とある芸術系の概論の授業で、筑波のアートに関するDVDを見た。
芸術専門学群の卒業生等による、総合造形の作品展示やパフォーマンスだ。

当時まだ学群四年生だった、明和電機社長の姿もあったw

見ていて「面白いな、しばらく見ていたいな」と思うようなものは、やはり動きのある作品。
宿舎から放置自転車を拾ってきて組み立てたというペダルとギアなどをつかった
不思議な乗り物。移動はしない。
サドルに腰掛けてペダルを漕ぐと、作品全体に動きが生まれる。
それがおもしろい。

また、磁力に反応する液体? ジェル状かな?
この前テレビでやっていたやつかもしれない。
磁力によって、液体がにょきっと尖ってみたりする。
かなりにょきにょきだった。

それから、被り物ばかりいくつも作りつづけていた人もいた。
院にいってもずっと被り物作ってたらしい。

なにやら「大学でぼっちだから」リモコンで動く友達を作ったのが始まりだったらしい。
んで、「POM」という球体の被り物を作った。
服も自分で作ったそうな。きぐるみっぽいやつだった。

その次に、「自分の将来が先行き不安なのは、電気が通っていないからだ」と言って
コンセントにアダプタを挿し込むと、電気が流れて、文字通り「視界が開ける」被り物を作った。
コンセントを挿さない状態では、真っ暗だが、電気が通ることで、目のあたりにある
丸い蓋がニュイ〜っと開くw

さらに、世界中どこへいっても「先が見通せる」ように、首のところに
世界中のいろいろな規格に沿った変換機みたいなものを装備した新作も作っていた。
で、電気が通ると視界が開ける点では一緒だが、まるで全天候型ドームが開くみたいな
開き方をするメットだw


さらに、身長が高いせいで猫背になってしまったため、母親に「もっと背筋を伸ばして姿勢よくしなさい」
と言われた彼は、「ジャイロをつければいいんじゃね?」と考え、ジャイロの被り物を作った。
これで、どんなときでもいい姿勢を維持できる。


それから、二人同時に喋るためのメット。これはメットとメットがホースみたいなもので繋がれていて
そこを声が通るのだが、なんか傍から見てるとすげぇシュールだったな。
あと、「人は影で何をいっているかわからない」と言って、背後からの声を聞くために
高頭部の部分に音を集めるメガホンのような形の穴があるメットを作ったり
100円入れるとメットと同時に刃物がスライドして、ギロチン自殺ができる「自動自殺機」なる
被り物も作っていたなあ…
「生きているか死んでいるかわからない、もっとシャキっとしなさい」といわれて
呼吸に反応して、ランプが点灯してプロペラが回るものもあった。

アイデアは面白いし独創的なんだけど、どこかネガティブというか、猟奇的な部分というか
そういうのが見え隠れしている作品が多いのが特徴のように思えた。

でも、それは確かになんだか暗い部分を含んでいるんだけど、生きるのはつらいことだから
そういうのを盛り込まずにはいられないっていうのもあるとおもう。
逆にいえば、こういう、作家個人の思想が見え隠れするものこそ芸術なのかもしれないし。

余談だけど、漫画やアニメ、ゲームはその点で結構惜しいよね。
原作者の思想が見え隠れするものを、押し付けがましくない方法で表現できれば
形はどうでも「芸術」になりうる気がする。
でも漫画やアニメは、娯楽の面が大きいから、たとえ一人の原作者で作っているとしても
思想を盛り込もうなんて思わないだろうし。
娯楽として考えると作家個人の思想なんて、邪魔な要素になっちゃうんだ。
それに今は萌えがブームだからね。
商業としてやっている限り、流行や客の好みに合わせる必要がある。
ゲームは基本的にたったひとりで全部作れるような作品ではないから
余計難しいかもね。
ってことで、そういう娯楽作品としてのカルチャーにも芸術になりえそうな可能性はあるんだけど、
実際その外側を行くしかないんだろうな、と思わなくもない。


そんで、総合造形に関して、私のイメージとギャップがあった点は「メカニック」

機械を使って機械を作るみたいな作品が多かった。
それは、CGやカメラ映像なんかもそうだけど、もっと素材と直に触れ合わなきゃいけないメカ。
溶接が必要だったり、工具、部品をうまく組み合わせて大きなものを作る。
そういうメカニックな作品が多いって言うのは意外だったというか想定外…?

それで先生が最後におっしゃっていたけど、日本の図画工作や美術の授業では
「どうやって作るか」とかを教えることが多い。
確かに、あらかじめ学校でまとめて注文したキットなどを使って、そこにオリジナルのセンスを付け加えて
作品を作るような工作や、絵の書き方の教え方っていうのは振り返ってみれば多かった気がする。

でも、筑波の総合造形でその先生がみんなに知ってほしいのは「どうやって」じゃなくて
「なにを」っていうことを自分で探すことなんだって。
なにをしたいのか、目的が明確になれば、誰でも自分から進んで「どうやって」やればいいか研究する。
そういう意味の自主性を求めてるらしい。
教育っていうことを考える上でもすごく意義のあることに思える。
与えられたものをこなすのは、訓練でしかないもんね。
学んだことが一番身につくのは自分の中に理由と目的を見出せたとき。
だから、「どうして」「なにを」作りたいのかを見つけることが大事なんだって。

私は総合造形の専攻でもないけど、こういう話は汎用性があってすごくためになると思うんだ。
総合造形だから「作る」という帰着点で考えているだけで、その述語を別のものに置き換えれば
他の学問にも、職業にだっていえることだしね。
どうして働きたいのか。何を学びたいのか。
そういうことが自分の中で見つかってから人生が始まる気がする…
就職先を探すときだって、会社側はそういうことを聞いてくる。
それは、それを聞けばその人の目的を知ると同時に、どれだけ自主性があって志望しているのかとか
将来性がどれだけあるかまでわかる。そういうヒントになるからだ。


芸術の話からそれてしまったが、そういうわけで、今日見たDVDに映っていた作品を作ったそれぞれの学生は
自分の中に目的と目標を見つけ出してから、それを作った人たち。
もちろん、「好きだから」とか「面白いから」という理由でも充分だと思う。
「俺はこれが面白いと思うからやる」
それでいいじゃないか。

そうやってできていった作品はどれもこれも全部違う。
みんな違う人間なんだから、一人一人で考えてやったことが違う結果を生むのは当然だよね。
そして、それはその人にしかできなかったことだから面白いのだし、素晴らしい。

そういう人なら、「どうして生まれてきたのか」みたいなデカすぎる質問にも
「自分にしかできないことができた。それだけで生まれてきた意味がある」
って自信をもって答えられると思うんだよ。
むしろ、その人自身が芸術作品となれる瞬間なんだよ。
やべぇニーチェに侵されてるかなwwww


とにかく、芸術って面白いんです。
それに、こうやって思うとほんとに、哲学と芸術は近いってわかるし。
ただ、「美学」を学ぶためには芸専に行く必要があって、「美を哲学する」ためには
人文に行く必要があるけどね^^;
それに人文じゃ、芸術作品を作ったところで単位にならないw
でも学問はみんなどこかで通じているから、おもしろいです。


追記
被り物制作を続けていた卒業生は今、スタジオビッグアートという会社を立ち上げて
お仕事なさっているそうで、覗いてみたら、なにやら
エヴァンゲリオン10周年記念 EVA AT WORK」とかいう企画に参加する模様ww
オモスレー