かにぱーにゅ計画、それは、(V)・∀・(V)が日本以外の国で活動するプロジェクトである。
つまり国際交流・国外出張である。


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このカテゴリの前回の記事は、2016年3月のものであり、同年7月に開催されたジャパンエキスポ(パリ)に、
前年に続いて“出陣”するべきかを悩むものであった。

結局、2016年夏のジャパンエキスポ(パリ)には行かなかった。
前回の記事に書いた明確な「不安要素」が拭い払われることがなかったからだ。

また、近年の私は、かなり「無気力」な状態に囚われやすくなっている。
これは2015年にジャパンエキスポに出たことの結果を抜きにしても、である。
そもそも、「無気力」な状態になりやすい中で2015年はジャパンエキスポに行ってみたものの、
「成果」が得られなかったような気がして、余計無気力になった、というような側面がある。

だから少し余談として、そもそもなんでこんなに「無気力」になりやすいか、というところを少し書いてみたいと思う。
多分これを、包括的に理解している人は誰もいないから。
まぁ、これから書くことも、すべてではなくて断片にしかならないと思うけど。


私のこの10年の活動を見てきた人ならば、私が最近「コラボ」っぽいことをしていない、というのはわかると思う。
大体2008〜2011年くらいは、蟹Projectsだとかニコパイなどのようなグループ活動や、ライブ・喫茶イベント、
いおらじなどのコラボ作品や多人数でのイベントを沢山手がけたりしてきた。
私は、そういうことが、ゆくゆくは私自身や参加してるコラボ仲間の「仕事」になっていけばいいな、と思っていたけれど、
それは私が思っていただけで、スタンスは人それぞれだから、仕事にしたい人もいれば趣味と割り切っている人もいる。
でも、私はリーダーとしては活動を取りまとめないといけないし、お金をもらってやるイベントならば「まとも」な出来にしたいし、
活動の中で経費を捻出するだけじゃなくて
「趣味と割り切って手伝ってくれている人にも薄謝を出せるようになりたい」
という理想の中でやっていた。(今もその理想はある)
けれど、それは実際難しいことで、趣味と割り切る人たちは当然、結婚したり子供が出来たり、と
人生の別のステージに移行して、趣味にかける時間を減らさざるを得なくなったりする。
もちろんそれが悪いっつー話では一切ない。
なんにせよそれで、時間を共有することも当然減るし、そもそも少ない余暇を割いてもらうのも悪い、とか思う。
相手が良いと言ってても遠慮してしまう。

それに、そういった活動を少しずつでも「仕事」にしていくには、結局必要なのは、協力してくれる友人の存在よりも、
自分個人の努力なのではないか、という結論にしか至らなかった。何度考えても。
ゆくゆくは仕事にしたいというスタンスの人となら、「同じ方向を向いている」のだから共作を続けてもいいけど、
趣味と割り切っている人の善意に頼るのが「メイン」ではいけないはずだと思った。
まず、自分の「ちから」がそれなりにあるのは必須事項で、
その上で仕事としてだろうが趣味の範囲でだろうが、協力したい、一緒に楽しいことをしたいと言ってくれる友人がいれば、
そのときはそのときという話になるのだ。


それで、私は、例えばLUNA SEAがそうであったように、一度はバンドの活動を休止してそれぞれがソロ活動をした後に、
再度バンド活動を始める感じで、私個人の「ちから」を強めないといけないと思った。
そしてそれは、コラボの中でやっていくのでは不十分で、(コラボには欠けた部分を補ってもらえる側面があるから)
「ソロ活動」の中でやる必要があると思った。
ニコパイが無期限活動休止を決めたのは、私のこういった考えよりも、本当にニコパイブログにあるように、
メンバー7人の足並みを揃えるのが困難になったから、話し合っての結果だけれど、
ニコパイにせよ、蟹Projectsにせよ、将来本当に私と一緒に何か面白いことをやっていきたいと思う人と何かをやる時、
私自身に今以上のちからがあって欲しい、そしてその人にも個人のちからを高めていて欲しいと思って、
私はひとりにこだわり始め、コラボ頻度を極端に下げた。
そこで「ソロ活動」をしない人は、別に何かやりたいことがないってことだとも思うし。

