昔、幽体離脱できるかどうか実験、というか、練習というかをしたことがある。
それも結構、オトナになってからだったとおもう。大学入ってからだったのは確かだし。
そういう「霊的体験」を本当にあるのかもしれない!って信じそうになっていたのはもっともっと子供の頃だったから
大人になってからそんな実験をしてみようと思うとは思わなかったけど、霊や宇宙人は「いないという証明」もできないから
どこかしら、自分は見たことないけれどいてもおかしくはないよね、と思うところはあるからで。
子供の頃「あなたの知らない世界」っていうテレビ番組がすごく人気でさ、オカルトブームがあったから
心霊写真や心霊体験があふれていたことがあって、あまりにもそういう情報がいっぺんに出てくると
子供は「そういうものなのかも」って思っちゃうもんね!
最近地震の予知夢の報告が相次いでいたけど、あれも似たようなところがあって、誰か最初の方に話題になった人がいて
その後続はある種便乗みたいなところがあって、本当に自分が見たのは予知夢だ!と信じている人と、
釣り・愉快犯などが入り乱れて、情報過多になって「これだけ情報が出揃うと本当なのかも」って思う人も出てくるっていうね。

で、話が逸れたけど、私がその、幽体離脱の練習や実験をしてみたのは、大学生のときにこの本を読んだのがキッカケで。


幽体離脱って、何か偶発的なものか、オカルト界の人間だけが信じている架空の出来事だと思ってたから、
この本を読んで「意図的に離脱する方法っていうのもある」と初めて知った。
それが実際にできるかどうか、というより「自分でしようとしてできるもの」という発想がなかった。
で、軽い気持ちで寝るときに意識してみたりしたんだよね。でも、できなかったよ。
まぁ、児童書に書いてあったことだし、本当にできちゃっても怖いわ!w と思ったよ。
それより、その練習をしてみたら寝つきが良かったからそれが思わぬ副産物って感じで嬉しかったわww
あと、この本そのものは結構面白かったので、読んでみるのは一興だと思うよ。
幽体離脱のマニュアル本ということではないのでそこは留意してね。
幽体離脱ってのはこの本にとっては、1ファクターでしかないよ。

それで、その後に「明晰夢」という言葉を知った。
しかもこの明晰夢というのは、「幽体離脱」ともある種とても密接なようだ。
夢も、「幽体離脱」の脳が引き起こす作用だと思うので、オカルトじゃなくて脳科学寄りの観点から考えているところなんだけど
まず、「明晰夢」っていうのは、「今自分が見ていること、体験していることは夢なんだ」ということを夢を見ながらにして気付く状態で
その状態になると夢の中のことを自分の思い通りにできるようになる。自分の想像なんだからそりゃそうだ。
普通は、夢を夢と判らずに見ていて、起きたときに「より知覚がはっきりしている、こちらが現実である」とわかるわけだしょ。
それに夢だっていう自覚が欠けているせいで、現実にありえないことでもその世界に納得して、
なんとなくなるほどそういうものか、と思いながらその出来事を見ていることが多いよね。

なのでここから話していく「幽体離脱」は、「明晰夢」の一歩進んだ状態だと思うといいと思う。
つまり、「知覚が現実のようにはっきりしている」ので、現実と大差ない世界に見え、
いやむしろ、現実よりも音や、目に見えるものがハッキリくっきり、時に緻密すぎて驚くほどで、
また意識だけが体から抜け出ている感覚が伴う「夢」、なのだと。脳が引き起こしている錯覚の一種なのだと思う。
だから、本当に霊体なる質量なき物質が体から抜け出し、そこらへんをウロウロしているのではなく、
あくまでその当人がそう思い込んでいる状態(脳の中の風景を見ている)であり、体は休眠状態なのだ。
なので、「幽体離脱」という言葉だと語弊がある感は否めない。
しかし、ここではひとまず「離脱状態」にあるというのを、そういう夢を見ている状態として書いていく。


明晰夢を見られるようになるための練習方法(という言い方が正しいかはわからないけど、これから明晰夢を見られるようになりたいなら試して欲しいこと)は、
以前のブログ記事にも書いたことがあるけれど、
・夢日記をつける習慣をつける
かな。
まずこれが第一手順。
起きたときには夢を記憶していない、という人も、もし時々覚えているときがあったら、それをなるべく書き残すことで
覚えて起きる頻度は徐々に上がっていき、私のように毎日2〜4本立ての夢をそれぞれ覚えて起きられるようになったりする。
それが脳の負担になる可能性はあるので決してお薦めはしないけどね!?w

