アウトプットの頭を休めたい一方で、ただ本当に何もしないでぼーっとする、というのは私には不可能なので、
そういうときは艦これでオリョールをウロウロしながらアニメをイッキ見したりする。
今回は、グレンラガンかDTBを見たかったところだが、なんと両方ともが、dアニメでの配信を終了していたので、
コードギアスを選択した。

コードギアス 反逆のルルーシュ(全25話)
コードギアス 反逆のルルーシュR2(全25話)



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頭を休めるためにアニメや映画を見ると言っても、私はその際「インプットの頭」は休めないので、
よく噛みながら見ることにしている。
飽く迄「アウトプットの頭」を休めるためなのでこれでいいのだ。
息は、吸わなければ吐き出せない。

そして最後に、自分の中からぽろっと出てくる一言を待つ。
そこからまたアウトプットの頭を動かし始める。

例えば、まどマギ新編「叛逆の物語」を見たときに出てきた言葉は「愛が、愛に叛逆する」だった。
果たして、今回コードギアスを見て出てきた言葉は表題の通り、
「願いとは、呪い」
であった。



コードギアスは、10年前に放映されたアニメである。
しかし、物語の中で描かれているのは、現実世界と異なる歴史を辿った先の2017年、つまり「今年」である。
私は、何の事前情報も仕入れずに本編を見始めて、始まった瞬間に表示された
「2017 a.t.b」のテロップに、「偶然にも今年を描いた作品といえるわけか…」と驚いた。
(更には、見終わってコードギアスについて調べたところ、私がちょうど見始めたその日に、
劇場版3部作の第1弾が公開になったと知り、益々驚いた。余裕で奇跡的)

そういったわけで、10年コードギアスを追ってきた人からすれば、今更解説などは要らない作品であろうし、
やっと今になって1〜2期をイッキ見しただけの私が上手いこと解説できるようなものでもないので、
作品の概要というのはここでは省く。
そもそも、未見の人は、この先を読まない方が良いだろう。ネタバレがあるので。
というわけで、既に見終わった人と、ネタバレ構わないという未見の人が読むかもしれない、
という前提に立って私はこの記事を書いていく。



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いきなりだが、私は2期の最終回のラストシーンを「見たまま」と解釈した上で話していく。
つまり、スザクに刺されたルルーシュは、影武者などの類ではなく、ルルーシュ本人であるという立場に立って話す。

そのうえで、最初に出てきた感想は
「もっと早い段階で、他にベターな解決策を見出だせなかったのか!? これ以外に…何かッ!!」
というもの。悔恨に近い。
そしてその直後に、
「いや、確かに、こうでもしないと人というのは話し合いの席についてくれないものなのかもしれない。
ルルーシュはそう確信するに足る様々なことを見せつけられてきたからこそ、覚悟が出来たのだろう。
だから、“王が最初に進まねば部下がついてこない”というルルーシュの言は、遺憾ながら正しく、
その役割を、ルルーシュは引き受けた。
望んだのではなく、ただ、引き受けたのだ。
他にそれが出来る人もいないとわかっていたから」

と考えた。確かに彼は「魔王」の役を引き受けて演り遂げた。
更に私は、その意見も自ら客観視した上で
「こうでもしないと人というのは話し合いの席についてくれない、というのは
一理あるのかもしれないが、同時に強い人間不信でもあるのかもしれない。
王とは……リーダーとは、先陣切って進まなければならないが故に常に孤独であり、
こういう手段でしか人々に訴えかけられない程に、人を信じられず、頼れないものなのかもしれない。
それが”王の力は彼を孤独にする”ということの本質」

と思った。私はそんなルルーシュに同情を禁じ得なかった。
そして、登場する他の「王」や「王位継承第何位の王子」たちは皆、それぞれにその人らしい
「王の道」を進もうとしていたし、孤独だった。
ルルーシュの進んだのは、魔王の道だったので、覇道であった。
考えてみれば、「頼れるほどの」友達は、スザクしかいなくてゼロ・レクイエムの成功こそが、
二人の友情と絆の形だと思うと本当に居た堪れない。

