「20年以上も昔に作られた、グリッドマンみたいな映画のリメイクだよ!」 
という適当且つ若干デマの含まれる情報を父親&弟から吹き込まれてからDVDを見た。
ちなみに父親&弟は鑑賞券チケットが当たったから見に行った、というお決まりのパターンだったらしい。


で、


後からよくよく調べたので先に1行目の情報を訂正しなければならないわけだが、
「トロン:レガシー」は1982年に制作された映画「トロン」の続編だった! リメイクではない!
こちらが1作目「トロン」


続編制作までの期間は実に28年・・・
まぁそれだけ時間経っていたら、前作を知らない人も多数いるだろうし、
前作を一応、一度は見たことがあるといううちのおとうぱん。の記憶も曖昧になって「リメイクなのかな」と思ってしまっても仕方がないとは思うw

そして「グリッドマンみたいな」というのには理由があると思う。
トロン1作目の主人公であり、2作目の主人公の父にあたるケヴィンは、天才コンピュータ技術者だ。
彼が作り出した技術によってコンピュータ内の世界との行き来が可能になった。
コンピューター内の世界が「グリッド」と呼ばれている。

もっというと、ソウルハッカーズの「パラダイムX」に悪魔が体ごと直接入り込んでしまう設定もこれに近い。
マトリックスやアバターの場合は、飽く迄電脳界には意識だけが行っていて、実体としての体は現実世界に置き去りになっているパターン。


とにかく、この「トロン」という作品が、今の、「電脳界とを行き来する設定」を持つ作品の、最初のひとつだったようだ。
当時は映像技術としても最先端のSFXを用いていたため、その部分で脚光を浴びたようだが、
現在もSF映画においてPC内部にある異世界とを行き来して問題解決するようなストーリー展開は
これが最初だったということではないだろうか。
1982年当時は、人々の生活にネットもPCも密接ではなかったから、いまいち実感がない視聴者が多かったようだ。
グリッドマンの時代でもまだピンと来ていない、ソウルハッカーズでもギリギリだった。
マトリックスになってようやく自宅にPCやネット環境を持つ人が増えたため実感が湧いたのではないかという風に思った。
だからそのはるか昔に電脳界に入り込む設定を描き出していたことがこの作品のすごいところであると思う。

ちょっと余談だが、ある発明があったときに、その発明をした人がなんらかの理由で、その発明をする前に亡くなったり、
発明のタイミングがちょっと遅れたりしたらどうなるのだろうか。
その後の世界の情勢はどう変わっていたのだろう。
その人が発明しなかった代わりに別の人がどうせ同じタイミングで発明をしていたのか。
それとも、同じものが出てくるにしてもだいぶ後になってからということになったり。
実際、エジソンはあらゆる発明を行ったが、もしエジソンが発明をしなかったらどうなっていたのか。
逆に、エジソンは、それより前に誰かがやろうとしていたことを遅れて行っただけだったりしないのか。
エジソンがいなかったら、または発明前に亡くなったら、どのタイミングで「電球」が生まれたと思う?

これはちょっとした運命論のひとつなのだが、すごく掘り下げていくと、一個人の意思と関係のない
大きな、宇宙的な意思みたいなものがあって、結局それによって大きな潮流というのが定められていて
「誰が」やるかはさしたる問題ではないのではないかって思ったりする。
それがたまたまその人だっただけで、その人がやらなかったら別の人に白羽の矢が当たるだけというような。

だから、「トロン」が作られなかったとしても、いずれは別の作品が電脳界を描いたと思うし、
作者や作品名が異なっただけなのかもね!
その後に続く作品も同じことかもしれない。
「トロン」には、「最初のひとつ」という価値はあるけど、「トロンがやらなかったらその後の作品は生まれなかった」とは思わない。
別の、同じようなものが生まれたんじゃないかと思うから。
それがたまたま「トロン」で、たまたま1982年だった、という感じ。
ただ、この「たまたま」をゲットする人はかなり時の運に恵まれているってことさ。


それで、私はリメイクだと思って最後まで見てしまってから色々調べたので、見てる最中と調べた後で印象が変わった部分が沢山あるし、
アマゾンのレビューとかでも、「続編だっていうことを知らないで書いてるのかな? なら納得」というような感想を見かけた。