こうして、夢を覚えて起きられる頻度が上がっていくうちに、今度は夢の中で「これは夢かも」という自問をできるようになってくる。
つまりそこで「これ夢だ!」という確信を得られるようになれば、もう明晰夢を見ている状態と言っていい。
そのあと思い通りに進まない、という点については後述する。

そして、ここで新しい定義。
俗に言う「金縛り」という状態。あれも、明晰夢の一種であると思われる。

金縛りの体験をすると、寝ている自分の体が動かない、しかし目は開くので開けてみると視界の中の状況は見てとれるのだが
とにかく体が動かないので恐怖心が強まってくる。しかも、なぜかハッキリと気配を感じたり、音を聞いたりする。
これも、明晰夢の「知覚が現実のようにはっきりしている」点と一致していて、特徴であると思われる。
その、恐怖心から、なんとか体を動かそう、とか、夢に違いないから起きよう、とかするものだが
これを逆手に取ってうまくすると「離脱状態」へ入れるようだ。

つまり、金縛り中は、「寝ている自分と周囲の状況をリアルに知覚していると脳が錯覚」していて
いうなれば、夢の中の自分の目が現実世界に向けて開かれたような状態だ。

「金縛り」も「幽体離脱」のように、霊的体験として語られることが多いため、部屋や自分に心霊がとりついていて
そいつが寝ている自分を動けないように押さえつけている状態、という刷り込みがされていたのは私も同じだが
なんと、これが「明晰夢」の一種ということになれば、霊的体験だと思い込んでいる自分の思い込みこそが
その恐怖となる対象をそこに呼び出していることになる。
本当はここで、その刷り込みを捨てさり、常識から抜け出し、「ここは夢なのだから思い通りになる!」と自分に言い聞かせ
恐ろしいもの、不気味なものを、こっけいなもの、愉快なもの、癒されるものに置き換え、夢の世界をいくらでも楽しくできるはずなのだ。
マトリックスを見よ。ネオは、マトリックス内が虚構の世界だと知るや否や、宙を飛び始めた。
あれと夢の中はとても近い部分がある。
そもそも、寝ているのに部屋の中を見渡したり、リアルな足音を聞いているつもりの自分の脳の「現実と錯覚させる想像力」はすごい。
そこに自然と混じってくる、刷り込みから来る恐怖心を今度は意識的なイマジネーションにより塗り替えることで
金縛りという明晰夢は楽しいものになる。
しかし、体が動かないので、これが何より真っ先に恐怖の元になる。そりゃ何者かの意思を感じる人がいるのもしょうがない。
ここで、私が最近学んだことは、確かに体を動かそうとしても動かないので無理に動かそうとか、起きようとするのではなく
意識だけを体の横へ向けて転がすことによって「離脱状態」に陥ることが出来る、という方法論だ。
まず、金縛り自体そうそう起きるものではないので、その金縛りさえも意図的に起こしたい人向けに
ヘミシンクやバイノーラルビート、オベパルスなどの、音響作用を勧める人もいるが私はこれは試していない。
直接脳波に作用するので、気分が悪くなったり不安になったりすることもあるだろう。
脳みそや耳を圧迫されるような感じがあったり、呼吸が苦しくなったりもする。
ただ、元々は快眠アイテムとしての要素もある波形らしいので、寝つきが悪い人にこういうものが用意されている面もある。
最初から金縛り誘発目的の音響ではない、とは思うので、別に勧めない。ただ、そういうものもあることは記しておこう。
とにかく、金縛り状態になったら、これからは「これは金縛りだな」とさっさと自覚し、体を横に転がすことだ、と悟ったのだ。

私は今までに3度ほど金縛りを体験したのだが、初回は夏の昼下がり。
昼寝しているときで、そのときは体が動かないけれど枕元で人の気配がし畳の上を裸足でぺたぺたと歩き回る音を聞き戦慄した。
なぜ部屋に誰かいるのだろう、と。
その気配が窓のほうへ向かって歩いていき、カーテンをシャッ!と勢いよく開けた音でハッと目が覚め、これが世に言う
金縛りなのだなあと悟った。
たしかにあんなにはっきりと誰かの気配を感じたら怖い。一人暮らしなのにw

そして今週のことだが、また久々に、金縛りに陥り、そのときには早々に
「はいはい金縛り金縛り」
と、動くことや起きるための努力を諦め、金縛りという明晰夢を見ていることを自覚すると共に、夢を見ないほど
深い眠りへ落ちることを選んだ。
夢が終わるくらい眠りを深くすれば金縛りという夢も終わるので。

