この「大好きなもの」とタイトルに入っているコラムシリーズは、私の人格形成や価値観、考え方などに
強い影響を与えたもの「すごくブッ刺さった」ものを語るコラムシリーズである。

今回は第8本目の記事なのだが、実は第14回など、ナンバリング的にはあとに来るはずのものを
先に公開してあったりしていて、必ずしも表題の番号順の公開にはなっていない。
それぞれ、「語りたい内容と公開するのにベストな時期」というのがあると思っていて、
記事の下書きを作って「いつかその時がきたら必ず書く」というつもりでストックしておき、
そのときが来たら書いて公開しているので、タイミング次第で公開順が前後するのだ。
番号は、下書きを作った時点でつけてしまうので、「そのX」の数字は下書きを用意した順番でしかなく、
公開はあくまで「満足の行く記事が書けて、その機が熟したら公開している」ために、
番号と公開順が噛み合わなくなっているというわけ。

さて、今回取り上げるのは『MOTHER』というゲームシリーズだが、『MOTHER』についてコラムで取り上げること自体がもう2度目になる。
前回の記事はこれ。
コラム お題「ゲーム:MOTHERについて」 2005年02月18日

それに、ブログの記事カテゴリにも「MOTHER」があり、MOTHERに関する記事はすべてここに紐付けされているので、
MOTHERカテゴリのブログ記事は、これが38本目になると思う。
結構沢山書いてきたなぁ。

上記の、コラム お題「ゲーム:MOTHERについて」という記事は、GBA「MOTHER1+2」の発売が決まったときに書いたので
「MOTHER3」の発売よりは前だ。

今回は、またMOTHER関連で色々な動きがあったので、改めてシリーズ全般についてや、
プロジェクトについて、順を追って書けるだけ書いておきたい。

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まず、今回この記事を腰を据えてついに執筆することを決めたのは、やはり「機が熟した」からである。

というのもこういうことがあった。

2020/12/14発売
『MOTHERのことば。』の公式ページ


遡ること2020/7/16、私はほぼ日MOTHERプロジェクトのメルマガでこのお知らせを受け取った。
『MOTHERのことば。』プレイ&チェック チームメンバー募集のお知らせ
ツイッターでも見かけたのでRTだけして、すぐに粛々と参加希望フォームに入力・送信した。

この本が出版予定であることはだいぶ前から知っていた。
例えば、6月に公式アンソロ本『POLLYANNA』が出た時点で、書籍内の
「今後発売予定のグッズ」のところにも掲載されていたし




その時点では発売日は未定と書かれていたので、ほぼ日MOTHERプロジェクトのメルマガで
情報をいち早く入手して、発売日が決まったらすぐに予約して絶対に入手しなければ……
と考えていたのだ。

その中での「チェック作業のメンバー募集」。
私は、この本の完成に至る工程のどこかで自分が少しでも役に立つなら、本が完成した時に
「予約して買って良かった」
という感慨以上の何かを間違いなく得られると確信した。
本来、ただ「予約して購入して、MOTHERというシリーズを”買い支える”一助になりたい」立場だったが、
購入の前に、「完成させるための手助け」が出来るなんて、こんなに素敵な機会は一生巡ってこないかもしれない。

幸い私は、普段の業務で病的なまでに「書かれている言葉が日本語として適切な文法か、標準アクセントか」ということを
考えさせられている。そういう職業病を患っているw
職業病に「幸い」と接頭辞をつけられる日があるなんてなw
なんにせよ、
「書かれていることばの一字一句を照合して間違いを見つけたり、より適切な表現に直したり」
というのは、元々日常の中でやっていることなのだ。
それを、大好きなゲームに対してやるだけだ。何の苦もない。
渡された校正前のデータと、実際にプレイして画面に出ているメッセージとを見比べる。
1文字ずつ。スペースがあるのかないのかなども細かく。
更に、そのメッセージの「表示条件」が正しいかもプレイして再現性を確認。
これもデバッグのような作業なので、普段やっていることに近いw
だから私は、そういう作業には慣れっこで、MOTHER1/2/1+2/3をすべてリアルタイムで遊んで
周回プレイもしているファンの身として、この作業に携われれば「光栄の極み」という以外にない。
応募しない理由がなかった。


謝礼について
ご協力いただいた方には、
完成した「『MOTHER』のことば。」を
発売時にお送りいたします。
報酬として1万円(税込)をお支払いいたします。
また、公式ページのご協力者リストに、
ご希望するお名前を記載させていただきます。

