タイトルと記事の内容にそこまで深いかかわりはないけれど、今週は映画週間にするべく、映画DVDを8本もいっぺんに借りてきたよ。
その中で、準新作だから4泊でしかレンタルできなかった「TIME/タイム(原題:In Time)」を真っ先に見ることにした。
さて、感想のあいだあいだに余談が挟まってくると、読んでて楽しいやら読みにくいやらだと思うので、
今回はまず余談を先にまとめてしまう。
その中で、準新作だから4泊でしかレンタルできなかった「TIME/タイム(原題:In Time)」を真っ先に見ることにした。
さて、感想のあいだあいだに余談が挟まってくると、読んでて楽しいやら読みにくいやらだと思うので、
今回はまず余談を先にまとめてしまう。
(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)
まず見た後で、作品情報をWikiで調べたら、何よりびっくりしたのは監督・脚本がアンドリュー・ニコルという映画監督なのだが、
この人、「トゥルーマンショー」の脚本の人なんだ。(監督もやる予定だったらしいけど、ジム=キャリーの主演が決まって
監督は別の人になったらしいことがWikiに書いてあった)
「トゥルーマンショー」はもう何度も見てるんだけど、実は今月も一回見直したばかりなんだよ。
私の中では「ルーマニア#203」と「トゥルーマンショー」は切り離して考える方が困難な作品なのだ。
ルーマニアが制作されるに当たってトゥルーマンショーが影響を与えたかどうか実際のところは知らない。
ただ、私はルーマニアをプレイする前に「トゥルーマンショー」を見てあって、ルーマニアは「いたずらを仕掛けるゲーム」だと思い込んでいたけど
シナリオを一本クリアしたところで考え方が全く変わった。いたずらゲーじゃなかったと認識を改めた。
それで、トゥルーマンショーを思い出した、というか、始めから脳内でなんとなくセットになっていたけど
より結びつきが強まった感じがした。
確かにその二つは、全然違うことを表現しているようでもあるし、そっくりな側面もあってなんとも説明がつけにくいけど
トゥルーマンショーを見て、それがとても印象深い映画だったから、ルーマニアに近いものを見出した後に
またトゥルーマンショーを改めて見直したくなったんだよね。
トゥルーマンショーを見たときは「そういえばルーマニアっていうゲームが人生に介入する作品だったな」って思い出してさ
で、ルーマニアを2作品、全シナリオをクリアした訳だから、ここでもう一度トゥルーマンショーを見たら、そこでまた何か新しい感じ方できるんじゃないかって。
それでほんとについ1週間ほど前だったか、見たのよ、トゥルーマンショー。
それでね、同じ人が作ってる映画だとは知らずに、TIME借りてきたの。
こういう偶然ってあるよね。
たとえば音楽なんかで多い。
「この曲いいな」って思ってよく調べたら作曲家が一緒だった、ってやつ。
この現象に名前付けたいレベルの。
それが、映画でも起こるんだな〜と。
で、もう一つ余談なのだけど、この作品のヒロイン、シルヴィア=ワイス(アマンダ=サイフリッド)という女性に
何かやたらと既視感あるなあと思ってたんだけど


今の私の髪型と全く同じや!!
この髪形、毎日鏡の中で見てるぞ!!!色までそっくり!!
