自殺する若者が増加傾向にあるなか、自殺防止の対策を考える意見交換会が東京・渋谷区で開かれ、
参加したNPO法人からは命を絶つ前にSOSを発信する若者が少ない現状などが報告されました。

この意見交換会は10代と20代の女性の自殺防止などに取り組む東京のNPO法人「BONDプロジェクト」が開いていて、
23日夜は若者や教育関係者などおよそ50人が集まりました。

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昔から(中学生くらいからかな)、ずっと考えていることがあるんだよ。
漠然と、どうして死にたくなったり、実際にそういう行動に移してしまうのか。
それも、自分が全然そうは思わないから不思議なのではなくて、自分も中学の頃に初めて死にたいと思って、
でも今まで生きてきてるから思うんだけどね。
だから、どういったキッカケがそう思わせるのかとかは色々あるってわかるし、
死んだら現実から逃げ出せて楽に違いないなんてこと、いまだによく思うよ。

なんていうか、もっと根本的なことなんだ。
なぜ人間の頭は、それを最善の解決方法だとすぐ思ってしまうようにできてるのかってこと、かな。
勿論、考えて、考え抜いた末が自殺や自死なんだよね。
「もうそれしかない」って思うわけだ。
コンピューターなどの演算だとして考えると、色々なパターンや仮説を立ててみるものの、
どう計算しても死ぬしかないって答えが出るからそうするって感じなんだろうね。


スレッドを読んでいたんだけど、色々な意見があって、以下に分類してみた。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1364083200/

機/祐屬棒御不可能そうな次元での話

・淘汰派
「人間社会における自然淘汰の形」とする考え。
種の視点から不要とされたのだから、死んでも人間全体は困らないという考え方。
自殺する人は所詮その程度であって、生きていたからと言って自他にそれほどメリットはないだろうから
遅かれ早かれ淘汰されたのだろうという思考。


供/祐崋匆顱兵腓妨渋綟本)の話

・社会全体が病んでる派
生活保護が…、少子高齢化が…、雇用問題が…というような様々な原因が結局自殺に繋がっている、という考え。
団塊世代が人間関係をどんどん希薄にしながら日本社会を作ってきて、個人に責任を押し付けたため
人や社会に頼れない人が増え、自殺に至る、という意見もある。

・格差社会派
ある一定ラインより恵まれている人と、そうでない人との差が大きすぎるのがいけない、という考え。
それによって、一定ラインより恵まれている人にとっては、自殺したいという考えは頭をかすめもしないし、
想像できなかったりすると思われる。
現実味がないのでSOSに気付かなかったり、手の差し伸べ方を誤る。
ましてや、同じように格差の下のほうに属している人同士では、自分のことに精一杯で
人のことに構っていられない。こうして孤立が加速する。

・ゆとり教育が悪い派
この場合はゆとり教育の定義にバラつきがあるので、この中にも何派かある。
例えば「ゆとり教育が、ストレス耐性のない子供を量産したせい」というものから、
「ゆとり教育が、”自己責任”ばかり押し付けたので、責任感の強い若者がちょっと失敗すると死んでいく」
など。

・自殺も人権派
死にたいときに死ぬのもその人が行使できる権利である、という考え。
「生きていることに意味を見出せないなら自分で死ぬのは正しい」というような合理主義が根底にあるようだ。
勿論他の自由意志と同一で「責任」も伴うことを考えなければいけないが、死ぬ本人には、
死ぬ行動のあとに人生がないので、責任を取らないために死んでいる側面があり問題もある。
しかし、病気などでただ苦しんだり、医療費がかさむだけの生活を強いられている人に、
安楽死の選択ができるなら、そういう施設や制度があるということによる心の安寧を得られる人もいるのかもしれない。
勿論、その制度を受けられる条件は厳しくあるべきだろう。

・やり直しの利かない社会が悪い派
勝ち組になるには決められたレールがあり、それをひとたび外れてしまった者には、敗者復活の機会すらない、という考え。
「自殺するくらいなら社会を変えてみろ派」もいる。(それが可能だと思える人は死なないと思うが)