と、募集のページに書いてあるけれど、報酬の内容はほとんど見ないでとにかく爆速で応募した。
だから、完成時に献本があることは作業が終わってから改めて言われて気付いたレベルだw


7/27、チームメンバーになってくださいという旨の「審査結果メール」が来た。
契約はすべてウェブ上で、押印やサインなしに完結した。
さらに、作業もすべてオンライン上で進むとされている。

そして8月に入ってほどなくして、実際のチェック用ファイルが届き、自分の担当箇所も決まったので、
GBA版1+2とGCを出してきた。
そういった前提で、8/1の私のツイートを見てもらうと「なるほど」と納得してもらえるだろうw
脱線してマリオペイントで遊んでたりもしたけどw


そして、本が完成し発売日も決まり、『MOTHERのことば。』の公式ページが公開になり、
そこに私の名前が掲載されるところまで来たわけだ。

この本については、『POLLYANNA』誌上で「こういう書籍を準備中です」と宣言した時点ですでに、
編集作業に6年費やした後だったそうだ。
つまり、2014年くらいから「ほぼ日MOTHERプロジェクト」は『MOTHERのことば。』を軸に
回り始めたということになる。
そこから更に半年、ついに発売される。
人知れず6年かけて編集され、そのあと更に半年かけて校正やデザイン調整などをして、やっと世に出るのだ。
8月に一ヶ月だけチェックに参加させてもらった身と、6年前からこの本と向き合ってきたスタッフさんとでは、
感慨深さも相当異なるのではあろうが、私も私で良い勉強をさせてもらったし、純粋にこの作業がとても楽しかったし、
「ついに……!」という達成感もある。

120名ほどのチームメンバーがいたが、「チームワーク」をする場面というのはなく、
基本的にそれぞれが指定された作品の指定された区域を重点的にチェックするスタンドプレーであった。
実際作業を開始してみて
「発売前に、この本の内容に触れられることの喜び」
とかよりも、
「あれだけ何回も遊んだのに、見たこともない、意外な表示条件を持つメッセージの多さへの驚き」
が強かった。
特に、私の場合は、1作目を遊んでから2作目の『MOTHER2』を遊んだわけで、そうなると自分の肌感覚として
「2と比べると1はハードも異なるだけあって、テキスト容量の差は歴然だな」
と感じていたりもするわけだ。

けれど、このチェック作業で私は1作目を担当して、
「1にもまだまだこんなに、見たことないメッセージが存在していたのか……」
と発見に次ぐ発見に驚かされた。
メッセージには分岐があるから、なるべくあらゆる分岐を見てから、物語が進むフラグを立てよう
というプレイスタイルで遊べば、
「ここは一回”いいえ”を選んで相手の発言を見てから”はい”にしよう」
って感じで色々なメッセージを見ることになる。
そしてそれこそが、MOTHERシリーズを遊ぶ上での大きな楽しみのひとつとさえ言えると思う。
話しかけた回数によってメッセージが毎回変わるNPCとかもいるしね。
とはいえ、1作目はファミコンだから容量の制限があって、そこまで沢山のメッセージは盛り込めていなかったよね?という気持ちでいたわけだけれど、
実際はまだまだ私の
「全てのメッセージ分岐を試すための試行回数」
が足りなかっただけだったのかもしれないと思わされたw
だから、この本を買うMOTHERファンの皆さんは、知ってるメッセージで懐かしさを感じると同時に、
私のように「未だ見たことのなかったメッセージの存在」に驚くことも多いと思う。
そういうところも楽しみにしてほしい。

私は、ある程度自分が「やりなれている」範囲の作業をすることで、これだけ好きなゲームシリーズの
とても素敵な商品企画に携われて、本当に嬉しかったし、MOTHERシリーズの魅力が
新たに人に伝わったり、再発見されると良いな、と思っている。



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私は『MOTHER』というファミコンカセット(1989年7月27日発売)を1991/8/24に買ってもらった。

なぜ、明確な日付まで覚えているのか?
記憶しているのではない。”記録”されているのだ。日記に。
1991/8/24の日記にこう書いてある。

19910824

昨日、MIRUMIRUで借りた宮崎駿の「未来少年コナン」を返したのと同時に、
どういうゲームが分からなくって、みんなも、持っていないファミコンがあって、
半がくセールだったので、買って来て、やりました。
結局「ドラ・クエ(りゃく)」や、「チャイルズクエスト」のような
LPGロールプレイングゲームでした。
でも、すぐに、進みました。セーブのしかたは「パパ」に電話をしてから、
リセットを押しながら、電源をきります。
「ぼく」の名前は、(弟の名前)です。と中で仲間になる女の子は
(私の名前)とつけました。
あと二人の仲間は、べんと、つよしです。
どこまで進んだかと言うと、ピッピちゃんというとなりの女の子が、
はか場でみつかった所まで、行きました。(原文ママ)


