観たくなってから実際観るまでに5年以上経ってたw
何はともあれ、アマゾンで100円で観られることに気付いたので、今日衝動的に観た。


(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)



「ニューヨーク東8番街の奇跡」は、私が生まれて初めて映画館で観た洋画であり、
生まれて初めて観たスピルバーグ作品……のはず!

原題は「*Batteries not Included,」。
原題については今日初めて知ったんだけど、これの意味は小型家電などを買った時にパッケージに書かれている
「電池は付属していません」「乾電池別売り」みたいな注釈の文言。
「ニューヨーク東8番街の奇跡」という邦題も悪くはないけど、原題はシャレが効いてるなぁw

都市計画を推し進めるため、強引で乱暴な地上げ屋がオンボロアパートの住民たちに立ち退きを要求。
主人公はそのアパートの1階でカフェを営む老夫婦、そして各階に住む住民たちで、
それぞれが悩みを抱えて暮らしているが、それでもそのアパートは彼らの「ホーム」であった。
多額の現金を渡されても立ち退くことは拒絶しつつ、誰もがそんな日々に限界を感じていた。
その屋上にある日、UFOが舞い降りてきて、彼らの「隣人」に加わるのだった。


弟が生まれる直前の正月休みに、おとうぱん。と観に行ったのであった。



この時代は、「同時上映」といって、現在の1本分の料金で2本の映画を立て続けに観る形式が多かったので、
東8番街の奇跡は「ドン松五郎」と併せて観たようだけど、残念ながらそっちはさっぱり内容を覚えていない……。
例えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」と「K9」も同時上映だったし、
ホームアローン」と「シザーハンズ」も同時上映で、それぞれ内容を覚えているのだけど、
東8番街とドン松五郎に関しては、ドン松五郎のことを全然思い出せないや……。
この絵日記でも、東8番街のクライマックスシーンしか絵に描かれていないしw


それで、おとうぱん。は、「激突!」「E.T」を観て「スピルバーグ映画は良いもの」と知ってる上で
この映画に私を連れて行ったのだけど、私は「E.T」のことを「宇宙人モノのホラー映画」だと思いこんでいたから、
「東8番街〜」に関しても初めは自分が楽しめる作品なのか懐疑的だった。
「E.Tは怖い宇宙人の映画」という誤解が解けるのももう少し後の話になる。
だからこそ、おとうぱん。に「E.T作った人の映画だよ、面白いよ」と言われても、
「(観たことないけど)E.Tって怖い映画でしょ!? じゃあこれも怖い映画なんじゃ!?」
と思ったりした。
そもそも「宇宙人」というのは、基本的に地球を侵略してくる悪いやつ、残虐で話の通じないやつ、
という固定観念にとらわれていたというのもあると思う。
現実に宇宙人がいるとしたらきっとそうなんだろうし、フィクション作品に出てくる宇宙人も、
みんなそういう風に描かれているに決まっていると思っていたので、
「スピルバーグの宇宙人映画」が、そういう枠から外れて魅力的な映画だということは想像できなかったし、
この映画によってそれを認知したと言っていい。


この映画の場合更に面白いのは、UFOそのものが単一個体の生き物のように描かれているところで、
UFOひとつひとつが自立思考し、感情を持ち、他者と交流を営むことの出来る生命体で、
しかも「繁殖行動」もして、子孫を(文字通り)作るという点だ。
一言で言えば、「円盤型AI」のような感じ。
だから生命・活動維持に必要なのが「電力」だし、金属類を「体内」に取り込んで内部で作り変え、
自分の「パーツ」として使ったり、「子孫」を生み出したりする。
何年か前に政治家が「(女性は)子供を産む機械」という発言をして大いにバッシングされたけれど、
ここに出てくるUFOは比喩でなく「子供を産む機械」で、
あの時あの発言を聞いて「東8番街〜」を思い出した人がいるとすれば、「あ、結構映画好きな人なんですね」って思うw

ただ、この「円盤型AI」達は、映画の中の位置づけとしてかなり「妖精」の類に近いポジションにあると思う。
「小さな隣人」であり、人と種族は違えど「困った時はお互い様」という共通認識を持てる相手なのだ。
言葉が明確には通じていないけど。
そして、とても困っている、このオンボロアパートの住民たちをひとつの「コミュニティ」にまとめあげる役割も果たし、
最後はみんなで困難から脱するハッピーエンド。
とてもほっこりする映画なのだ。
「こんな宇宙人ならうちに来て欲しい!」と、6歳当時の私は思った。
日記では「おもしろかったです」しか書いていないけど、言葉は通じなくても気持ちが通じ合える小さな生き物なんて、
子供からしてみれば友達になりたいに決っている!
特にうちは、家がレストランなために犬・ネコなどの哺乳類ペットは飼えなかったので、余計に憧れがあったし。
今観たって、
「宇宙人ってSFでよく得体の知れない、恐ろしいものとして描かれるけど、
東8番街に出てくるUFO型宇宙人なら仲良くなりたい」
という感想は変わらなかったw