その頃(2013年頃)にはもう、音楽でもゲーム実況でも、コラボやチーム・ユニットでの活動をする人はいくらでも出てきていた。
私は比較的早くから、そういうのに着手していたことになるけど、他にもやっている人が増えたことで
自分たちが埋もれる前に、時代への逆行を始めたとも言える。
沢山の人で集まって何かをすれば、ひとりでやるより色々な意味で盛り上がるに決まっていて、
盛り上がりが大きければ、「はじめは趣味と割り切っていたけれど仕事にすることにした」という人も出てきやすいであろう。
でも、私は、私の周りの人達に対して、いざ「仕事」になりそうになったときには「それ」でいいのかということを確かめずに、
なんとなく一緒にやってきていて、ずっと
「私は仕事にしていきたいけど、周囲はそこまででもなさそう(うまくいきそうならそのとき考えるかも?)」
なままだったから、
同じ方向を向いていないのであれば、だらだら続けていても、遅かれ早かれ破綻するだけでは? というのもあった。

そういうときに、私はSHINDEHAIのワンパンマンのオリジナルテーマソングを見つけて、唄ってみて、
フランス勢とのコネクションを得た。
SHINDEHAIをはじめとするVoxMakersの人達は、Youtuberというスタート地点から、
追々は自分たちのエンターテイメントコンテンツを「事業化」するという方向性で一致して活動している。
そして、実際、2015年に私がジャパンエキスポに行った際はまだ、Youtubeにおける1チャンネルだったVoxMakersも
今では「会社」になった。
SHINDEHAIの動画を見つけてきて教えてくれたのは丸い人さんで、それは丸い人さんのアンテナによるものだけど、
結局私は自分の行動力と英語力で、彼らに渡りをつけて今があるのも事実だ。
必ずしも「日本国内」である必要はない。
とにかく場所は問わないから、私には、私自身のちからで、さらなる「ちから」を身につけたり、
なるべく自分と同じ方向を向いている人達とのコネクションだったりが必要だった。
それが、直接的に私の心の支えにもなるからだ。


しかし、独力にこだわり出した結果待っていたのは、当然だが「孤独な戦い」だった。
かつて一緒に色々な活動をした仲間たちが今どうしているのかもよくわからない。
日常会話すらもしなくなったからだ。
でも、唯一「いつかまた一緒に楽しいことをしたいと思ってなさそう」ということだけを感じ続けた。
これも孤独から来る思い込みなのか?
それとも、日常会話でギャップを感じること自体が、実際に感覚がズレていることの証だからもうどうしようもないのか?
わからないけど、時々恐ろしく何もかもが虚しくなる。
これが自分と、仲間たち、両方のためになると思ってやってきたこと全てが間違いで無駄なことだったような。

そして私は、求められてフランスへ行った。
けれど、帰ってきてしばらくして、日本国内における自分の立ち位置は何も変わっていないと感じた。
同じイベントに、例えば藍井エイルさんも出演して、新聞とかに大きく掲載されたりしていたけど、
一方の私は何か、失った物の方が大きかったような気さえした。
それで前回の記事を書いて、あまりに無気力で、今年の夏のジャパンエキスポ行きを断った。
また何か失うだけなのでは? と思ったし、用意される宿泊先の心配もあった。


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けれど、私は、VoxMakersに寄稿した「ジャポカニ学習帳」というシリーズは、再生数こそ伸び悩んだものの、
企画としてやったことには意義があると今でも信じているし、あれの続編に限らず、まだ何か出来ることがあるのではないか、
と常に夢想している。
まだ、「出来ること」を探しきっていない感じ。
それに、VoxMakersのメンバーと仲違いをしたわけではない。彼らは、またきっとフランスに来て欲しいと幾度も連絡をくれた。
得たものとか失ったものとか、実はちゃんと数えられない。
そのとき気持ちがポジティブかネガティブかってだけで、印象が変わる。

私は、度々、もう一度フランスへ行く夢を見る。
これは例えば、「やり残したこと」とか「気になっていること」、「昔、無念に思ったこと・強く心配したこと」を
何年も経ってから夢に見るのと同じ仕組みだ。
大学を卒業できたのに、私はいまでも「単位を落としかける夢」をしょっちゅう見るw これと同じ。
何が出来るか、そしてそれが「成功」を収めるかわからないけど、
とにかく私もVoxMakersの皆も、一緒に何かをしたいとは思っている。
そして願わくばそれが、文化的・国際交流的に意義のあることであったりしてほしいし、
これは逆に日本国内に向けての活動だけしか視野に入れていなかったら出来ないことだ。
だから、まだ出来ることを探したいという想いが当然私の中にもある。

