大好きなもの紹介シリーズ第7弾。
今回は『少女革命ウテナ』。
ブロマガの、「ニコニコ感想文コンクール」にも投稿する「感想文」になっています!
というのも、このシリーズを書こうと決めたこと自体、以前ニコニコであった、ウテナの一挙放送がキッカケだったからです。
けれど、ウテナの記事を書く前に、前回までの6記事を書く必要があったので、ウテナは第7弾になりました。
そして、先日、再びニコ生でウテナの一挙放送があり、「感想文コンクール」の告知もあったので、
それに合わせてこの記事を今書くしかない! となりました。
よーっし、頑張って書くぞー!!

少女革命ウテナは、主人公の天上ウテナ(中2)を中心とした学園生活を描く作品で、同一の原案とタイトルで
少女マンガ作品としても出ています。
「学園生活」と言っても、学校の雰囲気や世界観、設定などが独特なので、「学園モノ」と言われて想像する
少女マンガとは一線を画しています。
また、サントラのCD、劇場版なども存在し、私は片っ端から買い集めました。

アニメの放映が始まったのが高校2年の春で、初回放送を見るなり
「なんだこのアニメはーー!!!!」
と色々衝撃を受けました。
その「衝撃だった点」と、作品としての「みどころ」を軸に紹介していこうと思います。


◆独特のキャラクターデザイン

リアルタイムにこのアニメを見て、その当時高校2年だったのですが、そんなに沢山のアニメや漫画に
触れてきたわけでもなかったこともあって、まずキャラクターデザインに衝撃を受けました。
特色としては、鼻や顎が尖っていて、手足がやたら細長いので、そういう「バランス」の少女マンガを
沢山読んできていたら特に珍しくもなかったのかもしれませんが、私には見慣れなかったので絵柄だけでショックを受けました。
(しかも主要キャラクターはみんな中学生なんだけれど、中学生には見えない)



見慣れるとたまらないんですけどね。
始めはなんでも、見慣れないものやわからないものに対して違和感を抱くのは仕方のないことで、
でもそのうちにその違和感が気持ちよくなることってあるじゃないですか、食べ物とかでも。
嫌いだったはずの、クセのある食べ物がある日を境に好きになるとか。

そういった感じで、初回は「なんだこれー!!?」っていう違和感が絵柄にもあったんですが、
それは「気になるから次回も見よう」という動機に変わって行って、結局毎週可能な限り欠かさず見るようになりました。

しかも、回数を重ねていくごとに、キャラクターの絵柄くらいで驚いている場合ではないことにも気付きました。


◆世界を支える2つの塔

絵の次に初回で驚かされたのが、BGMです。
特に、挿入歌として流れる「J.A.シーザー」氏による合唱曲ですね。
毎回決闘場へ向かう際に流れる「絶対運命黙示録」はウテナをちゃんと見た事がない
という人にも知られているほど特徴的な曲であることは、もはや言うまでもないのかもしれません。

また、それ以外のインストの劇中BGMは光宗信吉氏が手がけていて、こちらも優雅でクラシカルな
「鳳学園」の雰囲気を演出するのに一役も二役も買っていると思います。

この光宗信吉・J.A.シーザーの二者の音楽性は全く異なるため、劇中では「日常」と「決闘」という
二面性を表現する結果にもなっていると思います。
これが、ウテナの世界を支える2つの塔です。
通常、劇判担当者がこのような役割分担をするというのはちょっと珍しいと思うので、
始めは、一人の作曲家が全部のBGMを手がけているという前提で見ていて驚いたものですが、
二人が関わっていてそれぞれの音楽性が、それぞれの担当する場面で、各々の色を濃く出すというのも
アリなんだなあと感心しました。

ウテナは学園モノではありますが、ある意味「世界系」ともいえ、また「決闘シーン」のようなアクションも取り入れているので、
作品そのものに多面性があります。
そしてそれを、表現するために、ひとりの作家に何曲も書かせるのではなく、学園と決闘では
担当者自体を分けてしまう、ということですね。