◆補足
MIRUMIRU:レンタルビデオショップ(もうない)
どういうゲームが:どういうゲーム「か」の誤字
LPG:正しくはRPGである(これ小学5年生の日記だから許して)
でもすぐに進みました:RPGというジャンルのゲームは普通なかなか進まないものという決めつけ
と中:途中
べん・つよし:なんでそんな名前にしたかは思い出せない
セーブのしかた:ドラクエ2とチャイクエしかやったことがなかったので「ふっかつのじゅもん」「あいことば」が要らないのがカルチャーショックだった



当時地元にあったローカル小型デパートのおもちゃ売り場に行くたびに、
ゲームソフトの棚に並べてある、真っ赤な箱が気になって仕方がなかった。

でも、うちのファミコン本体は従兄弟からのお下がりな上、ソフトの方も中古品しか買ってもらったことがなかった。
世間がどんなにDQ3に行列を作っていても、うちではDQ2の方を中古で買ってもらうのが関の山だった。
また、中古で聞いたこともないタイトルのゲームをジャケ買いするものだから、
よくわからないゲームにしょっちゅうぶち当たったものだ……。
(なるべく箱説ありのものを買うようにはしていたけど)
そしてそういうゲームを父親にプレイしてもらい、見ていた。
ある晩、父が夜中までかかって迷宮組曲をクリアした時は、家族全員で熱狂した。

しかし、そのデパートで見る真っ赤な箱のソフトはパッケージの表に「MOTHER」と大きく印字されているだけで、イラストがない。
更に、ショーケースの中に平積みなので、箱の裏面を見ることが出来ない。
中古売り場で見かけたこともない。
どうしてもあのゲームがどんなゲームなのかが気になる。
もし、次にゲームソフトを買ってもらえるなら、中古ソフトを買うのを数本分我慢してでも、
新品の「MOTHER」を買って欲しい!
そう思っていた。

そんな中、半額セールになった「MOTHER」を見つけたから、生まれて初めて「中古じゃない」、
中身の想像できないゲームを買ってもらった。
今よくよく調べてみれば、買ったのは発売から2年経ってのことだったんだな。

箱やタイトルを一見してどんなゲームかさっぱりわからないというのは、当たりかもしれないしハズレかもしれないわけで――。
今のような情報社会だったら、みんな「ハズレ」を引きたくなくて、色々と事前にレビューを読み漁ったりして
なるべくハズレないように工夫する……なんてこともやってリスクを排除しようとしてる。
けれど、1991年、小学5年生。
私は「直接買って確かめる」しかなかったし、なぜかどうしてもこのゲームは私にとって面白いに違いないという気がした。

「RPGはなかなか進まない=時間のかかるゲーム」という印象を持っていた反面、
マリオに代表されるような横スクロールアクションは、操作のタイミングや反射神経などを問われるので、
それと比べるとRPGは自分のペースで進められる分、気が楽だった。
アクションゲームは「すぐ始めて、すぐやめる」ということが可能なのが気が楽とも言えるが、
プレイそのものは神経を使うので疲れるw
RPGは、「セーブポイントに行かないとやめられない」というような事情があることを親が理解してくれていたので、
そろそろ今日のゲームは終わりにしなさいというときでも、「キリの良いところまでやる」許可が出るのだった。

私はチャイルズクエストもドラクエも、自分の力だけでクリアした気がしなかった。
チャイルズクエストは攻略本を買って読むまで「ちくわのあな」に苦しめられ詰んでいたし、
ドラクエもどちらかといえば父親が、近所のお兄ちゃんから攻略ノートを借りたのを写して、
それを見ながらやってくれて、隣で見ているのが基本だった。
更に、「キョンシーズ2」なんかに至ってはいまだに一度もクリアしたことがない。

だから『MOTHER』こそが、私にとって生まれて初めて、自分の力でクリアしたRPGだと思っている。
特に、ラスボスとのバトルに何度も負けて、負けて……また山を登り直して……
心が折れそうになってから、ふと発見した「うたう」のコマンドには得も言われぬ衝撃があった。
そしてクリアした後は、すぐに階下へ降りていって
「お父さん、マザークリアした! 最後の敵はね、たたかうんじゃなくて、”うたう”だったよ!」
と興奮しながら説明したのを覚えている。
これも日記に書いてありそうだが、まだその日の日記を発見出来ていない。
そもそも記事冒頭の、「MOTHER購入日」の日記を探し出すのもかなり骨が折れた……。
小学校1〜6年、毎日日記を書いていたので量が半端ないのだ。