ってなりました。
その話は、それだけw
それで、そのアマンダ=サイフリッドという女優さんの画像を検索したら、どうやらブロンズのワンレンロングで、
ちょっとウェーブかかってるのが普段?本来?の髪形のようだった。
シルヴィアを演じるときの髪形はこれはこの女優さんにとってはかなりイレギュラーな髪形なのじゃないかな。
そのくらい画像検索で出てくる普段のアマンダさんが、シルヴィアとはまるで別人のようだったよ。
それから、吹き替えの話。
私は洋画を必ず字幕で見る。
耳から入る英語と文字情報両方で情報を得ていく方が、意味の幅が広がるから。
でも、この作品ではシルヴィアの父親の声を緑川さんが担当していたので、一通り見終わった後に
そのキャスティングをWikiで見て、日本語でも一部見直してみた。
相変わらず緑川さん良い声だった。久々に聴いた。
しかし!! 映画としては字幕版で見てやはり正解だった。
感想については、映画の感想なんて辛口で書こうとすればいくらでも書けるんだろうけど、私はできれば
点数を付けることで他の作品との比較をするというのもやりたくないし、ポジティブな目線で楽しみたいから
評価できる部分のほうをじっくり考えて、残念だったところは見ぬふりはしないけど極力制作の意図を汲み取る感じで行きたいなあ。
それから、ネタバレはありますので、まっさらな状態でこれからこの映画を見たいという方は
ひとまずこの先は読まないでおいたほうが良いでしょうね。
この作品は、SFだね。サイエンスフィクション。
遺伝子操作で、人間の体は25歳で成長(老化)がストップするように作り変えられた。
そして、25歳を過ぎたあとは、余命1年のカウントダウンが始まりその先は労働の見返りとして時間が与えられ、
それはそっくりそのまま寿命を表してもいるし、物を買うとき、公共交通機関で料金を支払うとき、アパートの家賃を払うとき、
あらゆる支払いの場面でもその寿命を支払って暮らす世界。
ただし、貧困層と富裕層では訳が違っていた。
限られた一握りの富裕層の人々は、貧困層からの搾取によってほぼ無限の時間を生きる「不老不死」の人間であるし、
貧困層の人々は今日の稼ぎで明日を漸く生きられるようながけっぷちの生活。
そういうバランスの世界。
その世界がどういうものであるかや、主人公含めたあらゆる人々の生き方を描いている。
だから例えばアクションとかに期待してしまうとガッカリするかもしれないけど、「SFアクション映画」ではないのでしょうがない。
それより、人々の生き様や思惑がどうやって渦巻いているかを見る映画だと思う。
だから、そういう意味ではアクションシーンよりも残念に思ったのは、主人公の父親のエピソードや、
貧困層から容赦なく時間を奪って暮らしているマフィア、そしてそのマフィアのことは咎めない時間管理局(タイムキーパー)の考えていることなど
そういうことをもっと掘り下げて描いて、教えてくれたら良かったかな?とは思った。
色々な人が出てきて、皆価値観が異なっているのに、自分の持っている寿命という残り時間が通貨であるという世界だけは変えられないから
奪い奪われながら生きている。
シルヴィアだって、刺激のない、管理統制された富裕層としての暮らしに退屈しているから、主人公に手を貸し始めるわけだから
そういうところも遡ってもっと内面を描いて欲しかった部分はある。
つまり、それまでに積み重ねてきた「時間」っていうのを。
ちょっとは語られはするんだけどね、どれも。
それが、「もっと知りたい」と思うのに明かされないから、そこは消化不良気味かもしれない。
ただ言えるのは、時間をもっと欲しているのは何よりもこの映画の製作者たちなんじゃないかと。
映画だって時間という尺の中で制限を受けながら作られていくから、無駄なシーンは極力省かなければいけない。
もしこの映画を、私の見たい部分を存分に描いて作ろうとするなら、マトリックス3部作くらいの分量になってしまうだろうw
だから仕方ないと思う。
アクションについての話に戻る。
貧困層の人は、明日明後日死ぬかもしれない人生だから1分1秒を無駄に出来なくて、走る。
富裕層の人は、殺されでもしない限りは、万という単位の寿命を持っていたりもするから、急ぐということをしない。
主人公は、貧困層でありながら「分け合う」ことを知っている、勇気と正義感のある父親を幼い頃に亡くしていて、
本人も出来ればこんな世界のルールをぶち壊したいと思っている。可能な限り平和的に。
だから、アクションシーンは、基本、走る!
奪うことより、急ぐことが彼の正義なのだろう。
ヒロインは、富裕層の生まれではあるが刺激を求め、父親の事業方針に疑問を持っているから、
人質として取られたにも関わらず、主人公に積極的に手を貸し始める。
彼女の場合は、奪うということに長けているのは皮肉だが、痛快な部分でもある。
父親は世界トップの「搾取家」だったから。
シルヴィアが奪い、ウィルがばら撒いて分け与える。世界を平均化してゆく。
この映画の中で、その遺伝子操作された体自体をどうこうして決着をつけるという結末は描かれないので
終わり方だけみると「奪われたものを奪い返すことも時に正義である」というだけであるように見える。
しかし、そうしていくうちにいずれは、体制そのものを変えようとする者も現れ、再び世界のルールは変わるのだろうという希望は抱かせてくれる。
ひとまずの終着点としては「奪ったものを奪い返す」だったけれどね。
きっと伏線なんだろうと思っていた母親が亡くなるシーンは、回収されて良かった。
王道の展開だけど、「ありきたりだからこそ安心する」というものがある。
斬新さと王道はワンセットであったほうが、刺激的でありつつも安心して見られるものだ。
母親が亡くなったときと、そっくりなシチュエーションでシルヴィアが命の危険に晒される。
母親が亡くなるシーンが最初のアクションシーン、そして、シルヴィアとウィルがそのシーンを再現するように走るのが
この映画の最後のアクションシーンということになる。
このふたつのアクションシーンで私は十分にスリルを味わえたので、それでよしとしちゃうもんねー!!
