主役はチャンネル争いをするふたごの兄妹。
リモコンが壊れてしまう。
しかしふたりとも、それでもテレビを譲れない理由があった。
そこへ突然訪れた、テレビの修理屋を名乗るおじさん。
特別に、と変わった形のリモコンをくれた。
ふたりがさっそく使えるかどうかテレビをつけて、
再びチャンネル争いを始めた途端、ボタンをぽちっ!
ふたりは、白黒のテレビ番組の中に入ってしまった。

現代の二人がここに入り込んだことで、テレビの中の世界に異変が起きる。
世界に色がつき始める。

たぶん、この映画で訴えたいことは、なんというか、
人間らしい生き方ってなんだろうってことなんじゃないかと思う。
具体的にこれが人間らしいぞって示すのではなくて、問い掛ける感じ。
生きがいとか、大事なものとか、生きる喜びを見つけた?って聞かれてる感じ。

それに、途中色のついた人々をモノクロの人たちが差別して追い詰めるって
場面があるけど、これはきっと人種差別の関する問題を示唆しているよね。
「色のあるやつはでていけ」っていう看板を持った人たちが、
図書館の本を焼き尽くす。
この世界ではもともと本は白紙だったんだけど、二人が来てその物語を語ると、
中身が書き込まれていった。
そしてそれを読む人々は知恵や知識を得てカラーになった。
だから「無知」なモノクロの人々は、秩序が乱れるといって
「焚書坑儒」したんだね。
だからこの物語は、ありえないシチュエーションの中にとはいえ、
この現代社会やこれまでに世界が抱えた問題、今も抱えている問題を
描いているといって間違いないんじゃないかな。
入ったときはモノクロだったふたりも、現実では到底しなかった行動や、
持ちえなかった感情をもつことでカラーになる。
最後に、この後はどうなるんだろうって語られるシーンがあるけど、
つまり、それってモノクロだった人たちにとってカラーになった後の世界って、
以前は想像もつかなかった世界だからカラーの後にまた変化が来るとすれば、
なんだろう、って。
それは、もちろん、モノクロだったときに想像がつかなかったように、
もし変化が訪れるとしても想像なんてできないんだよね。
そして、その変化が訪れれば、また「焚書坑儒」したように、
差別や間違いがたくさん起こるかもしれない。
世界はえてしてそういうことの繰り返しなのかもしれないね。
何が間違っていて何が正しいか、みんなの解釈がいろいろであるし、
そのこたえをひとつに絞れる人はたぶんこの世にいない。

人々が「カラー」になったことも、「目覚めた」結果であるけれど、
それが絶対的に正しいことだとはいえないし。
でも、いつか、何度も目覚めた結果世界人類に絶対的な平和が訪れるなら、
大歓迎だけどね。