記事カテゴリ、一応「動画」にしましたが厳密には動画ではないですね。
あくまでニコナレは「スライド」です。

まず、スピーチを付ける前の「スライドそのもの」は
『走れメロス』 朗読してみ…ようぜ!(前半)
『走れメロス』 朗読してみ…ようぜ!(後半)
であり、スピーチ(朗読音声がついた方)は、
(V)・∀・(V)<『走れメロス』 朗読してみた(前半)
(V)・∀・(V)<『走れメロス』 朗読してみた(後半)
です。

そんでもって、それについて詳しくブロマガ記事を投稿したのですが、それが
ニコナレってそういうサービスじゃねぇから!! -Apocalypse 〜かにぱん黙示録ぶろまが編 蟹禍(かにまが)〜
です。

そのため、こちらの記事では、ニコナレについては上記の報告で終わりますw
ブロマガ記事を読んでもらえれば、機能の概要、使い方、アイデアなどが書いてありますので、
それについてはリンクから飛んでください。

こっちでは朗読についてもう少し突っ込んで書きます。


(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)・∀・(V)


さてさて、朗読は難しいものです。
こちらに、1988年の(V)・∀・(V)朗読音源があります。
小学二年生の(v)・。・(v)です。


これで、今回の「走れメロス」と比較できますね。

仕事でも、稀に朗読のお仕事があります。
ただ、クライアントさんが、どちらかといえばCM製作の会社が多くて、朗読案件の数は多くないです。
朗読のような台本だけれど、完成するものはCMである、というのを入れても、やはりそんなに多くはなく、
CMナレーションか、キャラクターボイスのどちらかの案件が多いのです。

それで、朗読というのは喩えるならば、CMナレーションとキャラクターボイスを両方やるみたいなものなので、
「セリフの部分で、どの程度演技をしちゃっていいのか」
というのがいつも課題になります。

次に課題のなるのは、速度です。
例えば、子供向けの絵本の朗読だったらば、割と意識して遅めに読まないといけないのです。
今回の「走れメロス」は、まぁ、ニコニコにアップするものだから、意識して遅くする、というのは考えず、
物語の緩急に合わせて速度調節しよう、という話になるので、そっちの方が、
子供向けにあえて遅く読むのよりも簡単ではありますから、今回の「課題」として
そんなに大きなテーマではなかったんですけどね。
やはり演技をどうするか、ですよ。


「朗読検定」というものがありまして、おそらく級を取得すれば一種の資格として、履歴書に記載できるものだと思うんですが、
検定試験の様子が、動画としてネットに公開されてしまうんですよね…。
(割と受験料も高い。しょうがないけど)
だから私は取ったことがないんですけど、以前、それと関連した朗読コンテストに応募しようと思ったことがあり、
優勝すると、朗読検定1級取得の扱いになるみたいな。
でも、それもやはり動画でネットに公開されて、顔と本名が出るので出場取りやめたんですよw
それで、そのときに、朗読するということについてちょっと突っ込んで考えてみたり、ちょっと調べてみたりしたんですけど、
子供向けでなくとも結構遅めに読むのがスタンダードな感じでした。
それから、場合によりますけど、「オーディオブック」などで、「官能小説」を読むという仕事があったとするじゃないですか。
そしたら、セリフの部分は感情を込めず、淡々と読まないといけないんだそうです。
こういったオーディオブックは、目の不自由な人向けに作られていて、そういう方がオーディオブックを利用する際、
セリフの部分でしっかり感情が込められていたりすると、逆に世界に入っていけない、ということが起こるそうなのです。
だから、「官能小説」は極端な例ではありますが、他の小説なんかでも、
そういう目的のオーディオブックの場合なら、結構セリフは淡々と読むものなのかもしれません。
その意味で「場合による」んですけど、まぁそう考えていくと、聞き手は誰なのか? ということによって、
「どの程度セリフ部分で演技をするか」
は、臨機応変に対応するのが適切なのかな…?? と思っています。

地の文で緩急をつけ、情景に合わせた声のトーンを作り、セリフでは迫真の演技をするほうが、
情景が浮かんでくる、ということも当然あると思います。
というか、私がこれまでに触れてきた朗読作品はそちらのほうが多かったかもしれません。
なので、朗読検定の音声を試しに聞いたときは、その遅さに驚いたのと、
オーディブックでは演技をしてはいけないという話にも、一理あるなと思うと同時に驚きました。

私が触れてきた朗読作品は、数として別に多くはないのですが、NHKの「母と子のテレビえほん」なんかが
一番長い時間触れたかもしれません。
ほかに、小さいころは朗読カセットも聴いた気がします。
このふたつは「子供向け」ですね。
それから、稀にラジオで声優さんが朗読をしたりもしてますね。
この前、画材屋さんに行った時に、鈴村健一さんの朗読か何かを店内のラジオで偶然聴きました。
声優さんの朗読は、やはり、演技の部分がちゃんと演技になっていました。
これは、どちらかといえば大人向けコンテンツですかね。

演技の部分をちゃんと演技してしまうと、今度は前後の地の文を読むときの繋がりとかが課題になってきますw
全体のスピード感というものもあるので、
「キャラクターは早口で喋っているシーンだが、かといって地の文もスピーディである必要はない」場合だってあるし、
まぁでも、勢いを殺しすぎても聞いてて気持ちが良くないよなぁと思うわけです。
うーん、すごく話を単純化すれば、「自分が聴きたいと思うような朗読」をとりあえずするしかない、
という結論になるのかもしれないけどw


さっき書いたように、仕事で朗読の案件って少ないんですけど、
書いてある文章を読む仕事、であるのは間違いないので、色々考えちゃいます。
今日は、すでに納品したものを「全部録り直し」というお仕事もありましたし……。


