「怪異物ノ怪音楽箱」を歌って妖怪にすごく興味が湧いて来た。
悪魔とか天使とか神話とかの話は「Truth in fantasy」っていうシリーズで結構集めたりなんかもしたんだけど
そういえば妖怪のことをあまり知らない。
鬼太郎については、戸田恵子さんが演じていた時期がリアルタイム世代だけどなあ。
あと、「墓場の鬼太郎」は、大学のバイト先でもらって読んだ。
だけど、あまり種類や由来について詳しくない。
「怪異物ノ怪音楽箱」の動画内で、歌詞にも出てくる妖怪については、Wikiの解説を引用して説明している部分もあるけれど
それを見ていて、知らない妖怪が沢山いて、その由来とか言い伝えとかって面白いなあと思った。
中には教訓のようなものもある。有名なのは秋田の「なまはげ」だと思う。
「なま」は「怠け」で、「はげ」は「剥がす」だとか聞いた。つまり早い話が、怠け心を取り去るってのがその妖怪の役目というのだ。

それで、妖怪の図鑑とか辞典のようなものが欲しくなってアマゾンで探してみて、色々あったにはあったけど
結局水木しげる作品にしてみた。
今度は他の著者のも読んでみたい。


勿論、実際本を読んでみると教訓をどこから得たらいいのかさっぱりわからないようなのもいる。
「そんな奇妙な出来事がある(あった)と言い伝えられています、ちゃんちゃん♪」のみだったりね。
でも、「言い伝え」ってのは、世界的に見てもそんなものかもしれない。
話の上手い爺さん婆さんが、孫に話して聞かせた御伽噺の一種のようなものだってあるだろうから。
そしてそこにたまたま、いるようないないようなわからない奇妙な生き物が出てくる場合には、
妖怪に分類されるということも少なくないだろう。
なにしろ、娯楽がない時代には、世界の色々なところで、民間伝承としてそういう物語が語り継がれて今に至るわけで
今みたいにテレビ・映画・本になるような時代だと、誰がこういうフィクションを作りましたってはっきりわかってしまうから
却って言い伝えられていかない側面があるけど、民間伝承や童謡の類は、もう誰が言い出したのか、作り出したのかわからないような
話や歌なんかで溢れていて、もうそれはそういうものとして伝えていくしか方法がなくなったからこそ、伝えられていく部分があるのかもしれない。
どちらが良いとか優れているとかいう次元の外側の話だ。


最近、日本は竹島だ、尖閣だ、北方領土だって、あちこちから領土問題ふっかけられて、政治家は次々亡くなっていくし
まさに内憂外患という感じ。
世界では、イスラムの過激派が暴れていて、日本は宗教に対して独特の価値観を持っているから、幸いそこに巻き込まれなくて済んでいるけれど
こんな情勢を見ていると、世界の複数の場所で戦争が同時に起こってもおかしくないし、それは世界大戦になりかねないって感じすらしてくる。
そのとき日本は絶対に戦争に参加してはいけないと思うし、だからこそ止めるキッカケだって持ちうる立場なのかもしれないとか色々考える。

そうやって考えていたら、文化人類学とか民俗学的に日本のこと見直したいなあというような気持ちになってきた。
つまり、そういう動機も含めての妖怪辞典購入だった。

世界にも妖怪のようなものや、神話・伝承のようなものがある。
それはそれぞれの風土、文化、風習に根ざしたものであると思う。
妖怪の名前は、日常会話で使うような単語そのままであることが多く、その言葉を口にしたとき
妖怪が悪さしてるという風に考えられる部分でもある。
それに、日本はどちらかといえば多神教信仰的で、家のあらゆるところ、食べ物や、自然の木や石にまでも神様が宿っていて
八百万(やおよろず)の神々と、人々の暮らしが一体化していた。
唯一神が世界を作って、その神様は「地上」にはおらず、死後の世界で会えたりなんだりするっていうのとは
明らかに土壌が違う。

ただ、最近は日本の生活習慣がだいぶ欧米化して、神々との生活っていう風習も薄れたと思うけど。
例えば、私の祖父母の家が改築される前、大きくて薄暗くて古い感じのその家のあらゆるところに
「おそれ」を感じたものだけど、恐れ・怖れだけでなく、そこには畏れもあって、それは、祖父母の家だからというだけでなく
きっと日本古来の家屋には皆が感じる畏れでもあるのだと思う。
だからそこに人々は神様や妖怪を見出したのだと。
祖父母、というのは、別の言い方をすればもっとも身近な先祖でもあるから、祖父母の家というだけで
正座を崩してはいけないような気持ちでいたから余計だと思うけれどね。