コメディ的な要素?もちょっとあった。
パトカーでは逃亡できないので、富裕層から車を奪うシーンで運転していた男が
「スピード違反(がいけなかったの)か?」
と尋ねると、ウィルが
「遅すぎる」
と答えたところは、噴出してしまったw
あと、シルヴィアの家にパーティで招かれ、シルヴィアの祖母、母、シルヴィアをフィリップ(父)が紹介するシーンでは
「なるほど、25歳で不老になるってこういうことになるわな」
と納得しつつ苦笑w
3世代なのに全員外見的に「年齢差」を感じないからなw
特定の地位の人間だけが好きなだけ長く生きて、それ以外の人間はどんどん搾取されていくから
必死に働いていても祖父祖母は見たこともなかったり、親すら失うのがザラだからなぁ。
祖母が健在ってだけで、もう「富裕層ステータス」かもな。
ところで、物語が転がり始めるのは、ウィルがスラム街のバーで時計を見せびらかす富裕層をマフィアから救うという出来事がキッカケだ。
その富裕層の男は、果てしない時間や生活の格差などに嫌気が差していたから、寿命をマフィアに奪われたっていいと思っていたし
そこを救ってくれちゃったウィルに残りの100年以上の時間を与えて死んでしまう。
ウィルを始めとする貧困層の人間は、日雇いで、1日働いたお給料が翌日の寿命と生活費。
その先は保障されていないから、寿命を1ヶ月も持ってると殺してでも奪おうとするやつが出てくる。
普通は、自由と保障っていうのは、どちらかはたっぷり与えられるが片方が極端に欠けている状態として描かれて
私たちに問いかけてくることがほとんどだが、この作品では、主人公たちに自由も保障もないのだ。
それで、前述のように、単にどちらかが欠けている(大抵自由が欠けている。トゥルーマンショー然り)場合には
足りない方を補ってバランスを取って行くのが物語の目的となっていくのだけれど、
この作品の場合は、どちらも欠けているから「時間の有限性」とか「平等」の方が大きなテーマになっているし、
最初に出会った富裕層の男がくれたのは、寿命じゃなくてチャンスや意義や願いだよね。
有限を日々強く感じている貧困層のウィルと、その気になれば無限を生きられる富裕層の男。
普通であれば価値観は全く違うものになりそうなのに、たまたま出会ったその二人が
同じようなことを思っていたから、物語が転がった。
結局、人間っていうのは、有限の中にいても、無限の中にいても、有限にとらわれる生き物なのかもしれない。
物事が変化していくことは無限の中でも認識できるから。
本当の無限というのは、不変も兼ねているものだ。可変であればそれは無限ではない。
25歳で不老となることは、実はすべてを不変に変えているわけではない。
時間が流れているということは、それまでと変わらないから。
時間が流れると、物事は必ず移り変わる。だから姿や寿命が不変であったり無限であったりするように見えても、
実は他のあらゆるものは常に移り変わっているし、そのことに気づかないでは生きていけないのが人間なのだ。
不老不死は人類の夢なのかもしれない。
けれど、それが不変でもなければ無限でもないということは不老不死ではない生き物と変わらない。
それでも、不老不死になろうと技術を追い求めるなら、同時に生き方も考えていかないと、それは耐え難い時間になるだろう。
しかし、不老不死の技術は少なくとも今は開発されていない。(と思う、知らないけど)
私たちはウィルほど「明日明後日の心配」はしないで済む生活を出来ているかもしれないけれど、
時間をWasteしないためにどうするかは考えた方が良い。
まず見た後で、作品情報をWikiで調べたら、何よりびっくりしたのは監督・脚本がアンドリュー・ニコルという映画監督なのだが、
この人、「トゥルーマンショー」の脚本の人なんだ。(監督もやる予定だったらしいけど、ジム=キャリーの主演が決まって
監督は別の人になったらしいことがWikiに書いてあった)
「トゥルーマンショー」はもう何度も見てるんだけど、実は今月も一回見直したばかりなんだよ。
