光のお父さん まとめ読み

上記リンク先は、「光のお父さん」シリーズの連載元の「一撃確殺SS日記」内の、
「光のお父さん記事を一覧にまとめた記事」ですので、そこを起点に行ったり来たりして全話通して読むと良いと思います。

私は、FF14は未プレイです。
11もですね。
なので、MMO形式のFFには未だ触れたことはありません。
では、MMOなら何か触れたことがあるかというと、マビノギですかね。
でも、マビノギも、そんなにやりこんだ内に入らないので、もう10年前のアカウントを引っ張り出してきてログインしたら
「初心者用アイテム」が届いて、「Oh...」となりましたw

そうは言っても、「ゲーム」というもの自体は好きだし、私は世間一般に言う「ゲーマー」に含まれるであろう自覚があるし、
MMOやモンハンのような作品で、他のプレイヤーと協力プレイをすることの魅力というのは実体験でわかっているつもりです。

そんな「FF14未プレイ勢だがオンラインゲームに対して偏見はない」立場で読んで、
「光のお父さん」シリーズはとても面白い読み物でしたので、感想を書いてみようと思います。

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これはシリーズ読破直後にツイッターにとりあえず記した感想の一部です。

「光のお父さん」シリーズは、ものすごーーくざっくり概要を言うと、
息子側が父にゲームソフトをプレゼントし、ゲーム内で身元を明かさず接触し、
パーティメンバーとして特定の地点までゲーム進行を手伝い、その段階で自分が実の息子であると「種明かし」をする、
という、ちょっとした「ドッキリ」企画を記したドキュメンタリーシリーズです。
そして、それを以て「親孝行」としたいという動機も働いており、
ところどころに差し挟まれる筆者の幼き頃の思い出の断片が、ふたりの関係性を少しずつ読者の中で具体化させていき、
私は読んでいる最中に何箇所かでほろりと泣いてしまいました。

けれど、「泣けるから読んで!」という薦め方は何か安っぽくなってしまう気がして避けたく、
また「自分と家族の誰かがこじれている人に読んで欲しい」とも言えません。
家族の問題はデリケートなもので、人によって事情が様々なので、何がどのように刺さるかわからないため、
そこを軸に作品を薦めるのは、その人を結果的に傷つけてしまう無責任な行為になるかもしれないからです。
未読の方にも是非触れて欲しいとも思っていますが、
私はどこをどのように面白く、興味深く読んだのかを軸に書きたいと思います。


ファイナルファンタジーというシリーズが、度々「父と子」を描いてきたことを思うと、
「光のお父さん」も、すごく「ファイナルファンタジー」的であるということは言えると思いました。
例えば、私は以前FF召竜事で、そこについて色々書いたのですが、召亮膺邑親子は、
「同じ目的の元にそれぞれの冒険の道を歩んで、最終的に合流し、そのふたりでないと成し遂げられなかったであろう
1000年もの長きに亘る”呪い”の解呪に成功する」わけです。
そしてその結果として、物理的にも精神的にも離れ離れだった「こじれた親子」の距離がぐっと縮まる。
「俺たち、やったぜ!」みたいな。

こういう、親子の「俺たち、やったぜ!」感が「光のお父さん」にはあると思いました。
そしてそこが「ファイナルファンタジー」的でいいなぁと思いました。


また、オンラインゲームが初めてである「お父さん」の、独特の振る舞いが面白可笑しく、
茶目っ気が感じられて愛おしいですよね。
でもこれについては、もう散々語り尽くされていると思うので、ここでは掘り下げませんw
きっと元記事を読んだ人ならば、黙って頷いている頃でしょうw


私が、もっと心に刺激を受けたのは、マイディーさんが
「ブログという媒体で」、「何が好きかで自分を語って」いるところです。
あと、「光のぴぃさん 第11話」でヤジマ氏が親指を立てつつ溶鉱炉に沈んでいくところも、涙なしには(ry

まず、私もブログを丸12年書き続けている身として、ツイッターアカウントを取得しても、
「自分が本当に話をする場所」はここだと思っているし、ただ続けるのではなく、
「何が好きかで自分を語」らなければいけないと思っています。

マイディーさんは、
「誰に何と言われてもブログを続けてよかった」
ということをおっしゃっていますが、単に続けるだけならば、ネガキャンブログを続けることの出来る人もいるでしょう。
負の熱意を原動力に動く人、ないしはそこに倫理的な呵責を感じない人ならば。
でも、それでは多分、夢は振り返ってくれないと思うのです。
マイディーさんにおかれては、
「誰に何と言われても何が好きかをブログで語り続けた」ことが尊く、
公式を含む多くの人が、現にその価値を認めたことの理由になっていると思います。
マイディーさんのブログは確実に、マイディーさんが何がどう好きなのかを伝導し、
FF14が新たなプレイヤーを獲得することに寄与しているはずです。
それはやろうと思ってもなかなか実現出来ることではありません。
「お父さん」は、そんなひとりの大人を育て上げた立派なお父さんなのであるから、
これからはふたりが大人同士として末永く、楽しくゲームの話で盛り上がっていて欲しいなぁと思いました。