特にJ.A.シーザー氏の合唱曲については、「絶対運命黙示録」だけがほぼ毎週決まったシーンで流れるのに加え、
その直後の決闘シーンでは、毎週新曲が流れるという形式でした。

ですから、最初の放送では、まず「絶対運命黙示録」を聴いて「なんだこれはー!!!」となり、
その直後、第1話の西園寺戦の挿入歌である「When Where Who Which」でも「なんだこの歌はー!!!?」となり、
更に翌週、西園寺との再戦で流れる「肉体の中の古生代」で「先週と違うけどなんだこれー!!」という。

しかも「合唱曲」って言ってますが、それは楽曲に乗っている「歌」の形式が、杉並児童合唱団、東京混声合唱団、万有引力等による
「合唱」であるというだけで、楽曲自体のジャンルはプログレッシブ・ロックです。

つまり、通常それとそれは組み合わせねえだろ!という2つのものを組み合わせて出来ているのが
J.A.シーザー氏の楽曲であり、新ジャンル「プログレッシブ合唱ロック」なのですから、
そりゃ斬新さに衝撃を受けたり、違和感を感じたり、「なんだこれー!?」ってなっても仕方がないと思いました。
プログレなので、変拍子な上、ドラム・ギターなどがジャカジャカ言ってるところに、
少年少女合唱団の歌声が混ざってくるわけですからね。
これがまた聴きなれるとたまらないんですが、それまでは「!?」の連続でした。
サントラ第一弾が出てすぐさま買ってみたんですが、歌詞を見てもそれはそれで「!?」だったしw
曲も歌詞も、新しすぎてすごく衝撃を受けました。

サントラは、当然全部集めたのですが、今は10枚組の商品もあるんですね。私は全部バラで集めたなあ。

CD10枚セット


単品だとこういうの。




光宗信吉氏のインストもかなり好きですね。
というか、当初CDを買った狙いは、そのインスト曲をゆっくり聴くことでした。
Track18の「パッショネイト」とかが好きで、「これはCD買って聴きたい!」と思ったのでした。
それから第5〜6話のサブタイトルにもなっている「光さす庭」ですね。
しかし、CDを2枚目、3枚目と買っていくうち、J.A.シーザー氏の合唱曲も
どこにどう収録されているかが楽しみになっていきました。

第1弾の「絶対運命革命前夜」は、光宗氏のインストがまとめられた後に、J.A.シーザー氏の合唱曲がまたまとまっている感じなのですが
第2弾「バーチャルスター発生学」はその逆であり、更に第3弾の「体内時計都市オルロイ」となると
インスト3曲の合間に合唱曲が挟まるような構成になっており、アルバム構成が毎回違うのも楽しかったのです。

それから、先に書いておくと、サントラCDの中で、こればかりは作品と合わせて持っていて損はないというのは、
(全部といえば全部ですが)劇場版のサウンドトラック「アドゥレセンス黙示録」ですね。
映画について別項にまとめますが、サントラもかなり良いので、ここで予め紹介してしまいました。

名盤です。
映画を見てからだと全く印象も違うと思うので、是非劇場版を見てからCDの方もゆっくり聴いて欲しいですね。

テレビアニメ版後期エンディングテーマの「バーチャルスター発生学」もかなりお気に入りです。


◆幾重にも練りこまれたメタファー

この作品は、タイトルにもあるように「少女革命」を描いているのですが、
少女「を」革命するの? 少女「が」革命するの?
世界を革命する力の「世界」とか「革命」って何?ということが、はっきり説明されません。
それは、すべてメタファー(隠喩)の中にあって、見た側が解釈して意味を与えていくべき作品だからです。