このアニメは、異能バトルというよりは頭脳戦であるし、ロボットアニメであるけれどピカレスクロマンだ。
ルルーシュはギアスの力を持ってはいるが、それは彼を「後押し」しただけで、
ギアスがあっても、途中何度も挫折や喪失を経験した。
それでも、最後までやり遂げたのは、彼の願いが彼自身に呪いをかけていたからでもあるし、
一方で、呪いともなるほどの願いこそギアスの力の原動力、そして原理であるとすらも言える。
更に彼には、ギアスを持つ前から、卓越した能力があった。
ギアスは飽く迄彼が実際の行動に打って出るのに必要な最後のピースのようなものだったのだと思う。
最後のピースというのは、そのパズルが一枚の絵画になるために必要なものであって、
そのピースのみで絵画であるわけではない。
おそらくギアスはそのような存在だった。
もともとルルーシュには、願いの力と思考の力、両方があったので。
ルルーシュの台本では、
「誰かが、その人以外の全員の”敵”になることで諍いを止める」
という結末がほぼ決まっていて、配役が問題だったのではないか。
今盤上にいる駒、つまり父のシャルルや王子たちをその役割に「仕立て上げる」ことは難しくても
自分が覚悟さえ決めればやり遂げることが出来る。
そしてギアスを手に入れたことで自分がその「誰か」になれることを確信したのではないか、とまで思えた。
彼が、例えばロロに対して一度は
「散々使い倒してボロ雑巾のように捨ててやる」
と思えたのも、ルルーシュが生来冷徹な人間だからではなくて、
(それは確かに、事情を鑑みれば本心でそう思っていた面だってあろうが)
自分はどうせ最後には自分以外のすべての人間から敵視されて倒される役を演じなければならない
という前提も彼の中にはあったからこそで、憎まれ恨まれるようなことや、裏切り、嘘を、
望むと望まないとに関わらず、進んでやることこそが使命だと信じたからではないだろうか。
だからロロをそのように扱うことに躊躇いはなかった。
そうすることでしか、ルルーシュの望む未来はやってこないと、
ルルーシュ自身が誰よりも信じたかったのだ。もう引き返さない、と決めたので。
つまるところ、ギアスを手に入れたことで、彼は色々「吹っ切れた」のだろう。
「俺以外の誰にも出来ないから、俺がやるしかないんだ」
って感じで確かに他の誰にも出来ないであろうことをやる、そしてそれが、
その主人公自身の死を以って“完成”するというところでマトリックスを思い出した。
(別にパクりだとかいう話をしたいわけではない。マトリックスのネオは覇道を歩んだ末の自己犠牲ではないし)

これが見終わった後の感想だった。


思い出したといえば、「頭脳戦」と「二重生活」を見ているときはデスノートを思い出した。
とどのつまりデスノートが面白いと感じた人なら、コードギアスも楽しめそうな気がした。
ロボットアクションまでついてくるぞ、と。

それから、見ている時は、
「TVアニメにこんなに毎回毎回、”一体次回どうなってしまうんだ!?”と思わされたことがあっただろうか!?」
と思った。
同じサンライズ、同じ監督の作品だが、スクライドのときも私は、「つ、続きが気になる!!」ってことで、
1話から最終回までイッキ見していたのだが、あの時以上に、毎回毎回エンディングテーマが流れる直前に
置き土産(爆弾)が設置されてて
「そんな”転”が来ちゃったら、どうやって”結”すんだよおおおおお」
という気持ちにさせられたw
あるオセロの「石」が、ゲームの展開次第では何度も白と黒を行ったり来たりするように、
敵が味方になったり、味方が敵になったりということの連続で。
作中でよくチェスが引き合いに出されるけれど、印象としてはもっとオセロ然としていた。
オセロで石がくるくるとひっくり返るように情勢がコロコロ変化して、
最後には黒が1つ残り、あとはすべて白になるけれど、
それすらも黒の策略であったかのような、そういう展開のドラマだった。
でも、確かにナイトメアフレーム戦では「チェス」をしてるので、作品全体としては
「チェス盤でオセロをやる」みたいな印象だw
そして、1期の最終話のラストにも、「来週どうなるんだ爆弾」が設置された状態でエンディングテーマが流れて
完全に「はああ!?」ってなったw
というのは、1期の風呂敷は1期の中である程度畳んで終わると思っていたのだ。
灼眼のシャナの1期だって、かなり無理矢理感はあったが風呂敷を畳んでから終わってただろう?w
まぁあれは2期があるかわからない状態だったからかもしれんがw
でもコードギアスはそういうのではなかったので、すごく驚いた。
完全に「二期へ続く」っていう終わり方になっている。
初めから2クール×2期の作品と決めていたからだろうけど。
リアルタイム視聴した人は、この状態で9ヶ月も待ったんだよなぁ……。これ発狂モンだろう……。
本当に一気見して良かった……と心から思った。


それから、1期の17話で酒井ミキオの挿入歌(「ピカレスク」)が流れたときに、
私はその曲のイントロが始まった瞬間に
「お? なんか酒井ミキオが歌いだしそうなイントロの曲流れてきた! スクライドっぽい!」
と思っていたら、本当に酒井ミキオが歌いだして、
「そうか、酒井ミキオの曲ってやっぱり酒井ミキオだってわかるもんなんだな、さすが酒井ミキオ……」
と思った。
酒井ミキオ楽曲から流れる、隠しきれない酒井ミキオ臭。
酒井ミキオは良いぞぉ〜。


キャラクターの話をする。
色々な「ネジのとんだ人」が出て来るが、個人的に一番「怖いな…」と思ったのはニーナだった。
でもどういうところがどう怖いのか説明できない。
思い込みが激しくて、突然豹変するタイプだからかもしれない……。
ヤンデレを細分化して行ったとして、ニーナのようなタイプが一番何をし始めるかわからないヤンデレのような気がした。