つまり、続編だということを知らないで見ると、1作目で初出になっているためそこで説明されたものは
説明が省かれていてわからないわけだ。
だから「ライフサイクルゲーム」は全般的に説明不足に映る。
逆を言えば、1作目を見ていれば説明は要らない部分なのだ。
けれど、「トロン」のリメイクだと思っていたり、何かの続編だということを知らないで見てしまうと、
説明不足でわかりにくい映画に見えてしまう。
私も実際ややこしいな! と思いながら見ていたのだが、そもそも前提条件からして誤っていたのだ。
まず「トロン」を見なければいけなかった。

「トロン:レガシー」においては、映画の冒頭部分でケヴィンが、床についた幼い息子サムに、グリッドの世界の話をするシーンがある。
それこそが「トロン」のストーリーの概要だ。
だから、「トロン」を全く見ていなくても、ある程度の設定は把握できる。
しかし必要最低限でしかない。

例えば、その後、エンコム社の会長であるアランが、ケビン失踪後ずっとサムの父親代わりだったということも語られるが、
その理由は「トロン」を見ていれば明白だ。
しかし、「レガシー」しか見ていないと、やはり説明不足でいまいちしっくり来ない。
そもそも、ケヴィンもアランも、当時の「トロン」の俳優がそのまま起用されていることに、感動するところだったはずだ!
知らないからできなかった! 悔しい!!

サムがグリッド界に飛ばされてライフサイクルゲームに巻き込まれたときも、「トロン」を見ていれば
「トロン」におけるライフサイクルゲームのケヴィンを思い出して感動するところだったはずなのだが、
その情報を持っていなかったことが悔やまれた!! ちくしょう!!
ライフサイクルゲームの意味も、意図も、ルールも何もわからないまま終わる。
勿論、「わけがわからない」を思っているのはサムも一緒なので、主人公に感情移入はできるキッカケになるかもしれないがw


つまり、何を言いたいかというと、1作目を先に見ろ!!! ってことだね!
「レガシー」を見ていないなら、「トロン」→「トロン:レガシー」の順で見るのが良いと思うし、「レガシー」しか見ていないなら
今からでも「トロン」を見なければ本当の「レガシー」を味わったことにならないと思う。


そして、いまや珍しくない「電脳世界モノ」だが、「トロン」より後に生まれた「マトリックス」等と比較して
「ありきたりだった」と言って切り捨てるのは早計だと思う。
「トロン」が1982年に生まれていたことを知れば、その後に誕生した作品と比較すること自体ナンセンスだと思われる。
「トロン」がパイオニアであることは事実だからだ。
ただ、28年もの間があいてからの続編だったので、1作目を知らずに「トロン:レガシー」を見て、
それだけの感想で、他のSFと比較している意見が多かったようで残念だ。

ありきたりに見えるのは、1982年「トロン」の時点で作られた「グリッド」という世界を
極力生かしたまま現代のセンスと技術でブラッシュアップしたのが「トロン:レガシー」だからであって、
他の作品がむしろ「トロン」の影響を受けた結果、それが「ありきたり」の基準になったということが言える。
「ありきたり」を作り出す「祖」となった作品に「ありきたり」というのはおかしい。
それだけ「トロン」が他に影響を与えていることのあらわれなのに、「レガシー」が「ありきたり」に見えることは
減点の理由にならない。
むしろ、そういった「型」を作ったことを評価できる。
(もっと言うと、TRONプロジェクトにまで影響を与えたといわれている)

というのは、人の感想にケチをつける目的ではなく、ただの無知による勘違いで「つまらなかった」と評してしまうよりは、
もっと早くにもう少し事情を知ってもらえれば楽しめたのではないかということが伝えたいからだ。
私自身が、ただのリメイクだと思って見たせいでいまいち楽しめなかったクチで、
後で情報を調べたところ、1作目さえ見ていればもっと違った見方が出来たに違いないと自分で気付いたから。
今からでも決して遅くないので、「トロン」を見ようと思う。
多分「レガシー」への評価も変わる。(見る前から、自分の率直な感想を疑ったしね)



ところで、弟と話してたんだけど、円谷チャンネルとかでグリッドマン配信しないのかな。
今調べたら、今年の1〜4月にかけて、毎月2巻ずつ、全8巻のDVDが発売になっているので、
それを買えば見られるのは確かだけど、あれも当時社会の方が追いついてなかった感があるので、
今配信すると「わけがわからないので見るのをやめる」人は少ないんじゃないかと思うw
むしろ、使っているPCパーツの性能が低すぎて笑えるレベルだと思うし、
先日ツイッターで弟がRTしてきて私もRTしたのでこんなのがあった。



これを見て、「グリッドマン、今放送したらそれはそれで見てくれる人いそうだな」って思ったw



DVD

ブルーレイ