先日、「炎のゴブレット」を見たのを機に、完結編まで通してみてしまおう!ということで、5〜8作目までまとめて借りた!
5:不死鳥の騎士団
6:謎のプリンス(半純血のプリンス)
7:死の秘宝1
8:死の秘宝2
だ。
謎のプリンスって、なんか、「謎の感動」みたいな用語と同じ雰囲気を醸している副題だよね。
プリンスは英語のままだし。
プリンスは、ダブルミーニングだからしょうがないとおもうけど、原題見たら「HALFBLOOD」だったから、なぜ「謎の」と訳したのかはわからん。
混血のプリンスじゃだめかよ。

それはそうと、4作品もまとめて見たものだからそれぞれについてというより、この4作品の完結までの流れ全体について書いていく感じにしよう。
ただし、思いついた順に書いていくのでとりとめもない文章になる。

ネタバレはあるので、これから見たい人は先に映画を見たほうが良いかもしれない。





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何を差し置いても、まず、この作品の冒頭から引っ張ってきた隠し設定「スネイプの素性」については、
私が想像していた通りだったので、そこはすごくスッキリした。
「ハリーの母親を愛している二重スパイに違いない!」
とずっと考えていたので、まさにその通りで。やっぱりそれが一番辻褄合うもんなあ。
ただし、閉心術の指導中にハリーがスネイプの心を覗いてしまうシーンがあるけれど、あそこではスネイプは嘘の記憶または
捻じ曲がった記憶を見せてるのかと思ったりもしたけど。
ハリーと同様に、私もハリーの父がいじめっ子だったとは思えないでいたからなぁ。
記憶を見ても俄かには信じられなかった。
現に、ホラスの記憶は改ざんされていたりもしたから可能だと思った。

でも、実際スネイプと知り合って仲が悪くなった頃ってのは、ハリーの父は色々鼻にかけていて、スネイプが言うように
卑劣ないじめ(一人でいるときにしかいじめをけしかけない)をするリーダー格だったようだから、スネイプが子の代まで恨むのも無理はない。

ましてやハリーの母リリーを挟んでは恋敵であるし、スネイプ自身不器用な人だから、どんなに純粋に愛していても
うまく射止めることが出来ないどころか、距離をどんどん離してしまい、結果的には敵に塩を送ったようなものだった。
不器用に生きている人なのだろうということは、もう登場した瞬間からわかるし、いちいちツンデレのような態度が散見されるからなあ。
それで、相手が死んで尚、自分が死ぬまでその一人だけを愛するということは出来るとスネイプは教えてくれた。
ハリーたち生徒の恋愛事情がギスギスと描かれていくほど、私はスネイプがハリーの母親を過去からずっと、
いまでも愛しているに違いないと確信を強めていった。

しかし、こうして全体を見渡してみれば、両親がいなくなった後、ハリーの周りには沢山の「保護者」がいて
スネイプは態度こそ不躾だったものの、かなりの危険を冒す役割を担っていたわけだから、第二の父親と言っても良い。
ハリーはシリウス=ブラックを、第二の父親のように慕っていたけれど、過去からの全てを知った後では
スネイプを尊敬したし子供に名前を継がせるほどだったからな。
でも、名前をつけた順番を見ると、
長男:ジェームズ・シリウス・ポッター
次男:アルバス・セブルス・ポッター
だから、スネイプは4番目の父親ということにもなるけど、シリウス・ダンブルドア・スネイプの3人は、
「同率2位」の第二の父親たちなのではないかと思う。

それにしても、ハリーは、あんなに幼い頃に両親を亡くしているものの、これだけの後見人たちが全力でバックアップしてくれるとは恵まれた人物である。
これだけ恵まれていると、両親を亡くした不幸エピソードがどんなに前面に押し出されても、読者から共感が得られないという側面もある。
しかし、誰だって沢山の人に支えられてやっと生きているはずなのだ。
そして、亡くなった人さえも、気づかなかったり忘れたりしていることがあるだけで、「ずっと傍にいた」りする。
ハリーは確かに特別な過去を持っているから有名だし、その分今は恵まれていて、
庶民視点からは反感や妬みを買いそうなレベルだけれど(実際作中そういう描写だってあるし)、
作品が言いたいことは、誰でも沢山の人に支えられているし、そのことに早く気づいた方がいいってことなんじゃないかと思う。
過去にどんな苦境があっても、「世の中で一番不幸」ってことはないんじゃないか。
そんなの比較してランク付ける意味なんかないし、それより今生きている時点で、支えてくれてる人がいないはずはない。
誰かがいるから生きてる。亡くなった人だってそこに含まれる。