私の中では「ルーマニア#203」と「トゥルーマンショー」は切り離して考える方が困難な作品なのだ。
ルーマニアが制作されるに当たってトゥルーマンショーが影響を与えたかどうか実際のところは知らない。
ただ、私はルーマニアをプレイする前に「トゥルーマンショー」を見てあって、ルーマニアは「いたずらを仕掛けるゲーム」だと思い込んでいたけど
シナリオを一本クリアしたところで考え方が全く変わった。いたずらゲーじゃなかったと認識を改めた。
それで、トゥルーマンショーを思い出した、というか、始めから脳内でなんとなくセットになっていたけど
より結びつきが強まった感じがした。
確かにその二つは、全然違うことを表現しているようでもあるし、そっくりな側面もあってなんとも説明がつけにくいけど
トゥルーマンショーを見て、それがとても印象深い映画だったから、ルーマニアに近いものを見出した後に
またトゥルーマンショーを改めて見直したくなったんだよね。
トゥルーマンショーを見たときは「そういえばルーマニアっていうゲームが人生に介入する作品だったな」って思い出してさ
で、ルーマニアを2作品、全シナリオをクリアした訳だから、ここでもう一度トゥルーマンショーを見たら、そこでまた何か新しい感じ方できるんじゃないかって。
それでほんとについ1週間ほど前だったか、見たのよ、トゥルーマンショー。
それでね、同じ人が作ってる映画だとは知らずに、TIME借りてきたの。
こういう偶然ってあるよね。
たとえば音楽なんかで多い。
「この曲いいな」って思ってよく調べたら作曲家が一緒だった、ってやつ。
この現象に名前付けたいレベルの。
それが、映画でも起こるんだな〜と。
で、もう一つ余談なのだけど、この作品のヒロイン、シルヴィア=ワイス(アマンダ=サイフリッド)という女性に
何かやたらと既視感あるなあと思ってたんだけど


今の私の髪型と全く同じや!!
この髪形、毎日鏡の中で見てるぞ!!!色までそっくり!!
ってなりました。
その話は、それだけw
それで、そのアマンダ=サイフリッドという女優さんの画像を検索したら、どうやらブロンズのワンレンロングで、
ちょっとウェーブかかってるのが普段?本来?の髪形のようだった。
シルヴィアを演じるときの髪形はこれはこの女優さんにとってはかなりイレギュラーな髪形なのじゃないかな。
そのくらい画像検索で出てくる普段のアマンダさんが、シルヴィアとはまるで別人のようだったよ。
それから、吹き替えの話。
私は洋画を必ず字幕で見る。
耳から入る英語と文字情報両方で情報を得ていく方が、意味の幅が広がるから。
でも、この作品ではシルヴィアの父親の声を緑川さんが担当していたので、一通り見終わった後に
そのキャスティングをWikiで見て、日本語でも一部見直してみた。
相変わらず緑川さん良い声だった。久々に聴いた。
しかし!! 映画としては字幕版で見てやはり正解だった。
感想については、映画の感想なんて辛口で書こうとすればいくらでも書けるんだろうけど、私はできれば
点数を付けることで他の作品との比較をするというのもやりたくないし、ポジティブな目線で楽しみたいから
評価できる部分のほうをじっくり考えて、残念だったところは見ぬふりはしないけど極力制作の意図を汲み取る感じで行きたいなあ。
それから、ネタバレはありますので、まっさらな状態でこれからこの映画を見たいという方は
ひとまずこの先は読まないでおいたほうが良いでしょうね。
この作品は、SFだね。サイエンスフィクション。
遺伝子操作で、人間の体は25歳で成長(老化)がストップするように作り変えられた。
そして、25歳を過ぎたあとは、余命1年のカウントダウンが始まりその先は労働の見返りとして時間が与えられ、
それはそっくりそのまま寿命を表してもいるし、物を買うとき、公共交通機関で料金を支払うとき、アパートの家賃を払うとき、
あらゆる支払いの場面でもその寿命を支払って暮らす世界。
ただし、貧困層と富裕層では訳が違っていた。
