対偶力の高い動画を作りました。

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(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)



ことの発端は、ツイッターで「対偶bot」を発見したことでした。

対偶botは、「○○なら××」というような文章(歌の歌詞やことわざ、名台詞)をすべて「対偶」に書き換えて
ツイートするbotです。


まずここで、「対偶ってのは何なんだよ」ってところで引っかかってしまった人のために、
対偶のWikipediaを貼ると共に、「幸せなら手をたたこう」で図解します。


命題:幸せなら100%手をたたく?

対偶01ここに「幸せな人」と「不幸せな人」だけで構成された世界があります。
また、この世界には、「手をたたく人と叩かない人」の両方が必ず存在することとします。
(でないとシンプルに対偶の説明ができないので便宜上そういうことにします)
幸せな人と不幸せな人の配分が50:50になっていますが、そこには意味はありません。






命題「幸せなら100%手をたたく」が真(正しい)となる場合はどんなときでしょうか。
また、「手をたたく人と叩かない人」の両方が存在するという条件も同時に成立させます。


すると、次の2つの場合において、命題「幸せなら100%手をたたく」が真となります。

対偶02パターンA:幸せな人のうち100%が手をたたき、不幸せな人が100%手をたたかない場合






対偶03パターンB:幸せな人のうち100%と、不幸せな人のうちの一部が手をたたく場合








上記2パターンにおいて、命題「幸せなら100%手をたたく」は真と言います。


で、さっそく対偶についてです。

対偶は、命題を「AならB」とした場合に、「notBならnotA」のことを指します。
ですから、今例として用いている命題の対偶は「手を叩かないなら不幸せ」です。

論理学の世界では、「命題が真であるとき、対偶も真である」ことになっています。
逆に、「命題が偽であれば、対偶も偽」です。


命題「幸せなら100%手をたたく」は真のときに、その対偶「手を叩かないなら不幸せ」が真になっているかどうか
もう一度図の、「手を叩いていない人」=「赤く囲まれていない部分」を見てみましょう。

対偶02パターンA:不幸せな人は100%手を叩いていないので、
対偶「手をたたかないなら不幸せ」も真となっています。






対偶03パターンB:不幸せな人の中に手を叩いている人もいますが、手を叩いていない人は100%不幸せです。
ですからこの場合でもやはり対偶は真です。








次に、そもそもの命題「幸せなら100%手をたたく」が偽の場合の一例も出しておきます。

対偶04幸せな人の中にも手を叩いていない人がいるので、
命題「幸せなら100%手をたたく」は偽です。
不幸せな人が100%手をたたいて、幸せな人は100%手を叩かないという場合だとしても
同じですね。





この場合、対偶の「手を叩かないなら不幸せ」も「手を叩いていない幸せな人」が存在するので偽です。
このように、命題が真であれば、対偶は真、命題が偽であれば、対偶も偽となります。


こういうふうに、歌詞を命題に見立てて、対偶に書き換えたのが今回の3作品です。

ニコ生の視聴者さんと一緒に、昨晩一気に作詞しました。


こういうのは、「1行ずらして歌う」とか、2曲の歌詞を逆転させてから歌う、っていう企画をやったときと同じなので、
「生放送が元凶のやつ」というマイリストに入れました。

このマイリストには、私が生放送で視聴者さんとキャッキャ笑いながら計画して生み出した動画がまとめてあります。
つまり、「生放送がメイキング」で、完成品が動画ってことです。
そんな生放送に同席できることはなかなかないので、参加出来た人は(仮にやってることの意味がわからなくても)ラッキーなはずです。
アンラッキーだとすれば、こういう生放送に同席できていないに違いありません。

で、この3本の動画は、通算2001〜2003本目に当たるんですけど……
久々にかなり玄人向け動画を作って、ここから2000本台の歴史を刻んでいくのかと思うと胸熱ですね。