天才ピアニストディビット・ヘルフゴッドの数奇な運命を描いた、
とかいう触れ込みで宣伝してそうな映画。
もとは実話なんですわ。
父に溺愛されて、ピアノ漬けの生活の中で精神に異常をきたしてしまう。
それでも、彼のピアノは素晴らしくて、人の感動を呼び、話題を呼び…。

なんつーか、こういう映画を見ると、いつも人生は色々だなぁとつくづく思う。
つまらない感想だけど。
それに、なぜか涙が溢れる…。
この涙の意味がわからない、自分でも。
他にも、これと同様の涙が出るのが、「フォレスト・ガンプ」
感動とか、悲しみとか、一つの言葉では表せない。
いや、言葉では表せないものが涙になって出てくる感じだ。そ
の涙は、映画の中の意外なタイミングで出てくる。
ラストのシーンとは限らないし、悲しい場面でもない、感動の場面でもない。
でも、たくさんの涙が出て止まらないんだ。
あれってなんなんだろう。
一種の「感動」ではあると思うけど。

「シャイン」はピアノ曲を丸々一曲堪能させてくれる場面はほとんどない。
コンクールでラフマニノフを弾く場面でも途中彼の頭は真っ白になって
音が聞こえなくなる。
むしろ、後半、レストランで演奏する場面。
客が一瞬に静まり返り彼の演奏を聞く。
そこでは、彼の演奏が天才のそれだとひしひしと伝わってくる。
それまでのどの場面でも彼の演奏がどういうものなのか、
はっきりとは見せてくれない。
それがどういう目的の演出なのか、考えると面白い。
彼はピアノから離れられない人生を送っている。
ピアノが彼に取り付いて、ピアノが彼を狂わせたようなものだ。
そこから離れれば、彼は救われるかもしれないが、彼は離れなかった。
むしろ、よりピアノを求めた。
そこまで彼とピアノは切っても切れない運命にあったのに、
映画の中で、彼がピアノを弾くシーンは多用されない。
それどころか上記のとおり、一曲丸々聞ける場面がほとんどないのだ。
これは色々な理由が考えられるけれど、ここでわしが考えたいくつかの答えを
提示するのは避けよう。
そういう視点からこの映画を見てみるのも楽しいよ、と言う提案程度にとどめよう。