最近弟とSkypeで通話してて楽しかった。

私は割とゲームのやりこみ要素を骨の髄までしゃぶり尽くしたいところがあるが、
弟の場合は、殊それがRPGというジャンルになると、ストーリーが追えればよくてやりこみには手を出さない、という傾向がある。

別に、誰がどのようなスタンスでゲームをプレイしようと知ったことではない。
が、やりこみを楽しむ側が、やりこみしない側を見るときに「もったいないな」と思うのはどういう心境からか、
ということを喩え話で説明してみた。

(V)・∀・(V)=私 (v)・¥・(v)=弟(砂利ガニ氏)

(V)・∀・(V)<やりこみっていうのは、骨付き鶏肉の皮と肉と軟骨を食べた上で、
        骨を煮込んでガラスープまで楽しむようなものだ(まさに骨の髄まで)
        だから、皮だけ食べて満足してしまう人を見ると、「肉とかもったいねえな」とか思うわけだ
(v)・¥・(v)<ねえちゃん、オレ、皮好きだからその喩え話だと魅力伝わってこないわwww

   喩 え 話 糸冬  了 !!


まぁ、私としても、「肉絶対旨いから食えよ」と押し付けたいわけでもないし、
彼がもし、皮だけだと飽きてきたってときには自ずと肉も食いだすだろうからそんときはそんときだと思ってるんだけど、
これとは更に別の問題もゲーム制作側に起こっているとも思う。

つまり、「骨煮込んでスープにしてまで食す」ほどのプレイヤーは減っていて、
そこまでして達成感を得ることが目的みたいなゲームを出すと、「ただ難しいだけ」と感じさせてしまいそもそも売れなくなったから、
肉や骨などのパーツを全部バラして美味しく調理したものを出すだけみたいなゲームとか、
とりあえずクリアだけなら骨まで煮込む必要など一切ない、というものばかりになった、という感じだ。
で、骨も煮込んでスープにしたい人は、別途そうすることが出来るという、選択制が導入されたわけだな。
昔のゲームは、基本的に、「クリアする=骨まで煮込んでスープ作る」だったりしたからね。

プレイヤー側の年齢とか経験、環境によるところも大きい。
時間もあってとことん楽しみたい人は「スープ」まで作るだろう。
また、時間があるが別にとことんでなくていい人は肉を食べるくらいで満足だろう。
これに加えて時間もないとなれば、とことんが好きでもそうする時間がなくてやむをえず皮だけというパターンだって出てくる。
で、今は、ゲームの数も多いので、あちこち手を出してみたくもなる。
昔は、どんなにそれが難しいゲームだとしても、それしか選択肢がないからそれをしつこく遊ぶというパターンがあったわけで。
マインドシーk…いやなんでもない。
なんにせよ、以上のことから、その人に合った楽しみ方をするのが一番その人のためだ。

でも、やりこみの面白さが「全くわからない」というなら、この喩え話を当てはめて考えてみるとどうだろう。
自分の好みがどうしてそうでないか、やりこみが好きな人がどうしてそれが好きか、
少し想像がつきそうな気がするのだが。