その翌日に、金縛りは明晰夢の一種であり、離脱状態へのチャンスであることを知り、最初はとても怖くなった。
怖いものを想像したらそれがそのまま現れるから。
怖いものを想像することなんていくらでもできてしまうから。
その結果があの人の気配である。「体が動かないのに誰か入って来たら困る!」と想像した瞬間にもうその状況に陥るのだ。
自分がその怖いものを夢に呼び出してしまうことに対して打ち克つ自信が持てず、今寝たら明晰夢を見て
自分が呼び出す恐怖に負けてとても恐ろしい思いをするんじゃないか、と寝るのが怖くなった。
けれど、明晰夢や離脱状態を面白くできるのも自分しかいない。

だから、イマジネーション能力を鍛えるための修行にもなるんじゃないかって思って、明晰夢を見る覚悟で寝てみた。
怖かったけどね。
ここまで書いたようなことをずっと考えた後なんだから、変な夢を見る可能性なんかいくらでもある。
寝る前に考えていたことをそのまま夢に見ることなんかザラだから。

そして、また金縛りにあった。目が開くのに体が動かない夢を見た、と言ってもいい。
普段の金縛りよりはぼんやりしていたから明晰さが足りなかったけれど、「やっぱり金縛りの夢みちゃったかー」
とすぐ夢自覚状態へ移行。

怖いものが現れる前にさっさと体を抜け出す実験をしてみることにした。
少し右を向いている状態からそのまま更に右へ体を、いや、意識を倒してみるとずるずる〜という何か柔らかいものから
体が抜け落ちるような感覚と共に意識が、体から抜け落ちた。

色々調べていると不気味な見たことのない大きなものが出てきた、という体験談が多かったのでそういうのが出たら、と怖かったけど
私はなぜかそんなものを考えるより、「アメリカのなんとか州に急いでいかなければ」という思いにとりつかれていて
すぐに離脱した意識で移動を開始した。アメリカに行かなきゃいけない理由は忘れた。
普段の明晰夢のときに、空を自由に飛べるようにはなっていたので飛んで移動したけれど、
そんなことより、この道をこう進めばどうせここにたどり着く、とわかってるんだからそこまでテレポすればよくね?
と思った瞬間にはそこにたどり着いていたので、いくつかの地点はテレポですっ飛ばしたから
飛ぶよりさらにすごいスピードで移動した。
ただ、経路を想像できない部分はテレポが使えないらしかった。まだ私の想像力はその程度ってことだ。
そんな規範に縛られているようではアメリカなんか遠くてしょうがない。
本当は、イマジネーション能力として目的地まで一回のテレポでいけるようになるべきかも!

どこかの高速道路をすごいスピードで飛んでいると宅配便にピンポンされて目が覚めた。
そこまでの間に移動してきた分を一瞬で引き戻されて体に元通り収納された感じ。


この結果今では、金縛りが全然怖くなくなったし、明晰夢の中や、離脱中の世界(一部では「アストラル界」などとも言われる)で
何か不気味なものに出会っても、自分の想像力を信じよう、結局怖いと思う自分に勝てるかどうかだ、と思うようになった。
とりあえずの対策として、不気味なものが出てきそうになったら、なんでもウサギに置き換えてみようと思ってる。

元々は、2chオカルト板の「明晰夢」のスレを見て明晰夢を見る練習みたいなのをはじめたんだけど、
幽体離脱状態と密接だと知ったのは最近で、金縛りの利用法もそこで知った。
最近はしかも、VIPでも幽体離脱するスレが立っているらしくて、オカ板とは違う独自の文化も編み出しているみたい。
独特の言葉だけでなく、「パートナー制」とか。多分明晰夢の世界で共に行動する、マスコットやNPC的な人間などを呼び出すんじゃないかな?
多分そういうのって安心感に繋がるし。すべて想像力次第だと思うから思い浮かべられることならなんでも可能だと思うよ。


私は、元々現実世界でも、「見えないものを見えていると考える脳の作用」をかなり働かせて生きている。
錯覚に頼っていると言ってもいい。
左目が怪我の後遺症で、よく見えないから本当はよく見えてないのに、脳みそが情報補完をしてくれるおかげで
見えているような感じで過ごしている。
本当は、右目を閉じて左目だけで見ると、もう、わけわからんww
ぐちゃぐちゃ、としか表現できないけど・・フォトショとかだったら風景写真に「ぶれ」とか「ピクセレート」系のエフェクトかけて
デコボコのテクスチャをかけたような歪んだ世界。
右目がかろうじてそれをカバーしているから両目で見るとそれなりの視力だけど、片方ずつの目で見る世界は
絶対に、「そこに存在している世界」を見ることはできていないと思う。
直線はこんなに曲がらないはずだし、途中で途切れないはずだし・・・
その「はず」の部分を脳みそが助けてくれるから、直線がまっすぐ、繋がって見えるだけ。
左目だけで見たら、直線がさ

