日本倫理思想史とかでよく出てくるんだよね。
特に思想関係の授業だと物的な排除を踏まえつつ心的な方向へ行って
宿業とか述べちゃうんだけど…これってわかりにくいな。

とにかく最近考えたこと。

人間はこの世に生を受けてから、他の何かを排除しないで生きていくことはできない。
まず、物的に言って、
「私」という物質が占めている空間にほかの物質が取って代わることはできない。
それは、人間に限ったことではなくて、物体は全部そう。

で、しかも、それに加えて人間て言うのは
本当に多くの物を排除しながら生きている。
たとえばね、人間は雑食でしょ。
そういう食べ物にされている多くの植物や動物は排除されているわけね。
まぁ、「排除」っていう一言だから語弊がある感じだけど、このニュアンスは
伝わるはず。んであえて排除という単語を使って説明するけども。。。

そうやって生きていくためにたくさんの生き物を排除しているわけ。
昨日なんか実家に帰りしな、豚丼食べたけどさ、
なんでか昨日は沢山の豚のことをリアルに考えずにはいられなかったね。
排除の構造のことを考えると自然とそこにぶちあたる。

でも、そういうものを食べないで生きていくことはできない。
ベジタリアンってものすごく体力ないらしい。
それに野菜だって生き物だからね。
生き物を排除しない食生活ってないわけ。

もっともっと言うとね、人間はほかの人間も知らないうちに排除していくわけ。

知ってて排除することもあるかもしれないよ、もちろん。
でも、不可抗力でっていうのがある。
それが宿業なんだけど、
たとえば

このまえの授業で先生が言っていたたとえが一番わかりやすいだろうな。

なんかの試験を受けるよね。
大学受験とかね。
で、倍率ってのがあってさ、定員よりも多くの受験者がいれば
合格者と不合格者が出るのは当たり前だよね。
これって、合格者は不合格者を排除しているわけですよ。
自分に対してなにか迷惑をかけたわけでもない知らない人たちを
排除して、合格者はその「場所」を確保するわけですよ。
それは仕方がないことなのね。
社会に生きていく以上、こうやって沢山の「排除」をしながら
自分の「場所」を確保しなければいけないようになってるのだから。
これが排除の構造ね。

私たちみたいな「自立」の中途にいるような年代の人間ってさ
「立ち上がりかけ」だからとにかくいっぱいいっぱいなわけ。
だからとにかく排除するのね。
それは自覚的にも無自覚的にもよくあることなの。
排除し、排除されながら立ち上がっていくわけ。
だから、多少意図的に排除されてもあきらめなきゃってとこあるのね。
誰かの居場所のために、自分がどく。
もしくは、どく必要はないと思って居座る。
そういうのを判断して結局排除の構造自体からは抜け出さないまま
生きていく。

何物も排除しないで生きているという確固たる自覚の人がいるとしたら
もうすぐ餓死するか、単なる考えなしかもね。

この「場所」に自分がいるってことは、
知ってる人も知らない人も、たくさんの動植物たちをも排除してきたからだと
自覚している。
だから偉いとかなんとかじゃないんだけど


もし人に寛容になれるとしたらそういうところからいけるかなって、

なんつーか「わたしって排除されてるな」って思うことが多かったとするでしょ。
でも、そこで確かに悲しかったりはするんだけど、
そういう行動を取られたってことは、どういうことだろうって考えてみて…
お互い立ち上がりかけのいっぱいいっぱいな状況の中で
排除されても「ま、しょうがないか」くらいに思うしかないっていうか。
無論一方的な排除には理不尽さがつきまとうので、
逆切れしがちになるのですが、「ま、しょうがないか」くらいに
考えておけばこっちも気が楽ですよみたいな?

きっと、その立ち上がりかけの人もね、立ち上がる頃には今と違う何かに
気づくと思うんですよ。
なんか、こう書くと、上から物言ってるような感じですけどねぇ、
正直上も下もないっす。それはほんと思う。
こっちはこっちで立ち上がりかけでいっぱいいっぱいの中で
精一杯考えて、こう思えばいいのかな、ってひとつの形を見つけたって程度なんす。
自分の防衛機制なのかもしれんが。。。かなりの高確率で。

でも、理不尽に排除されたら自分に「自分はそこまでわるくない」という
信念あるわけだしなんとか立ち直るしかないしね……
逆にあれですよ、
聡かに自分に不手際とかがあって排除されたなら、
それは目をそらしたくないし、理不尽じゃないし。
問題は理不尽だった場合なんだよな。

そう、自立したいしさ…
なにより人の言った一言二言で人生左右されたくはないしさ…

むしろね…
それだけいっぱいいっぱいなら、人を排除するより、
頼ってくれちゃったほうがやりやすいわな〜。
自立って、人に頼らないって意味も含むとは思うけどさ
人に頼らなければそれで自立というかというとそうでもないような。。。
とにかく、いっぱいいっぱいなら、身近な人がいくらでも
手を差し伸べてくれるから、それにすがっても悪くはないよと。