最近読んだ、または読んでいる本について書いておく。


(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)



どうも、台風が近づいているとのことで、
「985hPa? ちょっとした低気圧程度やん」
とか思っていたら、実は955の見間違いだったらしく
「え……それはヤバイかもね」
と考えを改めた(V)・∀・(V)です。
被害が甚大でないことを祈ります。

玄関のドアに中指右のハサミを挟んでしまって、タイピングがちょっとつらいところもありますが、
読書日記を書きます。


もうだいぶ前の話にはなりますが、マビノギで、メインストリームをガンガン進めていき、
チャプター4「シェイクスピア」に突入しました。
最初はG13「ハムレット」から始まりますね。

そこで、私は別の用事で出かけた日の午後に市立図書館に立ち寄ってシェイクスピアの本を借りてみることにしました。
できれば1冊で、マビノギチャプター4に出てくるシェイクスピア作品
ハムレット/ロミオとジュリエット/ヴェニスの商人/マクベス
すべての物語のあらすじが理解出来るような全集とかあるといいなと探した結果、
こちらを借りてきました。




岩波ジュニア新書という安心と信頼のシリーズですし、著者である小田島雄志氏は、
日本で二人目の「シェイクスピア前篇日本語訳」をした人だそうですから
安心と信頼の研究者による本だと思って良さそうです。
(ちなみに一人目は坪内逍遥)

シェイクスピア作品は「戯曲」という形態をとっているので、元の戯曲形式のまま読むと、
「小説」を読むのとはちょっと違う感じだろうと思い、まずは小説形式に書き起こされたものを
概論として読んでおき、その次に戯曲に当たろうという魂胆です。

筋トレや寝る前の時間に読み進めていき、すぐにすんなり読み終わったし面白かったです。
特に、この小田島雄志氏の場合は、戯曲翻訳のほうでもこの新書版の方でも、
「ダジャレ」がすごくて、というのもシェイクスピアの戯曲自体が「英語の言葉遊び(Pun)」をしているセリフが沢山あるらしく、
小田島氏はそこをうまく「日本語のダジャレ」に翻訳することにかなりこだわったようなのですw
英語で言葉遊び、つまり韻を踏んだり洒落を言ったりしたのを、そのまま言葉の意味だけを翻訳したら、
シェイクスピアがそのセリフを「洒落」として書いたことが日本の読者には伝わらないですからね。
物語の流れや、元のセリフの意味を破壊しないように、日本語でも「洒落」になっているように翻訳するというのは
かなりの語彙を要求されることでしょう。
私もそういう「訳詞」を書いたことが何度かあるので、そういう感覚がちょっとわかりました。


それで、マビノギでハムレットをプレイした後にこの新書でハムレットを読んだのですが、
私はマビノギのハムレットはゲーム上で物語を「端折って」表現していると思っていました。
いや、実際端折ってはいますが、驚いたことにマビノギのハムレットをやった後の
「これがハムレットというお話かー」感と、上記新書のハムレットを読んだ後の読後感に、そう差がないのです。
つまり「同じくらい端折った」のがマビノギのハムレットとこの新書版なんだなあ! と妙に感心しましたw
マビノギの方は映像がつく分、より一層「ジュニア」向けなのでは!? と思ったほどw
(一応この新書も「ジュニア新書」ですから中高生とかが読みやすくというところは意識されてると思います)


この新書を読んだ後に、一番印象に残ったお話を戯曲で読もうと決めていたので、
次はこれを返しに図書館に行った際に、これを借りてきました。


一番私の印象に残ったお話は「十二夜」という喜劇でした。

シェイクスピアといえばやはり「四大悲劇の人」と言われるくらいですから、
悲劇も面白くはありましたが、悲劇というのは大体「間の悪さ」が悲しい結末を引き起こすもので
読んでいる時、または読み終わった後に
「あそこがこうじゃなかったら、こんな悲しいことは起こらなかった…!」
みたいな気持ちになりますね。

私はそれよりも、「十二夜」とか「夏の夜の夢」のドタバタコメディ感がちょっと楽しくて、
小田島氏のダジャレもその雰囲気の方に合っていたし、戯曲でも読んでみたいと感じました。