そんな、当時の「『MOTHER』というRPGに対する子供ながらの感想」も、
こちらの実況プレイ動画内でかなり尺をとって語っていたりする。


冒頭の日記に「みんなも、持っていないファミコン」と書いてあるように、
自分の周囲に、他に『MOTHER』をプレイしている子は一人もいなかったから
その話が合う相手はいなかった。

現在予約受付中の、新しいサントラ。



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1994年(中2)のクリスマスプレゼントは『MOTHER2(1994年8月27日発売)』だった。
余談だが、1992年のクリスマスプレゼントは『マリオペイント』だった。
この公式ガイドブックも持っているんだけど、ここにも糸井さんが関係してくる。


『MOTHER』『マリオペイント』『MOTHER2』と来て、私は
「いといしげさとって人の作る(関わる)ゲームは、私にとって面白いなぁ。
 お父さんは、『いといしげさとの本業は”コピーライター”』って言ってた。
 それってゲームを作る人ではないってことなんだろうけど、MOTHER2のセリフが面白いのは、
 コピーライターだから、言葉の選び方が面白いのかな」
というような気持ちを懐くようになっていた。
私にとっては糸井さんは、たまにテレビに出てる雑学に詳しい人で、マザーの人! という印象だった。

『MOTHER2』は、『MOTHER』を完全にブラッシュアップしてエンターテインメント性をより一層高めたRPGで
麻薬のように、気が狂いそうなくらい徹底された娯楽だった。
私は、『MOTHER』のプレイ経験を踏まえて『MOTHER2』をプレイ出来ることを誇りのように感じた。
『MOTHER』はやったことがない人ばかりだったのに『MOTHER2』は多くの人がプレイして面白いと言っている。
でも私は、『MOTHER』も知っていたから『MOTHER2』が面白いのは買う前からわかりきっているというような気持ちで、
いわば、『MOTHER2』から『MOTHER』の世界に入ったプレイヤーに内心でマウントを取っているような誇らしさだったといえるかもしれないw
みんなは知らなかっただろうけど、私は『MOTHER』のときから、『MOTHER2』が出たら面白いであろうことは予想済みさ! みたいなw

『MOTHER』ではキャラクターが斜めに歩くことがイノベーションだと感じたものだが、
『MOTHER2』では、まちなかにいなくても要らなくなったアイテムを即時NPCに売れる「どうぐやのかんばん」がイノベーションだと感じた。
「どせいさん」に最高の萌えを感じた。
地底大陸における、恐竜の大きさを表現するための工夫(ネスたちが極小ドット)にも笑ったし唸った。
NPCや看板や、入れない家のドアなどリアクションを返してくれる全てのオブジェクトに対して
Aボタンを押して反応を見るのが楽しかった。
モンスターも相変わらず、どこか愛嬌があって、戦闘BGMも何種類かあってワクワクした。

何回遊んでも、どこを歩いていても、飽きることがなかった。




現在予約受付中のレコード盤サントラ。(尚、1の方も買って2も予約済)



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2003年6月20日、どせいさんストラップ付きの『MOTHER1+2』と中古のGBAを購入した。
そして、ブログを始める前に管理していたホームページに連載していたプレイ日記を、
2005年02月18日からブログにコピペで移転連載し始めた。
(このブログは2004/11/18に設立したものなので、それ以前の記事は、過去に管理していたホームページか
レンタルCGI日記サイトで書いていた記事のコピペ移転である)

GBAを買ったものの、結局そのあとGCとGBAソフト用アジャスタをセット購入して、テレビでGBAソフトを遊べる環境を作ったのだった。
そう……待ちに待った『MOTHER3』がGBAソフトとして出ることが判明したために。

『MOTHER3』開発中止の報はとてもショックが大きかった。
だから「たのみ.com」というサイトで『MOTHER3』の開発再開希望!みたいな案を見て投票したり
ほぼ日にメールしたりした……ということが、過去のブログ記事に書いてあるな……。




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2006年01月26日、『MOTHER3』の発売日が2006年4月20日であると発表された!
GBAは液晶にバックライトがないので、DSかGCでやることにした。
そして私は2006年04月29日からブログで『MOTHER3』のプレイ日記をつけ始めた