やはりどれを見ても、小説の情報量をかなり削って削ってようやく尺に収めたという感じだけは否めない。
映画を見終わった後にWikiで情報補完したけれど、「そんな雰囲気は確かに伝わったけど、このシーンなかったな」というのが大量にあった。
かなりダイジェスト化されたり。
それに、「小説だったらこの小ネタすらあとで回収されてるんだろうな」ってあらゆるシーンで伏線を睨んだけれど
映画では割と回収されずじまいだったりする。
多分小説では回収されている。

同じように、セドリックを皮切りにキャラクターがどんどん死んでいくのだけど、例えばムーディなんかは
「さっきムーディ死んだよ」「まじか・・・」
くらいの会話で終わるくらいあっさり殺されて、描写はカットだった。
それは小説内でもそうなのかもしれないけど、「いかに敵が残酷無二であるか」を印象付けるため」なのか
とにかくどんどん死んでいくし、死に様が謎な場合すらある。
すべて、ハリーという駒を前へ進ませるためであるから、窮地を脱する前後に亡くなるけどね。
シリウスもドビーも。
シリウスは、「とみせかけて実は生きてる」展開を待ってみたけどダメだった。
あの神秘部での戦いで、声が聞こえるアーチに吸い込まれるようにシリウスが死んでいくけど、
アーチがなんなのか謎のままだったから、余計に「実はまだ死んでないとかないの?」って思ったんだけどなあ。
ドビーも、ベラトリックスのダガーで死んでしまって思わず泣いたけれど、窮地を脱するたびに必ず誰か一人死ぬっていうのは
物語の展開として必須事項ではないのになあ、とは思った。
ここでこれを成し遂げたことがこのキャラの一世一代の大仕事であり、役目終了なので殺しておきますね!って感じがしてしまうし。
とにかくボコボコ死ぬ。


それから、恋愛やいざこざが結構急に起こるのだけど、これも小説ならじっくり描いているところをカットした結果急展開に見えてしまっているのだろうか。
男女のくっついたり離れたりが忙しなくて感情の動きを読み取れるシーンがあまりなかったりする。
あるけれど最低限に抑えた、という印象。
いざこざとかも、ちょっとキャラの不機嫌そうな表情をアップにして嫌な予感させといて、次のカットでは、ほら、もう喧嘩です!みたいなw
ドタバタ忙しない感じがした。
詰め込み感はどうしてもあったなあ。多分半分以上映画特有だと思う。原作ではもっと心理描写が細かい。
でも、原作あれだけ分厚ければ話の流れを追うので精一杯だよね、2時間半なんて。
確か、「炎のゴブレット」でも、ハリーがチョウを意識していくっていうのはかなり微細に描かれていたと思う。
そのせいか最終的に、ロンとハーマイオニー、ハリーとジニーっていうカップルが出来て終わるのも、ちょっと意外だった。
ジニーは特に、元々ハリーに憧れているけれど、他の二人の男子と付き合って別れて、ってやってるし
これがハーマイオニーの助言「他の男子としばらく付き合って、ハリーに本来の自分を出せるようにする」に則っているんだけど
なんだその「練習台」みたいな交際は!?ww これは海外独特の文化ですか!!ww
しかも最終決戦前にハリーが、ジニーを守るために別れを切り出すシーンが映画にはなかったと思う。
(あったらあったで益々忙しなく感じたかもしれないが!w)
ロンとハーマイオニー近辺もドタバタしている。(主にラベンダー=ブラウンの存在と、ハーマイオニーが怒りっぽいせいで)
まあそれはロンもかなり悪いかもね。
ラベンダーがロンに熱狂的に言い寄っただけでなく、ハーマイオニーへのあてつけとして付き合ったりするもんだからw
お互いに素直じゃないからとんでもない遠回りしてるな、この二人 と思った。


