2016-08-10-01-39-00今、MX4Dとか、3Dとか、IMAXとか色々な新システムの劇場が増えてきていますが、
久々に、直感的に、「映画館で見たい」と思う映画が出てきたので、初めてIMAXで見てみました。
それが「シン・ゴジラ」です。

この記事では、徹底的に、この映画に対する私の主観をまとめあげてみようと思います。

尚、左の画像は、劇場で購入したパンフレットですが、
パンフレットの帯にも「ネタバレ注意」とありますし、
この記事もネタバレ注意です。
感想を言う上で避けて通れないところは、避ける素振りも見せずに
具体的なシーン解説等をしながら話していくので、
まだ見ていない人は読まないほうが良いでしょうね。







(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)



今回、見終わった後に幾つか、「これについて語りたい」と思ったことは、メモがてら”短文投稿サイトtwitter”に、
短文で投稿したので、それを章立てして噛み砕いていく形とします。


◇映画じゃない、ドキュメンタリーで章



映画を見ている最中に思ったことはいくらでもありますが、全部見終えて最初に出てきた感想がこれだったので、
これが作品通しての、私のファーストインパクt……1st impressionということになります。




そして、帰宅後、パンフをじっくり読んでみると、いかに制作陣が、これをドキュメンタリーとして仕上げるため
しのぎを削ってきたかということがひたすら書かれていたので、
「これはドキュメンタリーじゃないか!」
という感想を抱くのは、完全に正しかったのだと思いました。

しかも、なんのドキュメンタリーかというと「災害対策ドキュメンタリー」です。
制作に携わる全ての人が、災害対策のリアリティにこだわっていることがインタビューの節々から読み取れました。
例えば役者なら、「政治家としてどういう演技がリアルか」を考えていたり、
監督や演出家は政治家が会議を行う場、会議の内容、自衛隊が実際どのように動くことになるか、
ということを可能な範囲で徹底リサーチして、それを精緻に再現していく。

細かいことを言い出せば、重機の動きが俊敏すぎるとか、そういう(見る人が見ればわかる)フィクションの部分はあるわけですが、
それは全体の面白さを削ぐほどのものではなく、むしろそこにだけ気を取られて全体を楽しめなかったら
すごくもったいないことだなぁと思います。木を見て森を見なかったというか。
そのくらい、全体としてのリアリティや、ドキュメンタリー感は十分で(だって誰もが重機オタなわけじゃない)、
何度も
「それがそうなったらそうなるわな…」
と、思わされるシーンが続きます。

「災害は会議室で起きてるんじゃない!」
と言いたくなるような、当事者感覚の欠如した関係閣僚会議も、
必死で避難する名前も出てこない一般人の集団、それを携帯からスクープとしてネットで配信・実況する若者もそう。
これらは、全体の尺から見るとかなり駆け足に描かれていますが、
ほんの一瞬のうたた寝で2時間映画のような密度の夢を見たときのように、
フラッシュで脳に情報として蓄積されて、まるで本当にそういうことがついさっき起こったかのような気持ちになり
どんどん、自分が当事者として引き込まれていくのです。


娯楽作品として、あれがリアルなのにここがリアルじゃないのが不満とかいうことを言っても楽しめないし、
政治家が出てくるからと言ってイデオロギーを見出そうとしても意味がないし、
単刀直入に言って、
「日本はやるときはやる。明日も頑張ろう」
みたいな気持ちで見終えられれば、この作品を楽しめたっていうことになると思います。
どうしてそういう気持ちで見終わるのかという理由のひとつに、「日本を舞台にした”ドキュメント”だから」というのがあり、
またそれが、今の日本にとても寄り添ったものだから、ということがいえます。
それについては後の章で書きます。


では、「ゴジラのリアリティ」についてはどうなのか。

リアリティにも色々なものがあると思うのですが、この映画の場合は巨大不明生物が突如出現するというのが
物語の本筋なので、じゃあその巨大不明生物は、リアルだったのか?というと、
私はそこはまた別の感想で、
気持ち悪い・怖いという意味においてリアル
に尽きるかなと思いました。
難しいのですが、噛み砕いてみます。

