「電脳マヴォ」というWEB漫画のサイトがあってですね。
今、紙媒体の雑誌や単行本がなかなか(売り上げ部数的な意味で)難しくなってきた時代でもあり、その分電子書籍で何ができるのかを
出版業界が模索したりしているところだと思うのですが、電脳マヴォもWEBで、「漫画」という文化を
どのように、よりいっそう盛り立てて行くか、ということをテーマに試行錯誤しているように思います。

始めたのは、竹熊先生。

中学のときに「週刊ファミ通」で「ファミ通のアレ(仮題)」とゲーム帝国を毎週読んでいて
最終的には単行本も全部そろえた私からすれば、電脳マヴォで、その「ファミ通のアレ(仮題)」が
読めるというのがまずニュースだったのですよ。
そこでマヴォを知ったのです。
しかも、ツイッター始めて色々と著名人とかのアカウントを色々見たりしていて
羽生生先生や金子ナンペイさんのアカウントも見つけた直後で、
羽生生先生にはサイトからファンメールを出してみたり、ツイッターでも時々お話してくださったりもするのですが、
そのタイミングで偶然「ファミ通のアレ(仮題)」のマヴォ掲載を知って、個人的にとてもタイムリーだったわけです。
(というか、私って個人的にタイムリーなニュースばっかりなんだよな、なぜか)

それで、そのファミ通のアレがコレです。

これ毎週読んでたんですよ、リアルタイムでw 当時中学2年。
でね、単行本もフルカラーでねw 買い集めたんですよ!w


で、それはまぁひとまず今回はアレは置いといてですね、そのファミ通のアレの竹熊先生がマヴォを始めて
ファミ通のアレも掲載し、他にも色々なWEB漫画の連載が始まりました。

その中のひとつ、同人王

作品紹介文の一部によれば
簡単に説明すると「まんが道」+「サルまん」+「バクマン」のエロ同人版なんですけど、
豊富な作者の同人知識と「どこかがねじ曲がった情熱」で、
読者は最後まで目が離せないまま「同人アリ地獄」に引きずり込まれることでしょう。
  

これが、週間連載されていたのだが、先日最終回が掲載されたということで、これまであえて読まないでいたのだが一気読みをした!
完結するのを待って一気読みしたかったから、あえて1話も読まなかったということだ!!w


全25話、一気読みが気持ちよかった。

「題材」がエロ同人というだけで、他のさまざまな作品表現や媒体に通じる話だと思うから、
物を創る人や、表現者には普遍的な話題として読める部分が多い。
「題材」を自分がやっていることに置き換えればいいだけなので。
例えばそれが、漫画や絵ではなく歌であったり、演技であったり、文章であったり、映像であったり、
何を使って表現をするのかは人によって違うけれど、「表現全般」に通じる話であった。
勿論題材が漫画なので、そこに特化している部分もあるということはいえるけれど。

それにこの漫画が「ふきだし」の中で言ってることだけがテーマなのではないように思う。
せっかく漫画なので、「ふきだし」の外でも表現を重ねることができるし、
そういう演出も汲み取っていくと、そこにも漫画的ギミックがあって勉強になる。

例えばキャラクターが服を着ているのかどうか、っていうのが、連載当初はともかく、後期になると、
「心に着衣をしているか」
とオーバーラップしているように思える部分があるのも面白くて、それは漫画だから使えた表現だとも思うので、
そういう視点からメタ的に読んだら2重に楽しめるなあという感じも受けた。
だから一回目は、とにかく内容を追うために、文字メインで目が追っていくとは思うのだけど、
もう一回くらい頭から読み直すと、一回目に気づかなかったギミックを発見したりできそう。
それは、コマに書かれている小さなポスターに「うんこ」とか書いてあるとかそういうことじゃなく
もっと表現として深い部分の話ねw
もちろん、「ふきだし」の中の言葉も強いから、絵や漫画以上に、ことばや文章の表現に長けている作者さんなのかもしれないけれど。


もうひとつ大きな題材というか、テーマ「ルサンチマン」があって、大学でキルケゴールとかニーチェについて専攻していた自分としては
やはり、漫画作品などでもそういうものに惹かれる。
興味が湧くし、どういう「落としどころ」を見つけるのかが倫理学上重要だとも思って読んでいる。
「Bバージン」なんかも、同人王に比べるともっと長期連載作品だけど、やっぱり「ルサンチマン」が強烈に描かれていてすごかったんだ。

時代時代で、何が「敵(ルサンチマンをもたらしているもの)」とみなされるのかは異なる。
個人によっても異なるし、状況によっても異なる。
ただ、ニーチェやキルケゴールの頃と、現代日本というのは全然事情が違うわけだし、「同人王」や「Bバージン」においては
自己内部にある強烈な劣等感こそが最大の敵であり、ルサンチマンの元であったりする。
つまり、「自分との戦いの時代」を描いている。
この場合の「時代」というのは、社会がそういう時代にあるという意味でもあるし、青春群像劇という視点から見れば
一個人の中にある自己実現へ向けての過程という意味での一時代だ。

現代社会にも当然そういった「自分との戦い」要素もあるが、社会的弱者の立場からのルサンチマンを克服するには社会の革命しかない。
しかし、そんなのはすぐに出来うることではないし、どうやら今は革命に向けて声を上げても
逆効果な空気を感じる。
だから、もっと突き詰めて考えて、社会全体を変えなくとも自分さえ変われれば
視点の転換のみによりルサンチマンから解放されると思うと、じゃあ自分とさっさと戦った方が良いな、と。
自分という社会の革命だ。

若者に限った話ではないと思う。
自分と向き合った結果として、ちゃんと自分が出来上がっていて、もうルサンチマンに苦しむことはない、
というところまで進めてようやく一人前であるならば、年齢とは無関係にこの「一人前」の肩書きを
得られていない人というのは沢山いる。
やはりそれだけ社会が厳しいせいもあるのだが、常に時代は移り変わっていくので、
翻弄される人は常時一定数いるし、案外なんとなく適当に生きて、それでもどうにかやれているから
自分と向き合う必要もなかったしだからといってルサンチマンにも陥ることがないという人も大勢いる。

ただ、表現者は違う。
表現者は、このルサンチマンを必ず一度は抱え、その上でそれを乗り越えなければ「一人前」になれない。
表現者にならないのであれば、なんとなく生きているのが一番楽に決まっている。

乗り越え方だって様々だと思うけれど、「同人王」や「Bバージン」を読むと、
すごく励まされるのは、メタ的に読んだときに、作者の表現者としての「俯瞰」の視点も同時に入ってくるからで
今はルサンチマンに苦しんでいる自分がいても、それは投げ出さずに邁進しろ!って言われているみたいだからじゃないかな。

あーこれからも頑張ろうってなった。