 ̄― ̄_―__ ̄―

こんなかんじでさwww
平気で途切れてるし、それも常に一定の途切れ方しないからちょっと視線ずらしただけで今度は同じ直線でも違うところが途切れて曲がる。
それに、普通の人とは違うところにも盲点みたいなのがあってさ。
元々人間には盲点がデフォルトであって、そこも、脳が補完しているでしょ。
それに加えて更に、左目の左上のほうに見えないところがあるんだ。
でも、見えてることになってるんだww両目ではww
左目だけで見るとやっぱり左上が暗がりになってて視界が通常より狭い、ってわかるんだけど、普段気にならない。


だから、脳の補完能力はすごいなーと思うし、離脱状態の世界で着ている服の繊維一本一本や、
ふと見たビルのタイルの一枚一枚が急にアップで細かく見えたりするのも、同じような
「見えてると錯覚させる作用」が働いているんだろうな、と思う。
これは、普段紡織をやっている人だから繊維のことがよくわかる、とかそういうことじゃないし、
絵を描いている人だから観察眼が優れている、とかじゃないし、誰にでも備わっている能力らしい。
何しろ、脳のとある一部に電気信号を与えることで、この「離脱状態」の世界で見えるような
妙に緻密な情報を脳が見せてくるという状況を引き起こすことも可能だって聞くから。


明晰夢は夢が始まったタイミングで自分がどこにいるかによるが、大抵は普段と知っている場所とは限らない場所で
唐突になんらかの話が始まってその中で「これ、夢かも?」って思うところから入っていくけれど、
金縛りの場合は、寝ている自分が出発点だから、離脱状態の世界は、現実にそっくりな、現実ではない世界ということになる。
(これをアストラル界と呼んでいるっぽい。VIPではなぜか「名倉」と言われてるらしい。)
どちらも明晰夢だけど、寝ている自分から始まる、「まるで現実世界にいるのと変わらないような世界」で行動する場合は離脱状態と言うのだろう。
確かにまるで幽体が体から離脱したような感覚を伴うのだからそう呼ばれているのもしょうがないかな、とは思った。
ただ、何度も言うように、私はこれは脳の錯覚だと思うので、霊体がそこらへんをうろうろしているとは思わないけど。



最近タロット占いの勉強をする中で、それがやろうとしていることが全くオカルトでないことがわかってきた。
「占い」って、スピリチュアルな側面があって、交霊術や、まじない、錬金術の延長線上にあるようなところは少なからずあると思う。
でもそれは占いにも色々あって、その中の一部にとても非科学的な「占い師の思い込み」が基盤になってるものがあるからだと思う。

で、タロット占いをやる人の中にも、まるで自分は相手の過去と未来を全部今見てきましたから知ってますわかります
みたいなことを言う人もいるのかもしれない。
私も「占い」全般を信じていないし、信じる信じないで話すのもそれはそれでナンセンスだと思う面もあるし、
付き合い方が難しい文化だなってずっと思ってた。
朝のニュースで星座ごとの運勢をやるのも、報道じゃねえって思って嫌いだったし(今も別に好きじゃないけどテレビないから縁がなくなった)。

たとえばこんなことがあったよ。
大学入試の朝、相部屋宿泊だったから朝テレビでまさにその占いが流れた瞬間、同じ部屋にいた女の子の数人が
「見たくない!」って部屋を飛び出して、私は見ても見なくてもどうでも良かったけど、見たい人がいたのでどっちもほっといたし
そのときの占い結果なんか覚えてないし、そのときの占いの結果と受験の合否に因果関係はないと今でも思ってる。
そのくらい信じてない側のスタンスだよ。

でも、タロット占いを面白がっているのは、まずカードの図柄に記号学の概念があるからかな。
絵を描くっていうのは、現実を記号化するっていう面があるから、サークルでもタロットカードを作るときに
自分もそのうちの一枚を描く上で、何故そのカードにはそれが描かれるルールになっているのか、とか調べたし
やっぱり「描く」という工程の中に、「意味を込めるために描く」という動機が含まれるから
タロットカードには、描く絵師が込めようとした意味と、タロットカードのルールとしてウェイト博士が考えた
記号としてのパーツごとの意味両方が含まれているよね。
それは、絵を描く人間として興味深い文化だし、描く上でも、カードに限らずなんらかの絵を見て読み解く上で役に立つから。

