトについても、なぜラヴクラフトが異能力者でないのか、というのをラヴクラフト作品を読んで自分なりの解釈を得た)

もしこれから「ドグラ・マグラ」を読んでみたいと思う人があれば、
「わからない!」と思うところではわかりそうな文体に戻るまで斜め読みをして飛ばしてでも、
一度最後までたどり着いてみて欲しいとは思う。
現代日本語とほぼ同じ感覚で読める部分から得られる情報で、事件のあらましは理解できるし、
それでも衝撃は計り知れないし、その上で「もっと詳しく!」と思えば、
読み飛ばしたところに再挑戦すればよいのではないだろうか。

夢野久作には、他にも短くて面白い作品が色々あるようなので、次はそっちも漁ってみようと思う。