他のキャラについてだけど、ネビルの成長っぷりには、メタ的な意味で吹いたw
もちろん物語の中でもどんどん勇敢になっていくし、自分の得意分野以外でも活躍するようになるけど、
急に背がひょろ〜って伸びて出てきたときには、びっくりしたよ。成長期ってすごいな。

あと、ドラコ=マルフォイにスネイプが肩入れするのはちょっと不思議でもあった。
もちろん、すべてがヴォルデモートを倒すための、二重スパイとしての役目の上で、なら納得だ!
でも、ドラコがやってることは自分をいじめていたジェームズと被るじゃないか。
相手がハリーだから、ジェームズに仕返ししているような気分で「ざまあ」な気持ちがあったのだろうか。
だとしたら、スネイプってそういうところ幼稚ってことになっちゃうなあ・・・。とか色々思う。
闇の魔術に傾倒している者同士、またデスイーターとしての同志だとしても、
そこまでドラコが「かわいい生徒」とも思えないので不思議だった。授業態度も不真面目だし。媚は売るけど。
スネイプがドラコにまるで情が移ったかのように描かれるけれど(そう明言する部分は原作にも見当たらないそうだが)
スネイプの元々の生い立ちからすれば、自己を投影するような”後輩”でもないしw スネイプのほうが絶対引っ込み思案だもんね。
それにもし同級生だったらスネイプをいじめの的にするようなタイプ。
ルシウス家は最後まで徹底して、カスだということを見せ付けてくれたしね。
肩入れする価値なんかどこにもなかったな。だってマザー2だったらポーキーだよ。
スネイプはダンブルドアにも「美徳」を認められているのだから、ドラコなんかには情は移らないタイプだと思うんだけどな。
あの一家どこへ行ったんだか。


でも、魔法界てのは結構狭いんだね。
そこらじゅうが縁戚関係にある。まれにハーマイオニーのように両親ともにマグルだって人が入ってくるのだろうけど
基本的には血をどんどん濃くしてきた世界だなwだから血統のことで考えが分かれてるんだろうけどね。
ロンは純血な割に血統に寛容だったから、ハーマイオニーとやっていけるんだろうし。
それなのに、なのか、それだから、なのか難しいところだけど、ベラトリックスがシリウスを殺したみたいに
平気で比較的近い親類を殺すね。
価値観の違いや生まれの差別で、相手を殺してしまうってのはとにかく良くない。もはや宗教戦争。
ハリーがヴォルデモートに勝ったことで、そういう悪循環みたいなのも終わったのならいいなぁ、なんて考えてる。


とにかくこれは色々な意味で歴史的な作品だったよ。
作者のJ.K.ローリングは、これを書き上げるのが、一世一代の大仕事だったと思う。
でもこういうのって、当人からしてみると、ババーっと全部が一瞬で、雷に打たれたみたいにどこからかアイデアが降ってきて
それを書き起こすだけだから、構想に何年とかそういうタイプのと違うかも。
そのくらい「閃き」があったという話を聞いたことがある。
ただ、文章量はハンパないから、よっぽどの使命感などがあって書いたんだろう。
それは歴史的な使命感だったと思われる。

作品内でも、まず、キャラクターたちすべてに歴史を感じるよね。
ヴォルデモートとハリーの戦いは、前の世代からの因縁だから、前後の世代を巻き込んでいる壮大さがある。人に歴史あり。
その中で偶然が必然であったりするところも歴史的。
作中での時間にして7年間のストーリーだけど、この映画を8本作り終えるのには、それ以上の時間がかかっているから歴史的。
興行収入も歴史的だったんだろうな。
8本で完結するっていう映画もなかなかないと思うし、シリーズもので何作も作られていっても、後に行くほどぐだるとかあるけど
この作品は、小説が開始当初から「全7巻」ってわかりきってたもんなあ。それもなんだかすごいよ。
小説は4巻まで読んだから、5巻以降もちゃんと読みたい。
さらに、1作目から映画見直したいw
話としては完結したけど、まだまだこの作品を楽しめそうだなーと思っている。
あまり関係ないけど、ハリーが1980年7月生まれという設定だったことを知り、「あ、同じ学年だ!」ってなったから
親近感も余計に湧いたしねw