掘〇爐命祐屬箸修亮囲の次元の話

・SOS出したところで解決しない派
SOSを出すと「甘えるな」「もっと頑張れ」「俺だって辛い」など、問題を摩り替えられ追い詰められるので、
SOSを出しても死ぬし、出すことが無意味だと思いながら黙って死ぬんだろう、という考え。
死にたくないからSOSを出すのであって、本当にあとは死ぬだけだと思ったらSOSは出さない、とも言える。

・SOSを出す相手がいないから派
さまざまな理由でSOSを出せるような相手が身近にいないから追い詰められたのでは、という考え。
「友達がいないからだろ、友達作れ(自己責任派)」から、「教師や親がクソだったら絶望しかない。信頼できる大人などいない」まで。

・SOS出すのも自殺するのも「甘え」派
SOSとか甘え、死ぬとか甘え、努力が足りないやつが悪い、という考え。

・自殺は抗議派
兇亮匆颪砲かる問題でもあるが、一番抗議として受け取るのは結局周囲なので、こちらに分類した。
SOSを出せなくても、言いたいことはある人間が最後の訴え・メッセージとして自殺する、という考え。
死ぬこと自体がメッセージであるので、事前にSOSを出さない。
(出さない方がメッセージ性が増すため「SOSを出さずに死ぬ」というのが抗議としての形態)


検ゝ事の内容に関する言及・その他

・NPOが胡散臭い派
「女性の」自殺にのみ焦点を当てていて、男女差別を感じるし、補助金目当てか? という考え。

・エピソード派
「俺もそろそろ死のうと思ってやりたいことをやりきってるところ」というように、近く自殺することを表明している派や、
自分も死のうと思ったことがありこうやって復活した、身近な人が今死のうとしてるがどうすれば? などなど。

・自殺対策強化月間って何だ派
そういうポスターが貼られているらしい。このシンポジウムもその一環として行われたのかもしれない。

・解決策を書いてみる派
「俺も大変な思いしてるからお前も頑張れ(キリッ みたいなのは全然意味がない」とか、
「死ぬな! って言われるより、死ねよwwwって言われた方が反骨精神で生きたくなるから、言ってあげれば」とか、
それに対して、「その発言は問題があるので誰がどう責任を取って言えるとも思えない」など。
格差社会だとしても、貧富の差ではなく夢や希望が人を生かす、という意見。

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少し余談だが、「2chまとめ系サイト」がなぜ人気なのか、私はなんとなくこう考えている。
「自分がふわっと考えていることを他の人が代弁しているのを見て、安心できるから」だと。

でも、私はそうではなくて、自分の思ってるようなことも、思ってなかったようなことも、全部包括的に見た上で
何か更なることを考えたい。
まとめを見て満足しても結局何も変わらないんじゃないか…。
だから自分の言葉を書く。



自然界には確かに淘汰がある。しかし、人間界で「あれは淘汰だったんだよ」などということは決定付けられないと思う。
だから、気亮然淘汰説は、否定もできないけど肯定もできないし、肯定すれば自殺とそれに係る問題が解決するかというと、そうは思えない。
確かに、自然環境問題を考えるならば、人口が減るということが一番解決に近いし、
生き物である以上人間という種族においても、自然淘汰は起きているんだろう。
どれがそうなのかは人間には、少なくとも今の段階ではわからないんじゃないだろうか。
こういうのは、万年みたいな単位で後から見返して「あれは淘汰だったんだな」って思うものであって。


ここでちょっと私が「エピソード派」になってみますね。

今までに私の周囲でも3人が自殺で亡くなってて、それ以外にも例えば大学で、
全然専攻とかはかぶらないけれど同学年っていう子が昼間に校舎から飛び降りて、
それが友達の友達だったりということもあった。

自分の身近なところだと、亡くなるちょっと前に留守電に普通そうな声で
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど〜」
ってメッセージが入ってたってのはあったけど、あとの2件は”SOS"みたいなのはなかったよ。
むしろ、”音沙汰がないこと”がSOSだったように感じるくらいだし。
とにかく、残された方は色々考えるんだ。SOSがあってもなくてもさ。
こんなのって永遠に答えは出ないよ。

