6月30日(火)



ナオの「地蔵占い」左右を見たので、今日は、クルミ1パターン、サンゴ2パターンを回収します。
確か、サンゴ左パターンを見たところで上書きしてしまって、サンゴ右を見るためだけに、ニューゲームを始めたんだったなあw
スキップ地獄だったわー。
それについては、次回の動画の中でも語られると思いますがw

さて、「公園の三つ子」は相談で解決になるんですけど、衝撃だったのは、ナオが持ち帰ることにした人形たちは
家に着く前にクルミの手に渡っていて、しかも、どこかのゴミボックスに投棄されたという事実!!!www
捨てたんかい!!w しかも、道端にあるゴミボックスに!
あの学校の前とかにあるやつでしょ? ゴミボックスって。
うわーwww

人形には人形専門のお葬式というか、供養みたいなのをしているお寺だとかがあるくらいだから、
ナオが「そんな・・・」とショックを受けているのもわからなくはないなぁ。
ただ、私自身は人形を大事に持っている人でもないので、サンゴの言い分も全然わからなくはない。
いや、かなりサンゴの言い方はキツイけど、発言の主旨としてね。
結局人形は人形という「物」でしかない、と割り切ろうとしたらこの主張になるよね。
ここまで割り切れたらある意味、生活上の気苦労は少なくて済むのかもしれないけれどもw
なんというか、ずっと思ってるけど、あるひとつの思想ごとの極右と極左を同時に見せられている気分になるよね、このゲーム。


坂上地蔵の相談で、サンゴの「探り」が入るのですが、やっぱりサンゴはわざと階段に戻ったと思うんだよね。
最初に噂を入手した段階でも、おトイレ軍団(サカイ)は、わざとニシ君を階段に呼び出しておいて、
その「ジンクス」の信憑性を裏付けたと推理してる。
実際にサカイがそうしたかはわからないけど、サンゴ自体がそれと同じ事をしちゃってるんだよねw

GARNET CROWの「call my name」で
「君と歩いてく日々に偶然重ね続けて 運命の輪にしてく そんなイメージを」
っていう歌詞があるのを思い出したよ。
偶然を重ねることで必然となるというか、それは結局受け取る側の人間がそう認識したり
定義したりするだけの違いなんだけれど、必然は偶然の上に成り立っているというか、
必然というのは何らかの積み重ねの結果である側面があるというかね。
これはあくまで一側面で、実は偶然と無関係な必然もあるんだよね。
そういうのはサンゴも知ってると思うんだ。
だから意図して偶然を作ったのかな、と思うけど、意図して作ってるものは、「意図して作った必然」でしかなくて、
偶然性がないから「運命の輪」にならないという感じを受けるかな。
サンゴだって運命論者よりは、現実主義寄りなのだから、このように考えると思うのだけど、
現実主義者(リアリスト)は現実を見つめているからこそ、運命という偶然の蓄積に魅力を感じることもあるから、しょうがないかもしれない。
そしてそれを、意図してやってしまうところはサンゴもやっぱりまだ中学生だったんだなぁ、って感じる部分。
恣意があるとそれはもう偶然ではないのにね。

そういうのはナオは気付いてないと思うけど、あのやり取りからは反駁は感じるw
結局これが「必然」の姿かもしれない。


さて、今回検証の方ではクルミを試して見ました。
サンゴで左右どちらでもいいので検証しない限りこの噂はクルミで検証して放置しておくと迷宮入りしてしまうのでしょう。

クルミは、「こっち」か「反対」を選ぶのですが、どうやらどっちを最初に選択しようと、
何度も振り返るエンドになって、誰もいないというこの1パターンのみのようですね。

これどう見ても死亡フラグその2か3って感じだよなあ。
その1はカスカに「このままいくと死んじゃうよ」って言われたやつ。
クルミが死ぬかもしれないということをなるべく考えないでやってきたけれど、
確実にフラグが積み重なって行ってると思うんだ…。


参考:
夕闇通りの歩き方
「夕闇通りの歩き方」夕闇通り探検隊ロケ地ガイド