「トカゲの手の噂」を入手しました。



この噂の入手過程で、セガワ君とサンジョウさんの性格が見えてきますねー。
あと、クメ君が何言ってるのかわからないし、クメ君はナオにわかってもらってる気でいるのが怖いw

こういう「不幸の手紙」のような文化って形は変わっても、いつの時代にも、どこにでもあるものですねえ。
小学校や中学校でよく見かけるものですが、高校になるとほぼ発生しなくなります。
なんだか、「発達段階」を見るのにうってつけだなぁとかも思ってしまうなぁ。
私は、自分が小中学生の頃、不幸の手紙あったのかどうか、忘れてしまったよ。
あったような気もするし、自分のすぐ近くにはなかったような気もするし、あやふや。

でも、こういう文化は、子供が子供なりの「社会」を生きていく中で、初めて出会う
「見えない相手からの悪意」だと思うのです。
幼稚園・保育園などでは、ちょっとした仲間はずれのようなものはあっても、もっと相手が見えていて
明け透けな分無邪気ともいえます。
その後、小学校中学年くらいで、こういう不幸の手紙のような、誰からかわからない悪意に触れ始めるのだと思います。
そして、それはネットがない時代でしたらば、その「初めて触れる」ときに皆が「こういうのは良くないことだ」と学んで
一過性で終わっていたことだったろうと思うのですが、ネットの匿名性を利用して、いつまでもそれを続けてしまう人も出てきました。
その点は少し状況が変わってきている上に、良い方に変わったとはいえないのが残念ですな。
でも、誰でも一度は通って、そこで学習していくものなのだと思います。
相手の正体がわからなくても悪意だけは感じるということは今も昔もあります。
「そういうことが存在する」ということだけは、早い段階で知っておく必要はあるように思います。
それに、相手の正体はなんだかんだでわかるものです。
こういった学習をする機会というのは裏を返せば「必要悪」の一種なのでしょうか。難しいところです。

このゲームに描かれている「ちょっとした出来心」や「業(ごう・カルマ)」のようなものというのは、
誰にでもあるもので、誰もがその被害者・加害者どちらの当事者になってもおかしくないものですから、
そういった「いざ自分が」ということを想像して「怖い」と思うのが、一番のホラー要素のように思います。


今回のプレイでは、「猫の集会の噂」の検証のために、輪坂神社前の通りを歩きました。
ちょっとこの検証には時間の縛りがあって、次の段階に進む条件を踏み外してしまったので、次回に持ち越します。


参考:
夕闇通りの歩き方
「夕闇通りの歩き方」夕闇通り探検隊ロケ地ガイド