勿論、「あたかもこういう生物が本当にいたら」というリアルさは伝わってきます。
質感やスケール感など。
「特撮怪獣映画」なら、「本当にこんな生き物がいたら怖いでしょう?」っていうのは
最大限表現したい部分だと思いますし、見る方もそこがどれだけリアルかを評価したがると思います。
でもそれは、「特撮怪獣映画だったら」にすぎないんですよね。
もちろん見た目のリアルさに加えて、どこかに、作り物っぽさもあります。
ただ、外見的に「本当にいそう」かどうかということがどうでもよくなるような、「生き物らしからぬ特性」が際立っています。
そして、それが「特撮怪獣映画ではなく災害対策ドキュメンタリーなのだ」と思わせる要因になっています。

まず最初にゴジラの顔が見えるシーンでは、(デザイン担当の方がインタビューで言っていたのですが)
深海魚ラブカのような顔とエラ(?)が見え、そのエラのような割れ目から大量の血液のようなものをバッシャバッシャと吐き出しながら
町中の川を市街地に向けて遡行していくわけです。
潮の匂いと、血生臭さが画面から伝わってくるようでした。
腐ってやがるんですよ! 早すぎたんですよ!

ただ、ゴジラの「目的」は不明で、「そこに進める通路のようなものがあるから進む」というだけの生きものに見えます。
目的どころか、意思があるのかもわからないということから来る不気味さ。
そして、その巨体は、多くのボートや自動車をなぎ払いながら進みます。
それはまさに、311のときに見た、津波の脅威でした……。

津波には、意思や目的はありません。あれはエネルギーそのものです。ただ、「力が物を伝わってくる」だけなのです。

ゴジラ第一形態は、その後第二形態に進化し、程なくして海へ戻っていきます。
それもまた、まるで津波が引いていくように。
第三形態も第四形態も、エネルギー放出の性質が変わっただけで、
やはり意思が感じられない、生物と言うにはあまりに無機質すぎる物体です。
自我なんてない、本能すらもあるかわからない。

そして、そのエネルギーは核エネルギーでした。
核エネルギーというと太陽だとか、原爆だとか、原発だとか、すぐに想起されるものが色々ありますが、
とにかくエネルギーというのは生きものではありません。
そして、核エネルギーの場合、ひとたび動き出してしまったら、
人の手で「止め」たり、簡単に「追い出し」たりできるような代物ではない。
エネルギーには意思がないからこそ、意思の疎通は計れず、どう付き合っていくかが課題になります。

その、「生きものっぽさ」よりも、「ただエネルギーが生きもののような形をしているだけ」であるところが
ものすごく不気味で恐ろしかったです。

完全に据わった目。
それは、生きものであれば、目という器官が存在するであろう場所にある、白と黒の球体らしきもの。
けれど、こいつは、何かを「見て」なんかいないと思わせるのです。

何も食べないから咬み合わない無数の牙も、生きものであればそこに歯が生えているであろう位置に
生えているので歯であると我々が思わされるだけで、「その器官が存在することの意味」
すなわち、「栄養を取り込むために対象を咀嚼する目的」がないんです。
だから、秩序や合理性が感じられなくて不気味です。

とりあえず多くの生きものがそうであり、ゴジラも一応生きものとして進化しているから、
「そこ」にも目や歯があるというだけで、目も歯も生きていくにあたっては不要なのです。
正直ゴジラって、エヴァに出てくる「ラミエル」のような形(ホウ酸の結晶みたいな)をしてたとしても、同じことが出来ると思うし、
むしろその方が、要らない器官がなくてスマートでシンプルなはずなんですよ。
体内で核融合起こしてそれを放出することで街を蹂躙するなんてことに、目や歯は要らない。
なのに、それがついているんです。逆に不合理です。


つまりラミエルよりも、もっと生き物っぽさのある姿形でありながら、ラミエルと同等の「意思のなさ」が感じられるところ、
そしてそれがとても巨大であることが、作中何度も私に「絶望」を味わわせました。
しかもその絶望は、日本人であればこの数年で何度も味わった、「自然の脅威とエネルギー問題」に思う
絶望や恐怖と同じなのです…。
これが、「リアルな恐怖」と言わずしてなんといおうか…。

だから、ゴジラは、「架空の生き物だけど本当にいそう」に描かれているかどうかよりも、
それが私達日本人にとって、「日本人同士でいがみ合っている場合ではないほどの克服すべき恐怖の対象」としてそこにあって
それがわかった瞬間、「これは怪獣映画ではないんだ…」と思ったのでした。
そういう意味でゴジラは「リアルな生き物」ではなく、「私達にとってリアルな恐怖」として描かれています。



◇劇伴にある仕掛けにニヤっとしたで章


「まず最初に」と予告してはいましたが、ちゃんとどういう記事構成にするか考えた結果、
最初には持って行きませんでしたw

作中で、作戦の方針が固まってメンバー一丸となってそれに取り組んでいくところや、
パズルのピースが噛み合った直後、話が盛り上がっていくところで、
decisive battle
が流れてくるんですよ!!