ヤジマ氏が溶鉱炉に沈んでいくところは、色々思うところがありました。
私は、ぴぃさんは、「光のお父さん」シリーズの持つコンテンツ力は、
「そのままでも読み物として面白く、そのままドラマにも出来る」ものだと考えて
ドラマ化計画に挑み始めたと解釈しています。
「そのままで面白いから」というところが大事なのです。

そしてそれを、「どうせ作るなら」より売れるもの、より注目を集めるものにしたいのは、誰だって一緒でしょうけれど、
ヤジマ氏の考える「売れるもの」としての脚本は、「あんたら(視聴者)こういうの好きでしょ?」感が強く、
原作漫画ありきでオリジナル要素を突っ込んで爆死したいくつもの実写映画が
ネットでボコボコに追い打ちをかけられている現実を俯瞰できているのか疑問に思いました。
まさにその「ボコボコにされる」要素をふんだんに盛り込んでいるように見えます。
爆死させたいのならわかるけれど、「売れるものにしなければいけない」という動機で
なぜその要素を入れようとしたのでしょう。
絶対に原作ファンを敵に回すでしょう……。
それは、予めわかっている「お金を長期的に落としてくれる層」には響かない(響かせるつもりはない)ということであるし、
ドラマ開始時点で原作を知らない層に含まれる潜在的な、お金を落としてくれたかもしれない層にも
「こういうの好きでしょ?」感で忌避される結末を生むのでは?
するともう「テレビでやってるものを見るのはとりあえずタダだから見てやるか」層しか残っていません。
そこは、本当にこの作品のターゲット層なんでしょうか? タダだから見てやる層ですよ?
「そのままで面白いもの」だからこそこういう話が進んでいるのに、
なぜレシピにない材料や調味料をありったけぶちこんでしまうのだろう……。
私はマイディーさんの疑問と決断は、正当なものだと考えます。

実際、原作者をしっかり取り込んだ輪の中で脚本は作られていく展開になったので、
本当に良かったと安心し、期待値が上がりました。(見られるのかは別として… ネット配信あれば見られるかな)



マイディーさんは、自分の好きなものを語ることで、結果的に、
好きなものをもっと沢山の人に伝える手段を、その好きなコンテンツの発信元と一緒に手に入れた形になっており、
そこには、すごく夢があるなぁと思いました。
私は、公式に認知してもらうために、自分の好きなものを語っているわけではありませんし、
(マイディーさんももちろんそうですが)
どこか
「仮に私がどんなに好きなものを語っても、公式と一緒に何かをやる展開にはならないんだろうな」
という諦めがあり、それは自分だけの話ではなく、
世の中の「公式」はそういうことはしないという自分ルールのもとで動いているんだから
皆無理なんじゃないかな、と思ったりするときがあります。
(そうは言っても実際「公式」とご一緒させてもらう機会は一切なかったわけではないので
「ネットは広大やでぇ… これからも好きなものを語ろう」
という風にも思いますが。とにかく簡単に引き起こせるものではないですね)

どんなに、あの作品(人・物)のこれこれこういうところが好きで〜という話をしても、
「公式」というのはそれを見たとて一線引いていないといけないものなんだろうな、しょうがないよねと思ったりするのです。
誰だってそうする、私だってそうする。不公平感を生み出すのは嫌ですもんね。
マイディーさんの記事にもある、P/D吉田氏の
当時の日本のオンラインゲームコミュニティは、
今よりも随分閉鎖的で、運営と接触のあるサイトさんは、叩かれるような傾向があったそうです。

という言葉の中に、その風潮の原因の一端は見え隠れしているように思います。
これはオンラインゲームコミュニティだけではないでしょうし。

けれど、マイディーさんとスクエニ(吉田氏)は、その一線を踏み越える決断をしました。
それを健全な形で「前進」させたいという思いも吉田氏の中にあって、
今回の話においてスクエニとの交渉部分がスムーズだったという結果になったのだろうと思いました。
だから、ここにはフロンティア精神とか、ロマンを強く感じました!


私は、特に例の「パイロットムービー」を是非とも丸ごと見たいと思っています。
いつか機会は訪れるんでしょうかね。
なんか、直接は無関係な話ですけど、オンラインゲームの映像がそのまま「絵コンテ切ったドラマ」としてテレビで流れるのであれば、
いつかは「MMDドラマ」とかもテレビで放映される日が来るのかなぁ、とかも考えますねw


「光のお父さん」は計画実行中のエピソードがちょっと緊張したりほっこりしたりでとても面白いけれど、
「光のぴぃさん」まで通して読むと、「ものづくり」のエビデンスとかもてんこ盛りで、
「何かを作る人」である私としては、そのメイキングエピソードもとても面白く読めました。
ドラマがまだ始まってもいないのにメイキングを読めるのは贅沢ですねw

というわけで、ネット同時配信があったらドラマ見たいなーと思っています。
あと、私は私で、これからも自分の好きなものや刺激を受けた事柄について、
このようにして記事にまとめていこう、と改めて思いました。

<追記>
書籍も買いました!