MOTHER2に出てくる「ひとくちユーホー」という敵キャラがすごくこれに近い気がする。
意識してるかもしれない。
でも、ポジションとしてはどせいさんの方が「友好関係を結べる異星人」って感じなので近い。
私がどせいさんを好きなのも、「東8番街」のUFOを見て私の中で何か「ロマン」が目覚めて、
それと同じものを感じられたからだと思う。


それから、大人になって見返してみて「そういう設定だったんだ」と改めて知った点があって、
主人公老夫婦(フランクとフェイ)の息子さんは18歳の時に交通事故で亡くなっていて、
母であるフェイはその現実と向き合えないまま認知症のような状態で日々を送ってるってこと。
そのへんの設定を明確に記憶していなかった。
理解もしていなかったのかもしれない。
子供の頃は、フェイはちょっと普通の人とは様子が違うというのはわかったけど、
年老いて「ボケ」ているおばあさんなのかなくらいに思っていた。
今日観直して、最後にフェイが病院で泣き出すシーンの意味がやっと少しわかってきた気がした。
あの時、やっとフェイは「現実(いま)」に戻ってきたんじゃないかと思う。
それに、夫のフランクがこれまで、どれだけ「俺だって辛い」という言葉を噛み殺しながら
妻の面倒を見つつ暮らしてきたのか考えると、胸が張り裂けそうだ。
特にフェイが「酷い父親!」とフランクをなじるシーンだって彼は悪くないし、
少なからず反論もしたかったと思う……。
それでも彼はただ辛そうな顔をするだけだったし、後のシーンで息子が亡くなっていることがわかったとき、
観客はフランクのただ辛そうな顔を思い出して、「愛と懐の深さ」に心を打たれるはずだ。
彼はずっとひとりで、とにかく目の前の現実と向き合い続けてきた。
孤独だったろうな……と思うと、これを書いている今、またぼろぼろと涙が出てきてしまった。(思い出し泣きw)
フェイは病院で泣き出した時、ようやくフランクの時間に追いついて、きっと自分がフランクをなじったこととか
色々な「悔い」みたいなのもいっぺんに溢れ出してきて、それが涙になったんじゃないかと思う。
フランクは、弱さのあまりそういう風にしか自分を保てなかった妻を見捨てなかったし、
そのことにフェイもようやく気がついたというか、我に返った感じなんだと思う。

そういう事情をUFOたちはきっと知りはしないだろうけど、フランクとフェイを始めとするアパートの住民たちは
皆、UFO一家との交流を経て、どうしようもない現実の中にある自分の心をとても慰められたと思う。
「雨はいつか止む」とか「明日はきっと良い日だ」っていうポジティブさを駆り立ててくれる後味がとても心地よい映画。


地上げ屋のカルロスも、物に対しては容赦なく破壊行動をするし十分酷いのだけど、
人死にが出るのだけは断固反対で、「人」としての一線は超えないみたいな矜持があって……。
最後病院でフェイのお見舞いに来た時は、「現実に戻った」フェイの前に立場がなくなってしまい、
花束をゴミ箱に投げ捨てて帰るのだけど、ここは得も言われぬ同情を誘われるシーン……。
ここの「悪人への同情」というもやもやを、上手く言葉で言い表せない。
彼は目的に対してそこそこに手段を選ばない、酷い人間ではある。
でも、フェイが火事に巻き込まれて死ぬことは良しとしなかったし、自分から見舞いにも来た。
かといって、その場にいた全員で大団円とはいかなかった……。
そうか、悪人(マイナス)がちょっと良いこと(プラス)をしても、せいぜい「ゼロ」になるだけなんだよな……
みたいな気持ちになった。
彼は底なしの悪人ではないことがわかっているので同情はするけど、
うん、まぁでも、間が悪かったね……みたいな。
彼は病院で花束をゴミ箱に投げ捨てたけれど、そのあとライリーズカフェにお客として来店しているだろうか。
はたまた、バイト勤務しているだろうか。
そんなことをエンドロールの余韻の中で考えた。
映画の中で見られるシーンだけを考えると、彼はあのアパートのコミュニティの一員に混ざれたかは定かではないんだけど、
観客の心情としては彼が「改心」をして、フランクやフェイと良い関係を築くことが出来てたら良いな
というのが感想として残った。
悪役キャラに、こんな風に思わされることはなかなかないし、エンドロールが始まってすぐに考えさせられるのが
カルロスのその後であるあたり、なんとも絶妙な映画だなぁと感心する。
彼も、あのアパートの住民ではないにせよ、「現実に倦み疲れた」みたいな点で住民たちと似ていて、
少し立場が違っていれば、UFOとの交流で一緒に「救われた」かもしれなかった人だと思う。
だから映画の中ではどうなったのかわからないけど、見ている側としては
「彼も救われていて欲しい」と思って終わる。
なぜなら、「困った時はお互い様」だからだ……。
そう思えるのは心に余裕があるからで、この映画を観た後の「ほっこり感」こそがその余裕の正体なんじゃないかと思う。

30年前の日記にある「おもしろかったです」を、今の言葉で書き起こすなら以上のような具合である。

DVD


ストリーミング