ストーリーは1〜13話が生徒会編、14〜23話が黒薔薇編、24〜33話が鳳暁生編、34〜39話が黙示録編という風に分けられています。

この学園そのものがひとつの「世界」であり、それを支配しているもの、そして「世界の果て」というのは
形骸化した「王子様(の理想像)」という感じです。
作中で描かれるちょっとセンセーショナルなシーン(近親相姦とかレズとか)に目を奪われがちですが
作品の根底にあるテーマとしてはそういうアブノーマルな恋愛を描きたいとか、
それと主人公たちを対決させたいということではないように思います。

生徒会、いや、生徒会長である桐生冬芽が最初の「壁」です。
世界の果てよりも内側にありますが、少女が少女性からの脱却を目指すために、出ていかなければいけない壁の象徴です。
そのため1〜13話と映画の序盤では生徒会・冬芽という存在が圧倒的存在感で描かれます。無駄に脱ぐし。

アニメ版でも終盤になると理事長でありアンシーの兄でもある「鳳暁生」が、最後に打ち崩すべき壁であり
世界の果てであるとわかるのですが、映画版でもこれは同じですし、もっとわかりやすく描かれています。
ウテナにとっては「王子様」は冬芽で、アンシーにとっては「暁生」が王子様。
しかし、この「世界」ではすでに、ずっと昔から「王子様」は形骸化していて、そこに少女たちの幸せな未来はありません。
「白馬に乗った王子様がいつか迎えにきてくれる」なんていうのは、文字通り夢であって、そこになんの現実味もありません。
夢を見ていたいならそこでじっとしていればいいけれど、本当に待っていればそのうちそうなるなんて思っているのは
やめたほうがいい。つまりそれこそが世界の革命です。
それは夢を見る方が「夢見がち」だからいけないというだけの話ではなくて、そんな王子様がいなくなってしまったこともまた
悲劇の原因となっているのです。

「王子様」たちがいかに空っぽなのかということが、毎度隠喩で描かれます。
例えば冬芽は優しいお兄さんだけれど、誰にでも優しいしプレイボーイなんですよね。
西園寺は「力」を男の象徴とするDV男だし、樹璃は隠れ同性愛者なんだけど、ウテナもアンシーも同性愛で幸せになりたいわけではないし。
とりわけ2部の黒薔薇編での決闘シーンで、決闘場に登場する様々なアイテムや、劇場版や3部で「車」が頻出すること。
「車」というのは、男性が自分のステータスを誇示するアイテムの象徴です。
けれど、男性が「俺の車どうよ!」と自慢に思っているほど、女性は男性のことを車で測ったり選んだりしませんよね。
しかも、「車がステータス」ということ自体が若干前時代的です。
例えば「Bバージン」に描かれているようなバブル期の話ですよ。
そのさなかにあった「Bバージン」にすら、女性が、男性の車自慢にうんざりしている描写があるほどです。

そんな風に、「今なんでリンゴがカットされてウサギになった」とか、「なぜ冬芽は延々ナイフ投げをするのか」とか、
生徒会室で行われる様々な一見意味のわからないことにも、隠喩的な意味があったりしますから、
ぼーっとは見ていられません。

そして、これらの決闘ひとつひとつが、少女(ウテナとアンシー)が、世界の殻を破っていく作業なのです。
1部の生徒会編では、生徒会が破っていくべき殻だったのですが、2部の黒薔薇編では、
その他のサブキャラたちすら決闘の資格を持つようになり、連戦を強いられることになります。
1部は、ウテナと生徒会という「王子様の幻影」との戦いであり、
2部は、気高さVS「心の闇」等々という戦いであり、
3部は、「世界の果て」との戦いであり、
4部は、アンシーという「閉じた自我」を「世界」から解放するための戦い となっています。


また、影絵少女のパートも新しかったと思います。

突如物語の本筋と関係のない「影絵少女」たちの掛け合いが挟まった後、決闘シーンなどに移るのですが、
これも全然関係ない話を、関係ない人たちがしているようで、実は根底が繋がっていたり、演出として斬新でした。
メタファーというのは例え話ではないので、いっそ「なんだいまの唐突な関係なさそうなシーンは」と思わせる部分がその役目を担っているし
「なんだろう」と考えさせてこそですよね。
「これは一つの喩えなんだけど」と前置きしたらそれはメタファーではなくなってしまいますし。