最近漫画を読めない小学生が増えたっていうニュース記事を見たけど、漫画には漫画の文法と表現方法が多用されているから
誰だって慣れるまでは読み方がわからないと思う。別にニュースにするほどのことじゃない、とは思った。
でも、そこで漫画を読む、絵から何かを受け取る、自然と漫画の文法を読みながら学んでいく、ということを
放棄する子供ばかりっていう意味の報道だと解釈すると、確かに残念な思いのするニュースだとは思うんだ。
漫画にも読みやすいのと読みにくいのはあると思うし、勿論人によりけりだけど、そのニューススレの中で
ワンピースは読みにくい って意見が多くて、そういう感じ方もあるんだなーとちょっと意外だったしね。

タロットカードっていうのは、漫画と道路標識の間みたいなところがあるんじゃないかな。
道路標識は、なぜそれがそういう形で、そういうものが描かれているかっていうことを文字ナシで理解させる記号文化の代表だと思う。
それが万人に理解されうるかはまた別だけど、あれはシンボリズムが絡んでいるのは確か。
でも、タロットカードは、「どのカードには何が描かれているべき」っていうルールがあるものの、結構描き方は自由度が高くて
しかも道路標識のようなのとは違う「簡略化」で生まれたものだから、それこそ、漫画の文法を知るように
タロットカード独自の意味づけを知っていなければ意味がわからないものだと思う。

それで、なるほど、とカードの意味を勉強しているわけだけど、今読んでいる2冊の本でね、著者が
「一枚一枚の意味を全部覚えようとすると、78枚もあるから大変で、そこで挫折してしまう人は多いし
そもそもカードの意味は自分の中から湧き上がってくるものを汲み取ることが大事な面もあるので
見たときのインスピレーションで解釈したっていい」
って言うんだ。
それは、カードを見たときの漠然とした「いいかんじ」「やなかんじ」ってことから始まって、
「ここにこの数字があるってことはこの数字はラッキーナンバーなのかも」とか、そういう受け取り方でもいいんだって。
これだと、ホントに、最初に書いた「占い師の思い込み」と紙一重なんだけども、
確かに、ウェイト博士がね、記号学の上から「ここにこれを描くのはこの意味のため」っていうのはあるとおもう。
で、それを本で学んだりできるんだけどさ、別にそれにだけ捉われなくてもいいんだってことが書いてあった。
そこでは、引き抜いたカード、もしくは、そのスプレッドに並べられたカードが何を伝えようとしているのかを
積極的に読み取ろうとするイマジネーションも大事なんだって。

それが「占い」という点でどういうことになっていくかというと、誰にとってもある程度納得の行くアドバイスをできるようになっていく、ということなのかもしれない。
思い込みや決め付けじゃなく、相手の事情も聞かず、ただカードを読んでその解釈を伝えるだけで
イマジネーションの力が強ければその解釈が、聞く相手の「心当たりがある部分」にヒットしやすくなるんじゃないかな。


なんかそこでね、イマジネーションを強めるために、明晰夢を沢山見て、鍛えていけるんじゃないかって思ってね。
怖い夢を見るのも、面白い夢を見るのも自分の脳みそがやっているなら、明晰夢じゃないときには起きてる自分が考え付かないことを汲み取って
明晰夢の中では、ふっと湧いてきてしまう恐怖心を自分のイマジネーションで克服していけばいいんじゃないか、と思って。
私、少なくとも今は、元々起きているときは作曲が全然捗らなくて、夢の中で作った曲を記憶して起きて打ち込むしかできない状態だから
他のことにもそういうのを応用したり、夢を起きているときは違う修練の場にできるんじゃないかなって思った。
なので、タロット占いについては、本もちゃんと読んでカードの意味を覚えるけど、それ以外にも
夢に沢山頼ってみたいな、と思っているところです。
両方を用いるのが大事かな。って。
それに、前にニコ生でも言ったけれど、タロットカード占いっていうのは、「アドバイス」の色が強いから、
たとえば過去(原因)・現在(問題)・未来(解決の糸口)の3枚のカードを使って
今ある問題をどうしたらよくしていくかっていうことを探ったりするものなんだ。
スプレッドには色々あってもっと多くの情報を得ることもできる。
今回の喫茶では私はそのタロット占いをオプションサービスとして始めようと思ってるわけで
色々、こうして考えてみてるところ!


とにかく今、怖い夢が怖くなくなったっていう、すごく新鮮な気持ちでいますw
新しい悟りが開けたみたいな、昨日とは違う世界に生きているような感じの変化を感じましたー。
夢診断とか夢解釈も面白いなって思ってた時期もあったけど、今しばらくはこの感じに身を任せてみます。