限られた一握りの富裕層の人々は、貧困層からの搾取によってほぼ無限の時間を生きる「不老不死」の人間であるし、
貧困層の人々は今日の稼ぎで明日を漸く生きられるようながけっぷちの生活。
そういうバランスの世界。
その世界がどういうものであるかや、主人公含めたあらゆる人々の生き方を描いている。
だから例えばアクションとかに期待してしまうとガッカリするかもしれないけど、「SFアクション映画」ではないのでしょうがない。
それより、人々の生き様や思惑がどうやって渦巻いているかを見る映画だと思う。
だから、そういう意味ではアクションシーンよりも残念に思ったのは、主人公の父親のエピソードや、
貧困層から容赦なく時間を奪って暮らしているマフィア、そしてそのマフィアのことは咎めない時間管理局(タイムキーパー)の考えていることなど
そういうことをもっと掘り下げて描いて、教えてくれたら良かったかな?とは思った。
色々な人が出てきて、皆価値観が異なっているのに、自分の持っている寿命という残り時間が通貨であるという世界だけは変えられないから
奪い奪われながら生きている。
シルヴィアだって、刺激のない、管理統制された富裕層としての暮らしに退屈しているから、主人公に手を貸し始めるわけだから
そういうところも遡ってもっと内面を描いて欲しかった部分はある。
つまり、それまでに積み重ねてきた「時間」っていうのを。
ちょっとは語られはするんだけどね、どれも。
それが、「もっと知りたい」と思うのに明かされないから、そこは消化不良気味かもしれない。
ただ言えるのは、時間をもっと欲しているのは何よりもこの映画の製作者たちなんじゃないかと。
映画だって時間という尺の中で制限を受けながら作られていくから、無駄なシーンは極力省かなければいけない。
もしこの映画を、私の見たい部分を存分に描いて作ろうとするなら、マトリックス3部作くらいの分量になってしまうだろうw
だから仕方ないと思う。
アクションについての話に戻る。
貧困層の人は、明日明後日死ぬかもしれない人生だから1分1秒を無駄に出来なくて、走る。
富裕層の人は、殺されでもしない限りは、万という単位の寿命を持っていたりもするから、急ぐということをしない。
主人公は、貧困層でありながら「分け合う」ことを知っている、勇気と正義感のある父親を幼い頃に亡くしていて、
本人も出来ればこんな世界のルールをぶち壊したいと思っている。可能な限り平和的に。
だから、アクションシーンは、基本、走る!
奪うことより、急ぐことが彼の正義なのだろう。
ヒロインは、富裕層の生まれではあるが刺激を求め、父親の事業方針に疑問を持っているから、
人質として取られたにも関わらず、主人公に積極的に手を貸し始める。
彼女の場合は、奪うということに長けているのは皮肉だが、痛快な部分でもある。
父親は世界トップの「搾取家」だったから。
シルヴィアが奪い、ウィルがばら撒いて分け与える。世界を平均化してゆく。
この映画の中で、その遺伝子操作された体自体をどうこうして決着をつけるという結末は描かれないので
終わり方だけみると「奪われたものを奪い返すことも時に正義である」というだけであるように見える。
しかし、そうしていくうちにいずれは、体制そのものを変えようとする者も現れ、再び世界のルールは変わるのだろうという希望は抱かせてくれる。
ひとまずの終着点としては「奪ったものを奪い返す」だったけれどね。
きっと伏線なんだろうと思っていた母親が亡くなるシーンは、回収されて良かった。
王道の展開だけど、「ありきたりだからこそ安心する」というものがある。
斬新さと王道はワンセットであったほうが、刺激的でありつつも安心して見られるものだ。
母親が亡くなったときと、そっくりなシチュエーションでシルヴィアが命の危険に晒される。
母親が亡くなるシーンが最初のアクションシーン、そして、シルヴィアとウィルがそのシーンを再現するように走るのが
この映画の最後のアクションシーンということになる。
このふたつのアクションシーンで私は十分にスリルを味わえたので、それでよしとしちゃうもんねー!!