厳密には、リズムが同じだけの別の曲ですが、エヴァを見たことがある人なら、曲名だけでもわかるでしょう。
サントラvol.1のTrack.16ですよ!
この曲のためだけに、当時、レンタルショップでサントラ探したんだぞ…!

まぁその、エヴァを見た人なら誰でも印象に残っているあの曲の、あのリズムを、庵野監督と鷺巣さんが
的確なシーンに仕込んできたんですよ。
ほんとニヤりとしましたね。
しかも、こんなことは、ニヤりと出来る人だけがすればいいことであり、ちょっとしたオマージュなので
わからなかったからといって、この作品を楽しむ上で何も不利には当たりませんw

でも、私のようなエヴァ世代としては、あの曲が流れるということは、
これから作戦の重要なポイントが話し合われたり、それが実行に移されたりするシーンだってことが直感でわかる上、
「ここからすごい活躍が見られるんだ!」
と心躍るには十分な、音のエッセンスなんですよね!



◇劇場内の静けさに驚いたで章


帰宅してすぐだったか、「声出しOK上映会決定」のニュースを見て、そういえば劇場内の静けさすごかったなぁと想い出しました。
水を打ったような静けさってこういうときに言うんだ…と。
私は、わざわざ高速バスに揺られて、新宿まで出向いてIMAXで見たんですけど、当日の朝予約した席では
中央のあたりはもう完全に埋まっていて、割と端で見ることになったわけですよ。
それだけ人が沢山いたんです。
あれだけ人がいて、しかも映画内でも全く音が鳴らないいくつかのシーンにおいて、
耳がキーンとしてしまうほど、場内から物音が聞こえなかったんです。
誰かがポップコーンをガサガサする音も、咳払いする音も、ドリンクの氷が揺れる音も、何も……。
本当は、私以外全部マネキンなんじゃないかって思うくらい静かだったんです。

今まで映画館で、しかもあれだけ人が沢山いて、あんな無音に遭遇したことはなかったんですよ。
つまり、そのシーンは、誰もが「固唾を呑んで」その先を見守っていたんです。
それは、永遠に続くかと思われるような、時間感覚のおかしくなる重たい緊迫感のある静寂でした。
ただ、映像はものすごく激しいので、余計に、誰もがその無音の映像から、
何かしらの音の情報を少しでも聞き取ろうとしているようでもありました。

劇中で、最も、絶望の色濃いシーンでした。
そのときも私には、自分を含む、今この劇場にいる人達が、自然災害という強敵を前に、ただ呆然と立ち尽くすしかない、
言葉を失った被災者の、被災直後の姿と重なって見えました。
目の前の光景に、ショックで何も言えなくて、周りで何かしらの音はいくらでもしているはずなのに、
後になって思い出してみると、自分が黙っていただけじゃなくて周りの音も消えていたような感覚。
言えないだけでなく、聞くちからも奪われたようなショック感です。

そのときの、目に飛び込んでくる衝撃的で破壊的な映像と、何故か何も聞こえない感が
スクリーンと劇場内で完全にシンクロして、再現されていたのです……。
静と動の落差がすごかった…。


◇メッセージ性なんてどうでもいいけどシンってなんで章




単なる思考実験としてですが、「シン」ってなんだよってことも考えずにはいられませんでした。

あまりそういうことは考えなくてもいい作品だとは思います。
この作品を見て思うことは、最初の方にも書いた通り、
「日本はやるときはやる。明日も頑張ろう」
でいいと思うんです。
「やるとき」ってのはどういうときで、「何をどうやるか」ってことを考えるのは面白いと思いますが、
それはこの映画の中からだけ導き出すことではありません。
映画の中で、セリフとしてハッキリ言われているメッセ―ジがあるとすれば、
「この国は、まだまだやれる」
だけなのです。
だから、「そうだな!」と同意するのであれば、いつ、何を、どのようにやるべきかは、各自の宿題くらいに思っておけばいいと思うし、
「映画として人間ドラマが不足してる」とか、「メッセージ性が足りない」みたいなことは
言ってもしょうがない作品だと思います。
というか、どちらも情報としては全くのゼロではないと思いましたし、必要十分量でしたよ。