逆に、明確なSOSがあって、「今から死ぬんです」って言われたから飛んでって話し合って、
結果的に何事もなく済んだっていうこともあった。


それで、「当人と周囲の人間の次元の話」になるけど、やっぱり、誰とも交流がなく、ひとりで誰にも見られずに死んで
そのまま発見されずに土に還って、探す人もいなければ困る人もいないっていう人は滅多にいないと思うんだ。
それにそういう人なら自殺していいかっていうとそうでもないと思うしね。
仮にそういう人がいたとしたって、誰かに何かは伝えたいと思いながら亡くなるはずだよ。
だから、自殺されたあと残された人のことを考えて、それでも自殺ができる人は、
よっぽど「恨み」を伝えたい(つまり抗議自殺)か、底なしの絶望状態かどちらかなんじゃないかな。


それから、「社会」の視点では、時代背景にもよるけど、今は、責任を感じて自殺する人が多いんじゃないかな。
「自己責任」って流行ったでしょ。
それに、「なんでもやればできる」のに「やらないのは本人が悪い」とか、「頑張れば良いことがきっとある」みたいな
根拠のない励ましとかも、結局「自分がどうにかできないなら頼るだけ無駄なんだ」って思わせる社会を作ってるなあ。
SOSを出しても求める答えや手が差し伸べられるわけじゃないし、
むしろ追い詰められたりするんじゃないかって、先に思うだろう。
SOSを受け取る側も、どうやって責任取れるかわからないけれど、必死に引き止めるなんてことがある。
だってその人の人生を背負う覚悟なんて簡単に決められないよね。
でも、引き止めなければきっと「自分が」後悔するから引き止めたりもするんだ。
これだって、見方を変えたらただの自己満足に過ぎない。
それでも引き止めるのが人情だと思う。

じゃあ、特に悩まず生きてる人はどういうコツを持ってるかというと、「鈍感力」っていうかなんというか、
多分「折れる前にしなる」って感じでさ。
「自分がどうにかしなくても誰かがどうにかするだろ」
とか、すぐ思えるんだろうね。
そうしたら、失敗や責任を感じる局面でもすぐ開き直ったり、立ち直ったり出来るし、
身近で人が亡くなっても「どうせ自分には何も出来なかった」って考えて忘れることが出来るんだと思う。

こういう人が、今後も生き残っていく「強者」なんじゃないかな。
でも私はそれが「勝者」だとは思えないんだよなぁ。
そういう人しか生き残れない社会になってるということが一番恐ろしくて、
自分が弱者や、追い詰められて死ぬ側になりたくなかったら鈍感になれって強要されているようだよね。
ある程度薄情じゃないと生きていけない環境の方がおかしいと思う。
「人間の社会」なのに。なんか、動物の群れを通して過酷な自然界を見ている思いだ。
だから「淘汰」なんて言葉が出てくることには頷ける。是非は別でね。

それに加えて、今はネットがあるから、目の前に人がいないということが二種類の人間を作り出している。
片方は目の前に人間がいないから人間と接している感覚が薄く、ネットを介してだと簡単に、人に害をなせてしまう人。
もう片方は、常に人と接していることに疲れてしまう人だ。
だから、「人と接さない時間を無理やり作り出せるアプリ」とか「逆SNS」を作ったら、不思議と需要が高まりそうな感じ。
前に、SSで読んだけど、テレビのチャンネルや番組が増えすぎた結果、最高視聴率をとることになった番組は
黒い画面で無音の番組だったってやつ。
どんな人とでも、接している内には摩擦を感じるものだよ。
それはもうどうしようもないことだから、自分ひとりの時間も尊重しなければいけないとしかいえない。
でも、人に害をなせる人はまた別の問題を抱えていると思うね。
その人はきっと「強者」ではあるけど、「勝者」ではないと思う。

「社会を変えろ」というのは人に「お前が変われ」というのより簡単そうに思えて実はどちらも難しいことに変わりはない。
だから「当人とその周囲の次元の話」と「社会の話」は、「社会の話」の方が規模は大きく感じるし、
困難そうな分、もし達成したら効果があるように思うかもしれない。
しかし、その実、人間というのもそう簡単には変われなくて、社会が変わっても人間が変わらなければ
結局同じ道をたどるようなことだって沢山あるのだと思う。
そう考えると、「どれか」だけを解決しようとしてもだめかもしれない。
欲張りな話だけど、「どれも」を少しずつやるしかないんじゃないか。