ちなみにこの十二夜、「訳あって男に扮して暮らしている女性が絡む三角関係」のお話なんですけども、
その人は自分が女であることを悟られてはいけないので、好きな男性に明確に告白ができないし、
その好きな男性が結婚したいと考えている女性に「男性として」好かれてしまうっていう喜劇なんです。

さぁ、戯曲という形態の本を初めて読むことになりましたが、これまた驚くことに
「下手すると小説より読みやすいぞ……」
となりましたw

これはいくつか理由があると思いますが、小説は書き手の文章のクセが受け入れられないときがあったり、
長い情景描写を読みながら風景を思い浮かべようとしてもどうにも目が滑ることがあったりするということと、
戯曲は「ドラマの台本」のようなものですから、これまでボイスドラマを何本も作ってきた自分としては
「あ、ボイスドラマの台本じゃないか!!!」
って感じで、読みながら風景を思い浮かべるというより「脳内でCVを当てる」という感じになったので、
あまり目が滑らなくて読みやすかったんです!!

実は新書を借りてきた時に、おとうぱん。にメールで
「シェイクスピアって読んだことある?」
と訊いてみたところ、
「ハムレット、リア王、マクベスくらいは読んだし家にもまだ本があると思うけど、
小説とは作りが違うのでそれ以上はあまり読まなかったかな」
と言っていました。

そのときは「なるほど、自分にとっても馴染めない可能性もあるのかなぁ」と思ったんですが、
そこは、おとうぱん。は小説の読み書きが趣味な反面、私の方はボイスドラマの制作が趣味であるため、
ちょっと異なった感想になったんだなと自分で面白く思いましたw


それで、この戯曲の十二夜を読んだところ、新書版では端折られたシーンとかも全部翻訳されているわけで
お話の大体の筋はもう知っているけれど、その更に奥を知るという感じでまた楽しめました。

そして実は戯曲版と同時に借りてきたこちらも立て続けに読みました。




こちらも岩波ジュニア新書のように、「戯曲を小説として書き換えた」ものなのですが、
対象年齢が小学校高学年〜という感じでしょうか。
岩波ジュニア新書よりも少し対象年齢を下げた「十二夜」なのです。

著者は「ルドルフとイッパイアッテナ」で超有名且つ私も好きな斉藤洋氏です。
(ところでルドルフとイッパイアッテナも新巻が出ていたことを最近本屋で知りまして
そっちもあとで読まねばと思っています。




斉藤洋氏のユーモアセンスというのはまた小田島氏とは一味違うもので、
いや、セリフにダジャレを盛り込むところはシェイクスピアがそうなので斉藤氏もそうしているのですが、
小説形式なので、セリフではない文においても「斉藤節」というべきユーモアが練り込まれているのです。
これが、子供にわかりやすい面白さがあって、同時にお話を面白くすることも両立させていて何度か
「うまいこと言いやがってw」と唸らされましたw

巻末に、他の作家さんからの解説のページがあるのですが、そこに
「この斉藤洋によるシェイクスピアシリーズはこれが第5弾だが、これまでで最も
”やってくれたな”感が強い」
ということが書いてありました。
私はその解説を、本文より先に読んだのですが、どうも言いたいこととしては
「一番本家シェイクスピアの戯曲からの改変パートが多い」
ということのようでした。

それで私は、十二夜を読むのはこれが3冊目になるわけですから、一体どのへんが改変されていて、
その改変が生きているかどうかというのを意識しながら読んでみようということで本編に突入したわけです。

具体的には、オチとなる部分の「場所」とか、キャラクターたちの会話の流れとかが原作とは異なりましたが、
辻褄が合わないものではなかったので変だとは思いませんでした。
この「十二夜」というお話、オチよりもそこへ向かっていく「過程」が面白いのであって、
その過程においてキャラクターたちがそれぞれ自分の考えを持って、目的のために動くのだけど、
それが上手く行かなかったり裏目に出たり、頓珍漢だったり、すれ違ったり……で
アンジャッシュのコントじみているんです。
だからオチは丸く収まっていれば、どのような場所でというようなことは割と些末でもあるなと。
途中、これどうなるんだろう? とか、そこそうなっちゃうの?w とか思うのが楽しいわけなので。