まぁだから、「シン」ってなんだろうってことも、考えてもしょうがないし、答えも明確には出ないと思うんですが、
面白そうなので、考えてみるに、

・新:新たなる東宝ゴジラシリーズ
・真:これこそが真のゴジラ映画
・進:究極の進化形態である生き物としてのゴジラと、映画そのものの進化という課題
・SIN:自分には手に負えないものに手を出した者の罪と、その代償とは

というような、複数の意味があるのではないかと思えてやっぱり面白いですね。

実際に、これは「新たなるゴジラシリーズ」の幕開けです。
「真のゴジラ映画」かどうかというところは、人によって意見が分かれるところでしょう。
「進化したゴジラ映画」というのは、おおむね同意が得られるかもしれません。
SINについては、劇中でゴジラが第二形態への変貌を遂げる際に、体表にかかっていた映像エフェクトが
FF10のシンっぽかったこと、そしてFF10の「シン」は「罪」の意味を持つであろうことと、
牧・元教授が原子力を憎んでいたことなどから、「罪と罰(代償)」の表現もなくはないのではと思いました。

実際、核エネルギーを使うことが、無条件にすべて「罪」に当たるとは思いません。
解析データからは、ゴジラの持つ新元素は、かなり半減期が短いため、
「扱いを誤らなければ、安全に運用可能な新たなエネルギー源」
という「希望」の側面を持つことも見えてきました。

道具やエネルギーは、「考えて使わないといけない」ということを、人はしばしば忘れがちであると、私も思います。
そこで、牧・元教授は、ゴジラで人々がまたそのことを思い出せるかどうか試したかったのではないか、と思います。
作中でも「試したかったのかもしれない」という言葉が出てきました。
そのことを鑑みれば、核エネルギーを使うこと全てではなく、
「考えなしに使って結果として道を踏み外す事」が、罪に相当するといえるかもしれませんね。
現に、ゴジラは、「活動を一時的に停止した」だけにすぎず、またいつ動き出すかわからないのです。
原発や、地殻変動と同じなのです。

でも、そういうことを言うために映画を作ったのではなくて、映画を作ったらそういう話も含まれた、ってことだと思いました。


◇日本人の日本人による日本人のための映画で章

私には、この映画が海外に出て行って、人気作になるかどうかはわかりません。

でも、まず見ている最中に思ったのは、こんなテンポで進む会話をネイティブで聞けて助かったぜ…ということです。
会議を含め、人々の会話がことごとくハイペースだからです。

ただ、それは序盤の、登場人物同士の会話を聞いているときにあまりの会話のテンポの速さに対して思ったことで、最終的には、
「これを日本人として見られて良かった」
と、つくづく思う理由は、もっと違うところからやってきました。


日本に生まれ育ってこの映画を見た人はそれだけでわかってくれると思うのですが、
私達が暮らしている国がどういうものかを、あの尺の中によくぞここまで凝縮してくれたなぁと。

ここで言う日本という国は、世界で一番地震が多い国日本であり、地震によって津波が来る島国日本であり、
世界で唯一原爆を落とされた敗戦国日本であり、その後の経済成長を経て一先進国となった日本であり、
先進国でありながら小さな島国として真面目にエネルギーや資源の問題と向き合わなくてはいけない国日本です。

この映画から、日本で生まれ育った日本人が感じる、諦めや絶望やカタルシスは、
日本で生まれ育っただけで共感できる何かであり、おそらくそれは、どんなに言葉を尽くしても、
日本で生まれ育たなかった人には実感を持って理解してもらえないたぐいのものなのです。
だから海外の人が、この映画を見て、「(よくわかんないけど)ゴジラがこわかった」程度の感想を抱いたとしても
むべなるかな…としか思わないわけで、だからこそ、仮に海外で上映されてウケるかはわかりません。
「ここには日本で生まれ育った人にだけ相通じる、日本とはどういう国かが全て描かれているんだ」
ということを説明したら、少しそれを感じ取ってもらえるかもしれないけれど。
単に政府の対応がステレオタイプということに留まらない、あらゆる「日本とは」の縮図だからです。