<追記>
2020/12/10、マイディーさんの死去が報じられました。
11月16日、「マイディーさん」がツイッターでトレンド入りしていました。
理由は、マイディーさんがYoutubeでのFF14配信企画に参加するためゲームログインし、
その配信画面に乗る形でテキストチャットに「緩和病棟では、余命宣告を受けた人しか入れなくて〜」
というような発言をしたことが、ツイッターでも話題になったためです。
そして、久々に一撃確殺SS日記を見に行くと、ここ数ヶ月、ガンの闘病で手術や入退院など、
闘病日記を綴っていたことを知り、その最新の近況報告が
「緩和病棟に移ったからエオルゼアに行けるようになった」だったということです。

私は「緩和病棟(ホスピス)」をよく知りませんでした。
「緩和ケアとは」などでググると、その定義や目的などを知ることができます。
そこで、「緩和病棟に移った」という近況報告の重みみたいなのを漸く実感しました。
その時点でも、まだ「緩和ケア」のなんたるかを理解していないっぽい人たちは、
「頑張ってほしい」「帰ってきて欲しい」「奇跡が起こって欲しい」というようなことを言っていましたが、
私は「緩和病棟に移る」というのは、「闘病」すなわち「病気との闘い」はある意味終わって
「もうゴールする」という意味にほぼ同義であると考えました。
闘いには終止符は打たれているのです。
だから、事ここに至っては「闘病頑張ってほしい」みたいなことを言ったりするのは筋違いで、
「もう十分頑張ったから、あとは痛みや苦痛を抑えることでなるべく穏やかに残る日々を暮らして死を迎え入れる」
という状況にあるのだと解釈しました。
手術や投薬などの「闘病」はもう、やるだけのことをやりきったということですよ……。

それからもマイディーさんは時折ブログを更新していました。
私は、毎日更新確認をしに行きました。

マイディーさんといえば10年来、毎日欠かさず何らかのブログ記事を書いてきたブロガーです。
そのマイディーさんのブログ更新頻度が1日1回未満となり、2日空き、次は3日空き……1週間と
更新間隔が徐々に広がって、且つ誤字のようなものが増えていくのをリアルタイムで見るにつけ、
緩和ケアにおけるモルヒネ投与などで意識障害が起こっているというのがわかりました。
けれども、マイディーさんがブログを更新するときは必ず
「ブログを更新したい、しなきゃ。なのになぜか上手く行かない」
というような気持ちだけが書かれていました。
伝えたいことがまだある、そしてブログはライフワークだというのがわかりました。
けれど本当に書きたいことを書くよりも先に薬で眠るか、
意識が混濁するか……というような状態にあるのが想像できました。
それを見ること自体が辛いは辛かったのですが、もう事態を知ってしまったからには、
最期を見届けなければいけないと思いました……。

マイディーさんと直接の交流はないけれど、「心に生きている人」だから、ちゃんとこちらも心の準備をして
マイディーさんがこの世から居なくなる事実を受け止めようと思いました。

マイディーさんのお父さん(光のお父さん)には、例の連載の中で胃がんの発見と手術があった旨が説明されています。
しかも、最近お父さんの方もガンの再発が見つかったそうです。
とても、とても居た堪れない気持ちです。

けれど、私はこの記事に書いた「マイディーさんから教わったこと」をいつまでも忘れずに生きていきたいと思います。
「人は忘れられた時に本当の死がやってくる」と言いますから、まだマイディーさんを死なせはしません。

私は「光のお父さん」の記事を一気読みして、このブログ記事を書いた頃、
あまり心が元気な状態ではありませんでした。
でも、だからこそ、マイディーさんが見せてくれた「夢」にロマンを感じたし、
元気を出すキッカケをもらいました。
心が元気でなかった頃は、自分が何が好きかもよくわからなくなったり、
わからないから何も語りようがなかったりもしたのです。
そういう時に「光のお父さん」を読んで、もっともっと好きなものを探して、出会って、しゃぶりつくして、
そしてそれについて「どこがどれだけ好きか」ブログで沢山語ろう。伝道師か宣教師のように。
誰に届いても届かなくてもいい、とにかく、好きなことを話していれば、いつか良いこともあるのかもしれない。
そういうところから少しずつ、「私」を取り戻してきて今に至ります。
だからマイディーさんには、感謝のDM(ファンレターのようなもの)を送ったこともあるのです。

会ったことも話したこともないけれど、私はマイディーさんを覚えておくし、
「ブログで、何が好きかで自分を語る」というスタンス・スタイルというのは、
私自身今後もっともっと続けていこう、と思っています。
そうするとき、いつもマイディーさんの教えが思い出されますので。

マイディーさんの生前のあらゆる功績を讃え、敬意を表します。