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カバーも第3弾まで来ました!
楽曲自体については、こちらの記事をどうぞ。

今回の曲に関しては、日本語版と英語版があるので、それぞれのバージョンを歌いました!
最近英語の発音が前よりはマシになってきたと思うけれど、
実は子音のりも母音の方が難しいことに気づいてしまったのだ!!

英語には、日本語にない子音がいくつかある。
そしてそれを習得するのはそんなに難しくなかった。
けれど、母音は、なまじ日本に似た発音のものがあるせいで、そのクセを抜くのが難しいのだ。
日本にないものは、最初からないものとして習得できるのだけど、
あったらそっちに近く発音してしまうでしょ? これが訛りになる。
だから厳密には、英語の「ア」に聞こえるものは、日本語の「あ」とは違うし、
英語の「イ」も実は2種類あって、日本語とは違うし…
という具合。
あくまで「厳密には」という話なので、ネイティブじゃない以上、結局ネイティブの真似を積み重ねることしかできないし、
母音は、子音よりもクリティカルな聞き間違いになりにくいので、そんなに問題ではないかもしれないが…。
例えば、LとRの発音を間違える方が、重大な単語の違いに発展したり。
一番よく言われるのがRICE(米)とLICE(シラミ)だ。
日本人の主食はRICEなのだが、多くの日本人は、英語のRの発音をLと混同しているため、
「お前、シラミ食ってんの!?」
という話になってしまう、という現代風落語だわよ。

「FORGET ME NOT」では、英語版の原曲を歌ってるアンバがかなりネイティブな英語の発音をしてくれているため
それを真似するだけでも(アンバが英語のネイティブスピーカーではないにも拘わらず)かなり勉強になった。


それから、日本語が、メロディーに言葉を乗せる、つまり「歌う」という動作の上で
とても使いやすい言語であることも痛感した。
あくまで「動作」の上でであり、「表現」の上でではない。

どういうことかというと、日本語は、
1子音+1母音=1音節
で出来ている。
ちょっと例外的なのは、その後に「ん」をつけても、そこまでで1音節とみなす、という具合。
でも基本的に、
か=K+A
しゅ=SH+U
という風に作られている。

だから、1つの音節に、それぞれ「1子音+1母音」だけ乗せればよい。
母音も5種類しかないので、聞き手としても判別しやすかろう。

しかし、英語のような言語では、1音節に
1子音+1母音+2子音
くらい音が乗ってる場合がある。
しかもこれが「1単語」であったりする。

つまり、日本語だったら1音節で大体「1文字」程度しか言えないので、1音節で言える単語はおのずと
「蚊」
とか
「木」
とかそういうのに限定されてしまうけど、英語だと、1音節で言える単語はとても多いので、
同じメロディを使って沢山のことを言えたりする。
1曲の中で使う単語数が自然と増える。
むしろ、増やさないとやたら間延びした感じになるw


以上のことを比較すると分かるとおり、日本語は、「歌う」という動作の上ではとても使いやすい言語だ。
しかし、「作詞」などの創作工程においては、1つの単語を言うために多くの音節数を必要とするため
英語の歌を日本語に翻訳する場合、元の歌詞が言ってることをそのまま全部翻訳しても
詰め込むことは難しい。無理に等しい。
そのかわり、英語詞では言いたいことを沢山言える、ということになる。
日本語で作詞をするというのは、初めから「縛りプレイ」なのだ!

対して、英語の場合は、母音も子音も、日本語に比べて口の中に篭る感じの音が多いため、
ネイティブ発音に近づけるほど、歌いにくく、聞き取りにくくもなる。
聞き取りやすく歌おうとすると、日本語訛りの英語になるのだ。母音の違いのせいで。
母音を出すときどこに「声」を当てているか、という違いがあるので。
それに、さっき書いたように、母音の後に子音を1〜2個つけなければいけない場合がある。
その動作のために、母音で声を伸ばしつつも、後につけるための子音を考えた予備動作が口の中で行われる。
例えば、日本語は、伸ばす音を「あいうえお」どれかの母音で伸ばしてそのまま終われば良いが
英語は場合によっては
「アーーーst」
というように、子音で終わらせる場合がある、ということ。
日本語にはこれはありえない。
それに難易度として、日本語の歌の方が、さっきから言っているように、1音節が必ず1子音+1母音の構造を持っているため
海外の人もすぐに発音を真似ることは可能だろう。


ただ、ここまでは、歌う人の「歌うという動作」の上での難易度では日本語がより易しく、その反面、
「作詞という工程」においては英語の方がより単語を多く使うことができる、ということを言っているだけで、
「歌の表現」がどうなるかまでは、聞き手の印象の違いなどもあって、かなり複雑な話になるよね。

日本語じゃない、というだけで「カッコイイ」と感じる人もいるわけだから、
「英語を使った方が表現として、カッコイイを演出することができる」
とも考えられる。
でも、これは1意見にすぎず、たとえば
「いやいや日本語の中二病くさい単語の羅列がカッコイイんでしょ」
という好みを持つ人もいるわけだ。
(その場合、なんとなくドイツ語の響きも中二病くさくてカッコイイ的な集合とかぶってそうだけど)
また、和歌のような古語や季語などを「カッコイイ」と感じる人だっているんじゃないか。
となると、「歌の表現として」は、
「作り手のセンスで、適宜選んで使う」
が出来ればそれがベストな気がする。
英語を濫用すればそれだけかっこよくなるか、というとそうでもないということでもあるし。
「作り手のセンス」の中には「聞いた人がどう感じるかを感じる力」も含まれるので、それを踏まえての、この結論。

ということを考えた、この2バージョンでした。