そんなわけで私は、シェイクスピア作品がアニメ化されるならぜひとも「十二夜」が見たい
などと思いました。


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それから、マビノギはそもそもシェイクスピアのゲームではなくて、ケルト神話をベースにしたゲームですので、
ケルトの神話・民話・伝承・文化なども文献を漁りたいと思いまして、そっち方面の本も図書館で借りてみました。

特にTruth in Fantasyシリーズはもともと何冊か集めていたので、図書館で借りた後に自分で買いました。


辞典的なものなので、ケルト神話(アルスター神話群・ダーナ神話群・マビノギオン)に出てくる
神や英雄の解説と、物語のあらすじが書かれていて、物語「そのもの」ではないのですが、
これもまた「概論書」としては良いです。
お話として神話を読みたい場合は、また別途そういう形式の文庫がありますので。

マビノギのG22、G23つまり一番新しいチャプターにおいては、
魔神バロールや海の神マナナン・マク・リール(マナナン・マクリル)が
新キャラとして登場してきます。
これらの神についてもTruth in Fantasyで見てみると、面白いことが色々発見できます。


まず、バロールの妻は、その名を「ケフレンダ」というそうです。
G22から、バロールと一緒に出てくる「ケフレーン」の元ネタがこれなのでは? という感じですね。
(ただしケフレーンは男性エルフだから妻じゃないけど)

マナナンについてもやはり色々わかってきます。
彼が「ミレシア族に地位を追われた神」に与えた物のひとつに「魔法の霧フェート・フィアダ」というものがあります。
これはマビノギにおける、「フェスピアダ」という霧の世界と同一だと思われます。


他にも、ヌァザやクロム・クルアク(クロウ・クルアフ)、コリブレ・マク・エーディン(コルプレ)、トゥアンなど、
マビノギに出てくる名前は大体この本を見れば、「元ネタ」にたどり着くことが出来ます。

そして、マビノギがケルト神話をガチでベースにしていることに驚きます。
なんというか、「ゲーム制作陣の中に、ケルト神話ガチ勢がいるんだ……」みたいな。
クー・フーリンや、ゲイボルグのように、色々なゲームなどのコンテンツで名前を引き合いに出される
ケルト神話上の有名人やアイテムというのが存在しますが、マビノギには却って有名所の方が出てきません。
だからこそ「ガチヲタが作ってる」感がありますね……。
キホールとか……上の本にも載って来ないくらいコアな存在だぞ……。G1から出てるけどw

例えばメガテンシリーズとかは世界中の民話伝承の「有名所」だけがこぞって出てくるので、
オールスター感がありますよね。(私はメガテンも好きです)
マビノギはそういうお祭り感はない分、ケルトに関してはめちゃくちゃ深堀りしてくるっていう。
ニッチだ……。
有名所を沢山集めてきて抱き合わせれば「なんか豪華っぽい」ものにはなるというのは、
メガテンだけでなく他にも色々な作品がやって示してくれているけれど、
そういう中にあって1点のみを深堀りしていく。
マビノギのオンリーワン感ってこういうところから滲み出ていたんだな、と思いました。


あと個人的な好みの話ですが、マナナンが「銀の長髪の男性」で、二次元キャラのキャラデザとして
かなり私のツボだったので、G23はプレイして良かったです。
今、ゲーム起動した時のタイトル画像になってるのがマナナン。
カッコイイ。

私はここからもうちょっと、物語としてのケルト神話の本と、民俗学的に詳細な資料を載せている辞典なども
買って読んでみようと思います。

読めば読むほど
「ああミレシアンってそういうことだったんだ……!」
みたいな発見があって、その結果ゲームの根本的な設定にまで唸る感じで面白いです。


もっとそういう発見したい!!
こうやって調べ物して、作品のルーツを辿って「うわーなるほど!!」ってなりたい、っていうのが
元来的な「オタク」という気質なんじゃないかなって思いますw
私は正しくオタクなのかもしれないw
そもそも「シェイクスピア物語」を読み始めた時にも
「あぁエイヴォンってシェイクスピアの出身地のことを指してたのか! なるほどね!」
ってなったりもしたしw
(エイヴォンはマビノギにある1エリア名)

そんなこんなで、発端はゲームではあるけど、私は高校くらいから神話・伝承には興味あったし、
マビノギの影響で今ようやくケルト方面を掘り進めていますw
オタク生活は楽しいw