「優しくて怖い世界」があった。
それは大自然のようだった。

どせいさんに再会出来て「世界の連続性」が感じられて嬉しかったり、
一方でポーキーも出てくるのでそこでもやはり「世界の連続性」というより……「因果」を感じた……。
メインキャラクターの片足が不自由だったり、重要なサブキャラたちがオカマだったり、色んな人が出てきた。
そして、全てのNPCが名前を持っていて、「色んな人がいて優しい世界」に、
名前のないNPCが少しずつ流入してきて、その変化に異物の混入のような違和感があって
「得体のしれないものは怖く感じる」という生き物としての本能を自覚した。

キャラクターがダッシュ出来るようになり、戦闘には「サウンドバトル」というシステムが導入され、
またBGMが豊富で楽しかった。
クリアした後すぐに弟に貸し出してしまったので、1や2に比べるとプレイの周回数は少ないけれど、
それでもやはり『MOTHER』の世界が地続きになって広がっているというだけで感動したし、
何度も遊びたくなるゲームだ。
お母さんが死ぬところから全てが始まるから辛いけどね……。




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『MOTHER』シリーズの魅力は沢山ある。

ぱっと思いつくだけでも
1,糸井さんが生み出すテキスト
2,愛嬌たっぷりのモンスターとポップなバトル
3,心にじんわり来るストーリー
4,優しくて心地よいBGM
5,どこを歩いていても宝探しのように飽きない
などが、全作に共通した魅力だろう。

世界中に、このゲームに魅せられた人がおり、
「こんな風に、人を楽しませられる作品を作りたい」
と思う人を多数輩出した。
そんな「MOTHERチルドレン」ともいうべき次世代のクリエイターたちが、それぞれの『MOTHER』プレイの経験を胸に
今、人を楽しませるための何かを作っている。それはゲーム媒体に限った話ではないだろう。
ある人は文章を書き、ある人は絵を描き、またある人はゲームを作り、音楽を作り……。
そういう「連鎖反応」って素晴らしいと思う。

エンターテインメントが、次のエンターテインメントを作る礎になる。
『MOTHER』はそういう、「次のエンタメを作らせる力を持つエンタメ」だ。
今は、物に溢れているから、後続の様々なゲームをすでに体験している人が、
今から『MOTHER』シリーズに触れて、どのくらい楽しさを感じるかは私にはわからない。想像もできない。
私は、リアタイで全部触れてきたからこそ、思い出補正が働く側面があるし。
でも、間違いなく今溢れている物の中に、リアタイで『MOTHER』シリーズに触れてきた人たちが
『MOTHER』シリーズは面白かった、という気持ちをどこかに抱えたまま作り出したものが沢山あるんだと思う。

他と違った『MOTHER』だけが持つ「独特さ」と、普遍的な「面白さ」が共存しているから、
深く人の心に残るのだろう。


ところで今年は、w-inds.の緒方龍一さんが、w-inds.を脱退した。
龍一さんは2016年に私のことを”発見”して、ニコ生で取り上げてくれた人だ。
龍一さんはニコ生で「最近ゲームしていますか」というような質問に、
「最近は専ら見る専門で、特にかにぱんさんのMOTHER実況を見ています」
と話していた。
それから龍一さんと相互フォローになって、w-inds.のライブコンサートを見に行ったりもした。
ツイッターでちょいちょい雑談したりもした。
その龍一さんがw-inds.を脱退したのだ……。
心身症の診断を受けたことなども理由とのことだから、まずは心と体のケアを最優先にして欲しい。

龍一さんはこの記事にも貼った、MOTHER1〜3実況を見て私を知ってくれたらしいから、
私と龍一さんの縁はMOTHERが結んでくれたと言える。
龍一さんはw-inds.を離れて、新しい道を歩み始めたけれど、そんな年に私はMOTHERの書籍に携わったことになる。
数奇な運命だ……。

龍一さんが私のことをニコ生で話してくれた時、私は
「見つけてくれてありがとう」
というような気持ちになった。
これだけ沢山の人に囲まれていて、沢山の人の目に晒される側の人が、
よく私なんかのことを見つけて、取り上げてくれたものだなぁ、と。
そしてそれが『MOTHER』だったことも嬉しかった。
『MOTHER』1〜3実況は、私の『MOTHER』好きが高じて、その熱意だけで作ったシリーズだから。
私は今回『MOTHERのことば。』プレイ&チェックをしつつ、w-inds.脱退の報を思い出して、
龍一さんがより龍一さんらしく穏やかに暮らしていけることを願った。


ほぼ日MOTHERプロジェクト

ほぼ日に関してはかつてメルマガでやっていたこれらの企画にも参加していたので貼っておきます。
(当然私自身は書籍持ってる)