まぁそれで、「走れメロス」自体は、結構前から、朗読してニコニコに動画とかでアップしたかったんですよ。
確か最初に読んだのは、中学生の頃だったかな? と思うんですが、夏休みの読書感想文を書く目的で読みました。
そのときもかなり泣いたんですけど、いやぁ、すごいですね、やっぱり。太宰治っていうのは、すごいんですね!
だって、「走れメロス」って結構短い話ですよ。
朗読したら、35分くらいで読み終わるわけですから。
それで、あれだけ情景や人物の心情を無駄なく書いたわけですからね。

私がいつも泣いてしまうのは、フィロストラトスがメロスと合流するところから後は全部です。
フィロストラトスがメロスに会って、「うめくような声」で「ああ、メロス様」と。
そこから、二人はやり取りしながら走ってるんですけど、フィロストラトスはもう師匠であるセリヌンティウスの命を「諦めている」ので、
メロスに走るのをやめるよう説得するんですよ。
でも、メロスは絶対にやめないんです……。
その後にメロスがいうように、もはや間に合うか・間に合わぬかの問題でもなく、誰が死んで誰が生きるかすら問題ではない。
これは「信実」という「徳(アレテー)」の話ですから、それは間に合う・間に合わないという問題を超越しているのです。
その「何か大きなもの」に向かって、ただ全力を注ぐメロスの姿には、まさにフィロストラトスがそうであったように、とても心打たれます。
なので、今回「ニコナレで朗読してみよう」と考えて、練習のために収録前夜に一度音読したのですが、
フィロストラトスと合流した後から最後まで、号泣してしまって、うまく練習できませんでしたw
朧月に泣いたって言ったら、「どこに泣く要素が!?」って言われたんですけど、
私が感受性豊かすぎるのですか?

だって、そのあと、刑場についたメロスの最後の踏ん張りもすごいですよ。
そりゃそこは、地の文の朗読にも力がこもるってもんですよ!w
セリヌンティウスの足に「齧りついた」場面の情景は、それこそ涙が出ます。
彼は走りきり、セリヌンティウスを助けた。
そして、おそらく今から自分が処刑されるのだが、もはやそれは問題ではない。

最後に、暴君ディオニスが、仲間に入れてくれという「正直」な気持ちを吐露するところも、
「この野郎、あんだけ人殺しといてムシの良いこと言ってんじゃねえ!」
とも思うでしょうが、そんな暴君だったディオニスが、「世の正直者とかいう奴輩」になり、
その正直な気持ちを話したのだと思うと、メロスのような単純且つ「人を疑う悪徳」を嫌う者であれば、
「その改心した心を信じよう」
となると思います。
メロスは、ディオニスをすら疑わない心の持ち主だと思うのです。
だから、彼の心の闇に打ち勝ったわけでしょう?
自分の信念が「優れた徳」の下にあると信じていて、それは「人を疑わないこと」であるから、
その信念を貫くことができれば、ディオニスの「悪徳」を打ち破れる。
間接的には、ディオニスをも「信じて」いたから、走れたとも言えますよね。
きっと自分が信念を貫けば、ディオニスは「変われる」と。

また、セリヌンティウスとメロスの友情の描き方もすごいです。
「一切の事情を説明した」やり取りはまぁ説明なので省略されるとして、
そのあとの、セリヌンティウスの物分りの良さよ……。
ほぼ会話してないんだからね、説明以外w
やり取りが、文章の上で省略されたのではなくて、二人の間で省略されたんですよ!w
共通の信念と、よほどの相互理解がなければ無理です。
そして刑場にメロスが到着したあとの二人のやり取りも、こんなの泣きますよ!!w
見ましたね!? これが「世の正直者」ですよ、ディオニスさん!!ww

人間、自分の正直な気持ちを言葉にするとき、ただそれだけで涙が出ることがあります。
あの涙がどういう心情から出てくるものなのか、実のところよくわかりません。
「このことは本当は言いたくない、言うのが怖い」
という恐怖や、その恐怖に立ち向かっていく勇気や、この正直な気持ちこそが相手に伝わって欲しいという
強い願いや、色々なものが混ざっているようには思います。
その涙が出てきます。
そりゃ、「本当はお前を疑っていた」なんて、言いたくはないことですし、
それが今まで築き上げた関係を一瞬で壊す発言になるかもしれないんですよ。
でも、彼らは、それすらも隠しておけないほど正直者で、だからお互いに信頼しきっているわけですもんね。
なのでこのパートを読むときは、本収録でも、「眼に涙を浮かべて」読みました。
練習のときは、号泣でしたw

あの、「悪い夢」を見た後、足元で清水が湧き出ていたのは、単にそういう場所だったという情景描写をしただけでなく、
ちょっとしたメタファーでもあるような気がします。
どんなに絶望しそうなときにも、足元に希望が転がっている場合がある、という。
そこから、「義務遂行の希望(これは希望の中でも最もかすかなもの)」をたぐりよせ、
少しずつ正気に戻って、持ちうる希望をすべてかき集めて
「もう今度こそダメかもしれない」という逆境をくぐり抜けてやっと、人は何かを成し遂げることが出来るのだと思います。
だから、「苦しいときほどやめてはいけない」っていうことでしょうね。
そのタイミングって、結構ゴールとかが近いかもしれないんですよ。
でも一番つらいときだから、誰もがやめたくなり、多くの人は実際やめてしまうのだと思います。
やめてしまえば、確かに、楽なのかもしれませんしね。
後悔が残るでしょうけれど。


などと、色々なことを考えながら録りました。
さながら「読書感想文」ですねこれ。夏休みの宿題で、コピペして提出しないようにね!w
語尾だけ書き換えるとかもダメだよ!!w

「走れメロス」kindle版(無料)