ユーフェミアはヤンデレとは対極にいるタイプだけど、なぜかこれはこれで怖かった。
無自覚に地雷を踏み抜いて人を傷つけながら、自分は日の当たるところをずっと歩いていきそうな怖さが時々あった。
ことと次第によっては一番ニーナからの私怨を買いそうで、実際そういう展開じゃなかったけど、
この人の行動次第で、ものすごいギスギスが待ってるという感じがしてずっとヒヤヒヤしていた。
そのヒヤヒヤがピークに達しそうなところで死んでしまった……。


それから、シャーリーが死んだところではあまり泣かなかった反面、
ロロが死ぬときにはかなり泣いてしまった自分の心理状況をまだ自身で整理出来ていないというのがあるので
今ここで改めて考えてみる。
シャーリーの行動が、「主人公の足を引っ張るヒロイン」のそれになっていて、そこから死に直結したので、
「死ぬべきでなかったし、死なないで済んだはずなのに死んだ、そしてルルーシュを悲しませた」
という感じに見えたからかもしれない。
かといって、そんなルルーシュに全力で同情したかというとそこもそうではなく、
同情が半分と、ロロを利用しようとしたことの報いがこの形になったということか……即ち因果応報、
という感慨が半分ずつだった。
なので、悲劇的なシーンではあったが、どこか冷めて見ていたのかもしれない。
「悲劇」とは本人にはどうやっても避けられない因果によって引き起こされるものだと思う。
しかし、シャーリーの死とルルーシュの悲しみは、それぞれ当人たちが違った選択をしていれば避けられたのでは、
そしてそれは彼らにとって可能なことだったのではと思えてならなかったし、
極端に言うと、「物語を盛り上げるために殺された」ように見えて
入り込めなかったということかもしれない。
メタの方に意識が向いてしまったというわけ。
まぁルルーシュは、「戦略とは別に」人の気持や事情を察することは苦手そうなので、
ロロがそういうことをし兼ねない人物であると見抜けなかったのは、仕方がないのかなぁ。
ルルーシュにはロロの「ヤンデレ素質」を見抜いて、暴走を防いで欲しかったよね……。


で、シャーリーを個人の欲で殺したのはロロだ。
あそこでロロがシャーリーを殺したことを、私は擁護出来ない。
ネジとびすぎだろう、お前……。ちょっとそこに座りなさい。
だから、そのロロが死ぬ時にかなり涙が出てきたのが何故なのかはそれはそれで自分でも不可解だ。
多分、私はロロが死ぬ時に、
「あー、またルルーシュは”失う”んだ」
っていうことが一番悲しかった。
ロロに感情移入しての涙より、ルルーシュがまた何かを失うことが悲しかったと思う。
ギアスを使う時、心臓も一緒に止まるという設定が明かされた瞬間、死亡フラグが立っていたので、
予想できた展開ではあったが、ロロが自分を犠牲にしてルルーシュの命を繋ごうとした思いも、ひたむきではある。
そしてあれも、私に「願いとは、呪いなのだ」と思わせる印象的なシーンのひとつであった。
でも、ロロが死ぬまでの間にルルーシュは多くの失いたくないであろうものを失っていたし、
ロロをボロ雑巾のように使い捨てようと思ったルルーシュはペルソナをつけた状態のルルーシュだったとすれば、
ロロにギアスを使わないよう説得する時のルルーシュは、おそらく素のルルーシュだった。
ルルーシュは、自分がすべてを失って死ぬことを覚悟しているけれど、
その自分はペルソナをつけた方の自分だから、それをよしと思えるところもあったのかもしれない。
すべてを失って死ぬのは、元々何も持っていない「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」の方であって、
「ルルーシュ・ランペルージ」は、何も失いたくないはずだし、実際そう言っていた。
それと同時にペルソナを付けた方の自分が将来、すべてを失うべくして失うことも理解していた。
ロロが死ぬ時、ルルーシュの中には色々な葛藤があったと思う。
私はロロの死よりも、それが辛かったのかもしれない。
その時点で、多分最後は自分がすべてを背負って死ぬのだろうな、と想像していたので。



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さて、全て見終わって「Wikiでも読むか」とググってみて知ったのだが、
10月21日から、劇場版3部作の第1弾「偽銃察廚上映開始となっている。
第2弾が来年2月、第3弾が5月予定とのこと。
コードギアス 劇場3部作 公式サイト
私は、これも見てみようかと思う。

テレビでまた1〜2クールやるのか、劇場アニメになるのかわからないが、「復活のルルーシュ」という
続編(3期?)のプロジェクトが進んでいるらしいし、今やっている3部作の後に続く話となるので、
劇場版第3弾の続きとして見る準備をしておくのがよいと思うのだ。
この劇場3部作は、テレビ版1〜2期のストーリーを映画3本に再編したものではあるが、
ただのダイジェストではなくて、新シーンやセリフ録り直しなどで、新たな解釈をもたらすものであるらしい。
だから、2期までのテレビアニメ版だけを見て「復活のルルーシュ」を見るより、
劇場3部作を見ておいたほうが、すんなり入れそう……という予感。

問題は、茨城県内の劇場では水戸と土浦でしかやっていないということだ……!
東京行くついでに見るか。