コメディ的な要素?もちょっとあった。
パトカーでは逃亡できないので、富裕層から車を奪うシーンで運転していた男が
「スピード違反(がいけなかったの)か?」
と尋ねると、ウィルが
「遅すぎる」
と答えたところは、噴出してしまったw
あと、シルヴィアの家にパーティで招かれ、シルヴィアの祖母、母、シルヴィアをフィリップ(父)が紹介するシーンでは
「なるほど、25歳で不老になるってこういうことになるわな」
と納得しつつ苦笑w
3世代なのに全員外見的に「年齢差」を感じないからなw
特定の地位の人間だけが好きなだけ長く生きて、それ以外の人間はどんどん搾取されていくから
必死に働いていても祖父祖母は見たこともなかったり、親すら失うのがザラだからなぁ。
祖母が健在ってだけで、もう「富裕層ステータス」かもな。
ところで、物語が転がり始めるのは、ウィルがスラム街のバーで時計を見せびらかす富裕層をマフィアから救うという出来事がキッカケだ。
その富裕層の男は、果てしない時間や生活の格差などに嫌気が差していたから、寿命をマフィアに奪われたっていいと思っていたし
そこを救ってくれちゃったウィルに残りの100年以上の時間を与えて死んでしまう。
ウィルを始めとする貧困層の人間は、日雇いで、1日働いたお給料が翌日の寿命と生活費。
その先は保障されていないから、寿命を1ヶ月も持ってると殺してでも奪おうとするやつが出てくる。
普通は、自由と保障っていうのは、どちらかはたっぷり与えられるが片方が極端に欠けている状態として描かれて
私たちに問いかけてくることがほとんどだが、この作品では、主人公たちに自由も保障もないのだ。
それで、前述のように、単にどちらかが欠けている(大抵自由が欠けている。トゥルーマンショー然り)場合には
足りない方を補ってバランスを取って行くのが物語の目的となっていくのだけれど、
この作品の場合は、どちらも欠けているから「時間の有限性」とか「平等」の方が大きなテーマになっているし、
最初に出会った富裕層の男がくれたのは、寿命じゃなくてチャンスや意義や願いだよね。
有限を日々強く感じている貧困層のウィルと、その気になれば無限を生きられる富裕層の男。
普通であれば価値観は全く違うものになりそうなのに、たまたま出会ったその二人が
同じようなことを思っていたから、物語が転がった。
結局、人間っていうのは、有限の中にいても、無限の中にいても、有限にとらわれる生き物なのかもしれない。
物事が変化していくことは無限の中でも認識できるから。
本当の無限というのは、不変も兼ねているものだ。可変であればそれは無限ではない。
25歳で不老となることは、実はすべてを不変に変えているわけではない。
時間が流れているということは、それまでと変わらないから。
時間が流れると、物事は必ず移り変わる。だから姿や寿命が不変であったり無限であったりするように見えても、
実は他のあらゆるものは常に移り変わっているし、そのことに気づかないでは生きていけないのが人間なのだ。
不老不死は人類の夢なのかもしれない。
けれど、それが不変でもなければ無限でもないということは不老不死ではない生き物と変わらない。
それでも、不老不死になろうと技術を追い求めるなら、同時に生き方も考えていかないと、それは耐え難い時間になるだろう。
しかし、不老不死の技術は少なくとも今は開発されていない。(と思う、知らないけど)
私たちはウィルほど「明日明後日の心配」はしないで済む生活を出来ているかもしれないけれど、
時間をWasteしないためにどうするかは考えた方が良い。
コメント
コメント一覧 (2)
自分もこの前ふと思い立って5本ほど映画を借りました。
ちなみに、同じく字幕派です!
トイ・ストーリーやピクサー系は吹き替えで見るのですが、洋画は生の声で楽しみたいので字幕ですねー(`・ω・´)
TIME!!もうレンタル開始しているんですね!
結局映画見てなかったので、僕も借りてこようと思います(*´∀`*)♪
その後、じっくりと感想の方も読ませて頂きますね!
あー私もピクサーは両方で見るよ。モンスターズインクの、爆笑田中と石塚コンビとか、正解だったし。
インクレディブルの黒木瞳さんもすごかったな。
でも、あれはアニメだから英語だろうと日本語だろうと映像と声がバラなのが前提だからってのもあるしなあ。
役者さんが実写でやってるときは、字幕派だねえ。