こう考えていくと、日本らしさってどういうことかな、と思う。
日本の風土に根ざした、日本人に心地よい生き方とか、今薄れたものや、今も変わらないもの、それらはなぜそうなったのか…。
もちろん、良いと思うものを取り入れてそれらを組み合わせて新しいものを作って、自分たちに適した規格に作り変えてしまうのは
昔から日本人の特技だとも言われてきたので、そうやってどんどん変化していくことが、今の、世界に開かれた日本社会では当然の成り行きだろうし
その結果いわゆる「ガラパゴス化」が起こるのも頷けるのだ。
例えば、今私の中で、「妖怪図柄のタロットカード」が妄想されているけれど、こういうのがまさにそれだと思う。

ただ、それに流されるだけじゃなくて、今あるものは、元々何と何がどう組み合わさってこの結果になったのか
っていうことは結構何にでも知りたいなって思う部分があって、それは言葉の由来もそうだけど
技術に関しても生活様式に関しても、元々日本にあったものと海外から伝来したものとの組み合わせで今があるときに
伝来したものの方に目新しさから目が行ってしまいがちなんだけど、そうすると元々あったものを容易に忘れることができてしまうよね。

私はまだまだ日本のことを遡って知りたいし、今あるものの中にもそれを見出してみたいし
大学の頃、民俗学の授業を受けなかったから今更それがもったいなかったなぁなんて思ってる。
まあ今からでもそういう本を大学内に探しに行くことが出来るだけ恵まれているかもしれないけどね。


本を読んで、やっぱり水木しげる先生の絵っていうのがすごいなあと思うことが沢山あるってことも書いておかないといけない。
もう国宝級。国宝に認定されるべき。
やはり「画家」を目指していたというだけあって、一枚の絵、全体から来る迫力がはんぱない。
それは、この文庫サイズのイラストでも、変わりない。
とにかくその「全体」がすごいのだ。
絵の一部を取り上げて、ここは優れているとか、ここのモチーフはいいとか、このディテールがうんたらとかそういう次元ではない。
私は、鬼太郎や悪魔くんのイメージから「漫画家 水木しげる」と認識していたが、それは誤りだった。
漫画「も」描けるに過ぎないのだ。
それに、Wikiにある人となりを読むにつけ、やはり天才なのだと思わされるし、とにかくこういうタイプの人たちのすごいところは
諦めるという発想がないところだと思う。
それは戦争を経験して、左腕を失って尚生きて帰ったことからも来る希望なのだろうけれど、
戦争以前の部分を読んでも、やはり根っからそういう性格なのかなと思うところは見受けられるし、
他の天才とされる人物にも共通する部分とも言えるかもしれない。
「諦める」というのは、生きている時間を無駄にしてしまうことなのだけど、天才はそれをしない、といったところだろうか。
果たすべきことが明確だから、ただそれをやるだけなのだろう。
それはそれで過酷だけど、羨ましい部分でもあるよね。
果たすべきことが曖昧な人生を送る人の方が多いわけだからさ。だからそこが突出していると天才と呼ばれもするわけだけども。
私もどちらかというと果たすべきことは曖昧な中で生きていて、「諦める」ことの容易さに吸い寄せられたりもするから
果たすべきことが明確な人生ってどんなものなのだろう、と想像してみようとしてるけど想像もつかないね。
でも、今私が欲しいと思っている知識とか知恵は、水木しげる先生の著作からかなり読み取っていけるような気がして
他の本を読むのも楽しみだな、思っているところ。

ちなみに「墓場の鬼太郎」を読んだときはテレビアニメの「ゲゲゲの鬼太郎」とはやっぱりどこかちょっと違ったけれど、
その違いがとても良かったなと思いました。

私が読んだのは、今は実家にあるので手元になくて出版社などを確認できないけど

↑これだったとおもう。
商品画像もないから、確信が持てない。


今、こっちのシリーズが比較的入手しやすそう。


「悪魔くん」もこのシリーズで復刻版として出ているから読みたいところ。
でも、とりあえず妖怪大全を一通り読んでしまいたい。