それだけでなく、画面の「装置」すべてが凝っていますね。
構図や画面の分割にまで意味があったりします。


テレビアニメシリーズは全39話で、途中コメディ回などもありますが、テーマと大筋のストーリーはそのままで
映画のサイズに作り直したのが、劇場版「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」です。
物語の結末が違うのがみどころです。
とはいえ、アニメ版も、見方を変えれば(拡大解釈すれば)、描き方が異なるだけで目指すべき結末は同じだったと捉えることも出来ますが。
しかし、私は、テレビアニメ版の続きが劇場版だとする解釈も好きです。

テレビアニメ版では、ウテナはアンシーを世界から連れ出すことに失敗して、自分がその世界から抹消されてしまいます。
けれど、アンシーもその後、自分の意思で世界を飛び出し、今度はウテナを探し出す決意をするところで終わります。
その、アンシーの旅した先が劇場版であると考えることもできるのですね。
テレビアニメと同じ時間軸を別ルートで見ているのではなく、あくまで「その後の話」と見るかたちです。

テレビ版でアンシー解放に失敗したウテナは、「暁生の世界」からは消されてしまいますが、
似たような別の学園に転入し、再び「王子様」を目指します。

「王子様」というのは、その後の恋愛に影響を及ぼしていく雛形のようなもの。
簡単に言い換えれば「初恋の思い出」や、「男性に求める理想像」です。
しかしそれは少女にのみ見ることを許された「夢」であり、夢であるが故に空っぽです。
その空っぽな夢にアンシーは縛られ続けて、自我を放棄しています。
テレビ版では、そのアンシーが初めて自分の意思で学園の外に出るところまでが描かれます。
しかしそこにウテナの姿はなかったのです。
劇場版では、二人で一緒に世界の果てを突破することに成功しているので、
アンシーの意識改革がキッカケで「2度目の挑戦」が成功したと見る方が私は好きです。

DVD-BOX


劇場版DVD



決闘にもそれぞれ名前があり、例えば冬芽の決闘名は、1回目が「信念(conviction)」、2回目が「自分(soi)」、3回目が「選択(choix)」
西園寺は1回目が「友情(amitie)」、2回目が「選択(choix)」、3回目が「関係(relation)」という風に全て異なります。
アニメ版13話がそこまでの総集編のような作りになっていますが、そこで決闘名が具体的に語られます。
決闘名は大体が、「ウテナが何のために戦ったのか」もしくは「何と戦ったのか」のいずれかになっていると思います。
ウテナの決闘は、最終的にはアンシーを解放するまでの試練であるので、
自我と心の自由を保つために何と戦うべきか、ということでもあります。
解放されるのはアンシーで、戦ってるのはウテナですけれども。


こういった様々な仕掛けが複雑に絡み合っているため、1回見ただけでは何がどうなっていたのか
わからないところも沢山あります。
だからこそ引きこまれて、もう一度見たいと思うのです。

特に初回は、雰囲気に圧倒されて舞台装置の意図がわからないままだったり、
ネタバラシされてもなおイマイチ理解できずに終わったりもしますが(黒薔薇編は結構混乱した)
繰り返し本筋に関わるところを隅々まで見たあと、劇場版を見るのが楽しくてしょうがないです。
なので、ニコ生の一挙放送で劇場版までは放映されないのが少し残念でもあるのですがw

ということで、これから個人的に、久々、劇場版鑑賞会をしようと思います!w

<追記>
大学の「ジェンダー論」を扱う授業でも“教材”として扱われることがあるので、
論文の題材におすすめですw
私もこの作品を題材にしてレポート提出しましたし、授業でも見ました。