私はフランスに行く夢をまた見た。
それでFacebookで投稿してみたところ、
「君の”夢”は、間もなく正夢になるだろう!w」
との返信があったりした。
そして、個人的に連絡が来て、再度フランスに来ないか? という話になったのだ。

私は、上に書いたような「私が無気力になってしまう背景」も、前回の記事に書いた不安要素も、
説明してあるが、今回のお誘いに対してもはじめは
「でも、私が行ったところでなぁ…」
というネガティブな気持ちになった。
だから率直に、
「私を待っている観衆というのはいないのではないか?」
と言ったのだけど、これへの返答は
「確かに、“かにぱん。”を待っている観衆は大勢はいないだろうね。
 VoxMakersが”かにぱん。渡仏”でやろうとしていること、そして観衆が待っていることは、
 ひとつの魔法のようなものなんだよ。
 地球の反対側のある島国から、ひとりの女の子(※)を召喚するっていう」
※女の子という年齢でもないけど「girl」と言われたので直訳

このとき私は、
「ほら、私を待っている人がいないなら行く意味ないじゃん」
とは思わなかった。
「私を待っている人がいるなら行く意味はある」
は真なのだけど、行く意味というのは私を待っている人がいるかどうか「だけ」では決まらないから。
私は、私を待っている人が沢山いないことを知っている。
そしてVoxMakersもそれを認めている。
ではなぜ私を呼ぶのかというと、「地球の反対側のある島国からひとりの女の子を召喚する魔法」のためなのだ。
よく考えてみれば、「ちょっと英語が出来て唄って踊れる日本人」なら、私でなくてもこのポストにつけてしまうかもしれない。
でも、今このポストには私がいて、彼らはそのポストに私を求めていて、もしかしてとりあえずこれだけで十分というか、
むざむざ似たような能力を持つ他の誰かにこの席を譲ることもないのでは? と思ったりした。
(彼らもそこに毎回誰かしらを必ず置くわけではないけど)
まぁ他にも求められるいくつかの細かい素養っていうのはあるかもしれなくて、その素養が私にあると彼らは考えているから、
私に来て欲しい、そして一緒に「魔法」を起こそうと言っているのだ。
一緒に何か作ろう、働こう、と。


VoxMakersのメンバーには初期からの固定メンバー以外に、一時的に加わって脱退した人などもいる。
何かを勘違いして入ってきて怒って抜けて影で文句を言っている人なんかもいるらしい。
私も、今はシリーズ動画を作っていない身なので、「メンバー」と呼べるほど関わっていない。
前回の記事に書いたけれど、私が前の渡仏でホームステイさせてもらった初期メンバーの「Noru-Da」は一度脱退している。
ただこれは、喧嘩別れではない。
彼も彼なりに考えて一時的な「ソロ活動」を選んだのだ。
そして、Noru-Daは今冬、VoxMakersのメンバーに復帰した。
「ソロ活動」を通して彼は、もう一度VoxMakersのメンバーとして出来ることと、やっていく自信と環境を取り戻した。
私はNoru-Daと連絡を取ったり、復帰を知る中で、勇気や安心感を得た。
VoxMakersはNoru-Daの復帰を祝福し歓迎したし、Noru-Daは私はまだ「出来ること」を探してもいいし、
きっと見つけられると言った。

そして、今回参加することになるイベントは、ジャパンエキスポ(パリ)ではなく、
「ジャパンエキスポ(南フランス)」@マルセイユと、
「メイドインアジア」@ブリュッセル(ベルギー)ということだ。

ジャパンエキスポ(パリ)は、フランスにおいては1年を通じて最大級のオタクコンベンション。
だから、夏にジャパンエキスポ(パリ)に出演するのは、それはそれでとても有意義なのだ。
でも、今回渡仏すれば、最大規模ではないけれど2つのイベントに計5日間参加でき、
片方はベルギーということだったので、私は参加を承諾した。
今までに参加したことがないというところに意義を感じる。
今回も、渡航にかかる旅費は、VoxMakers側でクラウドファンディングしてくれている。
「地球の反対側の島国からひとりの女の子を召喚する」魔法のための経費だw

私は、今この記事を書いている間だって、VoxMakersで「出来ること」を見出だせていないけれど、
とりあえずフランスとベルギーで、今よりも名前を知ってもらって、出来るだけのことをしてきて、
その中からまた新たなアイデアに出会いたいと思う。
というか、向こうに滞在している期間中にすら、きっと何かを作ることになるだろうw
前回もそうだったしw


というわけで――
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