で、私が映画館に向かう途中、天皇陛下が、5年ほど前から周囲に吐露していたという「お気持ち」を
国民に向けて正式にお話されました。




これに対して、私はこのように考えました。




よくよく考えてみれば……昭和天皇が即位されたときと、今上天皇が即位されたときでは、憲法が違うのであって、
おそらく私達が想像するよりはるかに、今の天皇陛下(おそらく皇后さまも)は、「象徴(日本国憲法)としての天皇とは」ということを
すごく哲学しながら今に至る方なのだなぁと感じ入ったのです。
それが、お気持ちの全文からしみじみ伝わってきました。

5年前から、周囲にこういったお考えについてはお話されていたということですが、5年前というのは311があった年ですから
大層心を痛め、またその中で国民の気持ちに寄り添う公務を、少し無理をしながら果たしてくださっていたのだなぁと。
この方が、国と国民の象徴なのであるから、私たちは進んでもっと多くを学ばなければいけないような気がします。


そして私は、その後にシン・ゴジラという、「災害対策ドキュメンタリー」を見て、311の直後の絶望感と、
それでも生き残った私達が何をすべきかということに対して、前向きになりたいと何かの決心を固めた頃の気持ちに帰りました。

日本に住む以上は、不定期に何度も自然災害にさらされることは避けられないと思います。
311の話ばかり取り上げてきましたが、今年だって熊本を中心とする九州地方が大震災に見舞われ、
原発事故はなかったものの、地震そのものの被害がとても大きく、未だに揺れも続いています。
これがもし収まっても、出来る限りの備えをした上で、出来る限り長く平穏な状態が続くことを祈るしか、
我々に出来ることはないじゃないですか。
地震だけではなく、火山の噴火や台風による被害、水害などもしょっちゅうですから。
もう多くの人が忘れてしまったかもしれないけれど、茨城も常総市で川が決壊して、まだ完全には元通りではないし…。

私たちは、「そういう国」に住んでいるからこそ「やるときゃやる。」ってことが出来るんじゃないかと思います。

作中、最初の閣僚会議で、確か里見農水大臣だけが海外に行ってるとかで不在なんですよね。
で、その人がその後急遽、総理代理になるのですが、なんだかフワっとしてて頼りなかったりする。
けれど、最後には、自分の役目を潔く理解している人だったことがわかったりします。

他の、「エキスパートだが鼻つまみ者」の巨災対メンバーも、「やるときゃやる。」集まりだし、
当事者感覚希薄だった政府も、最後は一丸となって動き始めて、
「そうだ、この国は、国民は、やるときゃやるんだった」
と思い出させてくれるんですよ。

私は、たまたま同じ日に、天皇陛下のお気持ちと、この映画を見てしまったせいで、
「あんな巨大不明生物が出てきたら天皇陛下もお気持ちを表明せざるをえない」
みたいな混乱をしかけましたが、でも、なんというか自分の住んでいる国について、
こんなに考えさせられたのは、どちらかというと映画の影響だな、と思いました。
陛下のお気持ち全文読んで、思わず泣いてしまったのは、映画館に行く途中だったので、
映画を見るほうが後でしたけどね。


なので、色々総括すると、こうです。


映像の迫力もそうなんですけど、たまたまそこに一緒に居合わせた日本人たちと、
「そうだ、ここは、日本だ。俺達は、日本人だ…!!」
って、無言で共感しながら見てほしいというのもあります。
そして最後に、
「明日も頑張ろう」
って、劇場を出るんです。



最後にオマケ。



追加で更に2枚作ってみましたw
植物園03植物園04











(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)

余談ですけど、バス停まで行く途中、スズメが道路をうろうろしてて、轢かれそうだったんです。
2016-08-08-13-31-56怪我はなさそうですが、まだ飛べない子供でした。
本当は、人の匂いがつくと、親鳥に見放されてしまうことがあるので、
触るのは良くないらしいですけど、翌日轢死体で発見するのとかは嫌なので、
とにかく車道から離れたところに移動させました。

仮に親鳥から見放されてしまったとして、それがキッカケで死んでしまうことになったとしたら
それだって勿論後味は良くないけど…
明らかに危ない場所をうろうろしているのを、ほうっておくのは無理でした……
歩くことはできるので、自分でエサを見つけられると生存確率上がって安心なのだけど…

スズメの安否が気になって、高速バスの中ではすごく落ち着かなかったっすw